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<命の巫女姫>


 神殿長様、司祭様、そしてすべての神殿の皆様。ごめんなさい。儀式の日までには必ず戻ります。
 だから、お願いです。探さないで下さい



「巫女姫が、逃げた?」
 二月後にこの国にとって重大な儀式を控えたこの神殿の警備のため派遣された王宮騎士のフィードは、今まさにつるし上げている司祭の言葉に凍りつくような声で答えた。
「また、ずいぶんですね」
 のんびりとその光景を見守っていた、同じく王宮騎士のクレストが答えた。
 彼らは第二騎士隊で、黒髪に琥珀色の目を持ったフィードが隊長、金髪で緑の目のクレストが副隊長だ。
「神殿長!!」
「何事ですか、騒々しい」
 振り返った神殿長の顔が、引きつった。
「巫女姫が逃げたというのは本当か」
 止める司祭を振り払ってフィードが現れる。
「……第二隊の騎士様ですね。ご挨拶とお出迎えが遅くなりまして」
「御託はいい。巫女が逃げたというのは本当か?」
 いずれ知られる事。神殿長は、ひとまず彼らの入室を促した。
 部屋の中でフィードは、神殿長から一枚の紙を手渡された。そこには、整然と、静かにまっすぐな文字が並んでいる。
「逃げたのか」
「それはありません。巫女姫は、戻ってきます」
 この神殿で神殿長に継ぐ地位の持ち主は巫女姫だ。二ヵ月後に控えているこの国の儀式の主役。
「なぜそんな事が言える」
「書いてありますから」
「信じろというのか? 儀式まで二ヶ月しかないのに?」
「信じられませんか?」
「それこそどうして信じられる? 死にたくなくなったのだろう」
「……あなたには、理解しがたいかもしれませんが。彼女は、その為にしか生きてきていないのです。逃げるなど、考えもしないでしょう」
「だが、現実に今、この場にいない」
「そうです」
「逃げてないと、なぜ言える? ならばなぜ、神殿内を捜索する」
「………」
「それで、心当たりは?」
「ありません。彼女の故郷は、ここだと思っていました」
「話にならん」
 フィードは背中を向けて部屋の出口へ進む。その背に、神殿長の声がかかった。
「どちらへ?」
「巫女の捜索だ。どうせもう、この神殿にはいないだろう……巫女の部屋は?」
「何をなさるおつもりですか」
「俺の仕事はなんだと思っている。巫女を連れ戻す」
「巫女姫です」
「……そうだったな」
 フィード達第二騎士隊が神殿で見つけた手がかりは二つ。一つは、巫女姫の部屋の暖炉にあった燃え残った紙。そこには、“馬車”と“東”という二つの文字が、つづられていた。二つ目は町の乗合馬車に乗ったという、目撃情報――

「はい、お嬢さん」
「ありがとうございます」
 露天のおじさんから、飲み物のカップを受け取った女性が歩き出す。すぐ傍の椅子に腰掛けて、暖かいお茶に口をつける。
「おいしい」
 だけど、彼女はお茶を一口飲んだだけで止まってしまった。
(今頃、神殿では大騒ぎね。神殿長、大丈夫かしら)
 ふと、考えていた事にはっとしたのか、何かを振り払うかのように首を振る。
(いいえ、大丈夫。大丈夫よ)
 カップを握り締めて、心に言い聞かせる。その手が、震えている。
(急がないと、追いつかれてしまうかもしれない)
 何かを振り払うように立ち上がった彼女は、乗合馬車の待合所に向かった。

 第二騎士隊は、東に向かって馬を進めていた。先頭を走るフィードの心に引っかかっているのは、あの神殿長の、巫女姫の捜索に積極的ではない態度。そして――
『騎士様は、巫女姫――儀式のことはどの程度知っておられますか』
『馬鹿にしているのか?』
『だとしたら、巫女姫の時間の事も、お分かりでしょう』
『それがどうした。陛下の配下にある神殿の巫女が、儀式前に逃げ出す事が許されるとも?』
『それは、たいした問題ではありません。彼女は、そのために生きてきたと言う事実を、お分かりになられておりますか?』
 結局、話らしい話にもならない。
「隊長」
 先発の騎士の報告によると、巫女は馬車の待合所でさらに東に向かう馬車に乗っている。
「儀式前に逃げ出す巫女でも、役に立つ事があるな」
 女一人は、目立つのだ。
「はい」
 クレストは、フィードの皮肉な物言いに静かに同意した。彼の隊は全部で十人。だが今は、隊長のフィードに続いて騎士団は七名。残り三名は、また別の任務についていた。
 彼らは普段は王宮で騎士をしているが、今回儀式前の神殿の警備、巫女姫の護衛に来たのだった。だが巫女姫は、その騎士が来るという混乱に乗じて逃げ出したのだ。フィードの怒りは、確かに、彼の立場にあればもっともだったのかもしれない。
「見えました。あの煙の上がっているところがレデル村です」
 新しい町で、警吏から元気な馬を調達した騎士団は、乗合馬車よりも早く、確実に巫女姫に近づいていた。

「え? 乗合馬車がこないの?」
「ぁあ、なんでも馬車が事故にあったらしく、復旧は明日になるってさ。まぁ小さい村だけどゆっくり――お嬢さん!?」
 乗合馬車の待合所の男性は、突然真っ青になって震える女性にあわてて声をかける。
(追いつかれる……)
 男性の気遣いも、引き止める声も聞こえず、女性は走り出した。
(どうしよう……どうしよう!!)
 女性は当てもなく村を抜けて、足を動かして逃げようとする。彼女は風車小屋の傍を走りぬけた時、裏手に藁を積んだ荷馬車を見つけた――

 乗合馬車の連絡に隊員を三人残して、フィードは東へと進んでいた。カウの村で得た情報によれば、次の乗合馬車の終着はレデル村――
「隊長!」
 フィードの目にも映った。遠くに見えた村の入り口から出てくる、藁を積んだ荷馬車。もう日暮れだからか、帰路に着くのだろう。フィードは、鋭い視線をクレストに向けた。第二騎士隊の並びが、二つに割れた。
 突然の来訪者に、村中が何事かと首を傾げる。見れば、彼らはこの場所にとても不釣合いな騎士だと誰もが気が付いている。
「探せ!」
 フィードの言葉に、頷く隊員がみな村中に散る。情報は、すぐに集まった。そう、今日、この村に馬車で来た者。乗合馬車管理の男性に話を聞けば、すぐにわかる。おそらく、すでに巫女は――
 戻ってきた隊員の話に頷いたフィードは、頷いた。
「想定内だ――巫女はもうこの村にはいない」

 かっぽかっぽと、規則的な馬の足音が聞こえてきていた。そして、馬車の動きが止まる。藁の降ろしは明日にしましょう、もう夕食ですよと、婦人が夫に声をかける。それに頷いて、男性が家の中に消える。
 しばらくして、無尽のはずの馬車の上、積んである藁が少しだけ動いた。人影が、地に降りる。辺りは薄暗く、遠目にその影が森の中に走り去っていくことだけが、見えた。
 空を照らす上りかけの月のある方向、東――
 金髪の女性が、森の中を走る。家の光はもう見えないところまで来て、女性は木に手を付いて立ち止まった。
「いそが、ないと」
 女性は、それだけ言って歩き出す。まだ呼吸が整わないのか、辺りに早い息遣いが聞こえる。それでも足を進める。立ち止まらないように、見つからないように――
「そんなに急いでどこまで行くんですか? ――巫女姫」
 突然、暗い森に鋭い声がかけられた。背後から聞こえた声に女性がはじかれたように振り返る。森を包む暗闇が、動いた。
 腰に剣を刺し、黒い服に身を包んだ男が現れる。そこで女性は、絶望に顔色を変えた。
 本当は、彼女は振り返っては、いけなかったのに。自ら、巫女姫であることを証明したのだと気がついても、遅い。
 息を飲んだ巫女姫が、震える体を叱咤して走り出した。が、
「きゃぁ!?」
 今度は目の前に現れた影に行く手を阻まれた。視線を動かして、目を見開く。右も、左も、前も、後ろも、すべて。
 闇に解けていた影が動き出す。――巫女姫を囲むように。ゆっくりと、確実に。
「何か御用ですか」
 平静を装って、巫女姫がフィードを振り返る。しかし淡々とフィードを見た巫女姫の瞳には、誰が見ても恐怖の色が浮かんでいると言っただろう。フィードは冷ややかに笑っている。その様子に、巫女姫の藍色の瞳と、流れる金髪がゆれた。
「何を言うのかと思えば、お前が一番よく知っているだろう」
「儀式までには戻ると言ったのに!!」
「そんなもの、信じられると思っているのか?」
 あっさりと否定するフィードの言葉に、かなり傷ついたように巫女姫の表情が強張る。
「――な」
「さぁ、戻りま」
「いや!」
 フィードが伸ばした手を振り払って、巫女姫が泣いた。
「いやぁ!!」
 逃げようと暴れる巫女姫に、フィードが問答無用で掴みかかった。
「放して! はなして!!?」
「うるさい」
 何度かその手を振り払おうと試みて、逃げられないと悟ったのか巫女姫の動きが突然止まる。しかし、あきらめたわけじゃないとその目が言っていた。
「儀式はうけるもの……だから今はいいじゃ、ない」
 巫女姫はこみ上げてくる涙をこらえ切れないのか、所々しゃくりあげる。しかしフィードはその異常なまでの執着心を儀式から逃げる事であるとしか、考えていない。
「駄目だ」
「なんで!」
「なんのために神殿に城の騎士が配属されると思っているんだ」
「それは」
「儀式はお前のものじゃない、この国のものでもあるんだ」
「でも……」
 悔しそうに、唇を噛んで巫女は震えていた。しかし何か思いついたのか、突然顔を上げる。
「ならお願い! あなたたちも一緒に!」
「ふざけるな! 巫女は神殿にいるものだ!」
「どうして!」
 誰が聞いても、きっとそれを言うと思う同じ言葉に、巫女姫が嘆く。フィードは話を聞かず、淡々と仲間に指示を出している。
 捕まれていない巫女姫の手が、動いた。ぎょっとした騎士達の空気が変わり、フィードも驚きに言葉を失う。
 その間に、巫女姫は出来る限り距離を取った。
「……そんなものを取り出してどうする気だ?」
 フィードの言葉に、巫女姫は隠していた短剣の切っ先をフィードに向けた。彼は伸ばしてきた手を、一度引っ込めた。
 剣を持った巫女姫の手は、震えていた。
「儀式の前に巫女姫が血を流す事は禁じられているだろう?」
 ぎくりと、巫女姫の体がこわばる。そうなのだ。禁を犯せば巫女姫は地位を剥奪されて、儀式にも出られなくなって、ただ、打ち捨てられる。
(儀式の、為だけに――)
 握り締めていた巫女姫の両手が震える。力が抜けて――剣が落ちる。
「――ぁ」
 そして、泣き声が響き渡った。とても悲しくて、痛々しい泣き声だった。
 ため息をついたフィードに、隊員の何人かは視線を送った。おそらく、巫女姫に同情する視線だが、フィードは容赦なかった。
 彼は気がつかなかったのだ。巫女姫の決意も、心も、悲しみも。
 もう逃げないと判断したのか、騎士たちは帰路について意見を交わしている。
 一瞬、月明かりが、輝く。そのやわらかい光に何か光が反射した。きらりと、銀色に光る。短剣。怪しく、禍々しい。
 悲しみに麻痺した巫女姫の心が、冷たい。そして燃えるように熱い決意が、彼女を突き動かした。
「あああああーーー!!」
 悲痛な叫び声に騎士達が振り返ると、反射して輝く短剣の刃に、赤黒いかげりが流れていくところだった。
「なっにを!?」
 フィードが驚愕して、今度はと右目に向かう途中で短剣を奪った。皮膚を裂く鈍い痛み。まだ血に染まっていない巫女姫の右目が、フィードを捉えた。
 巫女姫はなんて、絶望的な顔をしているのだろう。二人の視線が絡んだ、瞬間。そこまでしか、持たなかったのだろう。巫女姫の体が崩れ落ちた。

「残念ですが、左目はもうもとには戻りますまい」
 いや、あの傷ですら、残るだろうと医師が言う。椅子に座ったまま、ただ無言でフィードは言葉を聴いていた。後ろに立つクレストも、動かない。
 なぜ、とかどうしてとか、そんなもの知りたいのはこっちだと彼らも考えている。突然、巫女姫が自分の左目に剣を突き刺すのだから。
「いやぁぁあああーーー!!!」
 そこに、廊下を伝って叫び声が聞こえた。彼らは椅子を蹴り飛ばして、立ち上がった。
 部屋の中の寝台の上で、自身叫び声で目覚めた巫女姫が速い息を繰り返していた。左目を覆う包帯が痛々しい。何かを思い出したかのように、巫女姫の手が伸びる。恐る恐る、その手が左目に――
 扉を叩く音に、巫女姫の体が震えた。しかし、どうぞと、彼女は言葉を口にした。本人が思っている以上に、とても弱弱しく、細い声だった。
 あの場所から、フィードが駆け込んだのは、荷馬車のおじいさんの家だった。彼らは驚きながらも、おじいさん心得ていた医術で彼女を治療した。しかし、結論は、先ほど彼が口にした通りだ。
 ろうそくを持って、おじいさんが巫女姫の寝ている寝台に近づく。騎士たちは、まだ廊下に立っていた。
 おじいさんが二、三質問をして、巫女姫が答える。そして、沈黙した。火の付いたろうそくが揺れる。ただ静かに、燃える火。自然と、巫女姫はその火を見つめていた。しばらくして、おじいさんが声をかける。
「その左目に、光は戻りません」
 巫女姫が首の向きを変えて、天井を見た。そして、億劫そうに伸ばした手を左目に当てている。じわりと、巫女姫の右目に涙が浮かんできた。それは、溢れ、流れて、止まることを知らないようだ。
「どうして、奪ったのですか?」
 彼女は、最初答えなかった。それから、誰に聞かせるでもなくしゃべりだした。
「望んだ事を、最後だから」
 だから彼女は、騎士がくると言う慌ただしさに乗じて逃げた。
「あきらめ、られないの」
「……」
「この目があるから望んだ事なら、この目がある限りあきらめられない」
 だから、刺したと。
「わかって、いたの。知っていたの」
 彼女の泣き声に混じって、声が聞こえる。
「私はそのために生きてきた。そのために飢えも乾きも知らず、あの場所で生かされてきた。だけど、だけど私は、」
 彼女の心が、叫んでいた。
「私は生きたい!!」
 痛い。痛い。痛いのは、消えた光じゃなくて、心――

 悲痛な叫びが、扉越しに聞こえてきた。その事に騎士達がみな口を閉ざす。今まで、考えた事もなかった。それが当然であり、そうあるべきだと疑わなかった。その事について。
 だが、それでよかったのだろうか。誰かが、問いかけているようだ。
「隊長、偵察隊が戻りました」
 静かな報告にフィードは身を翻した。それにあわせて、騎士達はみな扉から身を放す。この場所に、とどまってはいられなかったから。

 次の日、巫女姫と騎士隊は、最後まで不安そうにするおじいさんと、若い頃の服だといって巫女姫に服を着せたその奥さんに見送られて、出発した。
 騎士隊が調達した馬車に巫女姫と、フィードとクレストが乗る。生気のない目で窓の外を眺めていた巫女姫は、片目でものを見ることに疲れたのだろう。しばらくして両目を閉じて、眠りについた。
 それは、本当は彼らが朝食に睡眠薬を盛っていたと、巫女姫は知らなかった。
 フィードが、外に指示を出す。
 馬車は、進みを止めなかった。
 静かなものだった。うなされて、時折、うわ言のように何かを呟きながら、巫女姫が涙を流した意外は。

「――姫、巫女姫」
 呼び声に答えるように、巫女姫の意識が浮上する。
「っ!?」
 がだっと、覚醒した巫女姫の体が逃げるように動いた。その様子に、フィードはため息をついて、クレストはしまったと苦笑した。
「すみません、寝ているところ。気分はどうですか?」
 見るからに怯えている巫女姫が、首をふった。
「気分が悪いんですか?」
 再度クレストが問いかけると、今度は強く首をふった。
「よかった」
 ほっとしたように、クレストの表情が穏やかになる。巫女姫もつられて笑いかけて、鋭い声にその身が固まる。
「早く出ろ」
 フィードに促されるままに足を動かす巫女姫の足取りが重い。彼女が帰る場所は、神殿以外、なかったから。
 うつむいた巫女姫を歓迎するかのように、ざっと、風が吹き付ける。髪をなびかせて、首筋を通り抜ける。
「――ぁ」
 小さな、声がもれた。
 風の音、空の色。そして――音。
 見えたのは、水平線。
「……海」
 巫女姫の足が、動く。
 海に向かって走りこんだ巫女姫の足元が水に浸かる。湿った砂、押し寄せる波、引いていく波。
 押し寄せる海水が、ひざにかかり足をぬらす。時折、波が高く服をぬらす。ざぶざぶと、彼女は波を追いかける。足跡が、波に洗い流される。
 空高く海が青い。どこまで続いて、水平線に消えてゆく。
 しばらく、言葉を失ったかのように巫女姫は立ち尽くしていた。そして、静かに口を開いて歌い始めた。
 隊の隊員は、巫女姫の姿を眼で追っていた。そして、聞こえた歌声に耳を済ませた。
「……これは」
 巫女姫が、舞っていた。途切れることなく歌を歌いながら、右手を掲げ、左手を添える。儀式で、舞うのだ。足は左、右、前、このために舞ってきたのだ。高く、低く、ゆっくり、早く。ひとつひとつの動作を止めて、流して。波の音に、あわせて。歌いながら海岸沿いに歩き出す。波が押し寄せて、引いて、足跡が消えたり、残ったり。
「楽しそうですね」
「そうだな」
 どがっと岩に腰掛けたまま、フィードはクレストの言葉に答えた。その視線の先には、歌いながら歩く巫女姫の姿があった。
 いったいどこから声が出ているのか、波の音に負けず聞こえてくる、歌。その様子見ていて、思い出すのは、あの老人と、巫女の会話。
『なら、わしが替わってやろう。老い先短い老いぼれだ。あんたはまだ若い。望むだけ、生きられるだろう?』
『いいえ』
『……?』
『私はその場で舞うために生きてきたの――その最初で最後の機会を、失わせないで』
 神殿長が行っていた、『彼女は、そのためだけに生きてきた』と。
「だから、なんだというのだ」
 クレストの声は、しかし、強いものではなかった。

 入り江の岩の上に腰掛けて、巫女姫が海の先を見つめている。太陽が落ちていく様子が見える。波の音が、とても近い。
「巫女姫」
 クレストの声に、巫女姫がびくりと震え、恐る恐るふり返る。奇妙な瞬間だった。
「行きましょう」
「――はい」
 寒さを思い出したのか、巫女姫の体が震えた。
 クレストが巫女姫を先導して、馬車がある所まで戻る。そこに十人もの騎士がいて、巫女姫は驚くように目を見張った。
「ありがとうございました」
 静かに、巫女姫は騎士達に、頭を下げた。
 ざわりと、空気が揺れた。それは、巫女が頭を下げたからか――
 虚を付かれたように呆然としている兵士にクレストが視線を送る。あわてて、一人が巫女姫に布を手渡していた。
「乗れ」
 巫女姫は、布を体にかけている途中でかかったフィードの声に、しかししばらく考え込むそぶりを見せた。
「……あの、濡れます」
 確かに、巫女姫の濡れ方はひどかった。はぁとため息をついたフィードは、巫女姫を近くの村に連れて行った。
 昼間だが、食堂の上に部屋を借りる。着替えた巫女姫と騎士たちは、そこで遅い昼食をとる事にした。
「あったまったかい?」
 宿屋の主人で、食堂の老人が巫女姫に声をかける。
「はい、ありがとうございます」
 食事の手を止めて、巫女姫がお礼を述べる。
「何、何てことないさ。それにしても海で転ぶなんて、災難だね」
 巫女姫は、曖昧に笑った。
「おじいちゃん!!」
 とそこに、栗色の髪を二つに結わえた少女が入ってくる。
「ミグ、まだ営業中だよ」
「やだ! おじいちゃんのお話聞きたい!!」
「ミグ」
「ねぇお話して! ブランシェ巫女姫のお話して!」
 はっと、巫女姫の体に緊張が走った。だけどそれは、祖父と孫娘は、気が付かなかった。孫のお願いを聞き入れて静かに老人が語りだす。それはおとぎ話。だけど、この国の建国に関わった実話。国の土台を支えるため、神に捧げられた巫女姫の話。
 この国を建国し、神の花嫁になったと言われている当時の巫女姫、ブランシェ。当時この国には名がなく、神殿で神に祈る事で人々は生活していた。しかし、ここ決して裕福な場所ではなく、大地はやせ細り、生きるものが呪われているとすら思われる場所だった。しかし、その土地を復活させ、人々を生へと導いた巫女姫。
 彼女が神のもとに向かい、花嫁となる。そしてこの国の繁栄を支えている。彼女は神に仕えて、神はこの国を見守ってくれる。そして巫女姫は神と共に、この国を守るものとなる。それがおとぎ話しの終わり。
 楽しそうに目を輝かせて話を聞く少女に、うれしそうに老人も話を続ける。
 巫女姫は、重い息を吐き出して食事の手を止めた。ようやく半分まで行こうかと言う食事には、もう、彼女は手をつけなかった。付けられなかった。
 食堂に響き渡る老人の声に、騎士達が不自然にならないように巫女姫に視線を送る。机の下に隠れた巫女姫の手が、震えていた。
 震える巫女姫の手に、そっと大きな手がかぶさって握られる。はっと巫女姫が顔をあげると右隣に座っていたフィードの手だった。巫女姫の右目がゆれた。彼は、知っているのだ。あのブランシェ姫巫女がなぜ死んだのか、そして、その儀式は百年に一度、今も続いていると。
 そして、その次の儀式で死ぬのは、今この場にいるこの巫女姫なのだと。
 おとぎ話しが、現実を隠していた。敗退する大地を、この場所に住めなくなる前に、人々が生き残るためにと、神に捧げられて――殺されたブランシェ巫女姫。
 それから続く、血の歴史。国の繁栄のために、捧げられる生贄――
 こんな風に、楽しそうに交わされる会話の中にいて、ひどく現実味がない。神の花嫁だと羨ましがられるおとぎ話になって、少女のお気に入りの話であるなんて、なんて、皮肉だろう。
 今も百年に一度、神殿の巫女姫はその儀式で殺されようとしているのに――
 と、巫女姫が目を見張った。なぜか自分の食べかけの皿が空になっていたのである。巫女姫がどうしてと首を傾げると、左側に座っていたクレストが片目を瞑った。どうやら隣の皿と交換されていたようだ。
 神殿の決まりで、巫女は食事を残す事はしない。巫女姫が食べ終わらなければ、彼らは席を立てない。そして、この話を聞き続けなければならない。だから彼は、老人の目が孫に向いている間に取り替えたのだ。

 巫女姫と騎士達は話の途中で食堂をあとにした。しかし、進む馬車の中は無言だった。巫女は体を隠すようにマントをかき合わせていた。その手が、体が震えている。
 フィードは舌打ちを隠し切れず、しかしいらだちをぶつけるわけにも行かず押し黙っていた。クレストもまた、厳しい顔で椅子に座っていた。
 まさか、あんな話があの場で行われるなど、誰が想像しただろう。ほとんどの国の住人が、あのおとぎ話しが本当にあったことで、現に巫女姫が殺されようとしている事を知らない。
 おとぎ話と言う形でしか、語り継がれない。儀式という言葉で、百年に一度殺される巫女姫の上に、国が成り立っている事を知られないため。疑問を持たせないため。
 巫女姫と遠ざけて、同じ人であると理解させないため。神と同格と崇めて、人を殺している事実を隠すため。
「――すまない」
 フィードの口を付いて出ていたのは、そんな言葉だった。巫女姫がびくりと震え、顔を上げる。
「ど、して?」
 衝撃を受けた事が見て取れる青ざめた顔で、だがこちらに非はないと巫女姫が言葉を返す。
 それ以上、会話はなかった。
 巫女姫は窓の外を眺め、フィードとクレストも何も言わない。しばらくして、巫女姫は疲れたのか、寝入ってしまった。
 馬車の中には、沈黙が降り立った。フィードとクレストは、その様子を見たままため息をついた。
 しばらくして、巫女姫が目を開けた。焦点の合わない目で首を窓に向け、静かに言った。
「きれい……」
 馬車が、止まった。
 巫女姫が驚いて顔を上げる、クレストは外に出て安全の確認に行き、フィードは、巫女姫に手を差し出した。
「ぁの?」
「休憩だ」
 驚いた巫女姫は、一度泣きそうに目を伏せて、それからうれしそうに笑った。
 騎士達があわただしく走る中、巫女姫は少しだけ離れて花畑の中に腰を下ろす。地を埋め尽くす花は丸く、白い。
 花を何本か摘んだ巫女姫が、考えるように止まり、しばらくして力なく腕を下ろした。しょぼんとうなだれたように見える巫女姫の前に、フィードがどかっと腰を下ろした。びっくりして、巫女姫は固まっている。その間に、彼は花を引きちぎっては茎に巻きつけていく。花が表に出るように、しかし崩れないように。
 およそ花なんて似合いそうないのに、その手によって、あっという間に花が形を変えていく。
 巫女姫は、自然、彼の手元がよく見えるようににじり寄っていた。
 あっという間の、事だった。
「ぁ」
 フィードが最後に巻きつけた花を輪になるように縛って止めると、白い花の花冠が出来上がった。
「すごい」
 巫女姫のうれしそうな声がもれる。フィードはその手に冠を押し付けて行ってしまった。
「あのっ」
 困惑した巫女姫の言葉は、風に消えた。
「隊長、器用ですね」
 クレストが、戻ってきたフィードに楽しそうに言う。フィードは、冷ややかに視線を送った。
「昔、姉に教え込まれた」
「そうですか。ずいぶん、うれしそうですよ」
 そういわれてフィードが振り返ると、巫女姫は花冠を丁度頭に乗せている所で――笑った。

 そこから神殿までの道のりはあっという間だった。神殿に着いた彼らは、早々に神殿長に会うために回廊を進む。
 沈黙に、フィードはひとつの不安を口にした。
「……その傷は、治らないと言われている。巫女の自傷行為は、禁止されているのだろう?」
 突然、笑ってはいないものの緊張で強張っていた巫女姫の顔から表情が消える。彼女の心が、現実に引き戻されたようにざわつく。
「儀式の日まで、誰にも見せはしません。包帯を替えるのは、すべて自分でします。それに――」
 巫女姫が、言葉を、切った。
「これから死ぬ人間に、注意しても意味がないでしょう?」
 フィードは、息を飲んだ。
 そしてこれが、フィードと巫女姫の、最後の会話となった。

 今回の事を怒っているはずの神殿長は、巫女姫に二日の謹慎と、三日目から儀式の準備を行うようにとの沙汰を下す。に巫女姫は再び神殿に閉じ込められ、何事もなかったかのように、日々がすぎてゆく。
 だが巫女姫は知っている。外を。あの海の広さと、青さを。この瞳の色と同じで、違う海の色を巫女姫に教えたのは、彼女の母だった。一度だけ、たった一度だけ神殿の外でであった、実の母親。
 そう巫女姫は、海の青さも、森の緑も、花の白さも、あの騎士達の暖かい気遣いもすべて――知っている。
 一日を終えて、部屋に戻って寝台に腰掛けた巫女姫の瞳が揺れる。視線の先、見えるもの。
 望んではならないと、いけないと何かが告げる。なのに。枯れた花冠が、巫女姫の机の上においてある。
「――会いたい」
 どうしてだろう。彼女は呟いた。彼の顔が浮かんでは消えない。のだと。

「どういうことでしょう」
「俺が知るか」
 巫女を連れて帰ってから、フィード達はその存在を隠すように神殿の中心から一番外れた場所の警備に当てられた。
 王宮で王に仕える騎士と言っても、ここでは神殿の決定に従うように言われていれば彼らは抗いようがない。
 だがそれも良いのかもしれない。巫女姫は三日後に迫った儀式で、死ぬのだから。
「隊長? 何を考えているんですか」
「何も。当日の配列の確認を忘れるな」
 そう言って、フィードは仕事中にも関わらず持ち場を離れた。

 時はあっという間に過ぎ去り。儀式が行われる――
 神殿の中心ある祭壇。空は眩くよく晴れた日で、青かった。
 鐘の音が、響き渡る。楽器の音が響き渡る。
 神殿の巫女が回り、踊る。その中心に作られた道を、巫女姫が進んでいる。白い巫女服、金の髪が風に揺れる。
 祭壇の手前まで来て、彼女は足を止める。布の裾を持っていた巫女が離れていく。
 巫女姫は、包帯を取って放った。一瞬、ざわりと空気が揺れる。生々しい傷をさらしたまま、巫女姫は祭壇を上がる。
 祭壇の上に、国王と神殿長、そして舞の為の楽団がいた。この国の王もまた、この儀式を見る一人。
 巫女姫は祭壇の中心を通り国王に跪き頭を下げる。そして、立ち上がった。笛の音が響き渡る。巫女姫の舞が、始まる――
「待て」
 国王の声に、祭壇に甲冑に身を包んだ騎士が上がってくる。驚く巫女姫の腕をつかんで跪かせ、首をさらす。
「何をなさいますか!!?」
 隣に座っていた神殿長が国王に叫ぶ。
「儀式前に逃げ出すような巫女姫に、舞う資格などない」
「なっ」
 神殿長は、絶句した。何よりも頭を押さえつけられた巫女姫が、一番驚いていた。
(舞え、ない?)
「何を言っているのですか! そのために生きてきた巫女姫に対して無礼な!!」
「儀式の前に逃げ出した事は、俺に対して無礼だと思わないのか?」
「ふざけた事を!」
「神殿はいつから、俺の決定に逆らうようになった」
 国王の声が、冷たい。
「遅いか早いかの違いだ。早くしろ」
「巫女姫!」
 神殿長の悲痛な言葉が、聞こえた。最後に、巫女姫の心を占めたのは何だったのだろう。ぁあ、これが報いなのだろうか。死にたくないと抗った事、海を見たいと思ったこと、もう一度、もう一度会いたいと――
 空気を切って、何かを切る音がした。がちゃんと、耳障りな音が真横で聞こえる。しかし、突然、両の手と体の自由が戻ってくる。
 視線を向けると、甲冑の男が血を流して倒れていた。
「何をしている!!?」
 国王が、身を乗り出して叫んだ。
「うるせぇ」
 巫女姫の首を切るための剣で片方の男を切って、兜を取った男が言葉を返す。
「――ぁ」
 口元を手で覆った巫女姫が、呟いた。
「逃がすな!!」
 国王の鋭い声に舌打ちしたフィードが巫女姫を抱え上げて剣を構えた。
「あっあの!?」
「つかまってろよ」
「ぇえ!?」
 走り出したフィードに、国王の護衛できていた騎士が逃がすまいと追ってくる。フィードは、一人、二人と倒しながら進む。血の匂いがこみ上げてくる。恐ろしくて、巫女姫がフィードにしがみつく。
「――きゃぁ!?」
 肉に、剣が突き刺さる鈍い音に、目を瞑った。しかし、彼の動きは止まらない。恐る恐る目を開けてみると、あの数日間で見慣れた騎士たちが、いた。
「お前達」
「隊長においしい所だけ持っていかれるわけにも行きませんし」
「そうですよ!」
「巫女姫、大丈夫ですか?」
「隊長、配列は頭に入ってますよね? ここは任せて、あちらへ」
 視線を送った先に、また違う騎士がいた。早く! と声をあげている。
「クレスト」
「いいから、早くしてください。これであなたが逃げなかったら私たちは職を失った挙句笑い種です」
「何をしている! 巫女姫を逃がすな!!」
 国王が叫ぶ。
「早く! 隊長!!」
「すまん」
「もちろん、借りは返してもらいますから」
「お前」
「忘れませんよ。巫女姫、しばらくの辛抱ですよ」
「あ、ありがとう」
 こんな状況でにっこりクレストに笑いかけられて、混乱していた巫女姫はさらに混乱した。でも、お礼は忘れなかった。
「いいえ。お元気で」
 クレストは巫女姫に笑いかけ、国王のいる方向に向き直る。その後ろに、走り去るフィードの姿が遠ざかる。
「クレスト! お前もか! 気でも狂ったか!!?」
「それは国王陛下と、この国でしょう。国の繁栄と建国を記念して、当時の巫女姫を殺して生贄にしたのですから」
「必要な処置だ!」
「そうですか? 何か起こるたびに、神の怒りだと巫女姫を殺してきておいて」
 そして、百年に一度巫女姫を捧げなければ国が存続しないと、いつしか儀式が定まった。
「残念ですが、死体の上に成り立つ国などごめんですから」
 クレストは自分の隊長のあとを追おうとする騎士を、容赦なく切り捨てる。
(これで逃げ切れなかったら、本当に怒りますよ?)
 今はいない、黒と金の髪の二人を思い浮かべて、クレストは剣を構えた。

 神殿のある町から抜けて、街道の途中でフィードは馬を降りた。巫女姫が下りるのに手を貸し、無人の馬をさらに走らせるように追い立てた。
「行くぞ」
 振り返ったフィードはそれだけ言って、森の中に足を進める。
「はい。あの……」
 巫女姫は返事をしたが、しかしその足が止まる。
「なんだ?」
 動こうとしない巫女姫に、フィードがいくぶんいらだちながら振り返る。その鋭さに身を震わせながらも、巫女姫が視線を合わせて言葉をつむぐ。
「どう、して?」
 巫女姫の言葉に、フィードはなぜか困ったかのように頭をかき回した。
「あーー……」
 首を傾げる巫女姫から目を逸らして、フィードは何か、考え込んでいる。
「まぁそれは……だな」
「はい」
 やはり、二人の視線は合うことなく、フィードは視線を逸らす。
「……だからな」
「はい」
「…………」
「……?」
 フィードはまた頭をぐしゃぐしゃとかき回していたが、突然何かを思いついたかのように巫女姫の腕を引いた。
「きゃっ」
 ぽすっと、細い巫女姫の身が埋まった。重なった距離が近すぎて、巫女姫のほほが赤く染まる。
「連れて行ってやるから」
「ぇ?」
「だからもう、するな」
 フィードの唇が、開かない巫女姫の左のまぶたに落ちた。ぱたりと、涙が落ちた。
「――泣くな」
 例え泣いていなくても、巫女姫は無理だと、言えなかっただろう。ただフィードの唇が閉じた右のまぶたに落ち続けて、巫女姫は泣き出した。
「――っ」
 フィードがいらだったようにが舌打ちをする。その度にびくりと震える巫女姫の様子に何か感じ取ったのか、あわてて肩を引き剥がして真剣に覗き込んでくる。
「泣くな。どうしていいのかわからん」
 だから無理ですと、巫女姫は言いたかった。けれど、嗚咽が混じって言葉にならない。だけど、うれしいのだと言うように巫女姫が笑った。すると、どこか安心したようにフィードが手を伸ばした。
「俺はフィードだ」
 巫女姫が、再び目を、白黒させる。そういえば名前、聞いていなかった。
「――お前は?」
 やっぱり答えない巫女姫の様子に――彼女は驚いて固まっているのだが、それはフィードには感じ取れない。だからか、不機嫌になる。その様子に、また巫女姫が笑った。
 精一杯、息を吸って涙をぬぐった。口を開いた彼女は、笑っていた。
「……ビアンカ、ビアンカネーヴェ」


 十年後――

 役目の失った神殿は、しかし人々の心の支えとなっている。神に支えられたこの国から、神に祈る場として。
 国の建国前からある祭壇取り壊された。しかしこの場所で何を行ってきたのか、どれだけの犠牲があったのか。流れた血、巫女姫のことを彼らは忘れない。
 そして、いまだに行方がわからない。巫女姫と騎士のことも。
 ある日、神殿に一通の手紙が届く。よく覚えている文字の並びに、神殿長の驚きと安心は計り知れない。


 神殿長さま。連絡が遅くなってしまってごめんなさい。私は元気にしております。今は海の見える場所で暮らしています。
 次の春、白い花が大地を埋め尽くす頃そちらにうかがいます。――その時は、私の娘にも、会ってくださいますか?

 ビアンカネーヴェ



― Fin ―




Free Will 65656Hit リクエストです!
相変わらず「心温まる」というキーワードに苦戦しました。
でも今回一番苦戦したのは目標量を超えても終わらないという罠。←違うだろう
さて、自分で書いてて「心温まる」が怪しくなった今回の作品「命の巫女姫」です。あたたまりました?←聞いてるし
ご指定が「王女の婚約」のようなだったので、……ならばとあの終わり方!という感じで手紙を採用してみました。


背景素材 「工房 雪月華」様
企画部屋