王城にて 〜二人の誓い〜 (エルディス編)


 はらはらと、花びらが、花々が宙を舞う。

 岩石の絶壁。

 先は、叩きつける海。
 そこに――赤、青、白、黒、黄、そして桃、橙。
 色とりどりの花々が落ち、吸い込まれていく。

「……」
 フードを被った人が、花の落ち行く先を見つめている。
 目深に被っているせいか、顔も、表情も見えない。

 伸ばされた手がそのままなので、おそらく、今花々を海に放り投げたのはこの人だろう。

 色濃い花、薄い花。まだ新しく、葉も生き生きした花。

「……」
 今一歩進めば、落ちようか?
 一段と叩きつける海水の音が大きくなって、人の元にまで水しぶきを飛ばす。

 手持ちの花が尽きたのだろう。その人は、海に背を向けて歩き出した。

 祈るように海に向かっていた事、伝えたい事があったこと。
 すべて――飲み込んで。



 花を海に放り投げた人が森の先の絶壁から遠のくのを、別の場所で二人の人間が見ていた――






「エアリアス・リーグラレル・リロディルク」
 言葉に、ふっと森を歩いていたリールの足が止まる。
「お前の、名だな」
 現れた人影に、睨みつけるリール。
「なぜ黙っている?」
 これくらいも、調べられないと思っていたか?
 たった一人、リヴァロだけを連れたエルディス王。カルバードが笑う。
 リールの正面に立って、見据える国王。
 見下ろされたリールは、一歩も引かない。

「――自身の持つ“すべて”と引き換えに、多大な犠牲と引き換えに――貴方に不死を、不老不死を授けよう――エルディス国王?」

 ぞくりと、背筋が冷える。森が凍りつく。
 今のリールに浮かんでいるのは、あの時、血溜まりの中の肉片を見つめた笑みと同じ。

「……お前は誰だ」
 底なしの何かを垣間見て、エルディスの王は認識する。敵となるか、味方となるか。食われるか、飲み込まれるか。それとも――
「私は私。違うのは、人が私を誰と認識するか」
「“エアリー・リール”」
「何か、エルディス国王」



※ ※ ※



「はいお待ちどう!」
「どうも〜」
 にぎやかに沸き立つ港町ミガユール。新鮮な魚介の料理が売りの宿の食堂では、威勢のいい店主と女将の切り盛りの元、にぎわっていた。
 リールは、沈黙した国王を残してここにいる。あの時の表情は影も形もない。
 時間は、昼の時間には遅い。けれど昼間の忙しさの余韻に浸る中。
 おすすめといわれた魚を揚げた料理に湯気が立ち、そえられたスープも十分に温かい。
「いただきま〜す!」
「ここにいたか」
「――……王?」
 一瞬、食事の邪魔をされたリールは殺気だった視線を投げかける。
「おやいらっしゃい! 久しぶりだね!」
 王の姿に気がついた女将がやってくる。
「ぁあ、今日も」
「わかってるよ! いつものだね!」
 手馴れている……
 呆然と、リールがそんなことを思っていると勝手に目の前に腰掛けている。
「………」
「どうした? 食べないのか?」
 さもおかしそうに言われる。
 食欲はそがれた? はずもない。
 さくさくと手を動かすリールを、エルディスの国王は楽しそうに眺めている。
 一口食べて気に入ったらしく、リールの手が忙しく動く――
「おいしいだろう? ここはおすすめだ」
「……」
 ぴたっと、リールの手が止まった。
 視線が訴えている。「こんな所に、こんな真っ昼間に、“いつまでも”いてもいいのかしら?」
「心配ない。――数年分働いてくれる奴がいるからな」
 それ以上、リールは何も言わなかった。まるで王の答えは聞こえないというように。

「おまちどう!」
 再び女将がやってきたのは、大皿。数人分はある。
 リヴァロに毒見を済まさせた王が食にありつく頃には、リールは三品目を注文していた。


 食事中が無言なのは、この家族の約束なのかもしれない。
 ざわめき立つ食堂の中、壁際の一席ではもくもくと料理が平らげられている。
 王は本当になれたもので、今が旬の魚料理を注文している。
 だが静かな分、エルディスの気候や、海の様子を聞くには都合がよかった。勝手に頭の上で話が飛び交っているから。

「ごちそうさま」
「おいしかったかい?」
 コップに水を注ぎ飲んでいると、席に女将がやってきていた。そしてリールの皿が空になっているのを見たのか声をかけてくる。
「――はい、とても」
「そうかいそうかい」
 嬉しそうに女将が顔をほころばせて、エルディス王、カルバードに声をかける。
「ずいぶんと可愛い子じゃないか、どうしたんだい? いるのは息子じゃなかったのかい?」
「その嫁だ」
 リールが噴出した。
「それはまあおめでたい! 式はいつだい!!?」
「さぁ? ……幾分、息子がまだ、な」
「なんだい!? こんなに可愛い子を放っておくのかい?」
「そんなものだ」
 その息子に、数週間は城を出られなくなるくらい政務を押し付けた父親の言い分とは思えない。
「ところで、上に部屋を借りたいのだが」
「ぁあ余っているよ! それに、めでたい事だ! 今日はおごるよ」
「それはふとっぱらだな」
「あっはっは! 出てるのは腹だけじゃないよ?」
 茶目っ気たっぷりにそう言って笑う。女将は別の客の呼び声に誘われて去っていった。
「……大丈夫か?」
 盛大にむせたリールは、震える手で水差しの水を飲み干していた。
 水差しごと。
ダン!
 叩き付けた勢いで壊れそうだ。
「……王様」
 限りなく低い声で、怒りを押し殺したようにリールが言う。
「ここではバートだ」
「ではバート様」
「なんだ」
「そんなこと触れまわしに来たんですか……?」
 虚を付かれたように国王が手を止める。
 こんどは、リヴァロが声を抑えて笑い出した。
「――誤りではなかろう?」
 この、たぬき爺。ってか狐?
 リールは毒づいた。
「わしには今の今まで何も言ってこない息子のほうが不思議だが?」
 あれから、エルディスに来たリールの扱いは“王子の客人”である。それ以上でも以下でもない。
 毎日忙しいのはカイル一人で、暇を持て余すリールは城を抜け出してきた。――もちろん。セイジュと言う監視役を撒いて。
 まぁ、元々セイジュが真面目に仕事するはずもないし。
「……知りません」
 ここ数日、顔も見ていないような気も。あえて、避(さ)けたようで、避けられた?
「そうか――少し、聞きたいことがあるんだが」
「……」
 これが本題だろうか? リールはため息をついた。




 ここではなんだ、と、王とリールは食堂の上の宿となっている部屋の一室に移動した。
 促されるままに寝台に腰を下ろして、王を見上げる。
「何か?」
「両の親は健在か?」
「……なぜ、そのような事を?」
 一段と、低くなるリールの声。
 その変化を、王はそう重要視しなかった。
「なぜ? 不思議な事を聞くものだ。仮に――いや現実に息子の嫁の親に挨拶したいというのが、そんなにおかしいことか?」
 リールは、あんぐりと開いた口を、閉じた。
 とりあえず、「なんでそんな話になっているんだ」という疑問は横に置いた。

 “そんなことのために?”

 王は、静かに待っていた。リールが言葉をつむぐのを。
 しばらく、二人とも何も言わない。

じゃ――
「「!!?」」
 開いていた窓から、風が吹きつける。カーテンがはためいて、動かされる。

パタン
 さっと立ち上がった王が開いていた窓を閉める。
 その後ろから、声がした。

「……死にました」

「そう、か」
 はっとしたように、王の声が沈む。
「ならば、墓に連れて行っては」
「墓はありません」
「? 何?」
 もう一度、王はリールに近づく。だがそのリールの声は、王を拒絶しているようだった。
「シャフィアラでは、罪人の死体は海に捨てられます」
 “罪人”
 その言葉を、どう受け取ったのだろうか?
「一生、漂い続けろ、と」
「……」
 下食堂の喧騒が嘘のように、この部屋には届かない。この部屋に音が届かないという事は、この部屋の音も外には聞こえない。
 だけど、この部屋の中はこんなにも静かで、まるで沈黙に愛されたようで。
「……よかったのかもしれないな」
「は?」
「海に行けば、逢える」
 いつでも。
「っそんなことっ! あるはずないでしょう!?」
 何も知らないくせに――
「大陸を越えて、見守ってくれる」
 この世に海がある限り。
「――……」
 うつむいて、沈黙したリールの隣にカルバード王が腰掛ける。

 少しだけ顔を上げたリールの目に、映った人。
 過去が重なる――
「おとう、さん……?」
「なんだ、リール?」
 その温かい目が、見つめる。あの時の父と同じ、浮かんでいるのが。
「お父さん……」
 声も体も震えている。伸ばされた手が頭を撫でる。
 もう、置いて行かないで――その服にしがみ付いた。
「ぇ……っ……ふっ……」
 寝台と小さなタンスとランプの置かれた簡素な部屋に、すすり泣きが響いた。


 ねぇお父さん、お母さん。あのね。
 伝えたい事が、いっぱいあるんだよ――





 壁を背にして、扉の真横。リヴァロが立っていた。それは数分間前からとも数時間前からとも言える。
 閉じられていた目が、ゆっくりと開かれる。それは、階段を上ってくる足音が聞こえたから。
「……」
 全力で走ってきたのか、その方の格好はよれよれだった。いつもあんなにきっちりとしているのが、むしろ嘘くさく思えてくるくらい。

 カイルは一礼したリヴァロには目もくれず、そのリヴァロが立っている壁のすぐ隣の扉を凝視している。
 その人は少しだけ息を整えて、部屋の中に入って行った

「「………」」
 残された二人は、小さなため息と嘆息を合わせていた。




 この部屋に向かってくる足音も、勝手に入ってくる気配も感じていた。
「――遅かったな」
「お蔭様で」
 機嫌が悪い、な。
「そんなに独占はしていないだろう?」
 あのあと泣きつかれて眠ってしまったリールを、寝台に乗せて寝かせている。
 さすがに、もう添い寝が必要な歳でもあるまい。ただ横に座っていた。
 だがそれすらも気に入らないらしい。――そこまで、思っていながら。

「もとより父親に怒るのは筋違いだろう?」
 楽しそうに笑って、国王は立ち上がる。

 無言で睨んでくる息子の肩に手を置いて、国王は部屋をあとにした。




 ほとんど音なく閉じられた扉。
「……」
「?」
 かすれるような、声が聞こえた。それは寝言か。
「リール」
 いつ、目覚める?




 後ろ手に扉を閉じれば、頭を垂れた男が二人いる。一人は、自分の護衛で、一人は息子の。
「世話をかけるな」
「そのようなことは」
「頼んだぞ」
 そう言って、国王は廊下を後にする。
 去り行く背を見送って、レランはもう一度頭を下げた。





 ふっと、目が覚めた。
 まるで誰かに呼ばれたようで、呼んでいるようで。

「――夢を見たわ」
「何を?」
「よく覚えていない」
 “今”がこのまま続いていくんだと、信じて疑わなかったあの日。
 本当は、確実に別れの時間がやってきていたのに。
 自分の背が、髪が伸びていくだけ、時もすぎていたのに。

 あの頃は、幸せだった――のだろうか?

「城はどうだ?」
「別に」
 これと言って何も。
「「………」」
 会話が続かない。こんなのは初めてだった。
 何も言わない事が、言わなくても伝わっていて、わかっていたはずだった。
 でも、それはそれ以上進むのを拒んでいたから。それ以上踏み込むことがなかったから、できたことだった。

 手を取ったことが何を意味していたのか、知っているでしょう?

「……一所(ひとところ)に、留まるのは苦手なの」
 その場にいることは、いつかくる別れの時間を迎える事だから。
 いつ崩れるかわからないほど不確かな時間だから。

 体を起こして、膝を抱いた。

 あんなに簡単に、父と母がいなくなると思わなかった。
 あんなに簡単に、消えていなくなると思わなかった。

 だから、変わらぬと信じている毎日が来る日常(それ)を捨てた――

 あそこにいたのは、知識を得るには丁度よかったから。それだけ。


 置いていかれるのも、失うのも、もう嫌――

 だから、逃げてきたのだろうか?


「先はわからない」
 ふっと、顔を上げてカイルを見た。
「だけど、消えていなくなったりしないから」
「私は、何もしないわよ?」
 不死の術を使うエアリアスにはならないし、まして“王妃”としてなんて。
「それでいい」
「?」
「どうせ、もとより籠に収まる女なら歯牙にもかけない」
「それ、誰に言ってるの?」
 前の“結婚相手”は、飛んで行った。

「好きなようにしていていい。――ただ、帰ってきてくれるなら」

「馬鹿じゃないの?」
「不満か?」
「……」
 それがないから、困っているんじゃないの。
「リール?」
「私は―――のよ」
 声がとても小さくて、聞こえなかった。
「なんだ?」
「なんでも」
 この時、もっと問い詰めておけば、未来は変わっただろうか?
 まるでなんてことないように聞こえていたこの言葉は、のちに思い出す事になる。


「ずっととは言わない。ただ、昔と変わらぬ幸せを訪れさせるから」
「なによ、それ」
 少しだけ笑った。
 幸せだったのだろう、か? 父がいつも帰ってくること、母が迎えてくれる事。
 あの森で、やわらかい毛に包み込まれるように眠りについたこと。

 もう来ないけれど、でも。

 他に幸せを感じる事ができるのだろうか? ――エルディス(ここ)で。


「だから、共に生きよう」

 この世界で。



 断る理由が、どこにあるのよ?


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