王城にて 〜関係性〜


「王子妃様」
「はい」
 すれ違った大臣に呼ばれた。
「王子妃様!」
「はいはい」
 勝手に出かけたから、侍女たちがあわてている。
「王子妃様」
「なに」
 兵士が一人、声をかけてきた。
「王子妃様ーー!!」
「………」
 シャーメル女史の声に、無言で、逃げた。

 いつの間にか、その呼び名に慣れきっている自分がいる。
 元々、名ではない名で、呼ばれることに慣れているからだろうか。いくつもの呼び方、偽名。敬称。略称。もう、慣れてしまった。

「リール?」
 そしてこいつは――
 うしろから抱きすくめられて、身動きを封じられる。
 肩と首筋に、その長い髪がかかった。
「仕事は?」
 そういうと、一気に不機嫌になる。
「――っ」
 噛み付くような口付けが、首筋に振って、そして離れた。
「ほどほどに、な」
 レランと、セイジュ(もとからいない)がカイルの護衛を離れて、隊の訓練に行く時間。
 執務室に向かうカイルと、数人の兵士を見送って――って、黙ってその場にいないでくれる!? 最悪。
 あーもうと呟きながら、訓練場に向かった。もちろん、服の襟を立てておくのは忘れなかった。

 慣れきってしまっている。朝目覚める事、夜眠る事。自分の部屋があって、そこで暮らす事。“家”があること。すべて。
 本当に、心地よくて、暖かくて、だからこそ遠ざけた物なのに。
 どす黒く汚れた手に、相応しくない――

キィン!
「待て」
 兵士に剣を弾かれて、頬に血が溢れた。はっとした時には、もう遅い。
「何を考えている。目の前に集中できないなら――」
「もう一度、お願い」
「――焦らなくていい」
 それはレランが、国王に言われた言葉。今は、なぜそう言われたのかわかるからこそ、いえる言葉。
「……久しぶりね」
「?」
 そうだ、私は――
「ぉいっ!?」
 ふらりと、倒れこんだ。

 ――もう、疲れた。



「倒れた!?」
「はい、どうも熱が――王子様?」
 侍女が説明する頃に、王子はいない。


「リール!?」
「……王子様」
 部屋に押し入ってきた王子に、王家の主治医は頭を下げた。うしろであわてる助手には平気だと言った。
「どうなんだ?」
 いらだちが混じって、低い声。
「環境の変化と、これまでの疲れや、心労による発熱かと。気が抜けたのでしょうな」
 いい傾向だと、主治医は言った。
「むしろ体調を崩さないほうがおかしいですから」
 それが、普通だと言う。だとしても、だ。
「心臓に悪い」
「普段は、ほとんど病にはかからない方で?」
「当たり前だろう」
 エアリアス家(薬師)なのだから。と言う言葉を、飲み込んだ。
「数日、安静にしていれば治ることでしょう。ただ」
「なんだ?」
「少し、熱が高いので、今夜は気をつけて下さい」
 見ると、寝苦しそうな荒い息に、流れる汗。主治医のいる反対側に回って、手を伸ばした。額は、熱かった。
「わかった」
「よろしくお願いいたします」
 主治医は、隣にいることを止めなかった。誰も、止められる人はいない。



 日も暮れて、空が泣くように雨が降り出した。しとしとと静かに。まるで泣く事を許さない誰かの、代わりのように。

 目を開けば、見慣れた天井。そうだ、さっき。
「なさけない――わね」
“この温もりが、消えてなくなるのが怖い”なんて。
「おきたか」
 目の前に顔が出て、額が当たる。
「……もう少し寝ていろ」
「もう寝すぎよ」
 本当に、変な気分だ。熱で倒れた事、今の今まで起きることなく寝ていたこと。
 近くに人の気配があると、眠れない。それを知って、この部屋に寝ているのだろうか。
「うつるわよ」
「それも一興」
「馬鹿じゃないの?」
「………」
 まるで、笑顔が顔に張り付くように、カイルの動きが止まった。
「……いじけないでよ」
「まぁいい。飲むか?」
 喉が渇いている。のろのろと起き上がれば着ている服が重い。ひどく汗をかいたようだ。
 少しだけ開いているカーテンの外は真っ暗。部屋はテーブルの上にあるランプ一つで照らされている。
「ほら」
 コップに注がれた水を飲んでいると、新しい夜着が差し出される。
 着替えるのが面倒で受け取らないでいると、勝手に服の紐が解かれて行くのでとりあえず殴った。



 次の日も、どことなく体がだるく重かった。熱っぽさを認められて一日休みとなった。――のはいいんだけど……

「もうリール、あなたはこの国の女性の模範(もはん)となるのに!」
 王妃は、私の部屋にお見舞いと称してやってきて、入り浸っている。……むしろ病気になりそうだ。

「王妃様、王子妃様」
 会話するのも面倒なので黙っていると、部屋に入ってきた侍女が声をかける。
「なにかしら?」
 まくし立てていた王妃が振り返った。
「陛下がお越しです」
(また増えた……)
 リールはがっくりと肩を落とした。
 すぐに、国王が部屋に入ってくる。
「フレア、ここにいたのか」
「あなたこそ、こんな時間によいのですか?」
「思ったより、謁見が早く済んだのでな。そうだフレア、今日はグライン家の奥方が来ているぞ」
 実は、早く終わらせたなんて、言わない。
「まぁ。それじゃ、リールまたね」
「は、い」
 危うく、早く帰れと言うところだった。
 来た時と同じように侍女たちをたくさんうしろにつけて、王妃は去った。嵐がさった。
「騒がしいだろう。休めるとは思わないが、だいぶいいようだな」
「おかげさまで」
「――何か、ほしいものはないか?」
「は?」
「そうか、やはり“あれ”が来るほうがいいか?」
「……王様」
「そう怒るな」
「怒らせたのはそちらです」
「と言っても、今日は忙しいだろうから、遅くなるだろうな」
 聞いてない。
「陛下!!」
 こんどは予告なしに、扉が開かれた。本当に、今日は騒がしい。
「いきなりどうした。シャーメル」
 国王は振り返って、シャーメル女史と視線を合わせた。
「どうして王子妃様のお部屋にいらっしゃるのですか!?」
「見舞いだ」
 ぁあそうだと、りんごが手渡された。そのまま食べようとして、やめた。
「女性の部屋なのですよ!?」
「娘だろうに」
「そういう問題ではありません!」
 ぎゃぁぎゃぁと騒ぐシャーメル女史、あしらう国王。妙な光景だと思う。
「そう騒ぐな、病人の前だぞ」
 はっとシャーメル女史は口をつぐんだ。
「見るといいリール。お前が倒れたと聞いて、みな、心配でいても立ってもいられなくて押しかけてくるのだ」
「………」
「そういうものだろう?」
 それが――
「もう、知りませんわ!」
 そう言って、シャーメル女史は部屋を去った。私は緑色のりんごにかじりついて、言う。
「ねぇお父さん」
「なんだ?」
 振り返った顔が笑っている。――いいわ。言ったのはそっちなんだから。
「一緒にいて」
 困らせてやる。
「……そういえば、病人の傍にいたことなどほとんどないな」
 しばらく沈黙した後、国王はそう言った。そのまま寝台の端に腰掛けて、手を伸ばして掛布を上げてくれる。
「カイルは?」
「あれは、そうだな。だいたい熱が出てうめいている所を見て、帰ったな」
 昔は、今ほど要領がよくなかったから、政務に時間をとられた。
「王妃は?」
「フレアか? 侍女が付き添っているならな、必要ない。で、何をすればいいのだ?」
「知らない」
 奇妙な、沈黙が下りた。
「シャフィアラのことを、聞いてもいいか?」
「攻め込まないならね」
「これ以上領土はいらん」
「薬師の話は、しないわよ」
 “薬師”の、話は、ね。
「地図もそこは白紙か塗りつぶされるような孤島の島、シャフィアラ国。知りたいと思うのが普通であろう?」
「ふぅん。何が知りたいの?」



 いつもより、書類が多い気がする。いや多い。運んでくる兵士に問い詰めても知るわけもないだろうが……
 ちらりと、目の前の書類から視線を外して紙の束を見つめる。
 どうみても、国王宛の書類が混じっている。あの父親は、時々、気まぐれか鍛えるつもりかこちらの実力を測ろうとする。書類を混ぜておく事など、たまにあることではある。
 しかし、今日は多い。
「どういうことだ」
「王子? 何かありましたか?」
 レランが、聞いてきた。
「何もないわけないだろう! なんだこの量は!」
 今日は、早く済ませるつもりだったのに、だ。
「確かに、多いですね」
「いったい父上は何を――」
 そこまで言って、カイルは止まった。
「王子?」
ザン!
 と思えば、壁に短剣が刺さるいい音。
「ひっ!?」
 あくびを噛み殺していたセイジュの、丁度、頭があった場所。
「おい」
「はい? ぁあなんですか?」
 あぶねーあぶねーとセイジュは呟いていた。
「謁見室へ行け」
 この城の中に謁見室はいくつもある。一番でかい場所は王が謁見を行なう場所。使わない日はない場所。今日謁見の予定のある場所。
「王が謁見中じゃないんすか?」
「だから、それを確かめに行け」
 あーなるほどと、セイジュが部屋を出た。
「王が不在なのですか?」
「不在ではないだろうな。だが、ここにあるのは父上宛の書類ばかりだ」
「では、王はどこへ?」
「………」
 どこにいるかわかるからこそ、逆にいらだつ。



「というか、病人は寝かせるべきなのだろうな」
「世間的にはね」
「寝ないのか?」
「眠くないから。いいんじゃないの?」
「そうだな――さて、そろそろか」
「?」
 腰を上げた国王。なんのことだかわからない。
「そろそろ、あれも私がいないことに気がつくだろうからな」
「サボったんですか?」
 政務を。
「違う。押し付けてきただけだ」
「……」
 それじゃ怒るでしょうね。
「よく休め」
 そう言って頭を撫でて、国王はさった。それから少し立って、カイルがやってきた。

 ……だから、騒がしい。

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