王城にて 〜逃走〜


 ここ数日は忙しくて、互いに顔を会わせることも減った。
 寝室に帰れば、すでに寝入った姿が見える。それは朝も同じ。規則正しいと言えば、正しい生活を送っているのだろう。

 今日も、遅くなってしまった。

 所々照らされた廊下を進む。控えの部屋にいる侍女と、部屋の前に立つ兵士を見送った。部屋に入れば、いや、部屋に入る前から煌々と、灯りが外に漏れている。
 まだ、起きているのか?
 明日もまた、一日講義と茶会を過ごすはずなのに?
 部屋に入れば、案の定照らされた光――寝室への扉は開かれている。そして、もれる寝息は、すぐ傍からだった。
 窓辺の、長椅子。すっぽりと収まってしまうほど、大きい椅子だが――
「そのまま、寝たのか」
 床の上には、開いたままの歴史の本。もれるのは寝息で、頭は肘掛に預けている。
 ぎしりと、長椅子が音を立てる。自分の膝を置いても、起きない。かがみ込み、揺らして起こそうかと思い、やめる。
 手を伸ばして、抱き上げた。ふと感じる、違和感。

 ――軽い――?

 覗き込めば、痩(や)せたというよりは、疲れている顔。抱き上げて、顔を覗き込んだまま、固まってしまう。
 イライラしているのが、手に取るようにわかる。
 お世辞にも、人間に慣れているとは言えない。一所に留まるのは、わずらわしい事ばかりだ。
 日々表情を窺い、強制されること、課せられるもの。すべてが、今までになかった物。失くしたかったもの。
 それを再び、日々受けているのだ。日々、受け入れているのだ。
「………」
 たまには、連れ出したいと、思った。

 ただ静かに二人だけの時間を持つことは、難しかった。ここでないどこかで、二人だけでいられれば、よかったのだ――


 と言ったものの、どのタイミングで連れ出すかが問題だった。
 母上とのお茶会の時間か? それが一番喜ぶだろうが、次の日に時間が倍になる事は目に見えている。
 講義の時間も同じだ。
 となると――ひとつしかない。むしろ嫌がられるかもしれない。
 そう思いながら、眠りに付いた。明日も、早かった。



 何かに急かされるように目が覚めた。窓の外から、光が差し込んでいる。遠くに、鳥の声。
 そして、寝台の上に一人。もう出たらしい。最近はずっとそうだ。
 起き上がると掛布が流れて落ちる。昨日は長椅子の上にいたはずだ。
 額に手を当てて、息を吐く。突然、笑い出しそうな、泣きたいような、奇妙な感じだ。
 中がぐるぐるする。ぐちゃぐちゃとなって、考えがまとまらない。
 しばらくすれば侍女がくるだろう。一人で着替えたかったが、そうも行かないらしい。ユナかセアが来ていれば話は別だが。
 しかし、朝から邪魔だ。
「――だるい」
 毎日が同じ事の繰り返し、そう、何もかもが同じ。島で、独り、憎しみの矛先を向けていた頃と同じように、日々同じ事の繰り返し。
 そういえば、まどろみに何か囁かれたような気がする。温もりが去ったその時。その立ち去っていく気配を頭のどこかで理解していた。
 あれは夢か、それとも。
 扉を叩く音がする。最初は控えめ、そのうち――
 面倒だが返事をする。また同じ一日。あきた。


 雲ひとつ落ちないのは空。そして事は起こる。

 ふと、寒気を感じてレランは振り返った。その間も、剣の指導をしていた兵士は切りかかってきたが、振り向きざまにあっさりとそれを交わした。
 さらにその手の剣を弾き返して、剣の振り方と身のこなしについて指摘する。
「振りが大きすぎる。焦らずともよい。それと左側が弱い」
「はい」
 そして次の兵士を相手にしようとして――思い出した。いや、ようやく口にした。

「あの小娘は、どうした」

 パキシと、何かが割れるような音と共に兵士達に緊張が走った。
 だが、問題は自分の隊の隊長が王子妃を“小娘”などと呼んでいることではない。のだから不思議なところではある。
 それはいい、らしいのだ。当人も王子も。
 問題は今この時間、その王子妃がこの場にやってきていないことだ。
 昨日まで、欠かさず来ていたのだが……
「まさか! 何かあったのでは?」
「ありえない」
 なぜか、怖いくらいに実感の伴ったレランの低い低い声に、兵士は震え上がった。
 見ると、レランの顔は苦々しいものでも思い出したようだった。ご機嫌斜めだ。
 それが普通の姫なら、刺客や密偵や暗殺やら侵入者やらいろいろな可能性を考えるが。
「外す、あとは任せる」
 短く副長に言って、歩き出した。
「隊長、どちらへ?」
「王子の所だ。あの方なら何か知っている」
 持ちたくもないが、核心を持てる。



 さてリールは、午前中は歴史と作法と音楽と言語など、もろもろの教育を受けさせられていた。
 そして昼食。場所は部屋でとっても構わないとされているので、どこでもいいだろうと思ったらしく、今日は外で食べている。いや、食べていた。そこまではいい。
 問題はその後、いつものように訓練場に向かう途中で起こった。
 うしろから、馬の足音が聞こえる。規則正しい足音が、だんだん、だんだん早くなってくる。
 最初は気にも留めなかったが、ふと、振り返ったのと足音が突然早くなったのは同時だった。
「かっ」
 馬上の人間の青銀の髪が光に流れた瞬間、視界が反転した。



「王子? 王子?」
 コンコンと、扉をノックする。返事が返ってこないことに首を傾げる。いや、寒気が予感となり、まるで的中したというようだ。
 迷わず取っ手に手をかける。案の定、扉に鍵はかかっていない。
「失礼します」
 部屋の主がいない部屋に、一礼した。
 しんと、静まりかえるはずの部屋に、なぜか聞こえてくるのはいびき。
 体中から不穏な空気を発しながら、レランは長椅子でだらしなく寝転がる男に近づく。その顔に張られた紙に、らくがき。

『出かけてくる』
 ばりっと、紙を引き剥がす。追記で、頬にらくがき。
『連れて行く』

 ゆっくりと、剣に手をかける。細い音と共に剣が引き抜かれ、窓の外の空の青さを映し出す。
チャキ―――キィン!
「どぅっわあ!!?」
「よほど死にたいらしいな」
「なんで!?」
 飛び上がって長椅子から落ちたセイジュは、目の前に突きつけられた切っ先にずざぁっと飛びのく。
「いったい、いつから寝ていた」
 声が低い。ついでに睨みつけてくる。逆行に、顔が見えないから余計に怖い。
 これは正直に言うべき! とセイジュは口を開いた。
「朝だったな」
 剣を握るレランの手に、力が入った。そして悲鳴。
 ぁあ日常。見慣れた景色。何を言っても同じこと。



「で、いったいなんだよ……」
 床に沈められたセイジュが、かろうじて腕をぴくぴくさせながら、剣を納めたレランに問いかける。
「無駄な時間を使った」
「隊長?」
 部屋の様子を窺うように、レランの隊の副長が入ってくる。
「なんだ、ヴェリー」
「いえ、それが王子の馬がいないと報告があったのですが、」
 叫び声がしたのでほとぼりが冷めるまで部屋の外にいました。
「ついでに、お茶を用意した侍女がいつものように部屋に入れないという話を、聞いていたのですが」
「報告はわかっている」
 あえて、レランは副隊長の言葉を無視した。
 そこに能天気な声が、一言。
「王子がいない? また?」
 ――“また”?
「やはりここで口を閉ざすといいと思うが」
「そこで剣を抜きますか!!?」
 セイジュは立ち上がって逃げた。ちなみに、元気。レランはいらいらと苛立ちを募らせている。
「とにかく、行くぞ」
「どこっげきぇ!?」
 やはり能天気にど〜こいくんだ? と問いかけそうになったセイジュの首を捕まえて、レランは部屋をあとにした。
「死ぬ!? こんどこそ死ぬ!!?」
 通りすがりの侍女は、その光景を無視してレランに頭を下げた。


「隊長、どこを捜索しますか」
「お前も来ると」
 普段なら、城に置いてきぼりを食らっているのだが。
「はい。――王子とその妃の捜索ですから」
「……」
 表向きにはそうである。当人達がどんな人間であっても。そこで、捜索に二人……?
「仕方ない。全部で五人か」
 こっそりとついて行く気だったレランの隊の兵士と、セイジュの隊の兵士がびくっと身体を震わせた。


 馬に乗って、城下に向かう。今日は安息日ではないが、それなりに込み合う町。馬を下りて道を進む。絶えず周囲に視線を向かわせる。
「しかし、あの妃のどこがいいのかね〜? 王子は」
「そうか、そんなに死にたいか、手伝うぞ?」
「隊長、ここは往来ですから……」
 やはり剣に手をかけたレランにセイジュが驚く前に、ヴェリーが声をかけた。
「ったくあぶねぇなぁ〜よく言っとけよ副長」
 瞬時に距離を取ったセイジュが、のこのこ戻ってくる。レランは視線をめぐらせて、一言。
「――丁度、よさそうな大型馬車だな」
 人一人ひくのに。
 やっぱり、セイジュは距離を取った。
「何考えてんだよ。第一、気にならねぇか?」
「そう、ですね」
 ヴェリーは、こそこそと丸聞こえで問いかけてくるセイジュの言葉に頷いた。
 それは、確かに気になるらしい。
「そんなもの王子一人が知っていればそれでいい、それに、」
 レランは言葉を切った。何事かとセイジュは耳を傾ける。
「そんな事知って近づいてみろ――殺されるぞ?」
 王子に。
 さて、町の喧騒はどこへ行ったのか。しーんと、時が止まったかのように静まり返った。
 だって、実際にありえそうで笑えない話だ。なんと言っても、人一人殺すのなんて、簡単なことだ。まして王子だ。いくらでももみ消せる。いや、むしろ表に発覚しない……?
「闇討ちか」
 レランが、見事に言い当てた。さらに続く。
「お前がそこまで自殺志願者だったとは知らなかった。手伝うが?」
 どうする? とまたも手に剣が――相当に、お怒りらしい。見た目には普通でも。
「遠慮します!」
 力いっぱい、セイジュは答えた。かすかに、レランが眉をひそめた。
 ぁああぶねーあぶねーと、セイジュが呟いて、ふと右方向を見た時だった。
「………なぁ」
「なんだ」
 くだらないは言うなと、その声が言っている。
「あれ、そうじゃねぇ?」
 “あれ”とは何か。それが問題だ。
 その指が指し示すままに視線を向ければ、飲食店のテラスに二つの人影。どうやら、男女の二人のようだ。遠めにも見えるオレンジ、隠す気はないらしい。
 それに、テーブルに並ぶのは、傍目にも二人分にはほど遠い料理。何って、量が。見積れば四人前はありそうだ。
 そんな中、銀色のナイフとフォークが動き回る。時折話されるらしい会話よりも、皿が空になるほうが早い。
 と、髪の長い男性の手が伸びて、女性のすぐ傍の皿の料理にフォークを指す。
 あ、と言う間もなく、そのまま口に運ばれる料理。残ったのは空になった皿。

『ちょっと!? なんで勝手に食べるのよ!?』
『問題ないだろう……?』
『あるわ!』

 騒がしくなった会話の内容が、読めてしまう。
 そう、それはほんの少しの間だけ、共にいることを許された時間のなごり。
「また、ずいぶんと楽しそうですね」
 呆けていたヴェリーの、驚きに満ちた言葉が聞こえる。

 また今度は、女性が男性の皿のおかずにフォークを突き刺して口に運ぶ。空になった皿は、店員に預けられた。

『………』
『頼んだら?』
 女性の声は、笑っていた。

 興味はないというように、ふっとレランは視線を逸らした。
「行くぞ」
「へっ!? どこに?」
 セイジュが問いかけたのも無理はない。レランが足を進めているのは、この町を出る道。
「あそこにいるじゃねぇか」
 くるりと、レランは振り返った。怖いくらい無表情で、言う。
「ほぉ。ならばお前は城を抜け出す王子と小娘が、こんな所で油を売っているような性格に見えるのか?」
 やはり、町の喧騒は遠ざかったように思う。
 レランが言ったことが信じられないらしく、唖然と口を空けて立ち尽くす兵士達。
「………見えねえな」
 口を閉じて、ちょっとだけ思案したセイジュはどこか面白そうに、そう言った。


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