王城にて 〜一夜の騒動〜


 視界の端に写っていた者達が、なぜか、こちらに背を向けて遠ざかっていく。
 “気がつかなかった”――とでも?
 そんなはずはない。少なくとも、あの視線は間違えようがない。互いに。
「ねぇ」
「さぁな」
 それしか問いかけていなくても、同じ思いであるだけに何も言えないらしい。いや、少し違うか。
 やっぱり、自分の目の前よりも相手の目の前の料理にフォークを突き刺しながら、視線を向ける。
 自分でも思うほど素直に感謝していた。
 でもきっとお礼を言ってもとぼけられるのだろうから。黙っておく。
「多忙よね。あんたじゃなくて」
 自分を労われと言い出す前に、言ってやった。


「なぁ……おいっ……おいっての!?」
「………なんだ」
 先を行く黒い影が迷惑そうに振り返る。実に迷惑そうだ。騒音とでも言いたそうな表情、邪魔をする気かと問いかけてくるようだ。
 ――邪魔をしたら、殺されそうだ。
「で、なんだ」
「いつまでどこに行くんだよ」
 もう、夕方だった。日暮れ独特の赤い色が周りを包んでいる。長い影が落ちる。
 もうすぐ、太陽に愛された月と夜の時間。
「そうだな」
 もう、城に帰っているかもしれない。あの王子の気まぐれが起きない限り。
 だが、仮に戻って、あの二人がいなかったら問題になる。かといって、いるのにいないのもおかしい。
「………あの小娘」
 甘いのは、同じ――?
「まっまぁ落ち着こうぜ!! なっ!?」
 寒々しい空気を追い払おうと、セイジュがレランの首に腕を回した。
「ってことで行ってみよーー!」
「どこに?」
 低い、声が低い。
「いい場所があるんだぜ〜」
「だからなんだ」
 ずるずると、レランはセイジュに連れて行かれた。


 数時間後……


「おいっ聞いているか?」
「っはいい!!?」
「だいたいあの小娘は……」
「あーーそうなんだー」
 しまったーと、セイジュは視線をさまよわせた。
 酒場には、明るく、人々の声が飛び交う。しかし、このカウンターは暗かった。
 どこかで乾杯と叫ぶ言葉も、注文のやり取りも、厨房から香る香りも遠ざかる。
 目の前の棚に並ぶ酒瓶が端からなくなっていく。
 グラスの氷が、振動にからんと音を立てた。


 さらに数時間。


「だいたい王子も……ぉい?」
「………はっ!? それで?」



「「「………」」」
 テーブルで、酒場で不自然にならない程度に飲み食いを続けさせられている三人は内心で頭を抱えていた。
 何かがおかしい。それはわかる。
 だが、どうしろと?
「あら? ぜんぜん飲んでないのね?」
「女将……」
「あっちはずいぶんと進んでいるみたいね」
 絶対におかしい。テーブルの上にはまだ一本の瓶も空になっていないのに、あっちは空瓶がカウンターに乗り切らずに下に転がっている。
「で? 何があったの?」
 わくわくと、乗り出してくる。
「女将」
「よくセイジュさんはいらっしゃるけど、あの方、王子様の護衛の方でしょう?」
 そのセイジュさんもそうなのですが。と言う言葉は飲み込んだ三人。
「王子様といえば、あの新しいお妃様、どんな方なの?」
 なぜにそんな難問を突きつけてくるのだろうか。答えは一言で言い切れない……


「おいっ、」
「はい!?」
 据わりきった目でセイジュを睨むレラン。どーしよー失敗したーと汗をかくセイジュ。
 日ごろの行いの問題がここに浮き彫りになっている。
「だいたい、あの小娘が……」
「そうだな、そうだよな」
 うんうんと、大げさに頷くセイジュ――うそ臭い。
 ぎろりと、睨むレラン。
「いやっ怒るなって!!? って、そろそろ帰ったほうがいいんじゃねぇか?」
 王子も、さすがにもう帰っているだろうし。護衛もいるし!
 普段の態度からは到底想像できない言葉が、セイジュの口から漏れる。
 うしろの三人は吹き出した。
「――王子がいる限り、あの小娘は死なない」
 突然、正気に戻ったかのような、言葉。
「――は? ……それがなんだよ?」
 そんなの、見ればわかる。問題はそうじゃないだろ? とセイジュ。
「……あの小娘がいる限り、王子は死なないということだ」
 意味がわからないというように首を傾げたセイジュを置いて、レランはもう振り返らなかった。
(そうだろう――小娘)
 いまだに考え込んでいたセイジュは、振り返って驚いた。
「ぉい!? 置いてくな!」


 結局、城に帰ったのは夜になりきってからだった。




「レラン様!!」
 城内に入ると、空気が違う。どこかしら張り詰めているようで、そうじゃない。
 ひどくあわてている侍女が、こちらの姿を見つけて走りこんでくる。
「何事だ?」
「それがっ王子様と王子妃様が――」
 侍女が言葉を言い切る前に遠くから響いてきたのは、派手な破壊音だった。

「なんの、音だ?」
 うしろで、間が抜けているようで、何かを恐れるような声がした。
 そんなものに、構ってはいられない。

 弾かれたように一点を目指した。黒いマントを翻して。

 たどり着くと、案の定というか、そこには人だかりができていた。
「レラン様!」
「隊長!!」
「何事……」
 だ、とまで言う必要もなかった。再び部屋の中から響いた破壊音と、何かが落ちる音と、怒鳴り声が二つ。
「……いつからだ?」
「お戻りになった時には、すでに」
 つまりあのあとすぐにと言う事か。まぁ、あれが長く続くとも思えなかったが。
 しかし、今か。
 ため息をつきたくなるが、今度はガラスが割れる音に、叫び声。金切り声。
 途切れ途切れ「ふざけんじゃないわよ!」とか「うるさい!」とか聞こえてくる。
 また、何かが倒れるような音がした。――本棚か?
「どうしましょう!?」
 侍女と、兵士達が集まって、立ち尽くしている。助けを求められても、困るのだが――
 ……容赦なく、扉に何かがぶつかった。テーブルか?
 頑丈なのは扉だけ、か。あの二人の前では。
 言い争う事など、常日頃からあった。本当に些細な事から、行き先を決める事まで。
 基本的に王子はあまり文句を言わないと思っていたが――そうでもない。
 むしろ、あの小娘といるからこそ好き勝手言うのかもしれない。それは小娘も同じことで――
 だからこそ、ここ数週間おとなしい事には寒気がしたくらいだ。
 やっぱりため息をついて、部屋の前から離れた。
「レっレラン様!?」
「どちらへ!?」
「ほうっておけ。明日、また窺ってみよう」
 その頃には、けろりとしているはずだ。
「そんなっ!」
「止めてください!」
「やめるように説得を……」
 耳を劈(つんざ)くような金切り声と一緒に、王子とその妃の私室への扉が揺れた。内側から揺るがされた。
 今度は寝台でも投げたのか?
「……誰か、止めに入りたいなら止めないが」
 誰の、声も聞こえない。
「決まりだな」
 一歩、進み出た。そのうしろから――
「ぅわぁ。派手だねぇ」
 そこへ、ようやくやってきて言う、男が一人。明るい声で、あっけらかんと。ひらひらと揺れる、本人と同じくらいひらひらした金髪。
「いや、忘れていた」
 振り返って言う。
「ん?」
「もちろん、止めに入るだろう?」
 正面から両肩に手を当てていうと、傍目に見てもわかるほど青ざめた。

 いや、本当は逆だ。
 邪魔をしては、いけない。



 部屋の中の惨状は、レランが予想した状態を通り越して、なおひどいものだった。カーテンは引き裂かれ、寝台はまっぷたつ。棚という棚の中身はまき散らされ、本は裂け、焼き物は粉々だ。
 花瓶の花はその姿を散らし、水は逃げるように絨毯に染み渡っている。
 壁に掛けてあった絵は、壁を叩く振動によってずれて今にも……落ちた。
 言い争い、剣を持つ二人には、そんなことまったくもって関係なかった。
 最初は、ちょっと話がこじれて言い争っていただけだ。最初は。
 まだかわいいもの。のレベルの会話はどんどんどんどんエスカレートした。
 これまでと同じではない、二人の関係。変わらないはずだった。だけど――
 身分と、時間に縛られる。関わらなかった時間にも進入してくる相手。人。人。人々。
 何より、相手が見えるのだ。すべて。

 今までどんなに関わってきたのか、今までどんなに関わらないでくれたのか、が。

 なんだか、いらだつことが逆に頭にくる。何もわかっていない。互いに。
 今まで、何をしていた? どうしていた?
 これまでが何もわからない。わかるのは、今がただ不快なだけ。

 また一つ、壁にナイフが刺さった。壊れて使い物にならなくなった残骸が、さらに踏み砕かれる。
「っ」
 リールが壁際にカイルを追いつめて剣を振るう。ぎりぎりまで引きつけてよけたカイルの右側の髪が無惨に散る。それを気にもかけずに、カイルがリールの足を払う。
 もう、何度繰り返されたのかわからない。今度は、立ち位置が変わる。
 カイルが床にリールをうつ伏せに押しつけた。肩を取られた痛みにリールが顔をしかめたが、それも一瞬。
 疲れ切っているのは、二人とも同じ。
 互いにどこかで力がゆるんだ瞬間にぬけだす。さっきも、今もそう。手元が狂うのは、かすむ視界のせいか、それとも。

 少し距離をとった二人。荒い息づかいだけが響く、この寝室。静かに、視線は逸らさないまま二人が向かい合う。
 周りには、木の破片と、焼き物の欠片と、飛び散ったガラス。穴のあいた壁に、何も照らせない明かり。静かに、月の明かりが入ってきた。
ガシャン!
「「!?」」
 窓の外から、唐突に響いた音に、反応する。さっと足が動いて、気が付けば互いに、背中をあわせて周りを警戒していた。一方は窓の外を、一方は扉を。
 今一番警されるべき二人が、互いに背中をあわせて周りを警戒しているのだ。レランが見ていたら頭を抱えてくれたことだろう。
 しーんと、室内は静まりかえる。当然の事ながら。今は深夜だ。
「「………」」
 リールは斜め左を見上げた。カイルは斜め右を見下ろした。自然、目が合う。
 今度も、静かだった。奇妙な沈黙だ。二人はなんとも言えない顔で、相手を見ていた。
 はははと、嘆息とも笑い声ともとれる声が漏れる。そのまま二人は、背中をあわせたまま座り込んだ。
 まだ、何も言わない。

「……なぁ」
「……ねぇ」

 開いた口を、また閉じる。

 切り裂かれても、風にはためくカーテンの向こう側。向かい合った二人の姿が、見えたかどうか。




 次の日、レランはまたかり出された。なんでも、叫び声と破壊音はあの後少し経ったら止んだらしい。“あの後、少し経ったら”が、実際どれくらいだったのかは、聞かない。
 神妙な顔で、すべての期待をかけてくる兵士、侍女。その前に国王はどうしたと思い、そうだ、あの王だからと思い直す。あの王は放っておけと言って楽しみそうだ。
 実際そうだが。王妃にいたっては「あら一昔前を思い出すわぁ。まだ初々しかったもの」だとかなんとか。
 そしてあのおちゃらけ男はやってこない……どういうことだ?

「大丈夫でしょうか?」
「お前が入るか?」
 冗談で言うと、ずざっと侍女達と兵士達全員が距離をとった。……猛獣の檻じゃないんだぞと言いかけて、そっちのほうがまだましかと思い直した。
 昨日、破れるのではないかと心配した、扉の前。打って変わって、静かなものだ。

コンコンコン
「王子? ――王子?」
 あの小娘は、呼ばない――


 何度か、扉を叩く音がする。聞き慣れた声の、呼び声も。
 斜めに切りつけられて、背を壁ではないところに預けられた棚の隣。穴の空いていない壁に背を預けて、一組の男女が肩を寄せ合っている。暖かな陽気なのか、開かれた(閉じることが出来ない)窓とはためくカーテンはすぐ傍。所々赤いまだら模様のシーツに、二人で包まっている。
 不揃いな髪を右手で書き上げて男は不愉快そうに、顔を上げて、左隣を見た。
 男の肩に頭を預けて、女の瞳が閉じられている。規則正しい寝息。ゆっくりと上下する胸。
コンコンコン
 男はゆっくりと女の傍を離れて、床に散った破片で女が怪我をしないようにシーツに包む。
「ん……」
 女は身じろぎをしたが、されるがままだった。女の顔にかかった髪を払って、唇を寄せて。再び女が声を上げる頃に男は歩き出した。


「………王子?」
 これはきっと、不機嫌だろうとレランは思った。なぜと問われても困るが、反応のない時間の長さから、詠める。
「なんだ」
 と、扉が開いた。案の定不機嫌な声と一緒に。
 後ろで、兵士と侍女が泣いて喜ぶ姿が目に浮かぶ。しかし、その目の前の自分の背に隠れて見えない王子の表情を見れば凍り付いただろう。

「みなが心配します」
 朝の挨拶を飛ばして、それだけ言った。
「お前は?」
「止めるだけ無駄なことは、よくわかっております」
「そうだろうな」
 楽しそうに、王子は言った。

「王子様! 王子妃様は……っきゃーー!?」
 近づいてきた侍女の声が叫び声に変わる。……頼むから、昨日の騒音で痛んだ耳を酷使させないほしい。
 さらにほかの侍女がやってきて驚き、おどろく。
「おっ王子様! その髪は!!?」
 確かに、驚きたくもなる。昨日まで背中の中程で切りそろえてあった青銀の髪は、左側だけ肩口より短くなっていた。

「うるさい……」
 とそこへ、なんなのと文句を言いながら出てくる影。それは一人しかいない。
 のだが……
「「「!?」」」
 あわてて、兵士達が目をそらす。あろう事か王子妃は、切り裂かれて服の機能を果たしていない服の上にシャツを一枚羽織ったまま、シーツを引きずるようにして現れた。
「……リール」
 兵士の動作を見て、王子がすぐさま振り返る。さくっとシーツで小娘を包んだ。
「もう少し考えろ」
「ん〜」
 やる気のない、小娘の返事。口に手を当ててあくびをしている。
「だる……で、なんなの?」
「ああ」
 そうだと、王子が振り返る。
「切る物」
 一瞬引きつりそうになったが、ナイフを取り出して手渡した。
「切ってくれ」
「はぃ?」
 小娘の妙な声が響く。自分から受け取ったナイフをそのまま小娘に手渡して、髪を刺す王子。ご丁寧に小娘に背を向ける。
 嘆息して、小娘もナイフを持ち直す。手を伸ばして、髪を掴んだ。
 侍女が、止める暇もなかった。独特な音がして、青銀の髪が落ちる。ばっさりとざっくらばんに切られた、王子の髪。
「助かった。これで軽くなった」
「おお王子様!? なんてことを……」
「もったいない……」
 侍女が嘆いた。そうかしらと呟いた小娘に向かって、王子が一言。
「伸ばすんだろう?」
 だから、心配ないな。
「はぁ?」
「ほんとうですか!?」
「そうなのですね王子妃様!!」
「ぇえ!?」
 突然、輝いた侍女の目。小娘に問いかける。問いかけるというか、そう決まってしまったというか。
「〜〜ちょっと!!」
 いらだった小娘が王子の腕を引っ張る。なんと言っても王子は上半身裸で、他に掴むものがなかったから。
「いいだろう、別に」
「あのねぇ」
 険悪な雰囲気だった。と言うか、小娘が不機嫌なだけだが、また、言い争われても困る。
「湯浴みにいかれてはいかがでしょうか?」
 唐突だが、提案する。ぐるりと振り返る。四つの光。
「いいわね、それ」
「そうするか」
 途端に、表情が変わる。二人。
「ねぇ。それから模様替えをするわよ」
「同感だな」
 落ち着いたらしく、二人の後ろの部屋の惨状を見て嘆く兵士の姿が、ようやく目に入ったらしい。
 そして、湯殿に向かって歩き始める。後ろから付いて行く。もちろん、兵士達に瓦礫を片付けるように指示するのは忘れない。
「まず、天蓋のついた寝台はいらない」
「本棚はもっと大きい物がいいな」
「桃色のカーテンもいらなーい」
「それと、椅子を置こう」
「カーテンは緑」
「緑? 青だろう?」
 小娘は、立ち止まった。王子も止まる。
 きっと、見上げて小娘は言う。
「緑」
「青だ」
「緑」
「青だろう」
「み・ど・り」
「………水色」
「……まぁ許容範囲ね」
「そうだろう」
 ……わからない。この会話の流れがわからない――わかりたくない?



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