王城にて 〜動き出す〜


「驚いたね」
 そう言ったのは、翌日やってきたあの男。こいつが部屋に入ると続いて布地が大量に運ばれてくる。もう少し減らしたらどうなのよ。
「何が」
 もうあきれている。義務的に返事を返した、それだけ。
 なのに、短く息をのむ音。
「……なんなの?」
 疑問に思って、問いかける。
「リーディール……いや」
 一瞬、戸惑うように固まったアズラルは、次の言葉を教えてはくれなかった。だから、私もそう重要視はしていなかった。ウィアの真実を聞くまで。


 朝、驚愕と共に見送ったリーディールが昼のお茶の時間に扉を蹴り開けた。予想はしていただけに、あきれ返る。
 だが今回ばかりは、それこそいつものように声をかけることは、できない。
「知っていたのね」
 息の乱れを感じさせない。怒りと、驚きと、――悲しみにくれた低い声。
「――そうだな」
 知っていたのに! のどまででかかった声を抑えた。それを望んだのは自分だ。だからこそ、だからこそ冷静な声に、いらだつ。
「……わかっているものだと、思っていたが」
 なんの策も練らないのだから、さぞかし非情に見えたことね。
「非情なのはお前でも、彼らでもなかろう」
 だから、いらいらする。
「ふざけてる場合!?」
「リーディール、八つ当たりはやめてくれないか」
「うるさいわ!」
 だって、そんな、まさか――
「どれだけ、存在に価値を求められているか知っているだろう」
 エアリアス家が。
「どうしてくれるのよ!!?」
 もう、何も見ていない。机に叩きつけられた手が、上げた悲鳴は心と重なった。



「リディ? ……りでぃ〜……」
 少女が、廊下を歩いていた。結わえられた二つの髪が揺れる。
「ふっ……っぇ」
 ずるずると右手に引きずられているのは耳の長い動物のぬいぐるみ。まずリールの趣味ではないが用意するのは簡単すぎる。
 アンダーニーファは左手で顔を拭いながら、たくさんの光を取り入れるように作られた廊下を進む。
「りでぃ〜〜……」
 泣き声が響くか、呼び声が響くかの違い。
 やっぱり、いけなかったのだろうか。誰も、あの家の誰も彼女のことは言わなかった。話をしようとしなかった。アロマでさえ、言葉にすると注意された。
 それでもここにきて、なぜかと聞かれて。それから、それから――
「………ふっ」
 行かないで、おいてかないでぇ……


「あの〜隊長?」
「あ〜〜〜あ?」
「起きて下さい」
「どぎょ!?」
「いいんですか!?」
「いいわけないだろう!」
「どうするんですか!」
「下手に刺激してとばっちりは食らいたくないんだよ!?」
「どこの猛獣ですか!?」
 うちの王子妃は!?
「どっちが猛獣なんだ……?」
 あの夫婦は。
「寿命を縮めるのが趣味なのはわかりましたから、先に進みましょう」
「誰の趣味だ?」
「隊長に決まっています」
「おい」


 本当は、なんとなく知っていたこと。都合の悪いことは全部、リディに向かっていたこと。外に出るのはリディで、みんな、中にいたこと。不思議に思ってもそれを言っちゃいけないって言われた。
 だから、今回も。でも……
「だって、だって〜……もぅやだよぉ……やだぁーーー!」
 おいてかないで! 何度でもあやまるからぁ。
 どこに行ったの? ひとりにしないで。ここは、人がいないから、だから嫌(や)。人がいっぱい来るのも嫌。
「ぅわーーー……ひゅっ!?」
 ぼすっと、何かにぶつかった。あわててしがみ付くのにちょうどいい太さだったので、両手を伸ばした。
 がしっとしがみ付いたのは真っ黒い布で、たぶん足だったのだろう。小さい自分は、何もかも見上げないと見えない。


 恐る恐るといったように、少女が顔を上げる。あの時ぼろぼろになっていた髪は再び二つに結わえてある。
 必死にしがみ付いてくるので、振り払うわけにもいかず、そのまま目が合えば――
「ぅわあーーーん」
「……なぜ泣く?」
 さらにひどくなったのは、なぜだ?

 ここには、ウィアを知る人はいないけど、ウィアの知る人はほとんどいなかった。だから、顔見知りを見て安心したんでしょう。あとになって小娘は言った。

 背後の影が固まったまま、泣きつく娘をそのままにしていると、向かう先にいるはずの主がやってきた。かなり不機嫌だ。
「レラン……何面白いものをくっ付けている」
 遅いと、言葉は続くはずだった。
「王子、笑わないで下さい」
 本人は必死に泣いているのですから。
「アンダーニーファ?」
 ひょいとしゃがみこんで、王子は娘の顔を覗き込む。先ほどからか細い声で泣いていた娘は、聞き覚えがあるらしい声に顔を上げた。
「――お兄さん?」
「義兄さんだな」
 そこは、たぶん理解していないのでは?
 案の定、娘は深い意味は理解していなかった。
「……ふっ」
 また泣き出しそうだ。
「……リールはどうした?」
「りでぃ……ぅ……」
 だから、なぜ泣く。
「どこに行ったんだ? 保護者(リール)は?」
「リディ……おこったの」
「は?」
 リールが、お前にか?
 信じられないらしく、王子は娘を凝視している。
「まだ箱詰めにされそうになったと言えば真実味があるぞ」
「だって……だってぇ……」
「あ〜よしよし、とりあえず話を聞こう。リールはどこだ?」
 娘の頭を撫でながら、王子は振り返る。あの小娘の行き場所といえば……たぶん……
「……やぁ」
「大丈夫だ、義兄さんも一緒に行ってやるから」
 そう言って、王子は娘の顔を覗き込んだ。
「……ほんと?」
「ああ」



「落ち着かないか」
「落ち着きたいわよ!」
「リーディール様、一度も腰を落ち着けておりません。よろしければ椅子を――」
「それどころだとでも言うの!!?」
「八つ当たりは止めろと言ってる」
「わかっているわよ!」


「……?」
「りでぃ……おこった」
 たぶん客室(最近ではほぼあの男の私室と化している仮衣装部屋)にいるだろうと思えば部屋の外にまで聞こえてくる怒鳴り声。……確かに、
「機嫌が悪いな」
 朝まではそう悪いということもなかったのだが。
「……ぇっ……」
「大丈夫だ」
 進むはじめに伸ばした手に力が加わった。子供ながら、怖いのだろう。


「リール、いったい庇護者を放って何をしている」
 ノックもそこそこに部屋の中に入れば、派手な音と共に陶器の紅茶用具が床に叩きつけられていた。

 突然の来訪者と、ひっくり返された陶器類。しばらく、部屋の中の時間が止まったかのような気持ちを味わった。
 苦々しい顔をしたままのリーディールは舌打ちをしそうな勢いで扉を振り返った。
「なに――っ」
 その押さえ切れない苛立ちの固まりも、小さな手を引かれたアンダーニーファに目が向いて行き場を失う。
「こんな所で、ひとりにする気だったのか?」
 リーディールが言葉を失うには、十分だった。
 泣いていたのだろう、そしてまだ泣けるのだろう。大きな目を見開いたまま怯えたようにさらに小さくなるあの子は……
「ウィア……」
 リーディールの言葉も、呟きに消え行くようだった。
「りでぃ」
 対して、泣いていたことがわかるほどかすれているのに、はっきりとした声だった。
「リディ〜〜!」
 手を振り払って、ぱたぱたと走る音。ぼふっと突進してきたウィアに視線を合わせるように腰をかがめると首に小さな腕が回ってきた。
 あの昔、この小さい手だった頃私は、ひとりで――
「ごめんなさい、ウィア」
「……ぇっ……っ……」
 もう、言葉にならないのか。しばらく、ウィアは泣き続けた。
「……ひっ……おこらないの?」
「? どうして?」
「だって……りざぃ……」
「ザインなら黙らせるわ」
 抱きしめられていた娘には見えなかっただろうが、その時の小娘の顔はほほが引きつるか兵士が怯えるくらい黒いものだった。


 その時、リールとアンダーニーファとの会話の内容を知っていたのはアズラルしかいなかった。



「シャフィアラに行くわ」
 バンと扉を開けて入ってきて、一言目。
「そうか」
 その言葉に、少しだけ意外だというようにリールは目を見開いた。どうせ止めたところで行くのだから、余計なことは言わない。アンダーニーファとお前の間に、なにがあったのかは知らない。言わないのだから。そして、“帰る”のではない“行く”のだから。
「なら船を用意しよう」
「別にいらないわよ?」
 呼びつけることは可能だ。
「たまには動かさ(つかってやら)ないと、かわいそうだろう?」
 暇すぎて暇を持て余らしているのだから。

 持って行くものも必要なものも、そうない。心得たようにカイルの行動も迅速だった。
 ただひとつ、面倒に感じたのは……

「あら? もう帰ってしまうの? うちの息子のなにが悪かったのかしら」
「フレア、あれに嫁が来ただけでもよい方向に取らなくては」
「まぁ陛下、わたくしの玩具(おもちゃ)が減ってしまいますわ!?」
「一応言っておくが、そういうことは本人の前で言うな。用が済めば帰ってくるのだろう」
「ぇえ、まぁ……」
 そういうことに、なるのか。


 馬車で連れて行かれた港。そこで待っていたのは……
「お久しぶりです、王子様、王子妃様」
 どこかで見たことあると思えば、エルンが沈んだあとエルディスにくるために乗った船の船長。
 改めて紹介されて見れば、海に囲まれたエルディスの海軍の長だというのだから、驚いた。
「ちょっと」
 がしっとカイルの腕を引っ張って距離を取った。心得ているのか、誰もついてこない。レラン以外は。
 声を潜めれば届かないくらいの場所まできて、リールは押さえた怒り声で言った。
「なんで位の高いのを連れて来るのよ!?」
「そのほうが安全だから」
「はぁ?」
 なんの話だとリールは首を傾げた。
「一年だ」
 唐突に言ったので、驚いたように聞き返す。
「は?」
 意味がわからないと、こちらを見た瞳が言っていた。だから、人目もはばからず引き寄せて耳に口を寄せた。
「それ以上は待っていられない」
 共に行くことはできないから、せめて一番安心できるものをつける。特に、あの島は……
 しばらく、唖然としていたリールは、しばらくするとわれに返った。
「……押しかけて来ないでよ」
「さぁ? お前しだいだな」
「………。ウィアをお願いね」
 聞き流すことにしたらしい。
「……ああ。――レラン、頼んだぞ」
「かなり不本意なのですが」
「なぜだ?」
 久しく不満も言ってなかったな。
「なぜこのようなことに……小娘」
「人のせいにしないでくれる。大体、あんた、私の命令聞くのよね?」
「聞くんだな」
 とどめの一言を聞いてしまったレランは、ため息をついた。
 リールは一歩進み出て、振り返る。
「お願いね」
 ウィア(あの子)を。
 カイルは、答えることはなく再びリールを引き寄せた。いい加減人目があると言いたいのだが――不満を持ったまま目を閉じた。
 重なったものは触れるだけに留まらず深さを増す――しばらくして、いい加減にしろと足先を踏みつけた。
「――っ!? ……リール」
 とがめるような言葉と視線は無視だ。
 一度ため息をついたらしいカイルが目を向ける。なにと首を傾げていると、その手がほほに伸びてくる。一瞬、油断した。
 ちくりと痛みを感じた。首筋に噛み付かれている。――ってあんた。
 きつく吸われて、それはすぐに離れたが――そのあとがどうなったのか考えるのはやめておいた。
 どうしようか、思案する間を与えてしまったのが、一番いけなかったのだと思う。
「しまった、一発殴っとくんだった」
 船に乗り込んだ王子妃の第一声がそれであったことに、乗り込んだ兵士達と侍女達は冷や汗を流したとか。



 離れていく船を見つめる視線は遠く、まるでその先の場所を見つめているようだった。
「ようやく、か」
「何か知っているんですか?」
 聞きとがめたセイジュが問いかける。
「……お前も、聞いたことぐらいあるだろう」
「まぁそりゃ」
 でも、あの王子妃(ひと)は当事者じゃないんですか?
「知らなかったのさ」
 面白いくらいに。
「どうしてですかね」
「知りたくなかったのだろう」
 いつも、自分の位置を嘆くくらいの心は持ち合わせていたのに、あの島の出来事は知らない。
「もしかしたら、他意かも知れないな」
「誰のですか?」
「……人かどうか、怪しいがな」



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