王城にて 〜穏やかな時〜


 なんの風習かは知らないが、婚儀が終わったあと数週間は一目に触れるのを極力避けるのが慣わしらしい。
 それは、人々が逆に目にするのを避けていると言えないだろうか。
「いただきまーす」
 そんなわけで、リールは好きなだけ好きなように食事に徹(てっ)することにした。



「でもアズラル様。よく王子様の服まで作りましたね?」
「何を言う。私の芸術の隣にあるものが三流品であってなるものか!!」
 二人の言葉に力説を返すアズラルだが、ここにリールがいたら確実に「早く帰れ」といわれていた事だろう。
「さて、一休みと行くか」
「「さんせーい!」」
 ああやって、リーディール驚きに届けたのは久しぶりだ。驚かされて(脅されて?)ばかりだったので丁度いいだろう。
 昼食を一緒にと誘われたが、あの王子に睨まれて食が通る人も珍しい。
 まぁもっとも、アズラル(この男)は気にせず食べるだろうが、問題はそこではない。食事を一緒にと誘う事自体、何か裏を勘ぐってしまう。なんと言っても、相手はあのリーディールだから。何事もないわけがない。
 と言うわけで、ゆっくり屋敷に帰って……
「その前に、アズラル様」
「なんだ、イーザス」
「シャフィアラの王家から手紙が来て」
 イーザスが手に持っていた手紙が、一瞬にして、無残にも紙くずに変わった。



「ごちそうさまでした」
 優雅に、大量の皿が空になった食事が終わった。満足してお茶を飲み、部屋に帰る。有り余る本を読もうと思ったら、カイルがやってきた。
「出かけるぞ」
「どこによ?」
 抱えるように抱き上げられて廊下を進む。微笑を深くする侍女とあわてて直立する兵士の視線を浴びていたが、気にならなかった。
 もう、動きたくない。
 外に出れば引いてある馬に乗せられて、うしろにカイルが乗った。横向きに乗っていたので、そのまま体を預ける。
 少し早い心音が聞こえてきて、眠気を誘った。



 何かに、揺らされている。一定の間隔で、揺れが体に届く。それが心地よくて、目を閉じていた。
『眠ったのか――?』
 囁(ささや)くような、かすかな声。
『ぇえ。よく眠っているわ』
 聞き覚えのある、二つの声。これは――
 目を開いても、かすむ視界に二人の大人がいることしかわからない。私を囲むように、二人。
 一人は、隣の椅子に座って、ゆりかごを揺らしている。一人は、その前に立って、私を覗き込む。
『ん?』
『あら? おきてしまったの?』
 二人が、こちらを見た。その顔。
『『ゆっくりおやすみ、リール』』

 はっとして目覚めた。あれは、それこそ遠い昔――

「どうした?」
 すぐ傍で、問いかける声に驚く。一瞬にして、今の状況を思い出す。
「誰か、ついてきてる?」
「ぁあ。そうだろうな。それで、どうした?」
 最近、誤魔化(ごまか)した時に聞き流してくれない。なんだかしつこくなったわねと言うと、心外だと言う。
 夢を見たのよ。夢? そうよ。はじめて、見る夢。そしてこれが、覚えている限り最初の記憶になる。



 連れてこられたのは、海だった。あの絶壁。
 どこまでも続く海が青くて、空との境界が曖昧で。その先にシャフィアラが見えるのかもしれない。
 この海に、花が育たないかと思う。せめてその鮮やかな色を、届けてはくれないだろうか。
 風が、低い草をなぎ倒す。地に着かない足が揺れる。
「下ろして」
「………」
 そこ、舌打ちしない。
 私は海を見ていた。カイルは森を見ていた。
 背中合わせで、しばらく、その場に座り込んでいた。



 夕方になって、日も暮れた。ちょっとした騒ぎが起こったのはその頃。
「エルカベイルと、リールは?」
「出かけたようだな。何か用でもあったのか?」
「いいえ。ただ、夕食は共にとりたいかと」
「聞くが、それは二人には言ってあるのか?」
「まさか」
「………」
 つまり、やってきて当然だと。まぁ料理長には何も言っていないということは、夕食は城で食べるだろうか。
 自分達二人がいないだけで、どれだけ厨房にかかる負担が減ると、よくわかっているようだしな。
「それでフレア。そこまでして何を話すつもりだったんだ?」
 おおよその見当はつくが。
「決まっているでしょう! 私は孫の顔が見たいの!」
 それこそ、一番高い確率でかわされる会話だろうに。



「母上は、何か言っていたか?」
 今度は、反対向きに馬に乗っていた、帰り道。
「あ?」
 いろいろ言ってたけど、そうね。一番は――
「孫がどうこうって、ことかしらね」
 子どもを生む喜びがどうとか、それが義務だとかなんとか。
「……だろうな。それで、」
「聞き流した」
「そうだろうな――とうぶんは、しつこいだろうな」
「産んだ息子が、こんなに歪んでいる事は無視なのかしら?」
 その言葉は聞き流されて、口付けが降ってきた。



「遅いのではなくて?」
「「――は?」」
 その王妃の声に、聞き返す二つの声。呆れて眺めるだけに留める、エルディス国王。
「エルカベイル。昨日の今日でいったい、どこまで行っていたの?」
「と、申されましても……」
「せっかく、新しい家族と私が、夕食を共にする時間を無駄にするつもりなの?」
 ぁあ。そうだった。と小さく呟きが聞こえた。リールには。
 確かに、夕食を共にしておいしくいただけそうな人物ではない。小言がうるさいから。
「まぁ。フレア、とにかくだ」
 上座に座る国王が制した。
「なんですの?」
「食事にしよう。さっきから、料理長を待たせたままだ」
 国王様には好感が持てるけど、この王妃じゃね。
 気を使っているのか、自分が食べたいだけなのか。後者のような気がしても、この国王様の提案には賛成だった。



「疲れた……」
「同感だ」
「いつも、ああなの」
「まさか」
 むしろ、普段は無言だ。
「………」
 あの広い空間で給仕に囲まれて三人が、無言で食事をする? おいしくない。出てきた物がいくら一流品だろうが楽しめない。かといって、あんなに騒がしくても迷惑だ。
「どうにかならないの……?」
 一日三食もあの状態じゃ困る。くだらない話を無視しながら食事するなんて、あきる。
「父上に言うしかないだろうな」
「よろしく」
「……面倒だ」
 そんなに真剣になってまで言う事なのね。



 暖かい場所だった。いる人間の存在は置いておいても。
 部屋があって、そこで眠る。そんな当たり前のこと、忘れようとしていたのに。



「王子妃様。ご起床を」
「………」
 これから、朝いつもそれだとか言わないわよね?
 いつまでも惰眠を貪っていると、たたき起こされた。何をさせる気か、知らないけど。


 あわただしく過ぎ去っていった。消えて、いなくなったもの達。新しく世界を回るもの達。
 そして一所に、止まる人間。所詮彼らは、空を飛べはしない。



「王子様!」
「シャーメル女史?」
 突然、執務中に部屋に入ってきた礼儀作法の先生に驚いて手を止める。
「王子妃様を見かけませんでしたか?」
「……リールを?」
 あれから、数週間。確かに、自分が執務をする時間、妃は他の勉学――と言ってもそれらしく振舞うための作法や、語学、趣味の時間だが。
 目の前の女史は、自分も作法を学ぶ時に世話になった。
「先生、“あれ”にこれ以上、なんの作法を学ばせる気ですか?」
 婚儀の時も、晩餐会(ばんさんかい)も、すべて作法も礼儀も、はっきり言って教えなおす必要はない。
 さすが、シャフィアラで一位を貫(つらぬ)いたエアリアス家の娘だけはある。
「何を仰いますか! あの方は今やこの国の未来の王妃なのですよ! 民の女性の見本となるようにっ」
「“あれ”を見習ったら、この国が食いつぶされるぞ」
 冗談ではなく。
「王子様! 王子妃様が恥をかいてもいいと言うのですか!!?」
「……」
 いや、だから、まず恥をかくようなことにはならないだろう。
「とにかく! 見つけたら戻るようにお伝え下さい!」
「わかった。わかった」
 憤慨(ふんがい)したまま、シャーメル女史は部屋を出て行った。
「……と、言う事らしいが?」
「しーらなーい」
 妙に、明るい声。
 分厚いカーテンの裏から出てきたのは、今の今まで話題に上がったその人。
「だろうな……くくくっ」
「何笑ってるのよ?」
 突然、何かをこらえきれないというように笑い出すカイル。その様子を、不機嫌そうに見るリール。
「いや、見てみろ」
「?」
 カイルが指差した方向、リールが視線で追う。そこには、唖然と口をあけたままのセイジュ、もう魂がどこかに行ってしまったかのようなレラン。
「ははははは……」
 面白かったらしく、本格的にカイルは笑い出した。
 サボり癖がつくのも、予想のうち。



 また次の日、シャーメル女史が執務室に押し入ってきた。
「王子様!」
「こんどは、なんだ?」
「王子妃様が剣をお持ちに……!」
「持っているな」
「危険ですわ!」
「なぜ?」
 身を守るための短剣ならともかく、リールはいまだに二本の剣を帯刀している。いつでも。……そこを考えてあるドレスを考えたのが誰だか、思いたくないから無視していたんだが。
「何をおっしゃいますか!? 王子妃様なのですよ!?」
 一国の王妃が帯刀していると聞いて、確かに治安を疑いたくなるかもしれないが。
「問題ない」
「王子様! とにかく! 王子妃様に自粛(じしゅく)するようにお伝えください」
「性格ではなくて、か?」
「それは目を瞑(つむ)ります」
 来た時と同じように、嵐のようにシャーメル女史は去っていく。
「……取り上げたほうが危険だと、何故わからない?」
 ひたすらに黙したレランは、静かに頷いた。



 結局、シャーメル女史がリールを見つけた時には、夕食の時間になっていた。
 そしてまた今日も、騒がしい夕食が繰り返された。



 眠るために用意された寝台に上がって、寝返りを打つ。まだ当分、眠れそうにない。
 薄着の夜着に掛布(かけふ)がこすれるのを感じる。真っ白で、柔らかくて。ぼんやりと、目を開けたまま横を向く。
 扉が開く音に、一瞬、背中を向けている方向に視線を向けた。でも、動かない。
 少しの間が開いた。
 ぎしりと音がした。それが何かも知っていたが、仰向けになる。でもそこにあるはずの天井はなく、青銀の髪が一房、頬にかかった。
 また、間が開いた。
 ぼんやりと見ていた視界。ふと、頭にひらめいて、
「でっ!?」
 頬にかかる髪を引っ張った。
「……引っ張るな」
 つかんだまま、放さないでいると、ぴんと張っていた髪が突然緩(ゆる)む。
 閉じていた瞳を開けば、呆れたような、嬉しそうな顔が見える。
「……いい加減放せ」
 ちっとも困っていない声。むしろ、楽しむような。
 ふふふと笑い出した。くすくすと大きくなって、止まらない。

 また口付けが降ってきて、声が呑まれた。でも止まらない。いつまでも笑ったまま。

 ついに、囁くように二人して笑い出した。

 部屋の中に、かすかに響く笑い声。

 ―――静かな、時間だった。


 いっそ憎らしいくらいに。

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