一人旅 〜変化〜


 レランは、動かなかった。暗闇に光る小さな松明を背に、立ち尽くしている。

 やがて、小さくひずめの音がした。速度を増して近づいてくる音。闇夜に浮かぶ人物。硬く閉ざされていた目を開けば、主がいた。

「いったい何事だ。」
 エルカベイルは馬上で見おろす。頭を下げたままの護衛に問う。

「まずは中へ。」



「ティアイエルの元婚約者がやって来たと。」
「はい。」
「どうりで、あれには内密に早馬を飛ばしてきたわけだ。」
「うまくいきましたか。」
 ティアイエルと一緒にいたはずだ。突然土地を離れる事の説明をどうつけたのだろうか。
「問題ない。」
 特に動揺した感じもなく、エルカベイルは突然の訪問者の部屋へと向かう。

「しかし、単独で突入して来るとはな。連れもいるのだろう。」
「はい。」
 ――――――嘘は言っていない。連れがいることは事実だ。

「そうか。」
 エルカベイルはそれきり、口を閉ざした。
 廊下ですれ違う兵士に目もくれず歩き続ける。

 ――――――――主からは何も感じない。
 主は目の前に存在するのに。――――何時からだろうか、何も感じなくなったのは。王子として確かに存在している。人の期待に答え、それ以上の働きをしているのに、そこには、何もないようだった。人としての感情を感じない。それはレランにもいえる事だが。特に、あの娘がいる時といない時の差が……そこまで考えて、レランは考えを打ち消した。



 軽くノックした部屋の扉が開けられる。エルカベイルは無表情のまま部屋へと足を踏み入れた。レランは後ろに続いた。

 来客用の部屋で、ソファに腰掛けていた男とその後ろの男が、入ってきた男に刺すように視線を向けた。
 ヨクトの乗り込んできた時の気迫・態度は落ち着き、今では静かに、燃えるような冷たい視線を向けてくる。
 部屋の中には、憎悪と無関心が渦巻きだした。方や怒りに身を任せる事を嫌い、方やまるで人事のように関心を示さない。どちらとも、話を始めるわけではない。ただ視線が交差する。口を開かない。動かない。


時は進む。人がそれをどう感じようが。人が何をしていようが。


―――――もうすぐ、夜明けだ―――――――



 カップの中身は冷え切っている。
 広い、広い部屋に沈黙が降りてどのくらいの時がたっただろう。テーブルの上に置かれたお茶は、手をつけられる事はなかった。空が明るく、カーテンを開けられた窓から日が射しても、部屋の中は静かなものだ。

 どちらとも、話し始めるわけではない。
 初めこそ敵意むき出しで睨んでいたヨクトは、時にエルカベイルを睨む。
 特に興味もなさそうに、エルカベイルはソファにひじを突いて座っている。

 結局、一晩中。

 来客用の部屋なので、特別外の喧騒は届かない。
 ソファの中央に座るヨクトとは少しずれた端にエルカベイルは座っていた。レランは後ろに、ベイズンは、いつの間にか横に来ていた。

 そんな中、突然ざわめきだした扉の向こう。せっぱ詰まったような侍女とメイドの声。

 普段ならあまり気にする所ではないが、沈黙に支配された部屋。静けさになれた耳。エルカベイルはうっとうしそうに目を細めた。
 それが、ヨクトが自分に向けられた敵対心としてとった事などお構いなしに。

 どうやら、騒ぎは近づいてきているようだった。
 だんだん近づく足音。もうそろそろ、耳がなれたエルカベイルに、人の声が判別できそうだった。

「ティアイエ、……様!!」
「エルカベイル様!!」

バァン!!
 普段なら想像もつかない大声で、話の中心。ティアイエル・レティシャ・エレンドが現れた。

「ティアイ、」
「アイエ!!」
 動揺は押し隠し座ったままのエルカベイルとは違い、ヨクトはティアイエルに駆け寄った。

 エルカベイルしか見ていなかったティアイエルは、立ち尽くした。

「よく……と……?」
 驚きに目を見開き、それからゆっくり涙を流し始めたティアイエルを、ヨクトは抱き寄せた。
「ほんと……に?」
「ここにいる。」
 小さく方を震わせて、声を漏らして泣くティアイエルをヨクトは静かに抱いていた。

 突然の来訪者に驚かされたレランは、すぐ扉の前に移動し、おびえておろおろしているメイドに、周りに群がる兵士に向かって睨みつけた後、扉を閉じた。

「アイエ。綺麗になった。」
 髪にキスしてヨクトは言う。
「でも、こんなに悲しい顔をして……。」
「何を……?」
「大丈夫、こうなった原因は、俺が殺す。」
 最後の言葉はティアイエルの耳元に、小さくかすかに聞こえた。ハッと顔を上げたティアイエル。ヨクトは、頬に流れる涙を拭いて微笑んだ。

 振り返り、後ろにティアイエルをかばうようにエルカベイルに向き直る。

 エルカベイルは、相変わらず座ったままだ。やって来たティアイエルに特別関心を持ったとはとうてい思えない。いったいさっき叫びかけた言葉は何処へやったのか。――――内心何を考えているのか。あくまでも、表情は変わらない。冷め切ったお茶を口に運んでいる。

「…………………。」
「…………………。」

 それでも、視線を感じたのだろう。カップを受け皿に置き、ゆっくりとした動作で振り返る。
 どちらをどちらとしても、歓迎されているとは思えない。―――――――――二人の視線がしばし絡んだ中、


「エルカベイル〜なにかしら? 見せたいものって??」
バン!!!
 新たに荒々しく扉が開かれて聞こえた声は、まったく場の雰囲気にそぐわない。明るく、うきうきしている。

 今は、久々の旅路を満喫していたのではなかったのではないだろうか。エルディス国王妃フレアイラは、驚いて部屋の中の人物が振り返る中、部屋の中に入る。

 しかし、王妃は部屋の中で、一番堂々としていた。進むたび部屋の中を観察する。

 そこには、湯気も立たずおそらく冷め切ったであろうお茶を飲んでいる、同じように冷め切った息子。目の前には自分の現れにあまり表情を変えない男の動揺。そして、今や娘となった女性と、それを守るように立つ男性。もう一人は気に留める必要がないと判断した。

 部屋の真ん中、エルカベイルの前に立って、王妃は言った。

「エルカベイル。説明なさい。」

 説明を求めたいのはこっちだ。
―――――――エルカベイルは、内心ため息をついた。



「あなた(ティアイエル)の婚約者だったのね。」
「はい。…………ただ、亡くなったと聞かされて……。」
 思い出したのか涙ぐみ始めたティアイエルだが、今は王妃の前だ。質問に対するはっきとした答えだった。
 部屋のソファの片側に王妃とエルカベイルが、反対側にヨクトとティアイエルが座る。

カチャッ
 冷え切った二つのカップは下げられて、メイドが、新しく温かいお茶を五つ持ってきた。

 レランはエルカベイルの後ろだし、ベイズンもヨクトの後ろにいる。これは変わらない。

「でも、生きていた。」
「………っ! ……」
 王妃の手前、どうしたらいいか悩んでいたティアイエルは、その言葉に震えた。必要な事を聞き終えた王妃は静かに思案する。

「アイエ。何処にいたんだ。」
 とりあえずティアイエルが王妃にした説明が一段楽するまで待っていたヨクトが、自分に顔を向けるようにさせて聞く。
「えっと……。」
「会いたかった。」
 また引き寄せて抱きしめ始めるヨクトに、ティアイエルは少し顔が赤い。
「エルカベイル様が呼んでいるという事でしたので……」
「誰だ。」
「えっとー……。」
 気まずそうに視線を外すティアイエル。しかし、ヨクトは自分の手で、優しく顔を自分に向けるようにしていた。

 はっきり言って、見詰め合う二人に興味ない。エルカベイルは、ティアイエルの言葉に心の中で不信そうだ。
(俺が呼んだ?)

「そうですわエルカベイル。」
 王妃はエルカベイルの心の声に答える。王妃も、同じように呼ばれたのだから。

(……………!!! あの小娘!!)
 レランの心中は穏やかであるはずがない。主が二人を呼ぶわけがない。わざわざ呼ぶなどあるはずがない。二人をこの場によこそうなど、城の兵士がそんな事思いつくはずもない。侍女もメイドも同様だ。セイジュは三の大臣の息子であり、頭も良く、策略を回すが、今回の権に関わるはずがない。少なくとも、公での自分の立場はわきまえるはずだ。――――この二人の存在を知っていて、なおかつ今連れてくるなど、できる事があってはならないが、一人、あの小娘なら出来てしまうようだった。問題は、主はそんな事知らない。まして、この国にいた事すらも……。

「………そうでしたね母上。」

 主の口をついて出たのは、普段と変わらない静かな口調。レランが内心の焦りを隠すまもなく、エルカベイルは一瞬だけ視線をレランに向ける。その視線に飲み込まれて、レランは何も考えられなくなった。
 王妃は含みのあるエルカベイルの視線に、気付いていた。もちろん、目の前で見詰め合っている二人は、気付くはずもなかった。


――――――話は夜に戻る。


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