最後の仕事 〜出発〜


「気持ちいい」
 海路を行く船は順調に進み、また日暮れに差し掛かっている。水平線に沈む太陽は赤く、空の半分と海を赤く染め上げる。
 夜の訪れが祝福される瞬間。
 甲板に出て伸びる王子妃に近寄るものはいない。みなどういう接し方をすればいいのかいまだに理解していない。とレランは考えていた。“小娘は小娘だ”ということが理解できないらしい。
 まぁ、はじめから王子妃であるとされていれば話は別だったかもしれない。……だが、どうであろうか。どうであれあの小娘の性格は変わらないはずだ。
 その場合、むしろ今よりも受け入れがたかったかもしれない。
「ちょっと」
 遠めに、小娘が手招きをして呼びつけるのは、自分。ほほが引きつることを隠しもせずに歩みを進めた。
 腕を伸ばせば触れるところまできて、声をかけられた。
「――なんなの?」
「自覚しろ」
 もっと、根本的な所で。多々有り余るものを。
「どっかで聞いたわね」
 言い聞かせた覚えがある。
「相応じゃないと罵られるほうが楽かしら?」
「珍しいことを言う」
 内心の驚きをかみ殺して、抑揚を変えないようにした。
 どこにいても同じことだ、変えようとしない限り。
「海路(みち)が、違うのよね」
 本題は、こちらだとわかった。
「それがどうした」
「いつ、海図が?」
「海は専門外だ」
 真実だとも、そうでないとも言える。
「へぇ? そう」
 小娘はあきれたような、驚いたような声をあげてから再び海に視線を戻す。水平線の先は、まだ見えない。
 静かにその場を立ち去って、考える。そして仰々しい兵士の四分の一を残してあとは雑用に回した。それから、甲板に上がる人数を制限した。
 海が、穏やかだったから。


 夕暮れに侍女がやってきて、そのまま寝ていると聞いたときは怒鳴りつけようかと思った。



「ん〜〜〜」
 硬くなった体を伸ばそうと伸びをして、回りを見渡す。いつの間にか寝台に寝かされていた。
 あの一定の間隔でゆれる波の音は、変わらぬ、返らぬ、ぬくもりを思い出させる。
 あのブロンドの毛に顔を埋めて、用意されていた毛布に身を包んでいた、あの頃。
 なぜ?
コンコン!
 近づく気配が部屋の扉を叩いたのでそれまでとなった。
「お食事の時間です」


「豪華ね……」
 船の上なのに。
「承ったのは、航海を優先させろというご命令です。航海の後半は新鮮な食材は魚しか手に入りません」
「そりゃそうでしょう」
 それこそ乾物メインね。
「……」
 部屋の端で、食べられればなんでもよかろう。この小娘はと嘆息していた。
「そこ、意味深にため息つかない」
「事実を感じたまでだ」
「感じるだけに留めたらどうなのよ」
「なぜ私が?」
「………」
 しゃべるのはそこまでにして、湯気を立てるお皿に目を向けた。暖かい食事、みずみずしい果物。今朝方積み込んだのだろう。
「果物はしなびる前に、食べたほうがいいわね」
「そう思うか」
「そうよ。どうせ、食べきれないほどあるんでしょう」
 みんなで、食べるといいわ。

 何か悪いものでも食べたのかと問うと、ナイフが飛んできた。




 穏やかな海に安らぎを感じるのは、あの義父の言葉のせいなのかもしれない。
 ――調子が違う。何が違う? 私は、どうしていた?
 エルディス(ここ)と、シャフィアラ(あそこ)の私は、何が違うの?

 船は進み続けた。昼も夜も。幾度日を沈めた海を眺め、幾度日の上がる海を眺めたのだろう。退屈だろうと渡された本も、柄にもなく用意された日誌も、閉ざされたまま。
 考える時間だけは多くありすぎて、思考の回転が遅くなる。まさか、シャフィアラから持ち出した器具を持って再び帰ることになるとは思わなかった。
 首を回して空の青さを眺める。それから海からの照り返しに目を細める。船の後方では、釣り糸が垂れ下がっていた。
 問い詰める必要はなかった。「いっぱい、人くる……」そうウィアは言った。エルンが沈んだあと海流に守られないあの島は、どうなっているのだろう。

「陸が見えました!」
 その言葉を、恐れていた。



 一方そのころ。
「まぁ〜かわいらしいわねぇ」
 大きな影が、覗き込んでくる。知らない女性だ。
「おばさん、だぁれ?」
 おば……さん?
 廊下の周りを取り囲む兵士と影のうしろに控えていた侍女はその言葉に冷や汗を流した。空気が凍る。寒い。視線の先には、髪を高いところで二つに結わえた少女と、この国の王妃。そう、王妃フレアイラ。
「ぁあ母上、リールの……なんだったか? 妹か?」
 なんてことないように少女のうしろから現れる王子は、少女の視線に合わせようと腰をかがめた。
「ふ?」
 少女は意味がわからないのか首を傾げた。
 いや、違う。両親は死んだと言っていた。それがいつのことか知らないが、この娘が生まれる前のことだろう。
「リディはリディなの!」
 そして、自分の中で結論に至ったらしい。
「……そうだな」
 凍りついた空気に気がつかないかのような会話。ひとりは本当に気がついていないし、ひとりはあえて無視している。
「当分、保護者がいないので預かることになります。まぁ身内なので、当然ですが」
 目を輝かせたままの少女を置いて、王子は王妃に話しかける。
「ウィア、お前が今おばさんと呼んだのは俺の母親だ」
 そういってウィアを前に出そうとすると、少女はするっとカイルのうしろに回った。顔だけちょこっと出して言う。
「ウィエア・アンダーニーファ……です」
「いーい、ウィア、ここではあなたの知らない人ばかりなんだからお友達になるにはきちんと挨拶をするのよ」そう、リディは言った。
「まぁ、かわいいわぁ〜」
 王妃は、ちょこんとお辞儀をして挨拶をしたウィアのかわいさに目が行った。しかし先ほどの暴言は忘れない。
「こんにちは、ウィエア。私はフレアイラよ。そうね、フレアと呼んでくれればいいわ。あなたは……」
「私ウィア!」
 リディが、そう呼んでくれるの――


「で、その少女は?」
「母上に連れて行かれました」
「さぁ、一緒にお茶にしましょう! お菓子もあるわよ」「うん!」――玩具(おもちゃ)だ。
「そうだろうなぁ」
 国王は低く笑いながら言う。
「そうですね」
 表情の変わらないカイルとは違い、国王は面白そうに笑っていた。
 ひとしきり笑ったあと、ふと国王の顔つきが変わる。立ち上がって窓辺に向かい、その先を見つめる。その向こう、はるか先は、海だ。
「――何も、なければよいが」
 それは無理だと、知っている口調だった。




「隊長!」
「何事だ」
「船が一隻、西から近づいております」
「西? 正規ルートか? どこの馬鹿だいったい」
「それが……まだ判別できません」
「速度は」
「それは……もう、見える範囲にいると
「あれ……は、どこの船だ?」
「あの旗は緑色に見えますが……まさかっ!?」
「なんだと!?」
 その船の中に、衝撃が走った。



「………」
「なつかしいか」
 うしろからかけられた声に、答えなかった。この思いをなんと表現していいのかわからなかった。
 なつかしいのかもしれない。あの島々が。
 悲しいのかもしれない。両親と、保護者を亡くした場所。
 そして、事実は。
 怒り狂っているのかもしれない。付きまとうという現実に。
「よく、わからないわね」
「ふざけたことを」
「そうでもないわ」
「………」
 はぁと、大きくレランはため息をついた。調子が狂う。
「恐ろしいのか」
 “恐ろしい”?
 何が? あの島が? それとも、自分が――
「そうね」
 恐ろしいのかもしれない。すべてを捨てて逃げ出した。すべてを飲み込む島が。
 父も母もラーリ様も、楽しみも喜びもなくした。必要なのはリロディルク(わたし)ではなく、リアスの名を持つもの。
 誰だって、よかったんだ。
 過去の、大罪。求めたための代償は、まだ支払いきれていない。
「元を、断つしかないのよ」
 すべてを、捨てられないなら――


「レラン様! 王子妃様! 船室にお戻りください!」
「なぜ?」
「なぜだ」
「なっなっなぜと申されましても! あの船がっ」
「来るわね……なんでいるのかしら。ここはまだ警戒する場所じゃないのに」
 しかも、あれは王家直属の海軍だ。何をしているのか。
「知り合いか?」
「こちらが知っているかどうかはわからないわ」
「レラン様!」
「知らん。任せておけ」
 投げやりな護衛の言葉に、開いた口が塞がらなかった。
 正面からやってきたものと思った船はこちらに止まるように合図をくれる。――そんな暇はない。直進しろというと、あきれた声が降ってきた。無視した。
「そこの船! どこのものだ!」
 一向にとまる気配の見せない船の真横を、軍艦が近づく。甲板の先頭に立った男が声を張り上げている。
「とまらないのならば、こちらにも考えが――」
「なんだというのよ、いったい」
 相手によく見えるように、身を乗り出した。
「………」
 しばらく、波の音が耳に届く沈黙。男は、開いた口が塞がらないらしく、ぱくぱくと開閉する。中途半端に伸びた腕の先の人差し指はこちらを指したままだ。
「リリリッリッリアス様!?」
 でかい声が響いた。向こうの船の船員の気配が動いた。
「ずいぶん、――どういうこと? ここに警備がいるなんて聞いてないわよ」
 あわただしく向こうの船の船員が現れるが、かまう暇はない。
「それは……」
 男は、言いにくそうに顔を伏せた。
「リアス様、陸にフォトス様がいらっしゃいますので」
 走って甲板にやってきた船長らしき男が言う。
「ジオラスが?」
 それこそ、不可解だというようにリールは首を傾げた。


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