業火 〜亀裂〜


 泣いている。声が聞こえる。
 違う。これは自分の声だ。泣いている。叫んでいる。
 あの頃。まだすべては、すべてを知らずにいた頃。見て見ぬ振りができなかった頃。
 なつかしすぎる。
 最後の、断末魔のような叫び声に覚醒する。

 ひどい夢だ。



「おはよう」
「おは……ひどい顔ね」
「ほんっとだ。死人みたいだよ〜」
 けらけらとジャスティが笑う。余計なお世話だと悪態をつきながら髪をかき回す。
「でも見飽きたよ。リー」
「そうね」
 なんの感慨も感情も感じ取れない。いつからで、いつまでなのか。
「お前は、だからなのか?」
「何が?」
 唐突な言葉に、冷ややかな顔でこちらをにらみつける。

 あの夢が見たくなくて、寝ないのか?

 そうでもないし、そうともいえると。答えが返ってきた。



「おはよう。リザイン」
「ぁあローゼリア」
 差し出してくるお茶に口をつける。今では、彼女は薬草を取ってきて給仕をする以外のことにかかわろうとしない。
 できない、というべきか。
 紺色の服に髪を束ねて、給仕をする姿はかなりさまになっている。城に行っていただけあるなと思いながら、口にはしない。
「それで、どうした?」
「何か、足りないものがあれば……」
「十分だよ」
「ほんとう……?」
「ぁあ、だから休みなさい」
「でも、リーも、リザインも、シャスだって」
「いいから。少し町にでもでるといい。ただし気をつけて」
「はい」
 心配しなくとも、後ろから黒い影が付いていくことを知っていた。この屋敷が破壊されて、元に戻って、もう数ヶ月が経った。
 順調に回復した病人は少しずつ島を去り、再び、島には静寂が訪れようとしていた。
 かつて、その静寂ですら作られていた頃。すべてを手に入れようとした自分の父親はもういない。あの時、大地を汚すことは止められた。
 生きながらえてしまった。
 ふとそう感じた。気がつけばここにいる。
 終わりない日々を生きてきたあの時と違うと、首を振った。
 てくてくと歩き去る姿を見つめる。そのまま、ふと笑みが浮かぶ。楽しんできてほしいと思う心は、本当だった。
「い〜なぁ〜ローゼぇぇぇえええーー」
 仕事を始める前に聞こえてくるうめき声にも、慣れてしまった。
「亡霊か?」
「生きてます〜」
「それは何よりだ。仕事だ」
「ぅぇぇえええーーいーじーめーるぅーーー」
「何をわめいているの」
「でたぁ!?」
「喜ばないでよ」
「……ひどいー」
 いつもの光景だなと笑った。声を上げて笑った。
 目の前の二人は怪訝そうに首をかしげて、顔を見合わせて言った。
「変だよ?」
「……どうしたの?」
 逃げようとしたシャジャスティの首根っこを掴んでいたリディロルと、逃げようと足をじたばたしていたシャジャスティは首を傾げたままだった。
 不覚にも、この楽しさは変わらない。



 きょろと、道の周りを見る。見慣れた景色は、もう、少し前のようにはびこる人間は消えていた。
 静かに、日常をおくる人々の姿が見える。
 そういえば、町まで来るのは久しぶりだ。そう遠くはないが、声が聞こえるほど近くはない。
「わっ」
 何かが頭の上を横切ったので、空を見上げて、首をそらしていると頭が何かにぶつかった。
「失礼」
 見慣れた、黒。
 思いがけずじーと見つめてしまった。しかし、びくともしない。
「……どうして?」
「日が暮れますよ」
「まだお昼にもなってないわ」
「一人だけここにいるのは気がひけますか」
 ちょっと、びっくりした。そんなこと言われると思わなかった。この人はいつも、どこか冷めたように、関わりなどないように接している姿しか思い出せない。
「うん」
 いろいろなことを考えつつ、問いかけに頷いた。
「いつも、どこか蚊帳の外なの」
 だけど、あの第一王子を殺したのは紛れも泣く自分。リーやリザインより遠い、けれどウィアより近い。蚊帳の外でも、敷地の中だ。
「それだけ、あなたが大切なのでしょう」
 やっぱり驚いた。
「なんですか」
 じじーっと凝視したのがばれているようだ。
「変なの。リーのこと嫌いじゃないの?」
 彼は答えなかった。だけどなんだか、わかってしまった。
「ねぇ。お土産を買いたいの。何がいいかな?」
 引きつった顔の彼がぼそっと、私に聞くなとつぶやいていた。



「だぁ〜」
 昨日も今日も明日も明後日もおんなじことの繰り返し! うるさい患者の相手と、騒がしい付き人の相手。まぁたしかに、リーが来る前よりましになったことは理解している。だけどさぁ〜
 がっくりと肩を落としながら、足取り重く廊下を進む姿。心なしか、背も曲がっている。そのうしろを、まるで図ったかのように婦人が現れる。
「薬師さま」
「はいぃっ!?」
 びっくりした。
 驚いて振り返ると、自分より確実に一回り以上年上のお姉さん……おばさんが目を伏せ気味に訴えてくる。
「あの、夫の様子がまた」
 正直、またかと思う。リーが処分したおかげでだいたいはよくなったが、それは表向きに過ぎないこともあった。
「うめいているの?」
「いえ、ひどく咽が渇くと」
「リーは何も言ってなかったの?」
「いえ、その……」
「それに従えないなら、この屋敷内にいることは許されない」
 そう言って追い出されたものも、いた。
「ですが、あんなにっ」
「あなたが甘やかし続けた結果であると考えられないのですか?」
 言葉にかなりの衝撃を受けたらしく、まだ若い女性の体が傾く。へたりこんだ女性に目もくれず、シャジャスティは先へと進んだ。
 ああいうの、面倒なんだよね。
「何指を食べてるの、おいしい?」
「っ!? リー……?」
「なに?」
「びっくりしたよ」
「そう?」
 そりゃ窓を乗り越えてこられたらびっくりするってば。
「こっちのほうが早いもの」
「そうだろうけどさぁ」
 ふと視線をあげて見ると、窓の先に見えたのはあの塔だった。幼い頃から近づくことを許されていなかった場所。今も。
「それで、何かあったの?」
「なんでもないよっ!?」
「あそこの夫婦、邪魔だと思わない?」
「へっ!?」
「勝手に薬を多く与えるのよね。鎮痛剤とか」
 そっと振り返ると、さっきの婦人がしょうこりもなく後を追ってきていた。ただし、リーの冷たい微笑を見て、引きつった顔を残してあとずさった。
「………リーは」
「なに?」
「僕らは必要ないんだろう。だったら勝手にやればいいじゃないか」
 しばらく考えていた。そう、あの夫婦は要らないと、思ったじゃないか。なのに口を付いて出た言葉はそれだった。
 はっとして、口元を押さえた。いまさら、指を噛んでも遅い。そして、その時のリーの表情を見損ねた。顔が上げられない。
「追い返してくるわ。シャス、あなた、ローゼを迎えに行って」
「はい?」
「町には、必要なものもあるでしょう」
「ぁ、……ぇ?」
「早くして」
「はい」
 短い言葉に、従った。逆らうことなど、できなかった。だって、リンザインとリロディルクは、一族の中で高位だったから。
 その身に流れる血が、尊いということで。初代に近いということで。でも知っているんだ。特にリーの血が濃い、その理由は。



「……? あれは?」
 おろした髪が揺れる。低い背を精一杯伸ばして、少女は町の道の先を見つめていた。それは、帰る方向。
 自分のほうが背が高いと言えど、何が見えるのかわからない。夕暮れ時の商店街には、夕食の食材を求める人々でごった返している。
 皮肉にも、人ごみの中での護衛はなれているというべきか。王子のおかげか、あの小娘のとっぴな行動のせいか。
 やめよう。思い出すと苛立ちが増す。
「なにか」と声をかけようとして止めた。両手に持つ荷物に容赦なく少女の手荷物が乗せられたからだ。
 案外、容赦ないと感じる。腐っても血縁かとほおが引きつる。
 良くも悪くも、人を使うことを教え込まれた行動。この少女ですら。
 あの娘が、そんなに高い地位をもって何をしようとしたのか。考え出しても切がない。
 不死の国と、呼ばれていたことを知っている。そして、それがなんであって、どうなったのかも。だがこの国の人間の大半は、そんなこと知りもしないだろう。
 この場所は、まるで時が止まっているかのようだ。
「シャス?」
 少女のつぶやきに、すっと視線を回す。確かに、あのくるくると動く少年の姿が見えた。
「どうして?」
 再び聞いた少女のつぶやきは、震えていた。まるで何かを、恐れるように。



「いたいた、探したよ」
「シャス……どうして?」
 先ほどのおびえはどこに言ったのか、少女ははっきりした言葉で問いかける。問い詰めるようだった。
「……リーに迎えにいくように言われて」
「リーに何を言ったの!?」
 思いがけず大きな声は、周囲の人を振り替えさせるには十分だった。
「何も」
「うそつき!」
「アリマに言われたくないよ」
 少年の言葉はそっけなかったが、少女には絶大の威力があった。
「ひどい」
「どっちが」
 はき捨てるように少年が言った。
「リーを見捨てたの?」
「お前と何が違うんだ!」
 問い詰めるような視線に耐えかねたのか、少年の声も大きくなる。
「どうせ俺たちは二の次なんだ! リーやリザインとは違うんだよ! 同等にはなれないんだよ!!」
 手を振って、少年は言い切った。その言葉が、完全にすべてを拒絶した。
「関係ないだろう! 勝手にやらせておけばいい! どうせ俺たちは、手駒でしかないのだから!」
 少年の言葉は、続いた。
「ひどい……」
 その言葉は、少女の心をえぐっていた。
 少しだけ回復していたものが、粉々に砕け散ったことをレランは感じ取った。しかし、何が言えただろう。
 確かに、ここにいる二人(ローゼリアリマとシャジャスティ)がそう高い地位をあの薬師の家の中で持っているとは、到底思えなかった。
 どちらも、不満があると思えてしかたない。
 ただひどく、不釣合いだった。二人の容姿、容貌。歳相応らしさが欠けている。あのウィアと名乗った娘くらいだ。
 ひどく疲れたような印象を受ける二人は、まだ言い争っていた。



「シャスはどうした?」
 あの小うるさい夫婦を追い払っていると、ザインが問いかけてきた。不機嫌な態度を、感じ取ったのだろう。
「アリマを迎えに行ったわ」
「助けてください!?」
「あの女がっ」
「まだ言っているのですか? あれだけのものを見てきたにもかかわらず……だからですかね。自分達だけは特別だろうと、そういう錯覚ですね」
「ぇ……?」
「ここでは当主が絶対ですよ。それ以上でも、以下でもない。だからリディロルに見捨てられたあなた方を救うのは、この薬師の家の中にはいない」
「そんなっ」
 リンザインの淡々とした言葉に、夫婦は青ざめる。妻はリンザインの足にしがみついたまま、夫は、ただ立ち尽くしたまま。
「お帰りよ。まだ、夕刻の船に間に合うでしょう」
 引き渡すのは、シャフィアラの王家の兵士だ。ジオラスは、協力を惜しまない。資源も、何もかも。この家の敷地を出たものまで、かまっていられない。
 人手が、足りないのだから。薬師と頼ってくるなら、薬師以外のことに力を使いたくない。
 まだ何か叫ぶ夫婦の言葉を聞き流して、廊下を進んだ。これで最後にしてほしい。本当に。陰鬱に息を吐いた。
「リディロル」
「……なに?」
 ついてきたのだろうか。ザインが声をかけてくる。夕暮れに赤く染まった廊下に、二人。髪の貴重となる色のオレンジが夕焼けに栄えて、燃え上がるようだ。
「シャスを、どうする気だ?」
「どうもしないわ。あなたの家でしょう」
「そっくり返すよ、現当主」
「私をそう呼ぶなら、口出しをしないで」
 言い切って背を向けた。これ以上、言葉を聴くことはできない。
 足早に進む廊下。背中の先で、ため息が聞こえてきた。


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