故郷編 〜来る〜


カタン
 祭壇に、遠慮(えんりょ)なく腰掛ける小娘。投げ出した足の横、小さな隙間に手を差し入れ、開けた引き出しから布の手袋を取り出す。
シュッ!
 両の手にはまる布擦れの音すらも、反響して消える。
すっ
 迷うことなく、手に取られた本。簡素な作りで、装飾も何もない。――――背表紙さえも。挟まっている栞、紙、紐。すべてを…………当てにしていない。
ぱらららら―――……
 一冊の本の、ページが流れた。

――――その、本は―――?





 扉もなく、アーチ上の入り口。下りてきた階段のはるか上から、破壊音と、人の声とが下り響いてきた。

「……………(なんだ)」
 カイルは、突然の声に振り返って階段を見た。そして振り返る。祭壇の先は行き止まりだ。
「…………王子……」
 逃げ道はない。
 上の声が、よく聞こえた。――――階段を背後に隠した本棚は、もとのように戻していないのだから。






ガン!!!
 いっそう大きく響かせて、扉の木々を砕いた。――――見える、部屋の中。………不自然な本棚が一つ。
 喜ぶ兵士の声と、嘆息(たんそく)をもらす青年。どちらがよく耳に残ったといえば、言わずともわかろう。ついてくるように命じて、部屋に入った。

 右か、左か。
 黙って、こちらについてくるだけの青年は、何も言わない。目の前に、明らかに隠し扉の役目を果たしていた本棚が、役目を果たしていないのを眺めていても。当主は、今にも泡を吹いて倒れそうだ。――――使えない。

 ゆっくりと、目配せをして見せた光景。一人の少女が剣先に怯え泣いている。もう一人は、その少女を支えながらも、不安げに青年を見た。
――――人質。
 数人の兵士に囲まれて、光る剣に怯える少女二人。……………青年は、先だって階段を下った。







「……………」
――――来る

 迷わずに下ってくる足音。主も気がついたようで目が険しくなる。ゆっくりと手を剣にかける。
「こっちにいて」
 ずっと本のページをめくる小娘が声をかけた。――――先に、道はない。不審そうに目を向けるのと、主が進み出るのは同じだった。
 動かずにそこにいると、気配を感じていないのか顔を上げて言う。
「…………せめて、そこの線よりこっちにいて。」
「…………」
 主の顔が面白くなさそうにこちらを見ているが、動くわけにもいかない。―――下りてくる、いくつもの足音。…………十二人。
「……………レラン。」
「…………」
 ―――仕方ない。主の怒りを含んだ声にため息をついて六歩進んだ。
 ただ通るだけならきっと気づくことはない。石の溝の中に、何かで引っかいたような線が一本。主と小娘のいる祭壇と、下りてきた階段の間。むしろ、祭壇よりだ。
 線を一歩越えると、また小娘は本に視線を移した。主は、祭壇横に立っている。上を見上げて。

ガチャンッ!!!
 暗い中階段を下りる。剣が壁について音を立てた。

 一歩進みそうな足を抑えて、剣を抜いた。


「「「来る」」」

 三人が三人で呟いた。






 大丈夫?
―――何が?

 だって……
―――だって?

 “何”に、恐れよというのか?
 “何”を、怯えよというのか?

 恐れる物も者も、怯える物も者もいない。――――ただ、叶えるべく“願い”を。
 ただ、叶えるべく願いを――――…………







 後ろで、陛下の護衛の剣が壁にぶつかる音がした。それも、すぐ収まったが。…………“何を”しに来たのだろうか。まさか、ただ帰ってきたわけがない。二度と、逢えないこともないと思ったが。大きく、なっていた。存在が。
 もう、違う。いてもいないのと同じように扱われていた少女が。
 ―――――この状況を変えられるのは、もうリディロルしかいないんだろうな。
 一抹(いちまつ)の期待を持って、階段を下っていた。期待するだけ無駄だというか、期待してはいけないことはよくわかる。例え自分が支持したのではなくとも、支援したのは確かだから。
 振り返ることはできないが、父はもう駄目だ。――――そう、この家は終わりなのかもしれない。

 ああ、どうするか。いっその事、皆(みな)いなくなればいいのか?




 足音で誰だかまだわかる。いつになく緊張した面持ちだったあの場の皆。
 小父は、本当に、知らないままだったんでしょうね。

 見つめる本を、手に持つ本を。

 知らなければ、知っていたから。――――真実を知ることができなければ、できたから。
 ―――だから、ここにいる?

 ラーリ様、再び逢えて、どれほど嬉しかったかわかる?
 それに―――――


 やっと視線を感じた。見下(みお)ろすこともなかったし、振り向くこともしなかったが。
 そこにいる、ここにいる。――――ただ、それだけで。



カツン
 最初に見えた人影。誰だかわかる。―――後から下りてきた人物ですら。


「…………リロディルク。お前は、この場にいていい者ではない。――――それとも、お前が全ての元凶か。」
「…………陛下に“再び”その名で呼ばれる日が来ようとは、思い上げもいたしません。」
 本の表紙をなでて、握りなおした。

 さぁ、始まり。






 階段は薄暗く。下りるのに一苦労だった。先を行く青年―――呼び名はザインで記憶していた。は、この暗さの中一度も足を取られることなく進んで行く。
 兵士の、護衛の剣が重なって音を立てる。――――耳障りだ。一つ睨んで沈める。長い長いと思っていた階段は、出口が見えれば一瞬の出来事のようだ。

 階段を終え、石床に足をついた瞬間。火に照らされる空間の明るさに目を見張る―――――先を見据えて、口にした言葉。…………わざとだと言うより他にない。相手も、同じように取ったようだ。

 “エアリアス・リーグラレル・リロディルク”

 今は無き名。自分が、剥奪した名前―――――








「――――殺せ!!」
「お言葉ですが、私は反対いたしました。しかし、お作りになったのは陛下です。」
「黙れ!!! わが子を失うところだったのだぞ!」
「陛下」
「……………“エアリアス・リーグラレル・リロディルク”―――お前の名を剥奪する―――二度と、名乗ることは許さない、許されない。消え去れ。二度とこの国に帰ることは無い。お前の、存在はこの国にない。」
「それは……陛下!!」
 後ろで、横で、それだけはおやめくださいと声がする。島を囲む、荒れ狂う波と渦。――――沈んだ船は、数え切れない。

「運がよければ、あの波を越えられようよ」

 この場で殺さないだけで、何も変わりやしないではないか。
 黙って、部屋を後にした少女の背。玉座に座る王の回りの人々は、見送るしかなかった。






「リロディル」
 呻くように、小父上が声上げた。
 その声、不愉快だ。だが、現実を再認識するには十分だ。――――あの時の娘は、“死んでいない”。

 足を進めた。こちらを警戒する男のすぐ前まで。祭壇の正面を少し外れた所にいた男。引き抜かれた剣がこちらを向いているので、それ以上は足を止めた。真後ろで動く護衛を制止(せいし)、男を一瞥して逸らした。

 ――――見る、正面。
「何を、している。」
「――――何も。陛下の耳に入れるようなことは。」
 切れた言葉は、次をつなげようとしない。他の声を聞くのを許さない。




(この不法侵入者が。)
 だが、“家”でもある。
 レランは考え込んだ。“誰”か、“身分”はわかった。だから、どうなるのかはわからない。

 それよりも、他に―――――何か、根に持ってないか?





 “過去に縛られる部屋”―――――少なくとも、俺はそう呼んでいる。エアリアス家の中でも、“真実”を知る者のみが入れる場所。知る場所。父と、自分。そして、リディロル。……………そうか、それしかいないのか。―――――もう。

 ザイン――リンザインは、自分の手を離れた流れを、塞き止めるどころか雨が降ってきたようだと思った。

 ああ、さらに大変になりますな。


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