故郷 〜過去の雨〜


てってってっ!
 小柄な身体にいくつもの本を抱えて、少女は茂みを突っ切っている。

ぱたん
 塔の戸を潜って、閉めた。


ととととと…
 うしろから、リズムよい足音とは違い、なるべく静かにしようと努力する音。

 二つの影が消え行く塔。人々は見てもいない。




―――ぱたん
 小さな背には大きな扉を、閉じた。……暗闇。窓に引かれたカーテンを開いたのは、いつのことであったろうか?

こんこん!
 なれた様子で暗い中階段を上がる。入った二階の部屋の扉を閉め、机に本を置いた。細長い部屋には、同じく細長いテーブル。両脇には棚。中にはたくさんの瓶と、いくつもの器具。―――いや、この塔の中の物はすべて、今はもうリロディルクのものであるといえる。

かちゃ―――パタン!
 窓を開いて、閉じてしまった。
「…………」
 最近、この塔では何も言わない。独り言ですら。薬師となるべく教育は、週に何度か行う。身を守るための剣技(けんぎ)も。―――ほとんどは、すでに終えていた。あとは実践に移るだけだった。年齢を除けば。いくらエアリアス家の名を持とうと、十三の少女に自身の命を預けようとする島人はいない。―――今は、人手も足りているから。
 願ってもないことだった。あれから三年間、表向き服従と重心を置いて、ある程度の信頼と信用を得た二年。そして今年、いくつかの島と屋敷を歩き回れる自由を与えられた。
 すぐに移した行動。見つけた―――…一冊の本。思い出される言葉。

『ねぇ、リール。――――聞いておいてほしいの、知っておかなければいけない事なの。………とても、悲しいことだけど、それが真実。』
『知っておかなければならない、“真実”を―――。』


 そして、手の中に納まった“一冊の本”。

『お前にはその権利がある。今の地位、立場がどうであれ。』



「………」
 やらなければならない事がとても多い。いくら眠れないとはいえ、少女の身体には辛い事だった。だが、本人はそんなことですら意に返さず、白昼薬草を求め、薬を作り、夜ごと本を開く。
 古語を理解すのも、応用するのも、はじめたばかりだ。

 握り締めた手が震える。今や、突き動かすものは一つだ。

ぐらぁ
 突然、棚から瓶をおろした視界がゆれる。毒草から薬を作り始めて三年。少女の身体は蝕まれ、つくり変わられている。成長が進む身体には、ついていけないほどに。最近は、よく倒れる。―――また、か……

ガシャン!!!
 机に置いてあった瓶に手がかかり、割れる。青みがかった霧が立ち込める。

「………」
 指を動かす事もできないくらい麻痺した身体で、少女はさらに自身を蝕むであろう毒が部屋に広がっていく様子を、ただただ眺めていた。

 そしてそれを望んでいたかのように、目を閉じた。


 ―――本当は、死んでしまいたかった。ほかでもないあの日―――同じくらい心に誓った、願い。



 ほんの少し前。少年は、塔の中に消えた少女を追い詰めた。―――と、思っている。

「………ぐ……」
 少年は、大きな扉を押していた。……実はそっち側に開く戸であることは、秘密だ。しかし、どちらにせよ鍵がかかっている。

「ぐぐうぐ………」
 相変わらず、押し続ける。

「ぐーーーふぅ」
 疲れたらしい。

「開かないかな」
 無理である。

きぃ―――パタン!
 少年の頭の上で、窓が開き、閉じた。

「……あそこ?」
 切りそろえられた髪をゆらして、少年の目が輝いた。



 時間は進んで、少女の部屋。
 しゅーーしゅーーと、何かが溶けていくような音がする。―――実際、鉢植えの花は枯れ、土でできた鉢植えにひびが入る。
 青白い霧は、煙のようで、視界を遮る。先も見えなく、ただ、隙間から入ってくる風に煙が揺れ動くのがわかる。

 ―――今度は、まずいと思った。いくら毒をあつかい、調合し、口にしようとも。笑えるくらい近くに、死が迫り来るような気配を感じて、恐れた。
 それは、死に対する恐れだったのか、今、こんな所で何を達するわけでもなく死んでいく自分の弱さか。

 ―――実際には、少女は死ななかった。死ぬ事を許されなかった。
 ただ一つの願いを叶えんがため。

 今、少女を蝕むのは“捕らわれた過去”………忘れることない、忘れない。
 それだけに突き動かされて、動いた三年。暗闇と暗闇と暗黒。

 深く、深く、深い深い………


 単純に、今の少女に必要なのは、安眠と安息。――――十分な、休息だった。




ッガッッシャーーン!!!!

「…………?」
 かすむ視界に見えたのは、自分より…同じくらいか?そんな少年が、あろう事か三階の窓から飛び込んできた。

 窓が割れて、窓際の枯れだした植物は床に叩きつけられて無残に砕けた。近くにあった小瓶と瓶と器具が割れる。青白い煙が一瞬にして晴れわたる。澄んだ空気に不釣合いな部屋は、再びその全貌を現した。―――いくつかの薬と、鉢植えが割れ物になっている以外は、何も変わりはしなかった。

 体のいたる所に細かい切り傷をつけた少年が、倒れている少女に驚き叫ぶ。
 ぼんやりとうるさいなと少女が思っていることなど、少年は思いもしない。




「――――――ねぇ!!」
――――?

「ねぇぇ!!」
 何?なんなの……?

「ねえっ!ってばぁ!!」
 ………うるさい……

「ねーーーぇーーえーー!!」
「うーるさーーい!!!」
 あらん限りの声で耳元で叫ぶ声に、まけないくらい大声で怒鳴った。

「あ…おきた」
「“おきた”じゃないわよ!あんた、私の耳を壊す気?」
「よかった…」
「きーてる……」
 今にも泣き出しそうに悲しみに満ちた目に、少女は何も言えなかった。
「また、動かなくなったら……」
「……動かない?」
 ――それって、“死んで”しまうかもってこと?
 言いたいことを悟るのは少女のほうが早かった。

 仰向けにされたようで、少女の顔を覗き込んでいる少年の目に溜まってる涙は、むしろ流れていないほうが不思議だ。

「………」
 起き上がると、ほっとしたように少年は泣き止んだ……いや、まだ泣いてはいなかったが。
「……あんた、誰?」
 きつい口調で問うと、少年は今度おどおどしだした。―――なんつーよわよわしさ。

「えと、うんと……君は?」
「そう、言いたくないならいいわ。こっちも言う気ないもの。」
「……そうなんだ…」
 僕の事、知らないの?
「?何?」
 少年が何かを飲み込んだような気がして、少女は聞く。
「ん〜ん。ここは、何?」
「ここは……私の…」
 なんだというのだろう。どこだというのだろう。
「君の?」
「そう。今は、私の、私の……」
 場所?居所?家?――違う。ただの、
「ただの“塔”」
「ふうん」
 起き上がった少女は、さっきまで床に倒れていた事など微塵も感じない動きで部屋を掃く。片づけをしているんだと少年が気付き、手伝おうとゴミ箱をひっくり返し、怒鳴られるのは少しあと。




「いれてーーいれてーー!」
ドンドン!
「いーれぇーてぇーー!!!」
バン!!がガン!!
「いい加減にしろ!!!」
 同じく三階で薬を調合していた少女が、くだらない叫び声に怒りをつのらせて下りてくる。
 あれから―――少年が塔の三階の窓を叩き割ってから、少年は三日置かずにやってくる。いつも滞りなく動く少女の手を、怒りに震わせるには十分だった。声がするたびに、瓶を叩き割っていた。―――もったいない。

「はぁ、ぜいぜい……」
「どうかしたの?疲れたの?」
「………」
 本気で首をかしげて心配してくるのである。少女はため息をついた。
「あんた……」
 少女が脱力した合間をぬって、少年は塔の中に入った。
「―――ちょっちょっと待ちなさい!!あん」
「ジオラス」
「は?―――リロディルっ!」
 階段の半ばで振り返って自身の名を名乗る少年。――それにつられて、少女も名を名乗りかかった。一瞬。―――真名を。
「り……でぃ?」
 よく聞こえなかったらしい少年――ジオラスは聞き返すも、少女はもう言わない。
「リーディ?」
 新しい呼び名に、少女がはっと顔を上げると、それが名だと信じたジオラスは笑った。

 数年前、リロディルク――リールが持ち、そして忘れ、今では誰も向ける事ない。向けられる事もない。
 屈託ない、含みもない。――――喜びの笑顔だった。



 いつの間にか、ジオラスがそこにいることに、まったく気を払わなくなった。
 名を知ったあの日から、週に何度かやってきては、椅子に座っている。―――それだけ、私のすることに、口を挟む事もなければ、質問をするわけでもない。ただ、ひたすらに見ている。その視線も、気にならない。
 ……いるのかいないのかわからないというわけでもないけれど。


ザーー
 外では、雨が降っている。―――あれから、一年。リーディは、十四歳。ジオラスは十三歳。

 ジオラスが来る事になってからというもの、私はなるべく昼間に塔にいることを心がけていた。だから、屋敷に行くのは決まって夜。しかも、みんなが寝静まったあとだった。―――だから、知らなかった。エアリアス家の状態も、島の異変も。それに、王都島を離れ与えられた島に行く事が多かった。一人で。
 ジオラスと会わない時、彼は来るたびに来た何かしら置いていく。それは花だったり、石だったり。あの子は私より一つ年下だって知ったのはいつだったのだろう?

 ここ最近は、特に会っていない。―――いつから、私は会いたいと思うようになったんだろう?いつから?あの時の笑顔と、ただそこにいてくれるという安心感。………ほしかった。いつまででも。
 でも、彼はこない。私も、久しぶりにここにいる。

ザ―――
 長い雨。暗い雨。うっとうしいほどの圧迫感。威圧感。息苦しい。

ガン!!バンッ!!ガンっ!
「―――ふっ!?」
 ジオラスとは違う―――とても、重い音。

 な、に―――?

バン!!
「っ………」
 怖い…

ミシッ!!
ガダーーンッ!!

「リロディル!!!どこにいる!?」
「―――ここに、います」
 震える足で、階段を下りた。雨に濡れ、床を濡らして小父が床を鳴らす。

「来い。―――お前に、エアリアス家として仕事をしてもらう。」

 それでも知っていた、“一冊の本が”もたらす事のすべては。

 こんな雨の日は、思い出す。

 会いたいよ、ラーリ様………

ザ―――――



Back   Menu   Next