故郷編 〜荒海〜


 数日間は、ほとんど誰も口をきかなかった。リールはずっと窓から波を眺めているし。俺は唯一置いてある本棚の端から本を読んでいる。――――――もう読み終わる。閉じると同時にレランが次の本を手渡す。…………並んでいる本に統一性はないのか?さっきのは植物学で、これは童話だ。それにすべて共通語だ。シャフィアラの船であることを悟られないための工夫か?

 波は穏やかだ、出向したその日からずっと。
 沈黙は続いている。レランの確信をついた質問のあとから、ずっと。
 表紙をなでながら、ゆっくり顔を上げる。―――――あきないのか、リールはずっと波を見ている。………ずっと。…………一日中。
 問い詰めてみたいことがないわけじゃない。きき訊(たず)ねたいことがないわけじゃない。

 数日は穏やかで、静かなものだった。――――――まるで最後のように。


 また日が暮れて、昇った。





きぃ――
 昼寝をしていたらしいリール(船に乗ってはじめて)が、寝室から出てくる。もう夕暮れだ、窓から中を照らす日は赤い――――

コツ、コツ、
 真横にやってきて、
こぽこぽ……
 水差しからグラスに水を移した―――

「っ!!!」
ドン!!!
 大きな音共に揺れる船。傾く船。不意をつかれてバランスを崩したリールを抱きとめると、レランが面白くなさそうに、俺を助けに来た。

「いったい――――?」
「あんのアホ共……」
 冷静に状況を分析しかかったレランの声を無視して。手の中を見下ろして、放した。

バァン!!! カッカッカッカッ……!
 すぐに起き上がって離れて行く足音。見失うことはないし、追いつくのも簡単だった。

 地図上の距離なら、シャフィアラはもう、すぐのはずだ―――――





「いったい!! 何で海路を決めているのよ!!!」
 ミシッっと、力が加わるように、リールは操縦室の扉を開け放った。
「ぅわ!!!」
 正面に、舵を取る船長(ギミック)。隣の椅子に座る第二王子フォトス。―――――さすがに、驚いたようだ。
「「……………」」
 リールの視線はフォトスの持つ書物に。――――日記?
「…………………解読するのに一年かかった。」
 視線の意味を理解したのか、フォトスがリールの視線を受けてそう言うのと、リールがその書を取り上げるのは同時だった。

 ぴっっっ!! っと、一瞬にして。

「……………さすがだな。」
 無言でその書を開き、中を見るリール。フォトスはお手上げというように船長を見た。

「「「「「………………」」」」」
 なぜか、操縦室内にいる人々に緊張が走ったのがわかった。
「ウィディア様。」
 お手上げ状態のフォトスと、緊張の走った船員の存在に気が散ったのも一瞬。船長は言った。うなずく航海士を目にしてから。
「進路の決定を。」
「…………私の言うとおりに舵が取れるとでも?」
「取れます。」
「……………。」
 迷いなくよどみなく答えられた返事に、リールは目を見張ったが、すぐに広い窓から海を見下ろした。

 日も暮れかかり、暗闇に飲まれつつある海には、いくつもの渦が行く手を阻んでいるのが見えた。不規則に渦巻く波。…………消えた。先ほどから船が左右に揺さぶられると思ったら、消えかかる渦の波の流れがひどく緩いものに変わり、かと思えば生まれ出た渦の激しい流れが押し寄せてきているからだった。

「取舵13!!」
 何かを感じたらしいリールが言う。船長がすぐに舵を切るのと、船に波が押し寄せるのは同時だった。―――――直撃は免(まぬが)れた。

 左に向けていたリールが手を下ろすと、船長は左に切っていた舵を戻した。天井につるされたランプがゆれたまま、耳障りな音を響かせる。―――――ある意味で、しずかだった。外の波の音は耳を覆いたくなるほどだったが、操縦室の中はしずかなものだ。誰も、何も言わない。
 船長は、舵を取っていない。
 船は、波に流されるままになっている。

 左右の揺れが、上下の揺れになっていったその時、突然波の音が変わった。

 荒れ狂う乱雑な波の音は、一つの流れの音となった。――――それもそのはず、これまでのゆうに三倍はありそうな巨大な渦。暗くなりほとんどを闇に飲まれた海の中で、それでも姿を現し見せる渦。……………船は向かう。渦の中心へ。

「――――っっ船長!!」
 波に流されていることは明らかだ。一人があわてて声を上げる。―――今なら、まだ、間に合う!! ………この渦を抜け出すには………どうすれば?
 絶望的な目を向ける船員―――――だが。
 あせり、あわてる視線を受けながら、目の前を見る。舵のある場所から少し降りた、窓の正面。ウィディア様は立っている。…………何も、言わない。

「距離、300!!」
大渦との距離をはじき出したボーダが言う。船長(ギミック)は、右に、左に揺れる舵を、取ろうとはしなかった。

「「「「船長!!!!」」」」
 渦が近づくにつれ、船員の悲鳴めいた言葉が部屋を満たす。あるのは、ただ、恐れ。恐ろしさ。

「距離、200っ!」
 振り返った航海士と、船長は目配せしてうなずいた。
 確実に距離が縮まる。渦の音がひどく耳を痛めつける。波の音が遠ざかり、水の流れが激しさを増す。

「距離!! 150っっっ」
 近づいてくる、渦。右から左に、左から右に。小さな渦は大きな渦に飲まれ消えていく。
 渦の中に渦が消えていく光景。
 暗闇と、轟音(ごうおん)と波が襲い繰る。近づいてくる――――渦。

「距離! 100!!!」
 暗く黒く深く。飲み込もうと手を伸ばされている。
 中心まで流れていった水が、海のそこに落ちた。

 リールはずっと渦を見ていた。近づいてくる暗く深く激しい渦を―――――次の瞬間!!!

「面舵一杯!!!! ―――っ全員何かにつかまって!!」
 リールの腕が水平に上がったのを見たまでは、よかった。次に襲ってきたガクンという揺れ。浮遊感に襲われて、船の速さが変わった。
 今にも巻き込まれそうだった渦を避け、いや、その渦の横を通り過ぎ、次の渦と渦の間をぬける。速い流れに押されて、流されて、船は海路をただ進む。

 渦の一番外を流れて、通って。左右の流れがぶつかり合うところを通って。
 まるで、壁に押し付けられるようだ。風が立ち上がるのを邪魔する。状態を起こすことが困難で、立ち上がることも、歩くこともできない。
 船の速度は上がったようだ。まるで止まることを忘れてしまったかのように。

 動くこともできず、そのまま一晩中すごした―――――






ふわ!
「!!!」
 眠っていた体を、地に足がついているかを確認させるぐらい。
 沈んでいた思考が、現実を思い出すぐらい。
 強烈な浮遊感と共に、眠りから覚めた。

ざわざわぁ
 見れば、周りも同様だったらしい。

「小船を一隻下ろして、すぐに!!」
 覚醒し始めた船員とは裏腹に、リールはすぐに行動を起こした。呆然としている船員にそういうと、操縦室をあとにしようと振り返った。
「ウィディア様?」
 船長があわてて声を上げた。――――何を? ――――と―――

カッッッ!!!
 靴の音が一際大きく響いた。――――――轟音に潰された耳が痛い。

 …………一呼吸。息を吸って吐いてから。振り返りながらリールは言った。
「私に港から島に入れと?」
――――それも、シャフィアラで二番目に大きな港から?
「……………。」
 何か思い出したように、いや、知っていたがあえて気づかないふりをしていたものが、一瞬にしてやってきたようだった。
「ウィディア様。」
―――――おやめください。
―――――何を?
「………………。」
 会話するように目を合わせていたリールと船長(ギミック)。
 残すことも物も何もないと、リールは目をそらし振り返った。離れていく足音と、立ち上がる船員。―――――それぞれがそれぞれの感情を伴(ともな)って、船長に向ける目に期待がこもる。――――懇願(こんがん)?

 ゆっくりと声が上がった。小さく―――――大きく。少数――――多くが。
 強くなる声を制して、小型の帆走船を下ろすように命令されると、皆リールが開け放った扉の先を見た。――――まるで、その先にいる人(リール)を見るように。




 足元で、突然船が揺れたときに落ちて割れたグラスの破片が鳴(な)く。―――――靴と、床が傷つく―――…………知ってる。寝室においてあった少ない荷物をまとめ、顔を上げた。

「この船に用はない。」
「利用するだけ利用した?」
 見上げた先のカイルとレランを見た。―――――そういえば、久しぶりに二人と向き合った気がする。いても、目の前にいても、まるで自分がいないみたいだったから。……………自分がいないのに、人がいるはずもないから。
「…………っ。」
 口を開いて、閉じた。
 まだ。今。ヤダ。だから。だって。なんで。いまが。これから。今だからこそ―――――

「この船を降りるわ。」
「そうか。」
 それだけ言って、カイルも寝室に入った。
「今度は逃げないのか。」
「逃げるにはまだ早い。」

「王子、何か持っていくものはありますか。」
 隣の寝室の荷物をまとめたらしいレランが来た。
「ああ。あの本。」
 読みかけの本。リールを抱きとめた時に、机の上に置いた本。………この船の本では? しかもたしか、童話ではなかったか?
「……………」
 レランは本をとった。
「ついでだしあと二、三冊持ってけば?」
「そうしろ。」
「………どれにしますか。」
「何がある………」
「いいじゃん適当で。」
「誰が読むと思ってるんだ。」
「あんた。」
「何か読みたい物でも。」
「ないな。」
「なんで読んでんの?」
「暇つぶしだ。」
「他のことでもよいのでは。」
「お前で遊ぶ以外他に何をしろと?」
「そうね。」
「……………」
 ばさばさと、乱雑にレランは本を荷物に詰め込んだ。

 ほら、どうせ運ぶのレランだし。






 嘘のように穏やかな海に下ろされた帆走船。船べりから縄のはしごを下ろした。
「ウィディア様。」
「なに。」
「これを。」
 渡されたのはシャフィアラの服だ。普段からよく着られる、動きやすさを考えた服。―――――確かに、あっちの服ではシャフィアラでは浮く――――
「ずいぶんと――――」
 用意がいいとは、もう言わなかった。
「三日分の食料と、毛布を。」
――――あの船の中に。
……………何から何まで。

「私たちがしてもらったことに返せることなど、これぐらいでしょう。そして、今このときしかないでしょう。」
「……」
 見渡せば、また私を見る目が崇拝に変わっていた。――――また。
「………………っ。」
 何を言おうか、考えてしまった。浮かんだ言葉を飲み込んでしまったから。
「――――――ありがとう。」
 考える必要はないと思った。浮かんだ言葉を口にする時には。

 もう一度、端から端へ視線を移す。―――――そこにいる人々を見た後、下の船までおろされた縄ばしごを降りた。


 当然のごとくついてきたおまけ(フォトス)。だけど、こいつに邪魔されるはずはなかった。――――だから、ほおって置いた。



 日が昇ろうとしている。早くしなければ。地平線が白くなっていくのを眺めながら、リールは帆を整えて、風をひろった。―――――幸いにも、他の船の陰は見えない。いや、人がいないのだ。
 人が、いない――――――


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