聖魔獣 〜誓い〜


『お父さん! お帰りなさい!』
『ただいま、リール。いい子にしていたかい?』
『うん!』
『あら? 今日お洗濯物をひっくり返してしまったのは誰だったかしら?』
『ぅっ……それはないしょなのぉ〜〜……ぁあ〜ん!』
『泣かないの、リール』
『そうだぞ〜怒らないから』
『……本当?』
 きょとんと、リールは問い返した。
『本当よ』
『本当だ』
『わ〜い!』
『まってリール! 食卓の近くを走らないの! 手を洗ってらっしゃい!』
『は〜い!』
 本当に、その日の夜も。前日の夜だったのに、両親は普段と同じだった。むしろ、普段より甘いくらいだった。
 それを、子ども(あの時)の私が察するのは、無理だったと思う。

 例え次の日が、私の十歳の誕生日だったとしても。


『おはようごっ』
『おはよう、リール』
 誕生日の日は、昨日とは打って変わって朝からおかしかった。
 リクエラおばさんがいた。ザインのお母さん。
 おばさんの目は嫌いだった、まるで、私達親子を憎んでいるように見つめる目。私のことを排除しようとする目。どれもこれもが。
『おはよう、ございます』
 挨拶も、当然だというように流れる。
『今日は、リクエラお姉さんと一緒に当主様の所に行くのよ』
『やだ! お母さんと一緒がいい!』
 おばさんの私を見る目が、引きつった。
『それは――駄目よ』
『なんで! ならお父さんは?』
『それも駄目。決まりね。さぁ朝食にしましょう』
『ヤダ!』
 でも湯気を立てている熱々料理には、勝てなかった。


『お父さん、お母さん、行っちゃうの?』
 一足先に、両親は行く所があるらしい。
『リール、十歳の誕生日おめでとう』
『……?』
 その時まで、自分の誕生日だって気がつかなかった。
『おねがいよ、これからは、……当主様の言う事を聞くのよ』
『お母さん?』
『例え、それがいかに理不尽でも』
『……?』
 子どもながらに、逆らえない物があった。
『約束して、何があっても、当主様に言われた事を守る。と』
『でも……』
『お父さんの教えでもない、』
『お母さんでもない。当主様よ』
 正直、あの頃から今でも、小父上は大っ嫌い。
『お母さん? お父さん?』
『約束よ』
『……はい』
『『生きて、リール』』
 母に抱かれて、父に頭を撫(な)でられて。――そして、それが最後。

 おばさんに連れられて、エアリアス家の屋敷に足を踏み入れた。
 長い長い廊下。あの頃はとても長い廊下に感じただけ。を進んで、当主の部屋。

 ここは怖かった。暗くてどろどろした物が流れているから。

 窓を背にして立つ小父上の表情は見えない。薄暗い部屋。

『――ひっ』
 喉から出たのは悲鳴だった。

『今から、泣く事も叫ぶこともしてはならない、許さない。ただ目を開けて前を見ていろ――』

『―――ぇ?』
 十歳になったら当主様から始めての仕事を頼まれるんだって知っていた。でもそれは子供のお使いとか、そういうものだと思ってた。

 でも、現実は残酷だった。
 まさか、十歳になった子どもがこれからエアリアス家の都合よく人を殺す事ができるか、都合よく扱えるか図る、テストだったなんて――


 次に、おばさんに連れてかれたのは広場だった。いつもはない台が取り付けられていて、その前に人が集まっていた。堂々と人ごみをぬって進み、最前列。
 どこか恐ろしさを感じる祭壇の目の前に立たされた。

 ――胸騒ぎがする。とてもとても嫌な感じ。

 今すぐこの場から、立ち去れない。


 やがて、正午になった。

 広場のざわめきは、一瞬にして高い楽器の音にかき消される。
 王の登場。
 人々は声を張り上げた。

 王も、挨拶をした。
 何を言っていたのか記憶にはない。

 ただ祭壇に上がってきた二つの影に視線を奪われた。

『第一王女ミーレーン、ならびに第二王女ファニールを殺した罪状として、エアリアス・ルフォールならびにフィーレアを処刑する』

 『どうして』と、叫ぶことは許されなかった。声をあげることも、できなかった。
 一瞬だけ、こちらを見た両親の目が笑って、いたから。

 いつものように、私を見て喜ぶように。

 台の上に立ち、両親は膝をつくように強制される。朝、普通の格好をしていたのに、髪は乱れているし。何より、後ろ手にまとめられた枷が重苦しい。
 間を挟むように一人に、二振りの剣。

 それからは、一瞬のできごとだった。

 時が止まればいいと思った。何もかも捨てて走りよって、私も一緒にとも言えなかった。
 静かに、言葉をつむいだ両親の口、訴える目。

 “生きて”――

ごとんっ!
 目の前に、物言わぬ首が落ちてきたときですら、言葉を忘れてしまったように黙っていた。

 高く、歓声が上がった。
 『二人の王女に死を送った者に死を!』

 台から落ちた首も、残った体も、無造作に拾われてずた袋に放り込まれる。

 そして、広場は何事もない静寂に包まれた。

 心配そうに、ザインはうつむいていたリールの顔を覗き込んだ。

 その瞬間、少女は走り出した。


 息を切らせて、走っていた。死体を乗せた馬車を追って。
 例え声を出せなくても、泣けなくても、追うことはいいでしょう?

 罪人の死体は、海に捨てられる。
 一生、漂い続けろと。

 だから、走った。――間に合わなかった。



 波が打ち寄せては帰ってゆく。
 人の血を吸ってなお青い海。

 ねぇ、お父さん、お母さん。
 どこへ、行ってしまったの?

 立ち止まれなかった。だから、海に入った。



ざーん、ざざーん
『……?』
 波の音で目覚めた。
『……わたし……』
 その声は、ようやく発せられたせいかかすれていた。

 死ななかったの?

 どうして、死んではいけないの?

 ここがどこだかわからなかったけれど、走った。

 海が駄目なら、森で――

 そして、少女の姿が消えた。



どくん、ドクン、ドクン……

『……?』
 次に気がついた時は、回りは、一面の海だった。
 赤い、海。
 それが自分の血で、雨の降り出した中、視界が悪く崖から落ちたことを思い出した。

 ぼんやりと、視界がかすんでいる。
 それは雨のせいか、血を失って危機にある身体のせいか。

 目の前には、赤。

 わたし、死ぬのかな?

 かすむ視界に、自分の手が真っ赤にぬれているのが見えた。

 そうか、わたしの手はもう、真っ赤なんだ。

 ……痛いよぅ。
 お父さんと、お母さんも、痛かったのかな?

 両親の首が飛んだとき、転がった時に広がった血。

 どうして、殺されてしまったの? どうして、殺されなければならなかったの?

 叩きつける雨が、手のひらの血を洗い流した。

 ――許さない。

 絶対に、許さない。絶対に。絶対に絶対に絶対に絶対に――

『――力が、ほしいか?』
 ふっと、視線を上げた先に見えたものは、幻でもおかしくなかった。
 大きな、獣――?

 ち、から?
 ほし、い――

 あの当主を殺して、あの家を滅ぼすだけの力が。

『お主に、力を与えよう。その代わり、』
 なんでもいい。力が手に入るなら。
『時がきたら、我の手足と成って働け――』

 その少女は死にそうなほど怪我を負っているのに、その心は死にそうになかった。
 だから、興味がわいた。
 強い心の誓いに、引かれたのかもしれない。


 そして、少女は生き延びて、獣は死んだ。


 行かないで! 置いて行かないで!! 一人にしないで!
 お母さん! お父さん! ラーリ様!

 死なないで!

 絶対に許さない、絶対に絶対に!!

 殺してやる――


「「リール!」」


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