― 約束を分け合う ―

 思いがけず目が覚めて、カーテンの外から入ってくる光の弱さを感じるより先に――先に、目覚めたという事実に驚いた。
 まだ、隣に、いる。
 目覚めたときにはいないのが普通なのだから。珍しすぎる。
 閉じられた金の瞳を見送って、しばらく考える。
 余りに迷うことなく目覚めたおかげか、ついさっきまで見ていた夢も思い出せない。
 少し、だけ身を寄せる。
 身じろぎした一瞬に、目覚めたのかと焦り――杞憂に終わる。
 まだ寝ている。いっそ、珍しいくらいだ。
 ゆっくりと、はっきりと、思い出してきた。
 目覚めた、理由――


 重苦しい頭をはっきりさせるために目覚めさせて、まだ眠いとうつろな体を叱咤する。
 こんなに眠いのは、久しぶりだ。
 と、先ほどから絡んでいた腕に目を向ける。――近い。
 いつの間に引き寄せたのか、無意識か、意図的にか。
 答えは決まっている。
 髪の中に手を差し入れて額に唇を落として、異変に気がついた。
「起きているのか?」
 目を開いて、楽しそうに、笑った。
「おい」
 にらみつけた視線に気がついたのか、謝ろうと口を開いたのかと思えば、さらに笑い始める。
「〜〜」
 それはそれは楽しそうに笑うので――その口を塞いだ。


 ひっそりと、輝く廊下をひとり歩く。しばらくすればここも、人々が通り過ぎて活気づくのだろうが、それはまだ、先のこと。
 本来であれば、この場をひとりで歩いてくる時点で問題があるのだが――それはまた、戻ってからでいい。
 疲れの見える護衛の兵士を見送って、まだ先。
 目的の場所に常にいるはずの主が――いなかった。
「………」
 数年前であれば、このまま部屋の中に迷わず進み、起床を促すのだが、今では、そういうわけにもいかない。
 なんといっても、その眠りを妨げるのを嫌って、主は自主的に寝室の外にいるのだから。
 そういえば、こんな風にこの寝室の前に立たされるのも、久しぶりだ。
 あの時、無惨に容赦なく徹底的に破壊され引き裂かれ粉々に砕け散った形あるものはすべて、あの小娘の指示の元主の趣味で埋め尽くされた部屋に変わっている。
 まぁそんな内装に興味はない。いくらなんでも間違ってもあの二人の部屋に桃色のカーテンはないだろうとは思うくらいで。
 さて、そろそろ動かないと一日の予定に支障がでる。
 あの主は静かに気を使っているが、あの小娘はそれが理由で起こされても気にもとめないだろう。
 ただ、主が不機嫌になるだけで――
 はぁと、レランは一度息をついてから扉をノックした。


 控えめで、それでいてはっきりとした音に邪魔をされる。
「……」
「お呼びよ」
 冷ややかに睨んだ先、静かに答える声。――知っている。
 だからこそ――
 と、起きあがってくるその身に驚いた。
「どうした」
「別に」
 なぜより先に、二度目の音。
 いらだちよりもまず――
「呼んでるわよ」
 まるで何事もなかったかのように、羽織を着て髪をかき上げている。
「ああ」
 それはそうだが。
 と、何を思ったのかてくてくと扉に向かって歩き始める。
 引き留めようと伸ばした手の先で、扉が開いた。

 続きの間、廊下が静かなだけに、かすかな物音が聞こえてくる。
 たぶん。近くにと思ったところで、扉が開いた。目を向けるとそこにいたのは小娘で、一瞬にして主が扉を閉じて、沈黙する。
「………」
 何も見なかった。
 と、それはもう不機嫌に、だが何事もないと言いたげに主が部屋を出てきた。
「いくぞ」
「はい」
 残されたのは、小娘にひとりか。


 がしっと肩をつかまれて何か注意された。通り抜けた。
 ん、と背筋を伸ばして、窓の外を見る。
 安住の森、エルディスは、その名に恥じることなく緑をたたえている。
 思い出した。
 今日で、一年だと。
「ラーリ様」
 それが、目覚めた理由――



「隊長!」
「でべぎゃ!?」
「何をしているんですか! こんなところで! あーもう王子様はすでに朝の視察にいってしまったんですよ!!」
 木の上で寝ていたセイジュは容赦なく地面に叩きつけられたあげく部下に説教を食らっていた。
「だーいーじゃんかよ。だいたい、俺がいないことが正常で、俺がいたらきっと何かよくないことが起きるぜ?」
「疫病を運ばないで下さい。迷惑ですから」
「そう。だから俺はここぞとばかりに力の温存を――」
「そんなことはどうでもいいんです! 王子様がいないからって呼び出されたんですから!」
「呼び出し? 王子妃がらみか?」
「はい」
 ひぃっと青ざめたセイジュの言葉に、副隊長はさくっと答えた。
「いーやーだぁーー!! 王子妃の呪いが!?」
「いっそ呪われてきて下さい!」


「ぁあセイジュ様。お待ちしてましたわ。こんな時にしか役に立たないんですからさっさと来て下さいまし」
「あのさ、なんかどこかで聞いたことのあるような言葉なんだけど気のせいかな」
「城内の侍女の心の声です」
「満場一致!?」
「はい。さぁそんなことよりも、こっちですわ!」
 さらさらと砂になりかけていたセイジュは容赦なく引っ張られた。

 サクサクと侍女が進む先から――甘い香りが漂ってくる。
「甘いぞ」
 なんだいったいと、セイジュが言う。
「ぇえ、甘いんです」
「王子妃がらみだろう?」
「そうです」
「じゃぁなんであま――」
 ふんわりと、甘い香りが漂っている。それは、そこにいる人影の存在の大きさを考えなければ、問題なかったのかもしれない。
「……」
 あんぐりと、口を開けてセイジュは固まった。



「おーじ! おーじぃぃ!?」
 素っ頓狂な声を上げて走ってくる影が邪魔だなと判断して、視線を送る。隣でしずかに視線を受けたレランが剣を引き抜く。
 がきーんと、耳障りな音が響いた。
「ぉおおぉおじ?」
 無視して、すたすたと進んだ。
「たぁすけてくださーい!」
「ん?」
 聞こえない。
「おーじ! おうじ! 大変なんですよ!」
「お前の命が風前の灯火だからか?」
「それです!」
「問題ないだろう」
「あります!」
「いったい、どこがどのくらい問題なんだ?」
 ぎりぎりと剣の刃を両手で受けながら、セイジュがうめく。
「大変です!」
「だから何がだ」


 意味もわからず騒いでいるのかと思えば、違ったらしい。様子がおかしいと自分で思っていただけに、反応は早かった。
「リール?」
 あわてて指し示された場所に近づくたびに、甘い香りが漂ってきた。


「……」
 部屋の前で侍女達と兵士が困っていた。いや、だからなんだその目は。
 聞けば、朝から調理場の一角に現れたかと思えば、調理場のひとつを陣取って居座っているらしい。
 しかも漂う香りが、これだ。
「甘いな」
 俗に言う焼き菓子か。
「王子妃様が!」
 なんなのだろう。これならまだ大釜の前で毒物を煮込んでいた方が誰も慌てふためいたりしないだろう。
「……つまり?」
 つまり何をしているんだ。

「リール?」
「ん?」
 さっくりと部屋の中に入れば、広い調理台の上に並べられた、焼き菓子。
 バターたっぷりで、木の実と干した果物が入った物が多い。
「……これは?」
「約束だったから」
 また、作って持って行くと。
 これでもかというほど木の実とお酒につけた果実を入れたのが好きだったから。そしてなぜかお酒に弱くて、一緒につけたお酒を入れると顔をしかめて、食べるの。
 いちど、体に良さそうじゃないかと思って、薬草を混ぜたクッキーを持って行った。
 最初は気にかけず食べていて、隣のかごに入れて、丁度次に手に取りやすいように確信犯のごとく置いておけば、案の定手にとって口に入れ、次の瞬間に盛大に吹き出した。
 そして全部シーンに押しつけたのだ。あの王は。
 約束はいつも、果たされないまま。
 だけどあの時の取引は、持続している。
 生かされたのだ。誰より、何より、次につなげるものとして。
 生きていてほしかったのに、殺す手伝いをしていた。どこかで、気がついていた。だけどそれは、止められなかった。
 約束というには重すぎて、約束は果たされずに。
「ラーリ様、甘いもの好きよ」
 時折、あきらめの混じった空気を漂わせてシーンが買いにくるんだ。
 はじめて、おやつと称して持って行ったあの日、また作ってといわれて、うれしかった。
「もう一年か」
 言葉に、頷いた。彼らもまた、その体を得るのだろう。次代の、王として。
 と、勝手に席について食べ始める。その姿。さりげなく薬草入りを押し進めた。それは手に取るまでは成功したが、なにか不穏な空気を感じたのかその口に入って味わうよりもまず睨まれた。
 さらに、押し進める。かごごと渡すと、心底嫌そうな顔をした。
「残さないでよ」
「――そうだな」
 それから、作りすぎたお菓子は城中に振り分けられた。そうやって分けるとそう数もない。ラーリ様にも不評だった薬草入りクッキーもなくなっていて、誰が犠牲になったのか考えるまでもなかった。



2010.09.20
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