変化 〜日常を作り出す〜

 騒がしい毎日から一変したような、余計騒がしくなったようなよくわからない数日間。

 ふっと目が覚めた。横向きで眠る自分の目に、一番に映ったのは――
「でっ!?」
 目の前をちらつく青銀の髪を引っ張った。
「放せ」
 さすがに、痛いらしい。
 手を離すと、真横に横向きにひじを立てている。少しだけ頭が上にあるので、楽しそうにこちらを見下ろしている。
「……何してんの」
 目が覚めて、隣に誰もいないことがいつもの事である。
「他に言う事はないのか?」
 見るからにがっかりしたカイル。
「ないわね」
 即答すると、がくっと頭を落とした。じゃまねーとぼんやり思っていると、突然動いた。
 ほとんどのしかかるように、上にかぶさってくる。さっきより距離が近くて、首筋に息がかかった。
「――重い」
「あのなぁ」
 頭が首に落ちて、さっきまで息がかかっていた首に髪がさらりと流れていく。
「わかったわよ」
 首を持ち上げるように両手でほおをつかんで視線をあわせる。すべるように手を動かして、そのまま首のうしろに回した。
 引き寄せたのが先か――引き寄せられたのが先か――もうどうでもいい。


 いまだに部屋の中でぬかるみのような時間をすごしている二人がいる中、また別の場所ではレランが朝から指示を飛ばしていた。
「ヴェリー!」
「はい」
「朝の予定だが」
 黒いマントを翻して、レランがさっそうと歩き去る。名を呼ばれた服隊長は、間をあけず返事をする。朝一でこの二人が会話する姿は、ほぼ毎日のように見られる姿だ。
「隊長!」
「なんだ」
「こちらの……」
 そこに兵士が飛び込んでくるのも、
「レラン様!」
「どうした」
「書類の事なのですが……」
 朝からはじまる王子の書類の準備の相手と……
「レラン様!!?」
「なんだ」
「王子妃様なのですが……」
「私に聞くのか?」
 時折、なぜか侍女がやってくる。それは本当に王子妃のことで必要なのか、それともレランに近づきたいのか、真意にレランが気がつくことはない。
 だけど、きっと彼女は話しかける内容を選び間違えている。しかし、そのレランの声がいらだちを含んでいても、気がつくものはそうそういない。
 その隣でいらだちを感じ取った副隊長が苦笑していた。
 侍女の言葉にいくつか返して、レランは歩き出した。話が中断してしまったヴェリーと共に兵士の訓練所に向かう。
「……隊長?」
 と、ヴェリーが立ち止まる。彼は、自分の隊の隊長の進む場所をさっして疑問を抱いた。
「なんだ」
 レランは、立ち止まって振り返った。
「本日は、王子の起床の迎えには」
 ひやりと、温度が下がったような気がする。
「……隊長?」
 ヴェリーのほほを、冷や汗が流れた。


「で、あんた。何してんの?」
「ぁあ忘れていた」
 乱れた息を少しだけ整えて、また聞く。本題をすっぱりと放置していたカイルは頭を上げた。さっぱり忘れやがって……リールは少しだけほほを引きつらせた。
 それを知ってか――知らずか。カイルはとても楽しそうに、嬉しそうな顔をして言う。
「しばらく朝の見回りを短縮――もしくは代理で済ませることにした」
「かわいそうね。そのせいで迷惑をこうむった彼らが」
 一気に言い切ると、冷ややかな視線を感じる。少しだけ嫌な予感に視線を合わせると、耳に噛み付かれるように囁かれる。
「……誰のことだ?」
「ふっ」
 まるで抗議と抵抗を奪うかのようにカイルの手が動き回る。足が動いたのは、反射的だった。
ドスッ
「がっ」
 しばらく、寝台に寝転んだままの二人の影は動かなかった。


「王子か」
「は、はい」
 低すぎる声に、しかし、質問した手前ヴェリーは答えた。
「それなら一人行かせている。働くのに丁度いいだろうな」

 その言葉通り、王子のもとに行かされたサボり魔は……

「……」
「セイジュ様? どうされたのですか、ばかみたいにつったって」
 王子様、王子妃様の部屋の前に。
「いや、レランに王子を起こしに行くように脅されたんだが……」
「ですが?」
「王子は、朝の見回りをオークルに行かせているんだろう?」
 立派な身代わりを立てて、ここぞとばかりに妃と共にいる。表向きに見れば、ほほえましいかもしれないが。
「邪魔したら殺される……」
「でも起こさないと職間怠慢ですね」
「……あのさ、君は俺の味方じゃないの?」
「私は通りすがりの侍女ですわ。嫌ですわ、勘違いなさらないでください」
 輝かしい笑顔で、侍女は部屋の前を通り過ぎて去っていく。セイジュは、中途半端に手を上げたまま固まった。
(誰か助けろーー)
 残念ながら、味方はまず作らなければならなかった。


 羽ばたく鳥を捕まえるのは大変だと、最近強く感じる。
 いつかまた飛ぶ事を邪魔したくないから、その羽を傷つけたくない。だが籠に捕らえようとする自分の手が、傷を作るのだ。
 閉じ込めたい――傷つけたくない――
「ちょっ」
 いつまで触れ合っていても、あきない。いつまででもと、望む。いつでも。
 だが“名”に縛られ、依存し、利用して生きているうちはそうは行かない。この地位に産まれて困ることも嫌な事もあれど、生きながらえさせてくれたのだから。
 生きる事を続けさせてくれる。存在しているだけで死ぬという事はない。
「リール」
 だが、安穏に生きる日々に意味を生み出すとすれば、それはきっと。
「リール」
「何?」
 うっとうしそうに見上げてくる顔、額にかかる髪を払った。


 なんど、呼ばれたのだろう。今まで。なんども、何度も。何回も。そう呼ばれることを欲した。願った。
 私を意味する名がいくつあっても、私が私と認める名は決まっている。
(そんなに呼ばなくても、目の前にいるでしょう)
 はぁとため息をついた。いったい、何度繰り返されるのだろう。これから。何回、繰り返せるのだろう。
 意味がないことなどない。それに意味を持たせられるかどうか、それを意味あることに変えられるか。
 意味がなくても、いい。
 ただこの場にあることを感じ取れるから。
 呼び声に答えて、そして呼ぼう。
「カ、」

コンコンコン

 名を呼ぼうと口を開いた瞬間に挟まる音。一変して、変わる表情。機嫌。そんなに呼ばれることを期待していたのかとあきれた。
「――誰だ」
 邪魔するなと聞こえる。
「ぁ〜王子?」
 えらくやる気のないと思えば、やる気のない奴かと思い直す。
「あまり邪魔したくないのですが……自分の身が危ないので。ただそろそろ時間だと、思いますが」
 確かに、のんびりしすぎだ。私は別に普通より遅くなったくらいだが、これまでのカイルを考えたら信じられないくらい遅刻している。
「気のせいだ」
「まじっすかー」
 やる気のない声が、天を仰いでいるように思う。もぞもぞと動き出すと、抑えられた。
「何をしている」
「おなかすいた」
「……」
「いや、関係ないし」
 あれは。びしっと、扉の先を指す。
「そうだな」
 はぁとため息をついて、カイルが起き上がった。

「おーじぃ〜?」
「なんだ」
「どべぅっ!?」
 こそっと名を呼んだ瞬間、バンと扉が開かれて飛びのいた。
「……何を逃げる」
 ゆらりと、視線だけ動かして自分を睨むその姿。。
「生命本能です」
 いやぁ〜危なかったな〜……いや、危機は去ってないのか?

「正しい反応じゃない」
「リール、お前はまた……」
 薄着で部屋を出て行くリール。向かう先はわかる、が。
「もう少し着て行け」
 あわててマントをかけた。まだ着るのかとリールの顔が嫌そうに歪む。
「どうせ脱ぐんだけど」
 お風呂行くから。
「お前、もう少し考えろ」
「誰もいないでしょうに」
「誰にも会わないと思っているのか」
 この広い城の廊下で。
「なんか、いろいろよね」
 まぁそうだろうな。だが、だいたい会うな。というよりも、
「だいたい侍女がいるだろう、呼んで」
「邪魔だから、やだ」
「そういう問題じゃない」
「あーうるさい」
 無視して、リールはさくさくと進みはじめた。
「ぉいっ」
 あとから付いていくと、俺もっすかね〜という苦笑した声が聞こえた。


「リールぅぅぅーーー!」
 来た、といううめきを残して、リールが足早に角を曲がってその姿を消す。
「リール!?」
 ばたばたと廊下を走ってきた王妃は、息荒く息子につめよった。
「さぁ」
 さっきまで隣にいたことも忘れて、カイルはそ知らぬふりをする。
「エルカベイル! あなた朝も遅いし! まったくもう、リールにはやってもらう事が山ほどあるのよ!! ほどほどにして頂戴!」
「そうですね」
 おそらく、どちらかを選ぶとすれば答えは決まっていると思うが。
「まったく!」
 憤慨して、王妃はまた歩き去る。その姿完全に見えなくなってからカイルはリールのあとを追った。


「やぁやぁやぁリーディール!! さっそくだが産まれるのは男の子かそれとも女の子か? それによって産着もずいぶん変わってくるのだが。もちろんリーディール、お前のことだ、わかっているだろう」
「わかるか!」
 湯浴みを済ませて遅い朝食を取り終わり、お茶を飲み干していたリールはバンとカップをテーブルに叩きつけた。
「おやおやリーディール、気性を荒げるのはやめなさい。妊婦に必要なのは、おだやかな〜な心優しい気持ちで……お主には欠片しかないものだったか。無理を言っているのは百も承知だが」
「うるさい」
 はぁと、リールはため息をついた。
「リール! ここにいたのね!!」
 さらに、その部屋に王妃がやってきた。がくっと、リールはテーブルに頭を落とした。
 その隙に、カイルは部屋を抜け出して執務に向かった。



 その知らせは、しずかに、風のように、広まっていった。誰もが口にする祝福と、暖かい言葉。
 ただ静かに、穏やかな時と、暖かさを。


「それで、こちらに逃げてらしたのですか?」
「だって、やってられないでしょう。やれ採寸だ、瞑想だ、食事だ、刺繍だなんて」
 言葉のわりに幼い声に、投げやりな声が言葉を返す。芝の上に投げ出された足が、彼女の姿勢がとても安らぐものだと知っている。
 おそらく、誰も咎めはしないだろう。
 一定の距離をあけていた彼は、ようやく、そっと近づいてきた。まるで壊れ物を扱うかのように、先ほどから距離をとったままだったので、根気強く説得した。
「こちらにいらっしゃるのは久しぶりだと、伺ってますが」
「タキストに」
「はい、でもなぜか彼はあなたがくると言ってから消えてしまったのですが」
「……まぁいいわ」
 何を思ったのか、リールはそれ以上言わなかった。彼もまた、王のお付であるのだ。そこら辺はしっかりしているのだろうし。
「燻り出すわ」
「……お手柔らかにお願いします」
 彼が逃げたのは、きっとこの方のこういう所なのかなとループは考える。

2009.03.21
Back   Menu   Next