変化 〜誕生〜

 ずいぶん前から、同じ影が廊下をうろうろと行ったり来たりしている。
 それとすれ違った人たちは、ほほえましげにそれを眺めつつ静かにすれ違う。
 彼の目に、彼らは映らないから。
 そして壁を背に立ち尽くす影のひとつは、先ほどから一歩も動いていない。
 もうひとつの影は、こそっと逃げ出そうとした時に睨まれて動きを止めた――その格好のままだった。
 光景が怪しすぎる……

「なにをしている、落ち着きのない」
 そこに、もう二つの人影。
「……父上」
「うっとうしいからおとなしくしていろ」
 これが、二十数年前に自分が言われた言葉だと、カルバート王が言うはずもない。
 しぶしぶと言った感じで準備されていた椅子にカイルが座る。
 本当なら違う部屋で待っていればいいものの――ここの家系は廊下で待つことばかりだ。
 陛下もあまり変わらなかったでしょうと、国王の後ろにいる護衛は言葉を飲み込んだ。
「しかし、長いな」
 静かに、父と子が大きな扉に視線を向ける。扉で閉ざされてから、はなれた時間がとても長い。
「……」
「陛下、あまり不安をあおるようなことを申し上げては……」
 さすがに、リヴァロが声をあげた。

 そして、凍りつくような沈黙は唐突に破られた。

「王子様!」
 扉が開くと同時にカイルは部屋の中に入った。廊下に出てきた医師の一人が、あるべき姿が見当たらず目を白黒させていた。
 そんな様子を、国王とその護衛がほほえましく見守っていた。
 そして、
「どこに行く?」
「いや、俺の仕事はもう終わったはず……」
 首根っこをつかまれた大きな大人は、冷や汗をかいていた。

「リール!?」
 静かにとたしなめる侍女の姿も目に入らず、カイルはただ直進した。二つ扉を潜って、その先。白い寝台に横たわる影と、その隣に――
 騒がしいと、目を閉じていたリールが目をあける。それでも、迷惑そうではなかった。
 だるそうに手を伸ばして、目の前にいるカイルを引き寄せるリール。その後ろから、「王子様ですよ」と伝える侍女の言葉は、二人には聞こえていない。
 引き寄せたカイルの耳元に、リールが何かささやいた。
 そしてリールから離れたカイルは、盛大に不機嫌そうな顔をしつつも、さっと身を翻して部屋を出て行った。

「男か」
「はい陛下!」
 興奮の冷め切らない侍女の話を聞いて、静かに国王は返事を返した。どこか、安堵していた。
 どちらでもよいと、思っているが。心無いものに非難される姿は見たくない。
 ――まぁ、おとなしく非難されるような娘ではないが。
「おめでとうございます」
 うれしく思ったのが伝わっているのだろう。リヴァロの声もいつもより明るい。
 と、なぜか扉が開いた。
「どうした?」
 出てきたカイルはなぜか不機嫌で、視線をめぐらせて国王とその護衛の後ろで剣を振り下ろそうとしている影と、その剣を必死で素手の両手で受け止めている影に目を向けた。
「レラン」
「はい」
 彼は、何事もなかったかのように剣を背に戻して主の言葉に答えた。
「ちょっとこい」
「はい」
 二度目の返事は、かすかに疑問が飛んでいた。そして、主のそれはもう不機嫌そうな顔と口調に、よからぬものを感じ取っていた。
「リーーールーーぅぅぅうう!!?」
 と、廊下の端からこちらまで届く声が聞こえてきた。数日前から城を空けていた王妃は、知らせを聞いて飛んで帰ってきたのだろう。
 ちっと舌打ちして、カイルはレランを部屋の中に押し込んで母親を迎えた。
「カイル!? リールは!!?」
「少し疲れているので休ませています。母上はその怒声と勢いを落ち着けてから会ってください」
 そう言って、あっさりと扉を閉じた。
 鼻先で扉を閉じられた王妃は、自分の夫に向かって行き当り散らした。
 なぜか、その被害をセイジュがこうむっていた。


「王子?」
 廊下に続く扉が閉じられ、部屋の中にいるレランは珍しく狼狽していた。
「いいからこい」
「はい」
 有無を言わさなかった。

 しぶしぶと言った感じで足を運ぶ主の後ろを進むレランが、続きの扉を潜って、足を止めた。
 白い寝台に上半身を起こして、背にクッションを当てたリールの手に、布に包まれた赤子がいた。
 何より目を引いたのは、その母親の表情――

 そして――


「リール! いつまで待たせる気なの!?」
「静かにしてください。せっかく寝たのに」
「まぁ〜かわいいわぁ〜私に似て」
 どこが? と、リールとカイルと国王は心の中でつっこんだ。
 差し出された赤子を抱き上げて、フレアイラが無邪気に喜ぶ。その姿だけなら、ほほえましく見えるものだ。
「本当にかわいいわぁ〜」
「そうだな」
 王妃の横に立って、国王もその顔を覗き込んだ。
「疲れてないか?」
 それから、王はリールに視線を向けた。リールは、静かに笑って手を伸ばした。
「アイラ」
 その様子に、国王が王妃に声をかける。名残惜しそうに赤子をリールの腕まで運ぶ王妃。眠る赤子が手に戻った時、リールは名を呼んだ。
「ライド」
 瞬間、王妃の表情が凍りついた。
「なんですって?」
「ライドレンドです」
 ゆっくりと、リールは笑った。
「どういうこと!!?」
 突然、喜びを逆転させたような王妃の怒りが飛んだ。
 大きな声に赤子――ライドレンドが泣く。それをあやしながら、リールはフレアイラに向き直った。
「この子の名前です」
 はっきりと、譲らないと。
「名は、王家のしきたりに従って付けられるものよ」
「そうですか、それで?」
「どういうことなの!?」
「どうもこうも、ないですけど」
「カイル!? あなた!?」
 振り返った王妃の形相に、父と息子は曖昧に笑った。
「そうだな……」
 国王は、少し考え込んだ。
「仮に違う名を付けたら……どうする?」
「ご自由に、私は呼びません」
「……だろうな」
「あなた!!」
「アイラ、まぁいいじゃないか」
「よくありません!!」
 王妃の怒りは、異常だった。
「そうだな……」
 少しだけ国王が難しい顔をしていた。それは、なぜ王妃が怒っているのかよくわかっているから。
 しかし、だからこそ――
「フレアイラ」
「知りません!」
 唐突に、王妃は動いた。叫ぶような声とともに、軋みそうな音を立てて閉じられた扉――
 部屋の中では、泣き出した赤ん坊をあやすリールの声しか聞こえない。カイルとカルバートは、フレアイラの去った扉を見つめた。
「ぁあ、よしよし」
 ひとまず泣き止んでうとうとと目を閉じ始めるライドレンドにリールは微笑んだ。
「……あまり、怒らないでくれるか?」
「はい?」
 なんの事かとリールは首を傾げた。だって、あれが普通で――
「アイラも、昔同じ事を言った」
「……俺か?」
 しばらく考えていたカイルが、呟いた。
「そうだ。残念な事に、叶わなかったがな」
「どうして」
「アイラは、――いや、私にも責任があるな。王家のしきたりから出る事ができなかった」
 あの時、王座を退いた父と母がいた。もしあの時、自分に、それを覆せるだけの心が、あれば。
「ライドレンドか、いい名だな」
 何かを考えるかのように黙った王が最後にそう言って、部屋をあとにした。

「だって」
 扉が閉じて、足音が遠ざかったのを確認して、リールはカイルに言った。
「……」
「怒らない怒らない」
 表には出していないが、カイルは何かを納得していない。だがそれを気に止めることなく、リールはライドレンドをゆりかごに移した。
「――おやすみ」
 疲れたのか、先にそれだけ言って目を閉じる。寝息が聞こえてきて、カイルは二つの寝顔を見て、静かに笑った。
 それはとてもとても、嬉しそうな――


 城下は、再びお祭り騒ぎだった。
 中でももちろん、人一倍お祭り騒ぎというか年中頭の中がお祭りのようなこの男――
「やぁやぁやぁリーディール! 今度テラスに立つのだろう!? 三人でおそろいと言うのが一番いいと思うんだがねぇ。色はもちろん青で、もちろんリーディールのだけは濃淡が濃くなっていくものにしていこうと思っている。男物は遠めに見ても一緒だ。しかしリーディール、お前の分は遠めにはっきりと目立つものにして。さらにいい宣伝にもなる。正直お金はこれ以上儲かっても仕方ないが、それを全部次に詰め込めるかと思うと爽快だろう!?」
「……帰れ」
 馬鹿でかい花束を持って部屋の中に突撃してくる男を、リールはゆりかごを揺らしながら迎えた。
「ぉお!? これが問題の子か! やはり両親には似るべきではないな」
「どういう意味かしら?」
 リールの顔に、青筋が浮かんでいた。
「ありのままを言ったまでだ」
「リーディール様! おめでとうございます!」
「アズラル様の言葉なんて本気にしちゃだめです!」
 怪しい目つきで赤子を見つめていたアズラルは、双子に吹っ飛ばされた。
「わぁかわいい子〜」
「本当〜」
「きゃぁっ目をあけたわ!」
「今はこーんなにかわいくても、気がつけばあの黒い王子のように真っ黒になるんだぞ〜」
「だからアズラル様はお子様がいないのですね」
「相手もね!」
「お前達……」
「さぁアズラル様! リーディール様が疲れてしまいますわ」
「そうです。そうです」
「なっおいっ!?」
 ずるずると、双子はその細腕からは想像もできない強さで、口調だけは丁寧に言葉を交わす存在を引きずって扉の外に放り出した。
「こら!」
 しかし、双子は非情にもその鼻先で扉を閉じた。離れていく距離を、遠ざかる楽しげな会話から想像する。
「本当にかわいいわぁ〜」
「リーディール様! お名前をうかがっても?」
「くぉら双子ども〜!」
 珍しく、アズラルの怒声が響いた。扉をこじ開けて入ってくる。その勢いと大声に驚いたライドレンドが、泣いた。
「「アーズーラールさまぁ!」」
 双子が、切れた。
「よしよし、大丈夫よライド」
「ライド様ですか?」
「ライドレンドよ」
「素敵な名前ですね!」
「――そう?」
 リールは疑問を感じたのか首を一瞬傾げた。だがそれは小さいもので、誰も気がつかなかった。



 お祭り騒ぎの中、負けないくらい騒がしい団体がいた。
「あっちー!」
「だーー!? 勝手に行くなウィア!?」
「これおいしいわ〜」
「ローゼリア!!? 何を勝手に買う!?」
「のどかわいたー」
「はいシャス」
「ラッキー」
「ウィアもーー! ウィアもー!」
「はいどうぞ」
「お前達!? やる気あるのか!?」
「おちついて、ザイン」
「おちつけー」
「そうだよー」
「うるさい」
 目を離すとさくっとどこかに行ってしまう三人に目を光らせて、リンザインはお疲れだ。
 だいたい、アンダーニーファは小さすぎて見失ってしまいそうだ。ぴょこぴょことツインテールが揺れるのが目印だけに、人ごみにまぎれるときつい。
 ローゼリアリマもかなり、誰の影響か自由人なので、気になる露店にふらりと入っていく。たいていは抜け目なく必要なものを購入している。
 シャジャスティはまだ、自力でどうにかなりそうだが。
「だって、ザイン。この人ごみよ?」
「動けないしねー」
「進めないのー!」
 確かにその通りだった。すれ違う人々からもれる言葉は、人が多すぎてお祝いを届けるにもいっぱいいっぱいだとか。入るまで何時間待ちだとか。
「でも俺らは特別待遇だろ?」
 そうであるべきだと言うシャジャスティの言葉に、リンザインとローゼリアリマは考え込んだ。
 だとしても、向こうで果たして、リロディルクに話は届くのだろうか。いくら言ったところで、この状況では信じてもらえそうにない。
 正等法で入っておかないと、問題になりそうだ。
「ま、なんとかなるだろ」
「ま、なんとかなるわよ」
 以外に、エアリアス家の長兄と次女は楽観的だった。楽観的に、ものを考えられた。
 それくらい、今の生活は、楽しかった。
 それは、希望と誰かが言う。希望を持って、叶えるだけの意思を。

2009.09.15
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