壱 La Danse des Fleurs 〜花の舞い〜
( 四 話 )


「ん〜ようやく解放された」
 娼婦の休みは、体のサイクル次第だ。さすがに女将も、これでしばらくはおとなしいはずだ。と、思いたい。まぁ奴なら話し相手と化しているから関係ないか。と、きょろとあたりをうかがう。数日前までいた物々しい騎士の視線は感じない。給料日を迎えて日が経ってしまったお金が入った手提げを握りしめる。
 さぁ、行こうか。


 花を売る少女から小さな花束を買って、歩いて向かうのは町はずれの孤児院だ。佇まいから雨漏りが心配になるぼろい建物と、くたびれた門が目印だ。近づくにつれ、子どもの声が聞こえる。そっと、壊れて開きっぱなしの門からうかがう。幾人もの子どもたちに交じって、笑うあの姿――!
 目が合った。
 なんだろう。最近目が合う確率が高い。まぁいいやとにかく!!!
 あわてて封筒を壁に備え付けられた郵便受けに押し込んで走る。脱兎のごとく、だ。
 それを視線は感じなくても見られていたのだと、あとで知る。


「またきたの? 今日は――」
「知っている。女将に聞いた」
「なら帰って。娼婦に用事なんて」
「………」
 彼は黙って、近づいてきた。睨むように見上げると、頬にふれられた。
「――スリジェ」
「だから何よ」
「観劇は、楽しくなかったか?」
 楽しくない訳じゃない。むしろ好きだった。でも今では、もう。
 心は冷め切っているのだ。
「関係ないでしょう」
 ぱしりと、腕を払いのけた。いい加減で、
「いい加減に」
「結婚してくれ」
「いやよ!」
「スリジェ……」
「いい加減にして、私を馬鹿にしているの?」
「誰もそんなことはしていない」
「じゃぁ。帰って!」
 そんな子どものような、仕事をする側として失格とも取れる言葉に、彼はさみしそうに瞳をゆらして、部屋から出て行った。
 なんで、私が、うしろ暗い思いをしないといけないのよ……


 気分は落ち込んだまま。だからまた孤児院に足を向けた。変わらず響く、子どもの声。それに混じって、歌声。かすかな楽器の音。オルガン?
 壁の外から、壁に背をつけて聞いていた。なつかしい音を思い出す。
「こんにちは」
 突然話しかけられて、がばっと顔を上げた。
「いつも、寄付をありがとう。よければお茶でも」
 微笑まれた、彼女の、顔は――
「っ!!!」
 パニックに陥った私は、逃げ出した。
「待って!!」
 呼ばないで!!


「スリジェ……スーリージェ!」
「! ああ、フレーズ」
「もう、女将が呼んでるわよ。またあの人じゃない」
 走って帰ってきて、夜になるまで部屋の中にこもっていた。そう言えば夕飯も食べていない。
「おなかすいた」
「え!? 食べてないの!? てっきり彼と一緒かと思ってたのに」
 彼が私を食事に誘うことはもう、恒例行事のようだった。


「おなかすいた」
「……」
 彼の前も変わらず欲望に忠実でいると、無言で紙袋を渡された。日持ちのする焼き菓子と干した果実が入っていた。
 もくもくと食べる。おいしい。
「おいしい」
「……」
 嬉しそうに、ほほ笑まれた。なんか悔しい。むっとして見上げると、目があった。だから、その無駄な色気はなんなんだよ……
 そうだ。と、立ち上がる。おどろいたはずなのに、距離は変わらない。近いから! ったく。押しのけて部屋の扉を潜って、廊下。きょろと見渡す。誰もいない。舌打ちして下に食堂に向かう。チーズと干し肉とウイスキーをかっぱらって、部屋に戻った。
「はい」
「あ、ああ」
「なによ? お酒くらいあるわよ」
 今までもてなしたことはないけど。干し肉を噛みしめて引き裂く。
「飲まないの?」
「いや……」
「飲まないの?」
 同じことを二度繰り返してみた。
「……いや……やめておこう」
「そう」
 なんでそんな天国か地獄か決めるみたいに重大そうな顔つきなのよ。呆れて、ひとりでごくごくとお酒を飲む。酔っぱらってきた。あまり強いほうじゃないし。頭が回る。
「大丈夫か?」
「平気」
 って結局私が食べて飲んでるだけか。いつも通りのようで、程遠い。
「あんた。お金あるんでしょう」
「突然どうした」
「娼婦に求婚するなんて、頭おかしいんじゃないの?」
「愛した女を手に入れようとして何が悪い」
「だーかーら、どの辺が?」
「しょ……なんでもない」
 拳を握りしめて振り上げた。
「それで?」
「共に生きたいと思った。それはお前だけだ。スリジェ」
「なんか告白されてるみたいね」
「何度もしているんだが……」
 がっくりと肩を落とす。彼。私は酔っぱらって沸いた頭で考えることを放棄して、からからと笑う。だけどどこか心は冷めている。お酒を飲んでいる時はいつもそう。どこか冷静な部分がカギを外してかかるのに、閉めている部分もある。
 だけど解放された部分は――
「――スリジェっ!?」
 椅子に腰かける彼ににじり寄って、膝に乗る。頬と耳が赤いのは、お酒のせいだ。だから知らない。いつもより大胆に胸元の布を引き下げて絡みつく。何か言いかかった彼の唇を指で押さえて黙らせる。つとグラスのお酒を口に含んで、唇を重ねる。――口移しなんてはじめてで、うまくいかない。溢れて胸元を汚していく。
「もったいない」
「そう思うならやめてくれ」
「い・や」
 酒瓶に手を伸ばしたのに、奪われた。どうも何かのスイッチを盛大に押したらしい。妖艶に笑う彼が楽しそうに口角を上げる。背筋が寒くなる。
「こうするんだ」
 そう言って彼は酒瓶をあおり――中身がなくなっても口内を蹂躙された。


「ん?」
 ふと目が覚めて、頭が痛い。二日酔いね。水。
「水〜」
 声がかすれる。
「水? どこだ?」
「いたの?」
「……………」
「ちなみに、水は外」
「そうか」
 本気で取りに出てったし。客の仕事じゃないじゃん。っていうか私はなぜ裸のまま……いや確かに最後は裸で迫った記憶はあるけど。何もなかったのか。っち。しかし頭痛いわー。……眠い。


「まだ寝るか……」
 ぼんやりとした意識の中、声が聞こえる。声が聞こえたこと、彼が戻ってきたこと、わかる。だけど頭は眠い。
「―――」
 返事をしたつもりだけど、たぶん。声に出てなくて半分夢の中。唇にふれた温かさ。のどを潤す潤いを求めて、嚥下した。


2013.03.30
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