参 Le Voile Floral 〜花のヴェール〜
( 九 話 )


「桜」
「お姉ちゃん! ごはんは?」
「おはよう……あんた……本当にもう」
「えへ〜」
「かわいく言ってもだめ」
「えー」
「さぁ早く朝ごはんにして出かけないと間に合わないでしょう」
「はーい」
 朝一番、そんな声が台所にこだまする。クリーム色のシステムキッチン。赤いチェックのテーブルクロスがかかった四人掛けの食卓。蒸気が落ち着いた白い炊飯器。IHヒーターのコンロに並んだ味噌汁の鍋と、卵焼き器。調理台にお弁当が三つ。窓の外は、快晴。


「おはよーあい〜」
 最寄りの駅を降りて、逆方向から通学している友人と会う。歩き出す。大学まで十分。
「おはよう桜」
「ねぇねぇ。昨日のドラマの……」
「おはよう二人とも」
「おはよ〜渚〜」
 今日も、いつものように大学に向かう。いつものように友人の隣に座って。二週に一回出すレポートの進みと、眠気を誘う薄暗い部屋でスクリーンの文字を追う。
 変わり映えのしない毎日。とりあえず入った大学で学ぶ。専門知識は取り入れるのが面白いけど、将来に直結した何かがある訳じゃない。なんとなく進んで行く毎日。卒業とか就職とかまだ先のことのように曖昧で。ただ友人と過ごすその楽しい時間の儚さと貴重さに気がつくことなく、毎日が終わる。


「今日もまた出たね〜レポート」
「もう、参考文献図書館にないよ!」
「先に授業したクラスの子が借りちゃったんじゃない?」
「どーすんのよー!」
「しー図書館では静かに」
「ねぇもう文献ないし。ラーメン食べに行こうよラーメン」
「渚。ラーメン好きだよね」
「担担麺も好き!」
「麺でできてるよね」
「三食麺でもいいよ!」
「それは嫌だなぁ。でもパフェ食べたいなぁ」


 電車に乗って三つ目。ショッピングモールに向かう。今年はパステルカラーが一押しの春物が並ぶ洋服屋さん。化粧品と小物とお菓子でできた雑貨屋さん。ピンヒールが並ぶ靴屋。映画の宣伝ポスター。エスカレーターを駆使してラーメン屋にたどり着く。
「ねぇいつも思ってたんだけど、この横綱ラーメンを三人で食べようよ!!」
「渚……あんたが全部食べちゃうでしょ」
「……ばれたか」


「ただいま〜」
「おかえり。お風呂入って」
「はーい菫姉さん!」
 楽しい一日は、簡単に過ぎて行く。学生と言う身分はかなりの力と、効力を持っているのに、時間の使い方は個人の自由だと平気で言い放つ。
 自分の将来は、ただきっと明るいのだと楽観して。
 毎日は選択の繰り返し。無限に広がる道を閉ざしていたのは自分なのだ。
 あとで後悔してもやらないことは、きっと、ずっとやらないのだろう。だから、いいのだろうか。これで。


「ふんふーん」
 お気に入りのバスジェルを入れて色の変わったお風呂に浸かる。明日は土曜日で学校はお休み。バイトだー!


「明日はバイト?」
「うん。それでね。今日ゲーセンに新しく入ったゾンビ打ち殺すゲームが」
 姉はいつも、私が結構な勢いでまくしたてる話を、時に重要そうに、時に適当に流しながら聞いてくれる。


「あんたたち、元気ね……」
 夜行性の母は物書きを職にしていて、夜になって活動をはじめる。父は都会の会社に勤めていて、今日は遅くなるそうだ。
「お母さん。夕飯は食卓に準備してあるから」
「ありがと」
 先にシャワーを浴びるのか、母は洗面所に向かって行った。家の傍で、九時五時で総務職に就く姉は趣味の家事をしている。恋人もいる。家を出るのも時間の問題だろう。うーん。そうすると誰がごはんを作るのだろうか。お父さん?


「ちょっと桜。なんでお姉さんお手製のお弁当を前にしてメロンパン?」
「チョコチップメロンパンが食べたかったの〜」
「自由人だよね」
「渚に言われたくないし!」
 四時限目と五時限目が同じ教室の時は、そのまま教室でお昼ご飯。私と渚はお弁当。あいはコンビニで冷製パスタを買ってくる。お気に入りらしい。
 今日は授業が終わったらサークル活動で、みんなでテニスをするんだ!
 お昼休みの半分はごはん、もう半分はおしゃべりと読書と授業の準備。
「寝る。絶対寝る」
「もう渚〜いつも寝てんじゃん」
「はーはっはっは。授業なんてお昼寝タイムだ!!」
「言い切った……」


「あーもう! またレポート」
「これで三つめねぇ」
「あい〜助けて〜」
「早いよ渚」
 イスとテーブルが並ぶロビーで、サークルメンバーが集まるまで一休み。自販機でオニオンスープを買う。おいしい。


「お帰り桜」
「ただいま〜」
「あ、桜こっちこっち」
「なぁにお母さん?」
「菫もおいで」
「ええ」
「はい。二人にプレゼント」
 それは、薄紫色の菫の花の刺繍と、桜色の桜の花の刺繍が施されたショール。
「わぁ」
「ま、たまにはね」
「お母さん。私、こっちがいいな。交換して桜」
「えー」
「あらそうなの? じゃ、交換ね」
「えええーーー!?」
「だって、どっちでもいいでしょう桜」
「……うーん……だけど」
「はいこっち」
 母がプレゼントを交換する。なんかすっきりしない。
「む〜」
 ピンクが紫に変わった……。


「おはよう」
「おはよ〜」
「なに隠れてるの?」
「だって〜」
「根に持ってるの?」
「だってお姉ちゃんピンク嫌いじゃなかった?」
「そうかしら?」
「なんかいいことあった?」
「ええ?」
「あったのね!!」
「おしえない」
「ケチ!! どけち!!」
「なによもう」
「お姉ちゃんなんて頭がピンクになればいいんだ〜」
「何それ……って何してるの?」
「今日はふり返授業の日で金曜なのに月曜授業だぁ!!! 国民の祝日のばかーーーー!!!」
「……騒がしいわね」


「月曜の一限からっていじめだと思うのよね!!」
「おはよう桜。遅刻しかかっていうことじゃないわよ」
「そうそう」
「渚〜おなかすいた〜」


「終わった終わった〜」
「ねぇ今日はアイス食べに行かない?」
「いいね〜」
「行く行く〜!」
 あいの提案で、新しくショッピングモールに入った有名アイス店に向かう。途中。
「ねぇ。あれ菫さんじゃない?」
 あいの言葉にふり返って見ると、クスランブル交差点の向こう側の歩道を右から左に向かって歩くあの姿。
「え? あ、ほんとだ! おねーちゃーん!」
 姉はピンク色のショールをつけて、歩いていた。大声で呼んで腕をふる。こちらの声に気がついたのか体を向けた姉の隣に男の人がいて、その人と腕を組んでいた。
「うっそん」
 あれは誰だ。っていうかかなりタイミングの悪い。お姉ちゃんもそう思ったのか苦笑して、相手に何か言って自分だけ、青に切り替わった横断歩道を足早に渡り始めた。――瞬間。

 まるで映画のワンシーンのように、ドラマのワンシーンのように、耳を切り裂くような音と、空気を引き裂く鉄の塊。凶器に変わった車が、姉の左側から現れ、ドォンと、鈍い音がした。まるでゴムボールのようにアスファルトに叩きつけられた姉の体はしかし弾まず……アスファルトを滑るあとに赤を描いて、動きを止めた。

 一瞬、だった。わからない。頭の中が、真っ白だ。

「……そ」

 嘘。
 嘘だ嘘だ嘘だ嘘だ!

 頭によぎる言葉、頭上を遠ざかる悲鳴。呼び声。――彼が、姉を呼ぶ声。動きを止めた、姉。

「ぃ………ぁぁぁぁあああーーーーー!!!」

 世界が、真っ白になって消えて行く。
 光に目を閉じて、そっと開いた。

 世界が、変わっていることを願ったまま。

 まるで望んだように、私はひとり、森の中にいた。

 ――ここは、どこ?

 私は桜。

 前島 桜(まえじま さくら)。

2013.07.13
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