四 Camps de Fleurs 〜花畑〜
( 十 話 )



「ロザージュ」

 彼に呼ばれる。彼は一日に何度も私を呼ぶ。最初は少し、悲しかった。聞き覚えない自分の名前で呼ばれていると言う事実には、ついて行けない。でもそれは私の名前。けれど、最近なぜか違和感を覚える。何かが違う、そんな感じ。
 なんだろう。わからない。あの影は変わらず私の前に浮かんできてはかき消える。前よりも、薄れている気がする。
 だけどそう。私を呼ぶあの口元は「ロザージュ」とは言っていない気がする――

「奥様」
 屋敷の中にいる執事や侍女たちはみな「奥様」だ。確かまだ婚約者だった気が……
「気が早いわ。まだ婚約中よ」
 左手の薬指にはまる指輪をなでる。
「そうでしょうか」
「そうです」
「本当に、あなたが見つかって本当によかったです」

 その言葉にあの日を思い出す。花祭りで踊った彼が、私の婚約者だと現れたあの日を。
 アストル・リュスイオール。私の、婚約者。

「ロザージュ」

 今この時に、霧がはれるように鮮明に思い出す。誰かが私を呼んでいる。私は、その声に答えていた。なんて言ったのかわからないが、相手はひどく悲しそうに、するのだ。私は罪悪感を覚えてはいなかったように思う。ただ、ひどく、悲しい気持ちにさせられていた。それがなぜだか、わからない。

 数週間前――

 村で祭りの後片付けを手伝っていたら村長に呼び出されて、大きな村長の屋敷に赴いた。そこで見た周りを囲む騎士と豪奢な馬車におどろいた。部屋の前にもいる、騎士の姿が物々しい。うながされるように部屋に入る。ふと強烈な視線を感じたのは、あの白い騎士だった。
「ああ、ヴィオレット……じゃなくてロザージュ様」
 村長が私を呼んで、何か言い直している。誰のことかわからない。
「あの、村長」
「こんにちは」
 疑問を挟もうとして、間に人影に割って入られた。白い影におどろいてそちらを見ると。
「あなた、昨日の」
 昨日、踊った人。
「ロザージュ様」
「あの、それは?」
 その呼びかけはいったい、なに?
「ロザージュ」
 彼が、その名を呼んで私を見た。
「あなたは、彼の婚約者なんです」
「は?」
「ずっと探していました。ロザージュ――私の愛する人」
 彼が、ほほ笑んだ。
「帰りましょう」
 伸びてきた手が強引に私の手を掴む。その仕草は柔らかでいて、強制するように強い。
「あの、あなたはいったい」
「――本当に、覚えていらっしゃらないんですね」
 そう言った彼の言葉は、悲しそうなのにどこか、違って聞こえた。でも何が違うのかわからない。
「半年前、あなたは川に落ちて、行方不明だったのです」
 時期は、一致する。
「そうなのですか?」
 だけど、まるで他人事だ。
「ええ」
 それなのに彼は迷わない。
「ですが――人違いでは?」
「私が、あなたを間違えるとでも?」
 なぜだか、彼の笑顔に背筋が寒くなった。この冷ややかさを村長は感じ取らないのか、しきりに「よかった」などと短絡的なことを言っている。
「私はアストル・リュスィオール。さぁ。ロザージュ」

 事情を聞いたポワソンさん一家は彼がこれまでの生活費代わりだと手渡されたお金で、買収された。リュビは卒倒。彼は遠く――なぜだか二度と会えないであろうことが考えられた。
 結局私は、押し切られてしまった。
 最後に彼の姿を見ることもなく、小さな村は姿を消すように遠ざかった。


 他人の家にお世話になるのは、これで二回目。いや、将来を約束していたらしいので、ここは例外なのか。
 指輪、部屋、家、そして王都と言う、この場所。どこもかしこも、見覚えのない屋敷。部屋と食堂と庭。敷地内ならどこでも好きにして構わないと言われても、行動範囲は決まっていた。借りてきた猫のように。


「町へ?」
 町へ出かけたいと行った時、予想通り彼はいい顔をしなかった。だけどこの屋敷でただ刺繍や読書に明け暮れるだけなんて、何かが、違う気がしていた。だから負けられない。毎日朝早く出かけて夜遅く帰ってくる彼がいったいどこに仕事に出ているのか、私は知らない。だけど、機会を逃してはいけない。
「必要なものはすべて用意させておりますが、何か足りませんか?」
「いいえ。――そうではなく」
 甘やかしていると言っても過言ではないほど溢れ切った“物”は、ここでの暮らしを豊かにしすぎている。
「町を見てみたいのです。あなたのことを、思い出せるかもしれないでしょう?」
 考えて考えて、アストルのためと言ったほうが、一番話がうまく進むような気がした。それはどこか親しみを感じず、彼に怯え私をうかがう傍仕えや、遠巻きに監視する騎士の姿から感じ取っていた違和感の結果だった。
 ここではない気がするのだ。
 彼と婚約して、ここに住み始めたばかりで、慣れていなかったから? ――違う。
 考え込むような彼を目の前にして、のどがカラカラになって行く。
「そうですね」
 承諾の言葉にほっとして、胸をなでおろす。
「では一緒に参りましょう。あなたはこの町にきたばかりでしたので、案内が必要でしょう」
 ほら、ね。私の知るものは、どこにもないのだろうか。


「あの、あれは……」
 質問をすると、丁寧に彼が教えてくれる。まるで何かを上書きするように。ざわざわとゆれる人混みが、どこか懐かしいが、違う。いやあっている。この人混みのほうが慣れ親しんでいる。
「……私、自分が育った場所に行ってみたいのですが」
 この王都の説明は十分だ。知りたいのは――
「そんなに記憶を戻したいのですか」
 彼の言葉が、冷えた。
「え……ぇと」
 なぜだろう。ひどく不安だ。村にいた時はこのままでもいいと思っていたのに、婚約者と名乗る彼と出会ってからひどく――ひどく心がかき乱されるのだ。乱れると言っても、それは村であの彼を慕うような気もちとはまるで違っている。
 まるで“警告”の、ような。
「おちつかない」
 はっとした時には、そのまま声に出していた。彼が動きを止め、私の腕を掴んだ。その目に宿る鋭さは増し、ひどくいらだっているかのように。
「――ご、ごめんなさい」
 ぁあ前の私は、いったいこの彼とどう過ごしていたと言うの?
「すみません。そうでしたか。それでも私は、そのままのあなたを愛してますよ」
 私の怯えを感じ取ったのか、彼は手を放してそれだけ言った。
 気まずい空気のまま、私たちは屋敷に帰った。

 こんな時ふと、不安に思う。“本当”に“私たち”は恋仲だったのだろうか、と。

2014.03.09
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