四 Camps de Fleurs 〜花畑〜
( 十四 話 )



 これはまだ、ましなほうだった。
 彼は、この国の第三王子で……目下第一王子と王位継承争いをしているのだと言った。
 もう、思考が追いつかない。
 ただ、私は一部の人間には、好意的に受け入れてもらうことはなかった。

「きゃぁーーー!?」
「!?」
 生活の場は城に移り、部屋付きの侍女の悲鳴で目を覚ますのも、慣れてきた頃に、それははじまった。
「今日は、……牛? だんだん大きくなりますね」
 部屋の前が赤く染まる。亀裂がどんどん広がるように警告する。動物の死骸を部屋の前に置くと言う行為を見て、頭を抱える。
「いえ、すぐに片付けます」
「手伝います。そのほうがすぐ終わるでしょう?」

 くすくすと、笑い声が聞こえる。自分で手を真っ赤に染めて、みっともないものだと。

「あなたがしなくても」
 アストルが来たのは、はじめてだった。余談だが、この日を境にこの手の嫌がらせはなくなった。
「早く終わります。それに――慣れていますから」
 アストルは呆れて、諦めたようだった。あなたはそれが、好きでしたねって……「それ」って何? と問いかけると、我の強いところですって言う。ほめているのかしら。
「今日はいいでしょう」
 アストルが私の手を取った。赤い血で汚れていた手をそのまま。
「アストル、手が汚れます」
「では、食事にしましょうか」
「――ええ」
 私にはさせないつもりらしい。


 それから、アストルはしばらく、私の前に姿を現さなかった。


 だけど、ある日――


「――っ! このまれ人が!!!」
「!?」
 激しい風の荒ぶる音と、むき出しの憎悪に目を覚ました。目の前でこちらを睨みつける男の顔は人のそれとは違っていて、――そう、悪しき、鬼のような――
「――ひゅっ!?」
 息ができないと知ったのはその時だった。首を絞める腕の力は強く、未だ生きているのが不思議なくらいで。
「か……は……」
 のどが、空気を求めて鳴る。体が泳ぐように暴れ、そして――
「オーストン!!!!」
 闇を貫く雷のような、まるで罪なき者に罪をなすりつけるかのような圧倒的な光の洪水に、今度は視界を奪われた。

 最後に、見えたのは――


「――!?」
 一度に見る夢にしては、現実味を増しすぎていて、また、この身体中を取り巻く不快感に追われるように目を覚ました。
 存在とは対照的に黒を基調とした部屋、白く整えられた寝台。
「目が覚めましたか?」
 穏やかなのに、しゃべるなと言うように威圧感のある言葉。
「――っ」
「……ああ。すみません。医師が言うにはのどの調子があまりよくないそうです。――申し訳ありません。あなたに、傷を」
 伸ばされた手に恐怖を覚えて振り払う。――すぐに、後悔した。
「――元気そうだ。遠慮はいらないな」
 何、を。何を――




 何が起こったのか、正直よくわからなかった。
 ただ次に目を覚ました時、侍女に着飾られて向かった先で、アストルは「王」と呼ばれ。差し出された腕に引かれるまま隣に立った私は、王妃になったのだとあとで知った。

 祝福する人々の影に、踏み台となって消えた人がいるのだと、オーストンと呼ばれた男がその日から完璧に姿を消したことが物語っていた。


「ロザージュ」
 憑き物が落ちたように晴れ晴れとした顔で、しかしあの冷酷さは健在のまま。彼は――私に優しかった。時に、残酷なほど。
 もう、朝から動物の死骸に怯えることも、散歩した先で不愉快な男に出くわすことも、毒味をした魚が死ぬこともなかった。
 だけど、侍女は細心の注意を払って、私のご機嫌をうかがっている。心のどこかで怯えている。その根底の影は、彼の言葉なのだろう。


「出かけましょうか」
「――え?」
 城にきてから、城下を歩く事も、この与えられた空間の外に出ることもなかった。
「たまには、外が見たいでしょう――――も」
 最後に呼ばれたのは、名前? よく聞き取れなかった。けれど、監視と言う枠を超えて、不愉快を取り除かねばと先に監視される。この息苦しさから解放されるなら。



 アストルの馬の背、彼の胸に背中を預けるようにして座っていた。高い視界と安定しないことに慣れなくて、まごついていたが、彼が支えてくれていた。隣にはクロワ。それだけ。
 逆に人がいなさすぎて拍子抜けだ。
「本当なら、彼がいなくてもすべて魔術で殺せるけどね」
 ……さらっと、怖いことを言う。やはりアストルはアストルだ。
「そうだよね。カスカード」
「王。私は王のお心のままに、剣であり、盾に」
 彼のこの献身はどこから……


「ご覧、ロザージュ」
 恐ろしくて、なんとく前が向けなかった私は、アストルの声に前を向いた。
「工事は終了したよ」
 遠目に、立派な寺院らしき建物が見える。寺院? って、寺? って、宗教?
「祈りの場も設けてある」
 ああそれは教会のような――教会?
「これで、子どもたちは安心だよ。ロザージュ」
 頭の中の疑問よりも、アストルの言葉に引きずられた。――違う。私は、子どもが、子ども達が心配だったんじゃ、なくて――
「アストルーー!!」
 こちらの姿を見つけた、無邪気な子どもの声がする。
 はっとして、姿を追う。入り口で馬を下り。私も地面に下ろしてくれたアストルは、その手で、あの夜。――兄を手にかけたその顔で、ほほ笑みながら。子どもらと言葉を、交わしていた。

 あの時、光の洪水の中。アストルはオーストンの背後から心臓を刺し貫き、殺したのだった。

 ぐらりと、視界がゆれる。
 クロワの「王妃陛下!?」と言う言葉だけが、耳に、残って、心から心配するアストルの声は、聞こえなかった。


 ふと、目を覚ますと、見なれてきた高く、芸術的なまでの装飾がされた天井ではなく、“見なれた”板張りの天井が目に入ってきた。
「ロザージュ。よかった」
 隣で、声がした。それは常とは違って、弱く、ひどく、怯えた声で。――ずいぶんな心配をかけたのかと驚いた。
「アス、トル?」
「まだ、外に出すべきではなかったか、ロザージュ? 孤児院にはとても、思い入れがあるのだと、思っていたから」
 この、アストルを知っている。王として、魔術師として、ではなく、この、アストルを。
「アストル……」
 掛布の中の手を伸ばすと、握りしめられた。暖かさと、その強さにほっと、息を吐く。
「――ごめんなさい。孤児院が悪いんじゃないの。誰も、責めないで」
 ぴくりと、アストルの表情が動いた。まさか、すでに誰かを――
「いや、まだ誰も、罰してはない」
「……よかった」
 私に嫌がらせをして、アストルに罰せられた侍女がどんな末路を辿ったか、全貌はしれないけれど、二度と、光のもとには戻れないであろうことはうかがえた。
「アストル」
 今なら、今の、アストルなら。言えるかもしれない。
「どうした?」
「私……覚えていないの」
 アストルは、すっと、目を細めた。まるで、何かを確かめるように。
「この、孤児院を、どうして、」
 どうして、ここまで、
「気にかけていたのか」
「――わからないのか」
 彼の声は、責めることはなかったけれど、落胆の色は隠せなかったようだ。
「ごめんなさい」
「いや。――無事でよかった。ロザージュ」
 ああ、その、言葉が。
 どうしてか、悲しい。



 孤児院で迷惑をかけて、数日。再び城で王妃としての生活に戻った。
 作法作法作法作法作法作法、作法、お説教。
 客と呼ばれていた頃からは想像もつかないほど忙殺される毎日。何かを忘れるように没頭するには丁度良かった。


 そんな中アストルはとても優しく、一応結婚していると言うのに、まるで恋人同士だと、彼が愛を囁く合間にもらしてしまうぐらい。
 これ以上なく、甘やかされていた。
 あの影は徐々に、薄れ、今ではおぼろげな輪郭だけ。
 彼の愛に答えること、「王妃」と呼ばれることにも慣れてきた頃。
 それは、起こったのだった。



 目を覚ましたら真っ暗だった。慣れたような慣れない部屋の中で、ひとりきり。アストルは隣にいる時もあれば、いないことのほうが多い。のどの渇きを覚えて、続きの間にそっと移動する。ふと、次の部屋のその次の部屋から漏れる光。
 漏れる光に誘われるように足を進めて、かすかに聞こえていた声が少しずつ聞き取れるようになった。

「私だっておどろいたのだよ。カスカード。まさか王位を放棄してまれ人を見つけるなんて、神はひどく気まぐれだ」
 足を、止めた。
「ひとまず気を引いておこうと思ったけど、かなり強情だったな。聞き分けはいいのだが、本当の意味でこちらには落ちてこない。川に落ちた時は焦ったが、最終的にはよかったのかもしれない」
「なぜロザージュと?」
「ある意味毒のような女だからな。「太陽の王は光の玉とまれ人をつき従え、人々を照らし導かん」一度は諦めようとしたが、道が見えるようだった」
 くつくつと、アストルはわらっていた。あの、暗い、笑みだろう。そして続けた。

「スリジェは、私のことを覚えてはいないのだから」

 パキンと、氷の上にひびが走るような音が頭の中に響き渡った。
 ――スリジェ?
 ……スリジェ……そうだ。それは、私が……意味は……さくら……桜!!!

 私は、桜。そして――



 ………お姉ちゃん……は?

2014.06.23
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