五 Comme des Fleurs 〜花のように〜
( 十七 話 )



 来た道を、馬車が進む。街道を越えて、町に差し掛かったところで――
「ぁ」
「下りますか?」
「……? えとー」
 呟きは、小さいものだったので、クロワの反応が返ってきたことに反応できない。
 あの、簪を、とり戻したいのだ。
 こちらにきていた時に、見につけていた服と一緒に。
 頭を、よぎったのは、フレーズの存在だった。
「下り、ます。歩きます」
 クロワは、想定の範囲内だと、頷いた。


 そう簡単に、会えるものではなかった……
 背後にはクロワ。いや、他にもいるのだろう。監視は。視線を感じながら、とぼとぼと城下町の市の間を歩いていた。
 夕暮れに差し掛かり、全体が赤く照らされている。
 見慣れた風景だ。娼婦スリジェとして、買い物に出た。あの路地、あの店。王妃ロザージュとしてアストルと歩いた、あの市。
 前島 桜として、生きる場所は、ここにはない。
 ――ないのだ。



「おかえり、孤児院はどうだった」
 夕食を共にするアストルが、問いかけて来る。表情からは、何も読めない。
「祈りの場が、とても、広くて」
「ああ熱心に祈ることがあったのか?」
「――このまま」
 口を閉じると、アストルが興味深そうに、先を促した。
「ずっと、このままだと、いい、のに」
 私は初めて、今を肯定した。その後アストルは、とても、とても、機嫌がよかった。
 私は、機嫌のいいアストルに長く可愛がられて、次の日は引き籠ってしまった。




「帰る前に、簪と、服を取り戻したいんです」
「それは、例の娼館に?」
「ええ」
 いちいち楽しげな奴で、むかつく。
 ミストラルの魔術は、影と同化することに特化しているらしく、アストルが近くにいなくて、私が一人の時に急に現れる。
「それは、そんなに必要な物ですか? 「あなた」には、必要ないものだと思いますが」
 この突っかかる言い方は、こいつの性格だと、この時は気にしていなかった。

 あとで、思い知ることになる。
 いや。思い出したと言うのが。正しい。

「もうすぐアストルがやってきますね」
「なんでわかるんです」
「影に聞けば分かります」
 そう言って、彼は消えた。ほどなくして、アストルがやってきた。今日の夜も、長くなりそうだった。


「行ってきましたよ」
「早!?」
 って言うか、こちとら寝起きなんだけど……
「こちらで間違いありませんか?」
 桜の、桜の飾りの簪。と、着ていた服。
「ないけど、どうして」
「さすがナンバーワンは話が早い」
「ちゃっかり何してんのよ!?」
 って言うかナンバーワンは、
「フレーズと名乗った赤毛でしたよ」
「フレーズ!?」
「金で口を割る、敏い娘でしたね」
「………」
 それは、そうだったような……そうだとも言いたくないような……
「スリジェを引き取ったことになっていました」
「あなたに引き取られたとでも?」
「ええ」
「………」
 娼婦を召し抱える男も時折いるが、この男か……
「別の男を捕まえるなんて、スリジェはあのお貴族様に嫌われたのかしら? と聞かれました」
「結婚したわ」
「そこは内密にしておきました」
「どーも」
「時に、王妃陛下」
「改まって、なに」
 この男が、こうやって私の立場をわからせようとする時は、ろくなことじゃない。
「陛下が、いえ。クロワ・カスカードが疑っています。しばらくは、おとなしく。また、陛下と仲良くしてください。夫婦でしょう?」



 そんなこと言われても、ねぇ。
 どうしたのもか……
 今はロザージュなのだ。スリジェとは違う。記憶を失っている間の私は、私とは違う私のようでいて、私なのだ。
 欠けたものの不安を抱き、どこか足元が不安定。それを演じ続けろと言うのだから。
「……はぁ」
 ふと、廊下の窓枠に置いてある、花瓶に活けられた花を見つめる。
 花を見ると思い出す。
「桜」「スリジェ」「ヴィオレット」
花の名前を頂いた私。
「――ロザージュ何をしている」
「ア……アストル」
「花がそんなに珍しいか?」
「き、れい……ね……?」
 危ない。ロザージュは、こんな感じか?
 ふと、何を緊張しているんだと笑ったアストルは、花を引きぬいて手渡してくれた。
「お前のほうが美しい。ほしいと言うなら、いくらでも」
 それだけ言って、廊下を進んで行った。

 ――どこまで、本当なのだろう。
 ――どこからが、偽りなのだろう。

 あの、暗い笑みを思い出す。また、裏表の見えない笑みも。

 立ち尽くしていると、また声をかけられた。
「まだこんなところにいたのか。行くぞ」
「――え?」
「何を呆けている」
 どこか、そう、屈託なく笑ったアストルに、抱き上げられた。
「え? ええ!?」
「暴れるな」
 ぴたりと、動きが落ち着く。急に思い出す。共に過ごしたことはもう数えきれないのに、どうしてか、どきどきした。


「着替えを、このままでは支障がある」
 何が起きたのか、何を目的としているのかわからないまま。機嫌のいい侍女たちに着替えさせられる。
 スリジェの時によく着ていた、ちょこっとだけいい仕立て着だ。ヴィオレットはもっと質が悪いものを着ていた。そう考えると、娼館暮らしも一応成り立っていた。アストルの、払いのおかげで。
「着替えたか。ああ、いいな。行くぞ」
 また抱き上げられるのかと思って、一歩引いた。
「どうした」
「あの、歩きます」
「遅い」

 どうしたって、勝てないものか……

 抱き上げられたまま運ばれたのは、馬の上だった。
「ぅぇえええ!?」
 大変。変な声が出た。あわてて口元を抑える。
「そう気を張るな」
 背に、熱を感じたと思った瞬間、アストルにもたれかかるように腰を掴み引かれた。ぬくもりが、とても柔らかくて。
 と、浸っている場合ではなかった。
 走り出した、馬の上に乗って、どこかへ……連れ出された。

2014.11.23
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