五 Comme des Fleurs 〜花のように〜
( 十八 話 )



「……え? ぇえ……いたっ!?」
「しゃべると舌を噛むぞ」
 先に言ってほしい……引き寄せられた熱から離れるのを拒むように、背中が熱いまま。
 言った通りだと笑ったアストルは、馬を走らせる速度を落とした。
 飛び出した勢いが徐々に衰えて景色を見る余裕が生まれた。
 城下とは反対側、広い農地を過ぎて見えてきたのは林だった。こんな所、来たこともないと目を見開く。しばらく、緑の木々を追っていた。と、目的地に着いたのだろうか。馬の歩みが止まった。
「――わぁ」
 こぽりと、音を立てて湧き出る泉の周囲に、白い花が咲いていた。
「下りるぞ」
「へ? え?」
 熱を分け合うようなぬくもりが去って、吹き込んだ風に寒さを覚えた瞬間、先に地面を掴んだアストルに抱えあげられた。
 地に、足が付く。
 その、感覚におどろいて足元が崩れる。
「おっと。しっかりしろ」
「ごめ、なさい……」
 崩れそうな体を支えられて、見上げる。思ったよりも近くにいる、その人の姿に柄にもなく頬が熱くなる。
「休もうか」
 てきぱきと、どこからともなく敷布をしいて、座るように促される。恐る恐る当てられた場所に座り込んで、見れば。
 木漏れ日の下。鳥の声と、陽だまりの柔らかさ。
 娼館とも、城内とも違う空気に、知らず、大きく息をついた。

「ほら」
 ふと、意識がそのまま持っていかれそうになるほどぼけっとしていたが、アストルの声に振り向いた。手渡されたのは周囲に咲き誇る白い花の束で、赤い紐で結わえてあった。
「あ、……ありがとう、ございます」
「いや」
 花を貰うのは嬉しい。それに、アストルも笑う。
 ……今のアストルは、あのアストルと同じ。マリアージュで私を請い、そして共に過ごした。
 何を言うのだろう。
 私だって、桜で、スリジェで、ヴィオレットで、ロザージュだ。ただ名前が違うだけ。それよりももっと、アストルには、いろんな顔があるのだろう。
「あの……どうして」
 ん? と、ごろりと私の横に横たわったアストルに問う。下から見上げてくる視線は新鮮で、落ちつかなくて、身じろぎしてしまう。
 先を促す視線に、はっとして続ける。
「連れ出して下さったのですか?」
「――浮かない顔をしているように思えたが、杞憂だったか?」
 ばれたのだろうか、冷や汗が背を伝う。いやそれなら、もっと、現実に危害と言うか、もっと直接的に何か起こるだろう。
 と、言うことは。
「いつもの、孤児院ではないので」
 ……気遣ってくれるのだろうか。思えば、スリジェの時だって、彼はいつも、そうだった。それは、まれ人を保護する目的もあると思うが、それでも。
 でも私は、彼を、だまし続けるのだ。
 優しさが、痛いくらい響き渡って、苦しい。
「申し訳ございません」
「どうした?」
「ご迷惑を――」
「いや」
 ふっと、笑うのだ。
「いろんな負担をかけた。障りがないのなら、いい」
 その笑顔は、本当に、本当に心配してくれているようで。例え、何か、邪な考えがもとになっていたとしても、この瞬間に偽りはないように思えて。
 マリアージュにいた頃も、時に、こうやって心を傾けられていたのだと、今ではわかる。
 彼は私がまれ人だと、その頃から知っていたのだろう。でなければ、私を重宝する理由がない。
 でも、こうやって――
 辛い時に、傍にいてくれたのも、また、アストルなのだ。
 ぽろぽろと、涙が溢れては落ちて行く。ぎょっとしたアストルは起き上がり、周囲を見渡し、ぐいと私の頭を胸に引き寄せた。
 ああ私は、こんな彼を――騙し、また、だまし続けているのだ。

 いいえ。だまし続けて――行くのだ。

 だって、それは――




「これは、ヴィオレットと言う」
「……知っています」
 あれから、毎日のようにアストルは花をくれる。なぜか朝から。それは一輪か二輪で、花瓶に足して行く。
 色も大きさもバラバラなのに、不思議とまとまって行く、花瓶を飾り。部屋の中の空気を変える。
 侍女たちがほうとため息をついた。考えてみればアストルの献身は今に始まったことではなく、彼女たちは私達の仲を疑ったりはしないだろう。
 ――変わったのは私。
「?」
 はっとして前を向いた。握りしめていたヴィオレットが、生気を吸い取られて萎れているように、見えた。
 それは、私か?
「ロザー」
「陛下、申し訳ございません」
「クロワ、なんだ」
 いつもならこの時間を遮るものなど、ないのに、その日はカスカードがやってきた。心からほっとした顔を見たカスカードは少し眉を寄せていて、部屋を出て行くアストルに礼を取りながら私に鋭い視線を送ってきた。
 ゾッとするような、冷たい目で。
 ……また説教でもされるのだろう……
「王妃様?」
「ごめんなさい、これは捨てておいて」
 侍女が花を花瓶に生けようと声をかけてきたが、断った。
 ……ヴィオレットを花瓶に挿すなんて、まるで、逃げ場を失った自分を見るみたいだわ。



「こちらを、陛下」
「ああ。……これは急ぎか? そうは見えないが、いったいどうした?」
「いえ」
 どこか、クロワの言葉の歯切れが悪い。こうなった原因を考えると。
「ロザージュか? そう警戒するものでもないだろう」
「申し訳ございません。ですが、――なんでもありません」
「本当に、嫌っているのだな」
「――申し訳ございません」
 何かを掴んでいるらしいクロワ、もし、もう少し、問い詰めていたら。
 答え合わせの時期は、早まっていたのかもしれない。



 流れる時間は、嘘のように甘く、穏やかで。
 初めからこうであれば、もしかしたら、忘れ去ることができたのかもしれない。何かを。
 だけど違っていた。
 だから、私は帰らないといけない。
 なのに――

「ロザージュ、ここにいたか」
「っはい!?」
 逃げ出すこともできず。散歩の途中。城の中庭……中庭? どっかで森にでも繋がっているのかと思いたくなる広い庭の一角に、休憩所があることを発見した。
 ――どこにいても息苦しい。
 だけど、少しだけ、一人でいられる時間……
「アルトル?!」
 腰かけていた長椅子の隣にかけたかと思いきや、彼は私の膝に頭を乗せた。
「しばらく眠る」
「え? え? ええっ!?」
 カスカードの視線が痛い……
 アストルは、本気で眠ったようだった。早い……
 そろりと、寝顔を見つめる。マリアージュにいた頃、よく見た顔だ。そっと、頭を撫でる。

 別れは、突然に――



 昨日の晴天が嘘のように、次の日はどしゃぶりだった。曇り空で部屋の中もどんよりと、薄暗い。
 何かを企むには、丁度良かったのだろう。
 “彼”が現れた。

「準備ができましたよ。 ――何を驚いてます? アストルに情でも移りました?」
「っ何をっ」
「申し訳ございません。王妃陛下」
 アストルは朝から視察に出かけている。そして、この雨。
「素人の足音を消すには持って来いですね」
「悪かったわね」
「この用意周到さ、自分の頭脳が怖い」
「引くわ」
「さて王妃陛下。準備はよろしいですか?」
「――ええ」

 私は、帰らなくては。
 元の世界に。

「本当に帰らないといけないのですね?」
 急に顔を近づけてミストラルが言う。――脅しかけるかのように。
「そうよ」
「では参りましょう。王妃陛下」
 何事もなかったかのように指し延ばされた手を、取った。



 お城の侍女の格好をして、ミストラルのうしろを進む。この侍女服はどこから調達したのだろう? まさか趣味……
「洗濯場から借りてきました。ああもちろん、洗濯済みを。洗濯前が良かったみたいですね」
「さすがミストラル様。素敵!!」
 全力でほめたたえたのが部屋を出る前。今はただミストラルの足だけ見ている。頭は鬘をかぶって、別人だ。
「ミストラル様!!」
 目的地は地下だと聞いていた。一階の奥へ進む。王族のみ通行を許された廊下に差し掛かった瞬間、うしろから声をかけられて心臓が飛び出るかと思った。
「どうしました? 私は忙しいのですよ?」
 こいつはいつも通りだった……
 声をかけた兵士は礼儀正しく謝ったあと、信じられない言葉を口にした。
「陛下がお戻りです。ミストラル様にも会いたいと仰せです」
「はぁ? 予定が早まったのですね」
「はい。なぜかはわかりかねますが、陛下が急に変更を」

 ――ばれましたかね?

 兵士には聞こえないほど小声でささやかれた言葉に、私は戦慄した。
 ばれたら、二度と機会はないだろう。アストルはそう言う男だ。

「はいはい。聞きました」
「ミストラル様」
「最初から私が素直に行くとは思ってないでしょう?」
「急ぎだと伝えるようにとのことでした」
「用が済んだら行きますよ。そう伝えなさい」
 しっしと、追い払うかのように、ミストラルは手を振る。
「はっ! ――して、その侍女は」
「補佐です」
「何かお手伝いであれば自分も」
「僕は男には興味ないんですけど」
 兵士は、一瞬固まったように言葉を失くしていた。顔は見えないが、動揺はしていた。それでも礼儀正しく挨拶をして、ぎくしゃくと立ち去った。
 彼が立ち去って、また十分距離を取ってから私は言った。
「まるで私たちがいかがわしいことをこれからするみたいじゃない」
「ずいぶん思考が汚れてますね王妃陛下」
「むかつく」
「それどころじゃありませんよ。アストルは本気であなたを手放したくないらしい」
「なんでよ」
「予定を切り上げたんですよ。嫉妬深い男は怖いですねー。急ぎますよ」
 後半の真剣さに、黙って頷いた。


 城の地下には神殿があるらしい。先だってミストラルに教えられていた知識の通りに。
 薄暗い階段をミストラスの持つ燭台の灯りで下る。ひんやりと透き通った冬の朝のような空気が流れては消えてゆく。コツコツと響く足音。
 やがて、明るく広い出口が見えた。
 周囲を囲む光の玉は揺れていた。あれは魔術によるものだとミストラルが囁く。アストルの力の印とも。
 言葉が遠くへ響くほどの静寂、広い地下空間。四方を囲む支柱に絡む茨、湧き出す泉、その中心。
 どこまでも白く冷たい台座の上で光る。あれは――
「あれが“玉”ですよ」
 ふらりと、近づいて泉に足をつけた。広がる波紋はぶつかり合って反射して、揺れ動く。お互いを受け入れられないと言うように。
 玉を中心に三重の霧がかかっていた。幕の中に入りこむように、手を伸ばす。一枚目、二枚目、三枚目――

 きぃんと、耳鳴りがした。瞬間。

「スリジェ!!!」

 驚いて振り返ると、ミストラルを突き飛ばして、そこに、アストルがいた。
 戸惑う心を叱咤して、走った。彼が全力で走っても、私のほうがゴールに近い。
「さようなら」
 ふり返りもしないで呟いた。
 あと、少し、玉に手をふれた、その時。アストルの叫び声が、耳を伝って心臓に突き刺さった。
 思わず、ふり返ってしまうほどに。

「スリジェ!!! ――――死ぬな!!」

2016.04.25
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