六 Comme des Fleurs 〜花色の人生〜
( 二十 話 )



 何が起きたのか、正確に記述するのは難しい。スリジェを求めて玉の力の流れを逆流させて、空間にひずみが入ると同時に玉に亀裂が入った。その時、妙に楽しそうな子どもの声がした。
 桃色の髪の女の子だ。見たこともない洋服を着ている。
『交換』
 無邪気に魂を差し出せと言われた気分だ。
「俺はそちらに行く事はできない。だがこの兄ならどうだ?」
「はいっ!!?」
 兄のこんなにも素っ頓狂な声を聞いたのは、あとにも先にも、これが最後になった。
『本当!』
 ――成立ね。
 頭の中で、耳鳴りよりひどい言葉が鳴り響いて正常な思考の邪魔をする。
『じゃぁ。自分で採って帰って』
 前も上も後ろも下もない、何もない空間に放り出された。

 そこにいたスリジェと目が合うと、あろうことか彼女は全力で逆方向に走り出した……




 女神(自称)が、ミストラルを飲み込んだ。――比喩ではなくて、その体躯では到底入らないものをブラックホールであるかのように飲み込んだ。口から。
 ――吐き気を覚えた。
 そんな私を休ませる気はないのか、
「スリジェ!」
 アストルの声がした。――とりあえず、走った。
 逃げ切るためには、どこに行ったら……どこに?
 急に、立ち止まった。背後から来たアストルが追い抜いて、それからUターンしてきた。馬鹿じゃないの。
「スリジェ!!」
「触らないで!」
 その腕に、何度すがったのだろう。すがりついたのだろう。あの時はロザージュだった。
 今は違う。私は桜だ。
「私はスリジェじゃない」
「……そうか」
「ロザージュでもない」
「……そうだ」
「私は、もう」
 いない。もの。
「それで? あなたが三途の川まで連れてってくれるの?」
 話を聞いていないのか、突然アストルに抱きしめられた。
「帰ろう」
「私には、帰る場所なんてないわ」
 罪を償って消えるだけの咎人――
 そんなに、悪いことをしたのだろうか? あの女神のお気に召さないほどに。
「うるさい」
 思えば、アストルは怒っていた。
 だから、私の話も聞かないで、行動に移したのだろう。
「うるさいって、何よ――っ」
 何かの欠片をアストルが飲み込んだのは見た。それは、砕け散ったと言う玉の欠片だった。
 無理やり重ねられた唇。流れ込んできたどろりと甘いようで粘着性を感じる液体を、飲み込んでしまった。



 眩しさに閉じていた目を開け、周りの様子を見る暇もなく。わかっている。ここは、さっきの地下神殿だ。
「陛下!?」
 アストルを押しつぶすように押し倒していた私は、当然のようにクロワに引っぺがされた。――痛い。痛い?
「カスカード」
 アストルの声が低い……
「っ申し訳ございません。――王妃陛下、お怪我は?」
「ない、」
 と、思う。言葉を飲み込んだ。アストルの視線が怖い。クロワの背に隠れよう。うん。
「スリジェ」
「出過ぎた真似を致しました」
 ちょっちょっ壁!? 行かないでーー!! あー……
「……」
「スリジェ」
「……」
「押し倒すぞ」
「願掛けはどこに行ったのよ!?」
「覚えているのか」
「そりゃぁ。しつこいお客様のことは」
「お前は魂だけの存在だった。魔力の補充がなければ消えてこの世界の贄になっていただろう」
「魔力? 補充?」
「わからないなら、いい。取引は成立している。その身の魔力がもう枯渇することはないだろう」
「取引って、あれ?」
「ああ」
「ええと、ミストラル、は?」
「しまった。忘れていた」
 逃げ場はないと知るように、アストルはクロワが向かった先を追いかける。――当然のように私を担ぎ上げて。
「ちょっと!? ちょっと待って!?」
「待たない」
「私は米俵じゃない!!」
「タワラ?」
「通じねぇ!!!!」


「カスカード!?」
 主がすぐさま追ってきたのが意外なのか、クロワは少し怪訝そうな表情をすぐさま消した。
「何か問題が」
「兄上を見ていないか?」
 この時、クロワはとっても変な顔をした。
「陛下……オーストン様は陛下が処分を」
 処分って言ったしーー!!!
「違う、それは確かに葬ったが。ミストラル兄上だ。何を言うんだカスカード」
「ミストラル?」
 クロワは不思議そうに聞き返した。
 はじめて聞く名前だと。――ぞっとした。そのまるで最初からそんな人は存在していないかのようなその空気に。
 一瞬口ごもったアストルは、すぐさま結論を打ち出した。
「咎人の罪は、女神の貢物で相殺された」
「ど、ういう……」
 ここにきてアストルは、私を地面に下ろした。しかし肩に両手を当ててくる。いや、痛いって。
「お前がこの世界に残る代わりに、兄上が消された。空白となった魔力が注がれて、世界の均衡は保たれている」
「あの男の存在を乗り換えたの? 気持ちわるっ」
 最後まで言い切る前に、抱きしめられた。
「よかった……」
 その言葉が本当に優しくて、まるで世界に歓迎ざれているかのような錯覚に陥る。
「――っ私は、死んでるのよ!?」
「気になるなら罪を負って生きるがいい。ただしもう逃げることは許さない」
 背筋が、ゾッとした。
「い、いやよあの男の代わりなんて、お断りよ」
「当たり前だ」
 ここにきてはじめて意見が一致した。
「お前は、俺のものだ」
「違うから」



 それから、第二王子の存在はもとからないものと、すべての記述からも消えているとアストルから聞かされた。
 私は王妃陛下の地位を返すこともできず元の場所に納まった。表面上は。
 神殿での出来事と、玉を失ったアストルは忙しさに拍車がかかったのか、数日は放っておかれたそれをいいことに脱走を試みて、クロワに捕まった。
 それから、何度も何度も脱走を試みてクロワに連れ戻され。しばらくして余裕の生まれたアストルに責められ、脱走中にクロワに連れ戻され、アストルに説教をされ、脱走を試みてクロワに連れ戻され、紙もずいぶん伸びてきた頃アストルにお仕置きされ……ている途中。

「……名はなんという」
「な……な?」
 遠慮なく責め立てられている途中、白く飛んだ意識が正常に切り替わる直前に低く問いかけられ言葉が頭に入らない。
「スリジェ、お前の名だ。まれ人としての」
「――おしえ、ない」
「――そうか」

 逃げる足を切り取ってしまえば、いいんだろうな。

 ――怖いこと言わないで。

 冗談だ。まだ。

 ……。

 だいたい、どうやってこの世界で生きていくつもりだ?

 マリアージュに、戻……


 そのあとのことを、よく覚えていない。ただ、思考がちぎれるように焼き切れた。



「いったい何が不満だ」
 次の日。自分で起き上がることもできず着替えも侍女にされると言う初体験を受けた(ロザージュは除く)私がそれでももがいているところに現れたクロワは呆れよりも怒りをそのまま私にぶつけてきた。
 ご丁寧に、人払いしたお城の中庭の休憩所で。
 長椅子に乱暴に転がされた私……
「あのさ、」
 短く言葉を紡ぐとぎろりと睨まれた。だからさ。
「私が陛下の寵愛よ〜とか言って有頂天になってたらおかしいでしょう」
 何よその認めたくない物でも見るような目は!! って!! 置いてかないでーーー!!!
 ……本気で置いて行かれた……
 風だけはさわさわと、周りの木々と花々を揺らしている。遠くで、水の流れる音。情景だけは美しい。しかし私は動けない。
「もういい。…………眠い。眠い……ねむい……」

2016.04.25
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