第一世  壊された日常

「十音(とおん)!!!!」
 友の、攻めるような声が聞こえる。ペロッと下を出しながら、
「また明日!」と言いながら逃げるように早足で校舎を後にした。
――――日に数本のスクールバスが出るまで、あと四分。 ………友をからかって帰る。怪しいが小さく肩を上下しながら。

 なんてことない。いつもの日常だった。




 なんてことのない毎日が。いつもの生活が。
 体に染み付いた習慣が。普通であることが。

 何よりも大切で、何よりも大事で。

 それが基本となってこれから生きていくのに。

 普通に過ごすことも出来ずに、普通でいることなど出来る はずもないのに。






 隣の席に荷物を置いて、窓枠にひじをつき眠る。
 座ることは出来るが、一時間に一本で終電のありえないくらい 早い電車の中を。窓の外は木々が途切れることのない景色。友から借りた本を読む。日の入りの早くなったこのごろ。人通りの多い道を通って。 それでも、小さな路地に人気はない。

ドン!!! グラァアアア!
 突然響いた音。揺れ。地震かと思えば。まわりの景色がゆがんで いった。

「こちらへ…………」

 覚えているのは、そこまで――――吸い込まれる ように。キエル―――



  ※  ※  ※




「大丈夫か?」
 目を覚ました私を、一人の男が覗き込んでいた。歳は、そう。 二十五歳くらいだろう 黙っていればきれいな顔立ちをしているのに、 心配そうに顔をゆがめているのを見ると、見目麗しさ半減だ。
「誰?」
 横になっていた。(されていた? 私はいつ眠ったのだろう?)体を 起こすと、部屋の全貌を眺めることが出来た。

「は?」

 まず、自分が寝ているのは天蓋つきのダブルベッドにも負けない 広さの寝台。正面の壁にはどこかの湖畔の絵。上の丸い開かれた 窓から送られる風。深い緑の絨毯。本棚に並ぶ本は厚い。サイド テーブルに置かれたランプは、百合のような形をとっていた。扉の ついた棚の上にある花瓶に生けられた花。水差しに入るレモンの 浮かばれた水。シンプルなグラス。――――ってちがう!!!

「どこよ!!!」
「落ち着いて十音」
「あんた誰!!!?」
「着替えがそこにあるから。俺は外にいるから終わったら出てきて もらえるか」
 気づけば、自分が着ているのは白い服だった。寝苦しくないように ワンピースだ。なんで自分がこんな服を着ているのか?問う間もなく男は部屋を 出て行った。

「………」
 どうしよう。ここはどこか。いつものように、学校から帰ってきて いただけなのに。



「よく似合うね」
 言葉のとおり部屋の外にいた男が私を見て言う。

「どこよここ!!!」
 私は男に向かって叫んだ。
「なんで私がこんなところにいるのよ!」
「落ち着けって十音」
「だからなんであんたが私名前を知ってるのよ!!!」
「ああ、そうか。………」
 何かを思いついたように、男は私を見つめてきた。
「な、なによ……」
 あまりに真剣なので、ちょっと押し黙った。

「いや。俺は四利(しり)。呼び捨てでかまわない」

 あえてゆっくりと目をそらす。何か気まずそうに。

「別人だな」
 静かに、はっきりとつぶやいた。……私には聞こえたけど。

「それでここはどこで、なんで私がここにいて、あんた誰? ああ!  四利だっけ?」

「お前の質問に答えるのは後回しだ。先に王に会いに行ってもらう」
「はぁぁ!!!?」
「来い」
 ついて来いというように、私に背を向けて歩き出す。さあ、十音は? 高くて広い廊下を、早足で先を歩く四利とは、反対に向かって走る。

「こら!!」
 ついてこないことに気づいた四利の叫びを無視して角を曲がろうと した時……

がっ!!
 足を何かに引っ掛けた。

「ワキャっっ!!!」
どさ!!
「………っったーーー……」

「とんだ方だな……」
「ってゆうかすごい行動ね……」

――――逃走した。

「………放してよ」
 抱きとめられた人から放れて、そのまま、また走り去ろうとしたが 腕を捕まれている。

―――逃げられない!

「……ちっ!!」
 取り繕(つくろ)うこともなく顔をゆがめて舌打ちした。

「三臥(さんが)。五依(ごい)」
 四利が歩いてやって来た。

「助かったよ」
「しょうがないわよ。まさかいきなり逃走するとは思わないもの」

「イタイ!! 痛い! いたいぃぃっっ!!!」
 ちらっと目を向ける。十音はまだ逃げだそうと腕を引いたり叩いたり していたので、うっとうしく思った三臥に腕をひねられたのだ。細い 腕がありえない方向に曲がる前に、三臥は腕を放した。
「っったっーーー」
 涙目でしゃがみこむ十音。

「どうするんだ」
 ため息をつきながら三臥は言う。
「どうするってーー……」
 五依が頭をひねり、戻す。

「よろしく四利」
「お前が適任だ。もう逃がすなよ」
 あっさり二人は放棄。

「行くぞ」
 ねじられた左腕とは反対。四利は右腕をつかんで十音を立ち上がらせ、 早足に廊下を進んで行った。



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