一瀬は王だった。……最初から――

 誰もが俺を「一瀬」と呼ばなくなったのは、いつからだろうか――




終末を選んだ破滅の音



「王!」
「………」
 聞き知った声に呼びかけられて、呼びつけた四利を睨みつけた。周りの人間を追い払い、廊下に二人。不機嫌そうな態度を読み取った四利が、息を切らして近づいてくる。

「王……一瀬」
「………」
 いっそう目つきが険しい王。
「………一、瀬」
「―――なんだ」
 ようやく反応を返すと、少し安堵したようだ。だが、不機嫌なのは変わらない。
「ぁ〜〜と……」
「?」
 少し前、侍女に言われた言葉、“呼んでいる”。
「なんだ?」
 もう彼も王と呼ぶ。今は、俺は王なのか、一瀬なのか。
 一瀬と言う人なのか、それともこの世界の王であればいいという存在なのか。
「「元」が、呼んでいると……」
「――――」

 かつん、カツンと、無機質な靴音が響く。侍女達は頭を垂れるために立ち止まり、兵士達は姿勢を正す。そこを、歩く。長く暗く、果てのないような回廊。

「「元」、か」
 いつもそうだが、「元」に会うときは人払いをしている。ガラス張りの窓の向こうで覗かれるのは、許さない。こんなわがままが、通るような地位。

 開いた扉は、閉じられる。まるで、開かれる事を忘れていくように。

「―――来い」
 その、睨みつけるさまはまるで、何か別のものでも待っているようだ。と、いつも自嘲する。待っているのは恋人でもなく、友人でもない。この世のすべてを現して、いっそ、この世から消えてほしいと、消し去りたいと厭(いと)う存在。

「―――」
 聞こえた声は、老婆のものだった。
 風に混じって、かつての王達の怨念が聞こえる。

 お前は……王だ…そして、世界の餌と孤立と孤島と一人と原動力、抗えない力。

 そして、孤独―――

 「元」に、奪われる記憶。―――そう、いまだかつていくらの記憶が消えていったのかわからない。――――人の顔。
 いくら呼ばれ奪われようと、“王”としての責務を果たすことに支障はない。―――地形、財務、人事、政治……

 ぁあ、狂われさているとわかったのはいつだ?




「お前新人か」
「っ! ……はい、今日から王様をおこしに来る係となりました。」
「………」
 興味を失ったらしく、一瀬は沈黙ののちそうかと言った。




「王!!」
「なんだ」
「……よろしいでしょうか」
「かまわん」
 誰もが一歩引く――何を、恐れる。……。

 それだけの事をしてきた。この世界のために。時に、人を殺すように仕向け、表と裏を作って。
 後悔はない。いつから、どこから、誰の目にも映りつつも誰も見ていなくなったのか。させたのか。わからない。

「あの頃は……」
 声が、風に運ばれた。ふと口をついた言葉は、今ではない過去を求めていた。

『きっきゃーー!!』
『一瀬様!! 四利様!?』
『『ばーかばーーか!!』』
『お待ちなさい!』
『お二人とも!! イタズラが過ぎますよ!!』
 二人が走り去る様子は、誰もが見ていた。
 窓辺から、侍女も、兵士も。国の人々も。そして、かつての王でさえ。
『………』
『どうやら、時代の王は――とても、元気なようで』
『そうだな……』
『王? いかがなさいましたか?』
『いや』

 それだけに不安だ。王になれば……いやそれ以前に、二人を「元」が呼べば。

『……王』
『わかっている』
 私が死ねば、すぐにでも彼は王となろう。最近は代替わりが立て続けに行われ、十人中半分は十に満たない子どもだ。王である私だけは、死の直前ではない今に、次を選び出す事が出来る。


 あの少年は、危険だ。時折見せる瞳の濃さがそれを物語る。まるですべてに興味がないとでも言う眼。この世界など嘲笑するかのように。
 そして、その目に映る世界は作り物。「元」の気まぐれで生かされている存在。

 まだ今は来ないが、いつか、彼が王となって……そして、「元」を怨んだら。

「誰か、止めてくれないか?」
 その役目は、果てなく重い。




 イタズラが好きだった。この城の中はつまらなくて、まだ王になることもよくわかっていない。
 だが自分が特別に扱われている事だけは感じていた。
 他に「元」の餌になる人より、もとより、ただの人より。

 だが意外にも、一人だけ馬鹿がいた。
『一瀬は、僕の友達なんだ!!』
『いきなり何を………』
『だから、一瀬に何があっても、僕は一緒にいるよ!』
『………』
 そう言った四利と一緒に、よく侍女をからかったものだ。

 はっと、四利はうたた寝から覚醒した。―――よもや、同じときに一瀬が同じ過去を描いていたと思いもしない。
 少しだけ、笑ってしまった。あの頃の自分に。嬉しそうに笑った一瀬をはじめて見た時、俺はまさか一瀬が王だと思わなかった。同じ境遇をすごす、仲間だと思った。

 あの時の言葉は、過去に失った。

 歩きたい気分だった。そう、誰もいない所まで。



「………ひ…っっく……えっ………」
「――?」
「ふ………ぇ………ひっ!」
「? どうかしたのか?」
「きゃぁ!! ………ぁ……四利様……」
「どうした?」
 本当に人通りのないに等しい回廊。響いた、すすり泣きの声。
 彼女は、ここ数年一瀬を起こしに行く係だった。もっとも、一瀬は彼女が来る前に目を覚ましている事のほうが多いらしく、いつも彼女の仕事の半分は終わっている。

「ぁの……いえ、なんでもありませんのでっ」
「……一瀬?」
 ふと言った言葉に名前を出して、驚いた。
 びくりと震えた肩を見るところ、何かあったようで。
「いいけど、本人に聞きに行くよ」
「!!? それだけはおやめ下さい!」
「……?」
 いつもより切羽詰ったように必死な彼女の声は、叫ぶようだ。
「っ!」
 大声を出してしまい、我に返ったように彼女はうつむいた。
「申し訳ありません」
「……気にしなくていい」
 あそこまで必死になる理由は?
「………」
「……言いたくないなら……」
「“王”は、」
「?」
「私をお覚えではありません」
「………」
 四利が、絶句してしまった。




「いつまでも、一緒に。か」
 人払いをした部屋で、一瀬は思い描きそしてかき消した過去を噛み締めた。
「そうだ、確かに“一緒”にいてくれる」
 隣に――いるだけなのか?
「………」
ガシャン!
 置いてあった、指紋ひとつなく磨かれていたグラスが割れる。


 必要なのは、“王”と“餌”。
 「元」に必要なのは―――………




 別の侍女に見つかって、連れて行かれたあの彼女。それを見送った。
 動く事ができなくて、ただ回廊に身を預けた。恐ろしい考えに、囚われたまま。

 俺は、いつか、一瀬に向かって“誰”と言うことになるのだろうか?

 そして、一瀬は彼女のように悲しむのだろうか。悲しんでくれるのだろうか?

 そんな長く苦しむ枷(かせ)を、君に背負わせていいのか? 俺は。いや、君は王であって王でなければならないんだ。それを、俺が邪魔してはいけない。
 そう。その思いの深さが深いだけ、傷つくのは相手。ならば……




「王」
「――なんだ」
 いまでも、いつでも。四利に“王”と呼ばれると、反応が鈍る。

 もういつから昔の話なのかわからない。あの呼び声。
『一瀬!! 一瀬!』
 目の前には、ただ己(おのれ)の責務と事実がのしかかるだけ。皆がただ王と呼ぶ。その世界に必要だから。ただ選ばれた、「元」に選ばれただけの“餌”であるのに―――

 ――そうか、もう、誰も俺を見ていないのか。俺自身を……俺は、なんなんだ? 一瀬と言う人間は?




 そうして、距離は離れていく。もう、背中も見えない。それを望んだのは、俺。一瀬を、引き離した。
 これで、いいんだ……


 必要なのは“王”。「元」の餌。この世界に必要なのは―――……

“王”?


ザ―――

 珍しく、長く、王都に雨が降った。長く、長く。水はあふれかえり、あちらと、こちらを引き離した。
 晴れ上がれば水は引く、しかし、流れに生み出された深い溝はすぐに埋まる事はなかった。




「王!」
 誰が、何も言わなくとも。俺は“王”と呼ぼう。――いつか、俺が君を誰と呼んで傷つけるなら。
「―――四利?」
 こうやって最後の一人までもが、俺を王と呼ぶ。「孤独と、責務に生きろ」と、かつての王達が耳元で囁いた。

『お前は、“餌”なんだ』

 ―――冗談じゃない。
 なぜ俺が、“王”である必要がある? 「元」の餌である必要がある?
 そうだ、必要なのは“王”であって、俺ではない。この世界には。

 この“世界”は――?


 風が止んだ。もう、木々はざわめかない。




「十音」
「? なぁに八蛇?」
 ふと見た先に、二つの影が見えた。同じ境遇を背負い、傷を庇(かば)う。いや、隠しあう愚かな餌達。

 笑いが、止まらない。


 こうなったら、どうする? どうでるかな?

 手始めに、あの二人を引き離そう。

「王? それは、」
「よろしいのですか?」
「決定だ」
「王! ……一瀬」
 名で呼ばないと、振り返ってもくれない。
「なんだ? 四利」
「知らないわけじゃないだろう?」
「なんの話だ?」
「―――」
 はじめてだった。一瀬を、こんなにも恐れたのは。恐れ、それはそう、目の前にいるのが一瀬だともわからない。―――誰なんだ? これは。

 ―――“王”なのか――




「王!! 一瀬!!」
 回廊を歩く、王が振り返って立ち止まる。
「なんてことをするんだ、八蛇と十音のことは知っているだ……」
「知っている」
「なら、なぜ!」
「さぁ、なぜだろうな?」
 瞬間に、再び襲った恐怖心に戦慄(せんりつ)した。
「お、う?」
 冷や汗が流れていく。目の前の一瀬が、誰だかわからない。お前は、誰なんだ?
「用事はそれだけか」
 足音が遠ざかると同じように、四利は一瀬のこともわからなくなっていくようだった。


 もう、祈るしかなかった。「元」に?

 ―――いつか、まるで遠くに行ってしまったような君が目の前に立っていると、信じてもいいかい?

 もう、もとには戻れない。――わかっているだろう? 俺は、お前をも裏切ったんだ――




 軋んだ歯車が、音を立てて回りだしてしまった。
 破滅とゆう名の、結末に向かって。







読み返して支離滅裂になっていく……
なぜあんなにも一瀬が四利を信頼(?)しているかって話を書く、はずが……
四利は一瀬のためを思って、王と呼ぶ。
一瀬はそれによって自分ではなく“王”がいればいいのだと思うことに確信を得る。
「元」の餌なら11人の人間がいた。だが、この世界に“王”は独りしかいなかった。

「元」のために生きることを拒んだ王。すべては、彼と共に。


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