龍国の人間
(3)


「ランドール、ずいぶん龍国のお姫様に入れ込んでいるようだな」
「そうですか?」
 ランドールと呼ばれた青年は、なんですかそれはとでも言い出しそうな顔で、声を掛けてきた人物を振り返った。
「相変わらずだな」
 自分の気分の変化を、人に悟らせようとしないあたりが。
「父上が思っているような色恋沙汰にはなりませんよ。気になる噂を聞いたので、真相を」
「で、真実だったのか?」
「そのようですね。困った事に、こちらに不利になるでしょう」
「なんだ、それは」
 会場の一角、イド国の王と王子と臣下が、集まって密談を始めた。



 あの嫌な人が去ってから、余計に視線が突き刺さる。見下すような視線。軽蔑するような、信じられない物でも見るような。
 人として、認識されているかすら怪しい。
「行きましょう、白露」
「いいのか?」
 無理を言ってまで、ここまで来たリーファだ。白露は問いかけた。
「だって」
 会議の前に、ダンスパーティ、なら今は会議の時間。威圧感のある人々が、集まって会話している。
 明らかに、国風の違う者達が集まる姿は、目立つ。でも、何ヶ国か集まっている場所もあれば、一国で集まっている場所もある。
 相手に、挨拶をしたり、しなかったり。大国や帝国と言った、国の集まりだ。
 私は、場違いであり、そして格好の獲物。私に興味はなくても、龍に興味はあるのだろう。人々の視線を集めるのは、白露だ。
「もういいの」
 ここにくれば、少しでも、母の故郷が知れるかと思った。だけど、それを期待できる場所じゃない。
 でも、私はここにしか来られない。この場、この時にしか。
 せめて、母の故郷に足を踏み入れたい。
 と、そこに目の前に差し出された琥珀(こはく)色の飲み物に、目をぱちくりと開く。いつの間にか、白露の手にはグラスが二つ。
「いつの間に?」
「さっき」
 それだけ言って、グラスに口をつける白露。もう、いつもの調子だ。その様子に、笑えて来る。龍(彼ら)はどこに行っても、こんな調子だ。
「ありがとう、白露」
 そう言ってグラスに口をつけた――その時、遠めに会場に入ってくる二人が見えた。
「しん……か」
 思わず、一歩足が下がる。
どん!
「きゃ?!」
カシャン!
 何かにぶつかって、グラスを手放す。割れて流れ出た琥珀色の液体が、絨毯(じゅうたん)に染みを作った。
「大変!」
 あわてて、しゃがみ込んで砕けた硝子を拾い集めると、くすくすと笑い声がもれた。
「ねぇ、見てあれ」
「みっともない事」
 まるで大輪の花を匂わすように着飾った婦人達が、扇で口元を隠して囁く。
 すぐにやってきた給仕は、淡々と私の手から硝子を取って私を立たせる。その目が、下がれと言っている。――私の役目では、ない。
 急に恥ずかしくなってきた。礼儀も作法も知らない、無知な娘と思われているのだろう。それは事実だが、その所為で龍が悪く言われるのは我慢ならない。
 きっと顔を上げると、呆然と私を見つめる視線とかち合った。どうやら、私は彼にぶつかってしまったようだ。
「ごめんなさい!」
 あわてて、頭を下げた。男性は、何も言わない。私は恐る恐る、頭を上げる。
「………シェルラ、様?」
 さっと、自分の中を衝撃が駆け巡った。言葉が、震える。どうして、どうして、それを――
 私がその名に反応した事を、その男性は見過ごさなかった。
「いえ――よろしければ、お時間をいただけませんか? もちろん、龍の方々も一緒に」
 気が付けば、不機嫌そうな心架と、心配しているリトと、相変わらずどこを見ているのかわからない白露が、うしろにいた。



「どうぞ」
 目の前で、扉が開かれる。私にあてがわれた客室とはまた違う雰囲気を持った室内。
 暖炉には煌々と火が灯っている。
 会場を離れるのは、逆に目立ちますが、いかがしますかと問われる。できれば、もう人の視線から逃れたいとは言わなかった。言えなかった。
 何も言わない私の答えを汲み取ったのか、男性は会場を出て当てられている客室に私を招いた。
「どうぞ」
 導かれるままに、長椅子に座る。その間、男性は火に水をかけていた。さっと、お茶を入れる仕事をリトが奪う。
「……あの?」
「先に、話を進めて頂戴」
 さくさくとカップの準備をするリト。
「お願いしても、よろしいのでしょうか?」
 なんといっても、相手は龍だ。男性は困ったように、リトと私を交互に見ながら言う。
「好きにさせてあげるのが、得策では?」
 悩むなら。それで、本人がするって言っているんだもの。問題ないわ。リトが入れたお茶は、おいしいわよ。大体は。
「そうですね。ご忠告に従いましょう」
 男性は、どうした物かと悩んだ末。私の斜め前に座った。心架は私の後ろに立っていて、白露は窓際をうろうろしている。
「申し送れました。ラミル・ウィルトと申します」
「リーファ・西紀です。こっちは心架で、お茶を入れているのはリト、あそこをうろついているのは白露です」
「ご丁寧に」
「いえ。あの、それで」
「シェルラ様ですね」
「はい、なぜ母を――?」
「母!!?」
 ラミルさんがいきなり立ち上がって、驚きに目を見張る。私も驚いた。
「あの、何か?」
 心臓がドキドキしたまま、問いかける。
「ぁ、いえ。すみません。ですが、それが本当なら――」
 それが、本当なら?
「疑われるのですか?」
 なぜ、疑われなければならないのだろう。
「いえ、っ申し訳ありません」
 失言を自覚したのか、頭を下げてくる。
「……本当なら、なんなのですか?」
 もし、母の故郷が知れるなら――
「シェルラ様は、数十年前になくなられたのです。――海に、落ちて」



 あれは新月の夜だったと彼は言う。
 船で国に帰る途中。入り込んだ密偵の仕業だった。
「そろそろ、二歳になる娘と共に、シェルラ様の体が宙に放りだされ、深海に消えていきました」
 あの光景は、忘れられない。あの場にいたもの達は一生忘れる事はないだろう。自分達の無力さと、絶望感を味わったあの日。
「夜の海、昼の海の捜索の末――見つけることはできませんでした」
 遺体も。
「私達は捜索をあきらめ――十六年」
 どくん、どくんと心臓の音が聞こえる。大きく、激しく。私の気持ちを落ち着かせない。
「――それが?」
 心架が、肩に手を当ててくれている。それだけが、どこか救い。すがりつく先は、あるから。
「もし貴女が――いえ貴女は――」
 彼が、言葉を切った。
「なんの話? リーファ」
 瞬間に私と彼の間に割って入ってくる顔。
「白、露」
 張り詰めて、高まっていた気持ちが拍子抜けする。目を見開いて、唖然としてしまう。
「邪魔よ!!?」
 ガシャンとひどい音がした。
 注いで持っていたお茶を派手に白露の頭にぶちまけて、リトが白露を連れて行った。ちなみに、カップは粉砕している。
 バン! と、耳に痛い音を残して部屋は静まりかえった。逆に動けない。
 なんというか、あまりにかけ離れた日常を垣間見た気がする。――今でなくていい。
「シェリーナ様」
「誰の事?」
 思うと、さっきの白露とそう変わらない様子で問い返した。まだ、日常の延長。
「……シェルラ様は、貴女様の事を、なんと?」
 たった一度だけ、母は私を呼んだ。ただ静かに。その目が見ているのは、リーファ・西紀ではなかった。
「………」
 たった一度だけ。でもそれは、誰かに言いたいと思わない。
「リーファ、最後に口を封じてもいいが?」
「心架、だから冗談に聞こえないの」
 彼の顔が、引きつったわよ。がっくりと、肘を突いて額に手を当てた。
「シレン。シェリーナなんて知らないわ」
 そう言って手を上げた。なんだかもう、期待するのが馬鹿馬鹿しくなって来た。
バン!
「っ!?」
 だが、突然彼が立ち上がった。驚いた。私は、すぐに心架に抱きとめられた。
「シレン、と」
「は?」
 震える声で、問われて、あまりの形相にこちらが驚く。
「シレンと呼ばれたのですか!?」
「静かにしろ、リーファが怯える」
 心架の目が、ぎろっと睨みつける。
「申し訳ありません」
 身の危険を感じたのか、彼は椅子に腰掛けた。
 彼は、聞いた事を何度も繰り返していた。シレン、シェリーナ、シレン……何か、関係があると?
「シェリーナは、わが国で海の魔女を指す言葉です。シレンは、シェルラ様の母国誤で海の魔女を指します」
「それって――」
「ご帰還を、レント国王女シェリーナ・レント様」
 何より貴女は、シェルラ様によく似ておりますと、彼は言った。



「あの時の娘、だとでも?」
「おそらく」
「海に沈まなかったのか」
「……助かったのでしょうね」
「どこまでも、邪魔だ。赤子ならば、た易かったはずだ」
「人ならざるものに、救われたのでしょう」
「運のいい娘だ、いつまで続くか見ものだな」
「まぁ王妃もろとも海に落とすよう仕向けたのが私達と、知られたわけではありませんし」
「当然だ」
「……予定が崩れますね」
「問題なかろう、あの娘がそうだと知るものはいない」
 会場の端、カーテンを引きちぎる勢いで一国の王とその息子が密談する。
 それではもう、遅い。


2010.11.27
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