龍掟の試練
(2)


ぴちょーん
 こそっと、ひょこっと、顔を覗く人影が見える。転々と灯された松明の明かりを追って、歩く。
 低く、細長い洞窟。
 ほぼまっすぐの道を、彼女は一人で進んでいた。
 いつから点いているのか、いつまで点いているのかわからない松明の火が揺れる。長い、長い影が彼女のあとを追う。
ぴちょーん
 時折響く、水音。
(これは、どきどきするわ)
 冷たい洞窟の壁に手を当てたまま、リーファは足を進める。
 それは龍の掟で定められた。龍王の隣に立つ人間に向けた。試練。これまで、いったいいつ、この場所に人がいて、この試練を、受けたのだろう。
「……あれ?」
 進む道の先、一際眩い、光が見えた。

 まぶしさに腕で顔をおおう。そして、光の先に――

「ぇ?」
 開けた視界、眩い光。微笑む女性と、傍による男性。
 周りを囲むのは緑と、白い花。流れる水、降り立つ光。
 桃色の布にくるんだものを、愛おしそうに抱く女性が、微笑んだ。
 そして、振り返る。
 夫婦なのだろう。目があって、笑いあっている。
 幸せだと、言うのがばかばかしいくらいだった。
 まるで、永遠だと言うほどの時間。
 女性が、ささやいた。
「シェリーナ」
 風が、通り抜けた。はっと顔を上げて、同じ言葉をもう一度、聴いた。
 目が、あった。
「シェリーナ」
 三度目の名は、私を、呼んでいた。
「……お母さん?」
 次に、母が視線を上げた。そして、私を見て、呼ぶ。
「シェリーナ」
 私を、呼んでいる。
 父も、母も、私、を――




「で?」
 腰に手を当てて睨むリトの視線をうっとおしそうに心架はそらす。
「それでリーファがこの洞窟に入ったっての!?」
「リト、元気」
「あんたもいつ帰ってきたのよーー!!!?」
「さっき?」
「うるさーい!」
 突然現れた白露に向かって、叫んだあと、リトがぐしゃぐしゃと頭をかき回す。
「ぁあもう! なんなのよ!?」
 なんだといわれてもと、心架がため息をつく。白露は、普段と同じ。何を考えているのかよくわからない表情で無表情に……本当は無表情ではないのだが、見分けるのはむずかしいので、はぶく。リトを見つめていた。
「おちついて」
「ふざけんじゃないわよ!」
 子供をあやすようにリトを扱う白露に、またリトが怒りを募らせる。
 それを見送っていた心架は、再び洞窟に目を向けた。それはとても厳しいもので、それを見たリトが、口を閉じた。



 おいでと、手を伸ばされた。それは母親。おいでと、呼ぶ声。それは父親。
 母親の腕の中にいる、自分。――私?
 あれが、私? 私が、あれ? あれ?
 見上げている。顔。ぼやける視界に、微笑む顔。
 とても、うれしそうに。隣でその様子をほほえましく見守っているのは、父なのだろうか。
「おやすみ、シェリーナ」
 小さく伸びをして、瞳を閉じる。揺れるからだ、耳に伝わる、歌。
 ぁあ、眠いわ。




「で、リーファは何してるの」
「リト、知らない?」
「うるさい!?」
「いたい……」
「黙ってなさいよ!!」
「……でもリト」
「なによ」
「心架、いないよ」
 忽然といない影、彼は移動していた。騒がしいから。
「先に言いなさいよーーー!!!」





「お母さん!」
「どうしたのシェリーナ」
「はい!」
「まぁ、ありがとう」
 肩口まで伸びた髪を揺らして走ってきたシェリーナが笑う。小さな花を受け取った母親も笑う。
「姫様!」
「きゃぁ!」
「王妃様! 姫様がまた」
「あらまぁ、シェリーナ。また抜け出してきたの?」
「だってー」
 つまんないーと、少女が口を尖らせる。大臣が頭に血を上らせて顔を真っ赤にしている。
「シェリーナ、だめよ」
「だってー」
「ふふっもう少しでしょう。そうしたら、お茶を一緒にしましょう」
「ほんとう!?」
「本当よ」
「ぜったいだよ!」
「ええ、シェリーナ」
「まったく、姫様!」
「早くしてよ! かあ様とのお茶会が待ってるんだもん!」
「姫様!」
 先を走る幼い姫に続いて、声を荒げる大臣が続く。
 すれ違う侍女が微笑む、兵士も道をあける。穏やかな一日、楽しい日々。
 そう、とても、とても、幸せな日々。


 今の姿が、本当であると、誰が言ったの?


「姫様」
「ラミル?」
 もう、大きくなった。十六という年齢になれば、婚礼の話も持ち上がる。
 ふと、シェリーナは首を傾げた。
 目の前にいるラミルは、近衛の兵だ。だが――何かが頭をよぎる。まるで何か、どこかに忘れてきてしまったかのような、彼と、どこかであっているような、違和感。
 こうして顔を見合わせるのは、はじめてのはずだ。
 なのに。
「姫様? どこかお加減が悪いのですか?」
「え? いいえ!?」
 走って、逃げた。
 違和感を、捨てて。
 だけど無視するには、忘れるには、大きすぎた。
 まるで、まるで――


「ここは?」
 壁一面に張られた世界地図に目を向ける。今、はじめて見た。これまで見てきたはずなのに、はじめて、見るような。
 そして右側の左上にある、真っ白い空白。
 ここは? いえ、これは?
「ここは空白ですよ。誰もまだ行った事のない、空白の場所」
「違うわ」
「姫様?」
「ここは、ここ、は」
 手を空白に滑らせる。私はここを知っている。あの世界で、あの場所に存在する、ものたち。
 もう、ここに手が届くほど背が伸びた。見上げていた大臣も、今は同じくらい。
 手を握っていた両親の手と、私の手の大きさも変わった。
 そして、私の体も――
 何か、変だ。
 警告を発する、何かが。
「いた……」
 頭が割れるように痛い。手を引っ込めて座り込んでしまう。
 おかしいと、いう。いいえおかしくないとも。
 思い出すなと、感じるなと、考えるなと。
「シェリーナ!」
 警告を発する、母。その手を払いのけた。
 痛い。
 痛い。
 手を払いのけた、その事実が。
 どれほどまでに、痛いか。
 手を払いのけなければ、ならないほど。
「シェ」
 泣いていた。涙が止まらない。
 幸せだった、幸せなのだ。ここは。
 見上げたリーファのほほを流れる涙が、止まらない。
 望んでいたのかもしれない。幸せなのだ。
 だけど、だけど――
 手を振り払われた事に、苦しそうに顔をゆがめる母、うしろに現れた父。
 その二人の、絶望的な表情。
 悲しい。
 私、幸せだったわ。
 ここでは。
 だけど、違うの。
 望んでいた。願っていた。
 けれど、違う。
 でも、これも、私が。
「シェリーナ!」
 最後だと言うように二人が呼んでいる。父親、母親。
 この国での、暮らし。
 生きている、母と、父。やわらかな空気。
 でも違う。違う。違うの。
 大切なもの、本当に大切なものを置いてきたの。

「――心架」


2010.12.30
龍掟の試練(1)   /  目次   /  龍掟の試練(3)