龍掟の試練
(3)


「リーファ?」
 泣いている――? 泣いている。
 立ち上がった心架は、伸ばした手の先を見つめて唇を噛んだ。
 その手が振り上げられる。
 叩きつけられた岩の壁が悲鳴を上げた。



「だから! 邪魔だって言っているでしょうが!!?」
「リト、耳痛い」
「うるさーい!」
「服、伸びる」
「どうでもいいわっ!?」
 のらりくらりと叫びを交わす白露に、リトが余計に怒りを募らせる。周りの空気が冷えていくような、燃え上がるような。
 またも心架の近くまで来て、二人は言い争っていた。
 かなり騒がしい。しかも、立ち上がった心架の様子ですら、リトの目には映っていないようだ。



 心架は、岩に叩きつけても痛みすら感じないこぶしを見つめたまま、ふと怒鳴り声に誘われるように振り返った。
 また自分より背の高い白露を、リトが胸倉をつかんで持ち上げようとしていた。
 何をしているんだ、あいつらは変わらずとふとよぎる。
 そして、短く笑った。
 こんな所で、リーファがいないという気も狂いそうな時間を待ち続けている中で、救いとなるのは彼らがいつもと変わらないからかもしれない。
 何も変わらないままだ。
(だから、早く帰ってこい)




 急に、目の前が真っ白になった。
 反射的に待ってと叫ぶも、彼らは消えてしまう。白くなって消えてしまう。
「お母さん! お父様!」
 涙が、落ちた。はねて、また落ちた。
 叫んでも、叫んでも。
 もう一度、失うのか。
 足が動かない、彼らは消えていく。周りの景色も、すべて消えていく。
 消えて、無くなる。亡くなる。亡くなっている――



『しぶとい娘だ』
「あなたが試したの?」
 真っ白い場所に、独りで座り込んでいた。
 顔を両手で覆って、嗚咽が止まらなくて。ただ、悲しくて。
 そこに聞こえた、無粋な声。
『人が龍と共にあることですら、許されぬと言うのに。お主で二人目だ』
「それがどうしたの」
『何を泣く、自分で望んだのだろう?』
 この試練を。
「あなた、嫌い」
『光栄だな』
 ゆっくりと、リーファは顔を上げた。真っ白い空間に、浮かび上がる影。
 大きな、龍だった。
 だけど、違う。
 実体がない。
 生きていない。
「あなた、なに」
『どうでもよかろう、娘』
「あなたのせいで心架がいわれのないことで責められたのね」
『お主のせいだろう』
「あなたが文句を言わなければ何事もなかったわ!」
『それは違うな』
 どこか、勝ち誇ったような。
『わしのせいにされても困る。今の長老と呼ばれる者たちが警戒する理由など、わからぬだろうな。それにわしだって、彼らに利用されているにすぎぬ』
「どっちでも同じだわ」
 リーファは、はっきりと言った。
『まぁよかろう』
 こいつとは意見が合いそうもないと、リーファが睨みつける。互いに、同じだった。
「それで、なんなの」
『ずいぶんだな』
「知らないわ」
『なぜ思い出した?』
「……何が言いたいの」
『あの世界で、生きられたと言うのに』
 ぐっと、リーファは言葉につまった。それはとてもとても、魅力的だった。いや、望んでいた。
 大切で、大好きで。
「嫌い」
『わしを拒もうと、変わらぬぞ』
「知っているわ!」
 苦しい。苦しい。まるで何かで抉られるようだ。
 私は、死別した母と、拒絶した父に、また、再び、もう一度。
 自ら、彼らを殺してしまった。自ら、望んで。
『よくそうも泣けるな』
「うるさいわよ!」
 涙を振り払って、睨みつける。
「心架のところに帰して!」
『そうだな、ここまで来てしまった以上。そうせざるを得まいか』
 リーファはほっと息をついた。もう、二度と、あんな思いをさせられるのはごめんだ。
「早く!」
『そうまでして、龍と共にいたいのか』
「私は、心架と共にいたいの」
『人が龍と共にあり、また人と共にあることはできまい』
「だから、何が言いたいの」
『お主は人の世界を、捨てることができるのか?』
「私は、心架と生きると決めたの。それがどこであるかなんて、関係ないでしょう」
『なら、なぜ泣く?』
「うるさいわね! もう泣いてないでしょう!!」
 涙を流さなければ、泣いていないのだと誰が言ったのだろう。
『そういうことにしておくか。もう時間だ』
「時間?」
『ぁあ、わしは眠い。また騒がしくして起こすなよ』
「永眠しなさいよ。死んでるんだからそれらしく」
『はっはっは! 面白い事をいうな娘』
「リーファよ!」
『そうか、リーファか』
 はっと、リーファは口をつぐんだ。結局、自分から名乗っていた。相手は笑っている。
「くそじじい」
『その口、あの若造の前で聞いてほしいものだな』
 ふと想像してみる。たぶん青くなった心架は、頼むからリトから余計なものまで学ぶなと私の両肩に手を当てて真剣な目で言ってくるのだろう。
「でもたぶん、あなたに食って掛かると思うわ」
『……だろうな』
 また何か楽しそうに、笑っている。
 何か癪だ。
『ぁあ、久しぶりに笑ったな』
「あっそう」
『それだけ元気があるなら、大丈夫か』
「心配してもらう必要なんてないわ」
『そうか。なら戻れ、人よ』
「言われなくても」
 立ち上がったリーファの目の前から、消えていく。解けて四散するように。
 消えていく龍の姿、ひびの入る空間。
「え?」
 目の前が、眩く、輝く。まぶしい。
 リーファが、腕で目を覆った――
 もう何も聞こえない――



『あの巫女の再来、か』
 そっと、言葉に乗せた名。
 たった、ひとつの望みは。
『人と、龍の時間は、違う』
 大きく、違う――



 光が収まったと感じて、はっと前を見る。ここは、行き止まりだった。
 入ってきた洞窟の行き止まり。
「違う」
 そこだけ崩れるように、道が続いていた。
「先に進めって?」
 重苦しい体を、動かした。


2010.12.30
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