龍王の花嫁
(2)


 木立が並ぶ森の中、その家はあった。
 母の墓に別れを告げて、やってきたのは小さな家だった。丸太で飾られ、小さくて、温かみのある家。
「心架、ここは?」
 尋ねると、うれしそうに心架が笑った。今でも、どきりと心臓が音を立てる。
 もう日暮れになっている。おそらく、ここが最後。
 心架の片腕がひざの裏、もう片方の腕が背を抱くように抱き上げられて、その家の扉を潜る。
 その家の中は二人で住むには十分なほど、整えてあった。
「しん、か」
「疲れただろう。すぐ日が暮れる。その前に、泉で体を洗っておいで」
「心架、は?」
「お腹すいただろう? 夕食の準備をしておくから」
「それくらい、私が」
「俺がしたいんだ、リーファ」
 結局、押し切られた。


 言われるがまま、教えられた方向に向かうと小さな泉があった。水は少し冷たく、夜にやってきたら風邪をひきそうだ。
 ぱしゃんと、水を飛ばす。
 水から上がって髪を拭くタオルは、陽だまりのにおいがした。
「いつのまに……」
 あの場所を、用意したのだろうか。謎は深まるばかりだ。


「ただいま」
「おかえり」
 家に戻ってきて、ずっこけそうになった。
「なに、それ」
「これか?」
 青いエプロンを、心架はしていた。
 目を点にしたあと思い出したように笑う。
「な、なにそれ……」
 噴出しそうになるのをこらえようと口元を押さえる、かなり機嫌を害したのかその顔が歪む。
「……リトが置いていった」
「最高だわ、リト」
 もうこらえきれないと、お腹を抱えて笑った。
 笑っていると、むっとしたように心架が近づいてくる。余計におかしい。
「いつまで、笑っている」
「だって」
 おもしろいわと言う途中で腕を引かれた。すっぽりとその腕の中に納まってしまう。
 まだ笑いが抑えられないまま、体を寄せた。
「リーファ」
 責めるような、声。
「ごめんなさい、心架」
 そっと、謝った。
「ん」
 泉で冷えた体に、心架が熱い。まだ濡れている髪に手が差し入れられる。
「しんっ」
 苦しくないようにと、唇が離れたのは一瞬。何度でも、何度も。
 遠ざかっていく意識に逆らえず、そのまま身を任せようと目を閉じる。
 閉じた瞳の間から、涙が一筋流れて――急に心架がその身を離した。
「しんか……?」
 どこか名残惜しそうに、そして何かを耐えるように心架が笑った。
「食事にしよう。冷める前に」
 あとで問い詰めたところ――リトに厳重に言いくるめられていたらしい。

『いーい! リーファはあんたと違ってか弱いんだから!! ちゃんと食事と睡眠をとらせるのよ!? 私みたいに』
『リト、違う』
『白露、何か言った?』
『なにも』

「いただきます」
 手を合わせて挨拶をして、白いテーブルクロスのかかったテーブルの上に並ぶ料理に手を伸ばす。
 もくもくと、食べ始めた。
「おいしい」
「よかった」
 それきり、言葉が途切れる。しばらくして、気がついた。
 しずか、なのだ。静かすぎるくらい。
 いつもなら、そう。そうよ。いつもならリトと白露が――……
 緊張していた。二人とも。二人きりで。
 なんだか味気ないと、リーファは少し残念に食事を飲み込んだ。リトも白露もいないのだと、ふいにそれを実感する。



 あ、と思った瞬間にはもう遅く、いやな音を立てて割れた皿が足元ではねる。
 ぁあとがっくりと肩を落とす。これでは、私が片付けるから大丈夫と、泉に送り出した心架に何を言われたものかわからない。
「もう」
 慎重に欠片を拾っていく。
 はぁと息をついたと同時に肩にのしかかる、もの。
(緊張してる?)
「……そうみたいね」
 自分の疑問に、自分で答えていた。
 落ち着きなさいと深呼吸をして、残りの片づけを済ませていった。


「はぁ」
 どさりと、仰向けに寝台に寝転がる。当然のように、寝室はひとつだ。その代わり大きく、転がっても平気だろうと……
どしゃっ
 落ちた。
「っだー」
 ちょっと調子に乗りすぎた。
「まったく」
 再び乗りあがって、うつぶせ。白いシーツに手をすべらせる。
 心地よさに少し、油断した。
コンコン
 ……はっと目覚める。うつらうつらと、寝ていた。
「……?」
 窓の外から、音がしている。
「心架?」
 窓を開けると、いた。楽しそうに笑いながら乗り込んでくる。
「窓」
 びしっと指差すと。心架は苦笑した。
「明かりが、ついていたから」
 そう言った心架が、ろうそくを指差す。確かに、他の場所は……いや入り口は確か灯したままだと思い直す。
「入り口、消して――」
 と、歩き出した途中でうしろから羽交い絞めにされた。
「消しておく」
 風の属性を強く持つ翼龍の心架だ、離れた場所であろうとなんであろうと、風の精霊も力をかすだろう。
「もう」
 だからといって――と、いさめようとしたのだ。少なくとも、私は。
「早く、会いたくて」
「………」
 気のせいだろうか、数時間も経っていないはずなのだが。
 熱い、熱が伝わってくるように。熱い。
「リーファ」
 耳に息がかかってくすぐったい。身を震わせると、抱き上げられた。
 再び、寝台の上に寝転がった。今度は、一人じゃない。
「心架」
 緊張していた。
「リーファ」
 呼び声が、心地よくて。目を閉じた。
 だけどすぐに開いた。
「心架」
 やめてと、訴えた。その手が明らかに伸びていた。ご丁寧に用意してあった白い夜着しか着るものがなかったのは、誰の手回しなのかわかる。
 それを着た自分もどうかしている。
 その、胸元。
 かなり力を入れて結んだはずだったのだが、一瞬だ。
「リーファ」
 たしなめるように言わないでほしい。まるで私が悪いみたいじゃないか。
「心架」
 訴えるように見上げた。二人以外誰もいないのだ。それは、夕食の時に嫌と言うほど実感した。
 引き伸ばす事も、できないのだ。
 心架が窓から乗り込んでくる、ほど。
 だけど、せめて――
「あか、り」
 明るい。
 ふと手を止めた心架が、その視線を動かす。ぁあと、頷いたように見えた瞬間。
 短い音と共に、ろうそくの火が消えた。暗い。
 私にとって暗くても、心架には意味がないと知っていた。が、そこまで言っていられない。
 暗闇に目が慣れてくる。怖いとは思わなかった。
 ただ、違う何か。
 その目が笑っていて、うれしそうで。だけど抵抗するように私は動いた。それも楽しそうで。
 気配が近い。顔が近づく。
 静かに、目を閉じた。熱い、苦しい。けれど――何かが解けていくように、しみこんでくるように。心地よいと。
 そして、私の瞳に溢れるほどたまった涙が、ただ静かに流れた。



 青い海が見渡せる丘の上、風に乗って声が聞こえる。
 風が歌う。海の音が混じる。龍王が進む。
 白い服をはためかせて、彼女が視線を上げる。龍王が微笑んだ。
 それにあわせて、龍王の花嫁が、笑う――




龍王の花嫁 完


2011.01.05
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