見ているだけで、勝手に木々が枯れて行く。できることもない。そして枯れた木々は地に帰り、ここは荒野となり、砂漠と化すのだろう。
 止められない。
 泣きつかれて寝てしまったあの日から、書庫に篭った。
 これまでの記録。気候、天候、雨量、収穫量、伐採、水――多々ある記録をひとつひとつ追う。
 気の遠くなるような作業に、意味はあるのだろうか。
 長い時をかけて対策を練るには、遅すぎる。なんとなく、いや確信していた。
 もう遅すぎる。
 はじめてこの国に来た時窓の外に見えた緑は、いつの間にか消えかかっていた。

 ふっと目が覚める。ごしごしと目元といわず顔をこする。突っ伏していた本は開ききっている。隠すように閉じて違う本を重ねた。
 そんな事をしても、うしろに立つ人物には見えているのだろうが。
 一度部屋に持って帰ればと第三王子に進められたが、移動距離が長すぎるし、何より面倒だ。
 そう思って窓際の机のひとつを占領したとはいえ……もう夕方か。
 差し込む光の角度が低い。
 走り書きの紙だけが重なっていく。
 よいしょと、立ち上がって本を持ち上げる。ひとまず棚に戻そうとして奪われた。私に付くように言われた従者達も暇なのだろう。私が、動かなければ。
 率先して本を棚に戻してくれる。重たく分厚い本が多いので、助かる。どこに何があるか把握している事も。
「新しく、何か?」
「そう、ね」
 と言われても、検討も付かない。とりあえず思いつくままに思いついたものには目を通した。
 もともと、雨の少ない土地である事。雪山の雪解けの水が川に流れ込んでいる事。森の伐採は、あまり行われないこと。寒暖の変化はあまりなく、温帯である事。
 井戸水が増えている事に、麦からお酒を作っているとか、人口とか。なんか、後半は違う事ばっかり。
 今、本当に探したいのは一言の記述。木と話す人が、いたかどうか。
「日記とかじゃないと、無理か」
 個人的なことすぎる。
「日記ですか?」
「気にしないで、ひとり言」
 この従者も、律儀よね。
 決定的なことが何一つわからない。なぜ、森が枯れはじめたのか。


「スーシュ?」
 ひょこっと、第三王子が現れた。夕食の時間が近い。王様がいなければ、静かでおいしい夕食なんだけどね。


「今度は調べものか。一ヶ所に篭るのが趣味か?」
「……」
 ぁあ。もう。
 この敵意しかない王様に、私はこの国に来るように言われたのよね? どういうことよ?
 と、問い詰めると余計酷くなると最近ようやくわかった。わかったところで何も変わらない。小言を聞き流すしかない。

 今日は珍しく正妃がいる。最初にこの国に来た時以来、正妃が一緒に食事を取るのは稀(まれ)な事だった。
 正妃はどうやら第二王子の母親らしい。一言も発した事がない。いや、王様とかと話す事はたまーにあるけど。
 なんつーか、ここの家族間って……険悪よね。
 もくもくとスープを平らげる。これが長いコース料理のはじまりだと思うと、気が重い。


 案の定味を楽しむとは程遠い食事を済ませて、早めに湯に入った。ここのお風呂は広くて――広すぎて泳げそうだ。泳いだりしたけど。
 いつも花とか何かの実とか香り物が入っている。今日はうすーく桃色になった湯に入った。
「無駄に豪華よね」
 いや、無駄だというのは言い過ぎなのは知っている。楽しみにしている自分がいるのだから。
 姉二人がなんだか騒いでいたのも頷けてくるのだから。笑える。
 こうやって、普通に、生活を楽しむ事を、楽しみたいと思った事、あるから。
 ぶくぶくと沈みながら考える事。木(ジュア)と離れて、知った事。
 父に選ばれた、姉二人が。本当は、すごく、うらやましかった。のだと、涙が出てきた。



「よっ」
 お風呂から上がったばかりだというのに、もう私は外にいる。本当は木にしがみつきたい衝動にかられているのだが、さすがに不審者扱いは困るので登る事にした。
 自然、木に身を寄せる。
 夜だからか、冷たい幹に熱が奪われる。ほてった体には気持ちがいい。だけど同時に、冷たい。
 普通にあこがれていた。姉二人のようになりたいと思った。あの昔の一時。
 今の私は、違う。ジュアと共にある自分が、一番好き。でも捨てきれない憧れと期待を。
 木に、聞いてほしかった。
「――聞こえる?」
 城の木々はまだ、緑の色を失っていない。背の低い木ばっかりだけどね。

 この国には珍しく枝葉の多い木に登っていた私は――自分のいる場所がとても目立つ事に気がついていなかった。

 ある場所から、覗く視線。長い髪を揺らした女性が、窓の外を見て口元に手を当てる。
「……まぁ、あの子は」
 翻った髪は、人の名を呼ぶ声に揺れた。

 そして、私はまた自分の行動が大事になっていると考えもしなかった。



「おい」
 それから、しばらくぼーっとしていた。寒いなぁと思いつつ、木の上にいるという安心感に動けなかった。
「おい」
 何度か、声が聞こえた気がしていたけれど、まさか自分じゃなかろうと思っていた。やさき、
「スカットレシュール!」
「はいっ!?」
 うわ、びっくりした。
 幹にもたれかかっていた体を起こす。そぉーっと下を覗いて……あちゃーと頭に手を当てる。
 なんか、いっぱい、いた。
「目を逸らすな」
「なんでしょー?」
「湯浴みに行った人間が、外を散歩するには時間がかかりすぎている。風邪を引きたいのか?」
 なんか、もうちょっと……
「口悪」
「何か言ったか?」
「いいえ、何も。でもなんで来たんですか?」
「いいから降りろ」
「えー」
 やだ。
 そう言ったとたん、第一王子の腕と足が幹にかかった。
「――降ります」
 引き摺り下ろされるのは、いやだ。


 とんとんとんっと幹を降りて着地する。あっという間。つまんないー。
 肌寒さを感じて腕をさする。桃色のショールがかけられて驚く。驚きつつ、意外そうに第一王子を見ると、彼は目を合わせようともしない。
 まぁいいやと登っていた木を見上げる。一見して、この薄暗い中人がいると見上げたところでわからないはずなのだが……
「なんで、私が木の上にいるってわかったんですか?」
「それは……」
 監視がいることは知っているが、湯浴みに行って帰る間はいなかった。はずで。
 すると、第一王子は指で城を指した。
 なんだろうと首を上げて――気がついた。
「窓、あったんだ」
 気がつかなかった。それじゃぁ、見えるわ。あれ、誰の部屋か知らないけど。
 なーんだぁ。
 がっくりとうな垂れる。せっかく、一人になれそうだったのに。誰にも邪魔されず、木に話しかけられると思ったのに。
 言葉は、届いていなかったけれど。きっと今でも、届くと信じたい。

 ねぇ、ジュア。会いたいよ。



「あの娘の処遇は決まったのか?」
「いや」
「処遇などと、王妃様。言葉が過ぎるというものです」
「何を言う。お前の力は信用しておるぞ。だからこそ、なぜ決まらぬ?」
 真っ黒い羽を紫色の飾りで止めた扇を広げて、正妃は言葉を続けた。優雅に長椅子に腰掛けて国王の姿を追う。
「いい加減、せめて誰が相手なのかはっきりさせねばなりません。王よ」
「わかっておる」
「それにしても、面度だこと」
 ああと嘆いて、ちらりと視線を上げる。
「王妃様」
 ジャールが、なんと言っていいかわからないまま声をかける。
「あんな小娘に、命運を握られていると思うと……」
「バイアジュ国の姫に何をなさる気ですか!?」
 あわてて、ジャールが言葉を制す。
「何もする気はなかった――だが、あまりにお粗末過ぎる」
「そんな、姫様は姫様なりに、模索しておられます」
「それで、森の木が枯れなくなったのか?」
「………」
「いっそ、砂漠の中の王国というものもよいものではないですか? 王?」
「王妃様!!」
「ジャール、騒がしいのだ、お主」
 ひやりと、冷たい言葉がジャールに向かう。
「レアラ、それくらいにしておけ」
「ま、王にそう言われてしまうのならば。ですが、すべて、王も同じお考えでしょう」
 そういい残して、正妃、レアラ=ダリエスは部屋を去る。
 ほっと息をついたジャールは、窓辺に立つ国王の表情を見て身を凍りつかせた。



「……む」
 木に登ったら駄目だなんて、どういうことよ。別に落ちたりしないのに。
 というような事をさんざん第一王子と言い争っていたところ、彼はまた兵士に呼ばれて行ってしまった。
 そうか、多忙なんだったとぼんやり考えながら見送った。
 しかし、第一王子が最後に部屋まで送ってやれなんて余計な事を言うから木に登れなくなった。
 つまんない。
「つまんなーい」
 しまった、声に出た。
 ぴたりと止まって、振り返ろうとして、やめた。
 はぁとため息を飲み込んで、また歩き出す。その足取りは、のろのろだった。

 廊下を進みながら、ふと、遠くに足音を聞いたような気がする。
 たぶん、高いヒールの音かなと首を傾げつつ進んでいると、曲がり角で人をかち合った。
 下手したら正面衝突する勢いでぶつかった。
「……」
 一瞬、ぽかんと顔を見上げる。高く結い上げた漆黒の髪、肌の露出の多いドレス、長い爪は紫色で、手に持つ扇も黒と紫。
 女性は、優雅に扇を口元に持ってきて、こちらを見ている。
 正妃だ。
 静かに、関わると面倒だと礼だけとって逃げようとした。のだが、
「役立たずね、本当に」
 突然言われた言葉にむっとする。別に、正妃の役に立ちたいわけじゃない。――あれ?
 疑問に思った事も、むかっとした事もあったけど黙ってた。ここで言い返して癇癪を起こさせた姉二人の反応はよく知っているから。
「それで、あなた、なんのために何ができるの?」
「え?」
 ちょっとひるんだ。だって、それは、ここでの私の存在する理由が――
 正妃の口元が楽しそうに歪んでいる。まるでぐらりと傾いていくかのように体が重い。
 なんで――

「母上」

 いさめる様な鋭い声が聞こえて、はっと意識を取り戻した。
 見ると、第二王子と正妃が会話している。言葉が入ってこない。
 呆然としているうちに、正妃は笑いながら廊下を進んで行った。

「部屋まで送ろうか」
 どこか、つらそうな第二王子に部屋までつれてかれた。



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