しかしこうも身動きが取れないと、困ることもある。
「帰りませんか?」
「今からか?」
「はい」
 しばらく、思案するように第一王子が首を傾げる。たぶん、却下だと思う。仕方ないので、立ち上がって歩き始めた。
 ……付いてこないように言い残して。
「ぉいっ!?」
「スーシュ!? 一人じゃ……」
「兄上、リベスト」
 背後に、前者には静かに、後者には冷ややかに声をかける第二王子の声が聞こえた。彼なら、たぶん悟ってくれると思ったのでそのまま足早に立ち去った。



「まったく」
 しかし、木に緑がないのでかなり離れた所まできてしまった。遠めに、火の光が見える。
 早く戻らないと厄介な事になると思いながらも、こんな場所で何が起こるかと考えると足の運びも遅くなる。
 こんな何もない、森で。木があっても、生きていなければ、いないのと同じ。
どうして、彼らは普通にしていられるのだろう。
「どうして」



 朝焼けの時間に、目が覚めることはほとんどない。夜は、眠るものだと信じて疑わないから。
 火の傍にいろと言われて、眠くなってきたのでまた寝た気がする。
 そうだ。
 ふっと目を開けると、まぶしい光が入ってくる。朝かと思う。朝だ。
「――おはよう」
「おはようございます」
「水がないから、城に戻ろうか」
 お茶のコップだけ渡される。川もなければ泉もないので、顔を洗う事もできない。
 この国は、どこから水を引いているのだろう。そういえば城下の傍に川が流れていた。あの川は、また違う国から流れてくるのだろう。
 地下水は、どうなのだろう。あまり雨が降らないから、洪水が起こることもないのか。幸か不幸か。それがよいと言い切れない。
 とりあえず顔をこすって、おきる。まだおききっていない。
「えーと」
 なんで、第二王子しかいないのだろう。
「兄上は、お目付け役でね」
 なんの?
「リベストが、何か狩りたいってさ」
「どこに動物が?」
 無謀だ。



「あーー! 何もいねぇ!」
 それはそうだろう。この森には実りがないのだから。動物が生きていくには過酷すぎる。
「なんだよ! ジャン兄もスーシュも! そんな呆れた顔しなくたっていいだろう!?」
 第一王子は疲れた顔をしている。
「帰りますよ」
「うわっひでぇ」
「誰がですか?」
 にっこりと笑顔を振りまく第二王子には、誰もが黙った。
 結局、何しにいったのか自分でもよくわからなくなってしまった。
 あの兄弟がとても仲がいいことだけわかったというくらいで。



 城に帰ると、あの土ぼこりで汚してしまったマントは侍女に持っていかれた。ちょっと待ってと声をかける前に自分自身もお風呂に連れて行かれた。
 たくさんの水。それがお湯となった場所につかる。
 この水を撒いても、根本的な解決にならない。



「それで?」
 ひくっと引きつったリベストは、ラクルゥの背に隠れた。
「父上」
「三人とも出かけていって、何がしたかったのかわからないという事か!?」
 砕かれたペンと、こぼれたインク。こぼれたものは、もうもとに戻らない。
「ルゼ(この国)を滅ぼすわけにいかないのだ! 我が代で!!」
 懇願ではなく、怒りだった。祈るものなど、自分自身だと王は言う。
「まぁ、王。落ち着いてくださいまし」
 けして大きくなく、だが確かに響く音。甘く、暗く。――何かを逃がさないというように重苦しく。
「レアラ」
「母上」
 王と第二王子の言葉が重なる。この場所に入れるのは、王と、王子と、正妃――
 正妃レアラは赤い唇の端を上げて笑う。リベストがさらにラクルゥの背のうしろに縮こまった。ラクルゥは瞳に、感情を映すのをやめた。
「ジャールが言ったのですわ。あの娘だと」
 長く伸びた黒いドレス。しかし、むき出しの肩とスリットから見える足。白く長く、赤く塗られた爪を王の胸元に這わすレアラ。
「ですから、吐かせればいい」
「母上!」
 第二王子が叫んだ。彼にしては珍しく、顔が青ざめていた。
「――シャジャン、騒がしいわよ」
「母上、お願いですから」
「何を言っているの? あなた達が役に立たないんですもの。陛下。あの娘を貸してくださいな。夕刻にはすべてを」
 王は、一度思案するというように口を閉ざした。
「母上! スカットレシュールはわが国に嫁いで来たのですよ!」
「あんな変人、別に困らないでしょう?」
 ころころとレアラが笑う。口元に持ってこられた指、手。
「――ならぬ」
「陛下?」
 レアラが、不思議そうに首を傾げた。
「どうしてですの陛下? いつものようにいらないものは切り捨てればよろしいのでは?」
 言葉だけ聞けば、まるで少女の問いかけのようだった。純粋に、それを疑問と思うだけならば。
 レアラのそれは、確信だ。
「ならぬ」
「陛下!」
 執務室を去る国王の背中に、レアラの叫びだけが残った。


「どういうこと?」
「わかりません」
 鋭いレアラの視線に、一歩進み出てシャジャンが答える。
「いつまであの無能な小娘に振り回されるの? みっともないこと。あんな娘、そこの小童にでもくれておしまい」
 ひょっと、ラクルゥのうしろのリベストの影が動く。
「あんな礼儀も知らぬような娘、王家に迎え入れる事すら拒絶したいところだけど、その小童にはお似合いでしょう? 問題児とじゃじゃ馬。丁度よくて」
「母上」
 長い言葉を遮ったのは、冷ややかなシャジャンの言葉だった。
「私の弟と、スカットレシュールを侮辱するのはやめてもらいましょうか」
「――ふん。あなたはいつもそうね。私の息子だというのに。受け継がれたのは、その美貌だけかしら?」
 レアラは、息子に向かって足を進める。その手が伸びて――
パン!
 小気味いい音がした。
 長く細く鋭い爪は、肌を切り裂く。叩かれて赤く染まるほほに、一筋の赤の線。
「本当に大きくなってしまったわね。これくらいじゃびくともしないわ」
 にこりとも笑わず、怒りもせず、嘆きもしない息子をつまらないと言い残して、レアラは部屋を去った。


「ジャン兄! 平気か!?」
「ああ」
「無茶をする」
「そうでしょうか?」
「そこまでする相手か?」
 さらにひでぇとリベストが嘆いた。
「……二の舞に、したくないのです」
 レアラの不満を買った、第三妃―ティファールは、リベストの母親。
「ジャン兄……おれ……」
「あなたが気にする事ないですよリベスト、いつもの事です。あれだから王の心が離れたと母には理解できない」
 だからこそ、加速する。
「スカットレシュールには、火の粉がかからないように」
 レアラの不評は、死に繋がる。ジャールも大丈夫だろうか。



「――なに?」
 強烈な何かを感じて、振り返る。ジュアに言われた事は、自分の勘を信じろという事だ。
 自信を、持てと。
 それに、しても。
 廊下の広さをもてあます。森に手がかりはなし、本にも。あとは、なんだ?
 森が枯れて行くのを、黙ってみている事は辛い。そして、何もできない自分が、一番ばかみたい。
「――わ」
 広すぎる城の中をもてあまして、進んでいく。たどり着いた先の扉を出ると、そこには庭が広がっていた。
 水は貴重であるはずなのに、ここではかなりの水が使われているのだろう。
 輝かしい花々。そよぐ風。薄色合いの花々が咲き誇り、その先に濃い色合いの花が見える。庭を覆い尽くしている。
 見渡す限り、花畑。
「きれい」
 一歩踏み出して、中に進む。道の傍まで広がる香りと、花びら。ほっと息をついた。
 少し先まで進むと、花畑は終わっていた。案外小さいなと思いつつ、まぁでもよく持たせているほうだなと思う。
 こんな荒野に。花。それだけで、心が和んだ。


 しばらくぼけっとしていたら、人の気配を感じた。名残惜しいが、なんか厄介な事になるとやだなと思って、姿勢を低くして花畑をぬけ出した。


 また廊下を進んでいる。そういえば、この城の、城内、城外はまだ木も生きている。荒野となっているのは城から外れた場所。――すべて。
 城をさけているのか、それとも、城に向かっているのか――
 現状がどうあろうと大樹を育む国(ルゼ)と呼ばれる国だ。もっと、バイアジュ国のように森が広がっていてもいい。いいはずじゃないか。
 ぐるりと振り返って、書庫に向かった。



「どちらにおいででしたか、所在がつかめないと困ります」
 書庫に向かう途中、嫌な顔に出くわした。そう、私の監視役。しかも第一王子の監視役、一番私を嫌ってる人たち。もしかして、仕える主人によるのか。
 第二王子は基本的に誰にでも親切な人って印象だし、第三王子は……あれはただ考えなしってだけね。
「久しぶり」
 そういってやると、嫌な顔した。よし、反撃成功。
「姫には護衛が付きますと、話を聞いていないのですか」
「監視でしょ」
 それだけ言って、足早に進む。すると目の前の角を曲がって、第二王子の従者が現れる。
 これで二人分か。

 まだ小言が言いたそうな従者も、私の進む先が書庫だと気がついた頃には何も言わなくなった。

 そして、扉は目の前。
「また調べ物ですか」
「不満そうね」
 その口調。まるで、そうね。私を哀れむように。
 バンと扉を開けて、中に進む。進む道は止めない、足早に進むから足音が響く。
 すれ違った書庫管理者が、嫌そうな顔をした。



  11.森は大樹の守り   目次   13.木を離れ思う