ぱちくりと瞬きをする。ジュアが――恋人?
 それはない。なのに、目の前の人の楽しそうな顔。だいたい、なぜジュアを?
 驚いたまま固まった私に、さらに追い討ちをかけてくる。
「もし、想い人なら――」
「違います!!」
 思ったよりも大きな声で、否定した。
「違います」
 二度、否定した。だけど、ファリアさんは首をふった。いいえ、と。
「だけど、あなたの心を占めるのでしょう」
「違います。ジュアは、ジュアはバイアジュ国の――」
 “大樹”、だと。
 ――大樹?
 がだっと、立ち上がった。椅子が倒れて音がするが、構っていられない。
「スーシュ?」
 呆然と呟かれた言葉も、耳に入らなかった。
「たい、じゅ」
 “大樹”
 守りの、木。
 おかしいではないか。
 ここは大樹を育む国(ルゼ)なのに!!
「大樹は、どこ」
 言葉が、震えた。なぜ気がつかなかったのだろう。なぜ忘れていたのだろう。ジュアに、あんなにも会いたいと願ったのに!
「スーシュ?」
 二度目の言葉は、聞かなかった。
 恐ろしい事を考えてしまった。だけど、それも否定できない。それを否定する事実が見つからない。
 嘘だ!
 身を翻して走り出す。確かめなければっ!
「――母上!」
「きゃぁ!?」「!!?」
 振り返って踏み出した瞬間、目の前に人影が現れた。かなりの勢いで踏み込んだにも関わらず、びくともしない。
 邪魔だと顔を上げて、第一王子だった。
「ラクルゥ? どうしたの?」
 ファリアさんが、驚いたように呟いた。構っていられない。倒れないようにと支えられた手を振り払って、走り出した。


「すーっ」
「スーシュ!?」
 自分が名を呼ぶ前に母の叫び声に取って代わられる。はっとして、その顔を見る。
「いったい、どうしたっていうの?」
「母上。いったいここで何を?」
 あの娘が、突然走り出した理由は?
「……あの子、想い人がいたのではないの?」
 思案したのちの母の言葉が、なぜか突き刺さった。――そうかもしれない。
「なぜ、そう思うのですか?」
 しかし、口から出た言葉は疑問だった。
「だって、泣きながら名を呼んでいたんですもの」



 ばたばたと廊下を走る。こんな時、室内生活の時間の長い体の体力のなさを嘆く。
 なんどか、自分を呼ぶ声とすれ違った。驚いたような顔の侍女と兵士も。構っていられない。
 走り続けた。どこかにいるはずの大樹を探して、この国の中心で国を見守る、大樹を。
 そして、見つけた。
 城の庭の先、円形に形作られた土の場所。少し盛り上がるように土。正面に塀、うしろは城。
 ――見つけた。ここだ。
 だけど、大樹はいない。
「大樹は……?」
 この国の、守りの木は?


 目元を大きく袖でぬぐって、走る。今度は私を探していた影が追ってきた。逃げるように走る。そして、王族の執務室の近くまで来て、つかまった。
「邪魔よ」
「姫様。しかし」
「邪魔!」
「スカットレシュール? いったい何事だい?」
「邪魔しないで」
 周りの兵士達がほっとしている。第二王子は私の目の前に立ちはだかる。彼もまたあわただしくやってきたらしい。
「邪魔」
「スカットレシュール」
「邪魔だといっているのが、聞こえないの!!?」
 もう、遅いのかもしれない。だけど、止めない。
「国王!」
 一瞬の隙をついて隙間をぬって進む。部屋の扉を大きく開け放った。
「いったい何事だ――娘」
 何人も護衛を引き連れて歩く王は、ただ迷惑そうに顔を歪ませる。
「大樹は、どこ」
 震える体を叱咤した。信じられない。
「は?」
「大樹は!? ここは大樹を育む国じゃない!?」
 叫びは、悲しいものだった。


 母親と別れて走り去った影のあとを追う。すると、聞こえてきたのは叫び声だった。何事かと近づく。弟と目があった。
「スカットレシュール?」

 静かに流れた涙の筋がひとすじと、切り裂くような叫び声がま逆に位置する。
 走ってくる兄の姿が見えた。小さく、首を振る。


「なんのことだ?」
 意味がわからないと、国王は首を振る。私は絶望的な目を、したのだろうと思う。
「この国の守りはどこ!?」
「だから、なんだいったい」
 いらついた。これまででも、こんなにいらだっていたけれど。話が通じない。わかってもらわなくてもよかった。あの国では、だからジュアの傍で生きていこうと決めたんだ。
 二つは、望めなかった。できなかった。そんな力なかった。だってそれしか、なかったんだ。
 ぎろりと、国王を睨んだ。私の視線に、一瞬、誰もがたじろいだ。
「城の中庭の横に、空き地があるでしょう」
 あれは、空き地ではない。
「あそこは……なぜか植物が根付かん」
 ひるみながらも、国王ははっと意識を取り戻した。聞こえてきた声がひどく、場違いだったから。
 そう。私は笑った。確かに笑った。声をあげて低く笑った。植物が根付かない?
「当たり前でしょう」
 笑い声をぴたりと止めて、低く、低く。
「あの場所にいた大樹をどこへやったの」
「あそこはずっと空き地だぜ……っ少なくても、俺が知る限りは」
 言葉に顔を振り返った。いつあらわれたのかとか、関係ない。振り返った私の眼は、それこそ睨んでいたのか、第三王子の声が一度止まる。
「いつから」
 質問の答え意外は、いらない。
 さぁと、三人の王子は首を傾げた。ぁあ知らないのかと考えて、国王を睨む。
「いつから?」
 国王に問いかけた。それ以外の言葉が要らないというように。
「……先々代の王が掘り起こした」
「大樹を!?」
「――私はまだ七つだったが、よく覚えている」
 切り倒すのではなく、掘り起こした。母の不安げな顔が、焼きついた。逆に、祖父の勝ち誇ったような顔を見るのは、嫌いだった。それを思い出す間に、娘は冷ややかな顔でこちらを見ていた。
 一瞬、ぞっとした。
「どこへ」
「運び出された――」
 その先は、知らない。
 冷えたようにこちらを睨む娘の顔が、ただ静かに笑った。
「そう」
 ねぇ、ジュア。私にできる事を見つけた。



 先々代の記述書を探す。ばさばさと本を落としながらも、進む。だいたいの本の位置は把握している。それらしいものを取っては、違うと床に落とす。端から取っていくので、足元は本で埋もれてしまう。
 しばらくして舌打ちをした。数が多すぎる上に、情報が少ない。書を見るより、当時の様子を知るものを捕まえたほうが早いかもしれない。
 大樹の、居場所。
 ――ってだめだ、それではわからない事がある。この国の、大樹の名は?
 やはり歴史書を見るべきか。だけど、木について書いてあるわけない。この国の建国の歴史しか書いてないのだから。
 そうなると、確かなのは日記とかそういう類だ。当時の人が書いたもの。いや、木と話のできる者がいたとして、その人が書いた物であれば、かなりの年代物になるはずだ。
「ぁあ!」
 違うと、本を叩きつけた。ここにあるという希望すら見出せない。
 ぁあと、額に手を当てる。気持ちが悪い。大樹を捨てたという、その行動も。この国も。この場所も。なんて事をしたのだ。大樹を掘り起こして捨てるなんて。
 ……大樹を。
 ふっと足の力がぬける。手に取った本を取り落として、背が反対の本棚にあたる。そのまま、座り込んだ。
 見捨てたのは、私も、同じ?
 違うと心が泣き叫ぶのに、私は今ルゼにいる。
「――ぁあ」
 一変して声がかすれる。顔に当てていた手を、熱く溢れたものがぬらす。
「ジュア」
 声が、震えた。
「ジュア!」
 私は――



「書庫に、入りました」
「そうか」
 従者の言葉に、頷く。走り去った娘のゆくえ。父は、娘の冷ややかな顔に押されたのか青い顔で立ち尽くしている。
「父上。スカットレシュールは書庫に入りました」
「それがどうした」
「彼女の望む記録は、あそこにはないはずです」
 国王の顔が、歪む。息子に敵意を向ける。何を言い出すのかと。
「初代の王から続く直筆の記録を保管しているのは父上です」
 それは、王位を継ぐ長男にだけ伝わる事実。
 はっと、シャジャンとリベストが顔を上げる。
 スカットレシュールは何かを探していた。森の木が枯れたことに心痛めていた。それを助けるために書庫にいたのだと、調べていたのだと。
 枯れた木を見て、涙を流したのだ、と。



 はっと目が覚める。呆然としていた。そのまま寝るわけには行かない。
「……?」
 広げた本の中に、一枚の紙が挟まっているのが見えた。二つ折りの紙。どうやら上半分が欠けているらしい。
 古い言葉だ。この世界にはかつて、一つの言葉が生まれた。それが各民族により独自の発展を遂げたと伝えられている。
 その細かく描かれた文字は、絵のようで、音のようで、文字。
 だが何人かの学者と辞書があって初めて単語となる文字は、なんと書いてあるのかわからない。そういえば昔、ジュアとこの言葉について話をした事がある。ジュアは、この文字について少し知っていた。
 落ちた本を広い。紙の挟まっていた本の作者を探す。その本はかなり薄く。こんな歴史書の間に埋もれていては、内容量の少なさで開かれる事もそうあるまい。それ以前にこんなに薄い本、あったのか?
「……ファジャル?」
 それは、大樹がこの国を守ると決めた後の歴史、代四十二代目国王の名前。



「あの娘に何を見せろというのだ」
「父上。わかっておいでのはずです。彼女は、私が知らないこの国の事を導き出した。父上が直接関与していないなら、先々代の記述書に残っているはず」
「王の記述書を、あの娘に見せろというのか!?」
 それは、日記だ。
「でなければこの国が滅ぶと、ジャールが言ったのでしょう」
 あの娘にできる事が、この国を救う。
「そうだ! だが――」
「父上、遅かれ早かれこのままではこの国の木は枯れて、荒野か砂漠とかしてしまいます!」



  13.木を離れ思う   目次   15.遠い記憶の木