「ない」
 立ち上がって本をあさる。ないのだ。第四十二代目の記述が。大樹を切り倒したという先々代の事よりもまず。この文字が気になる。
 なにか、とても大切な事を思い出せないでいるような、不快感。確かにジュアとこの言葉について話をしたのだ。
「――ない」
 そもそもこんな開けた書庫に、公にできない記述があるわけないのだ。
 四十二代目の記述があることは説明がつかないが、人目に触れてまずいものはないはずで、これまで見た本だって、どれだけ修正が加わっていた事か!
 いらだって、再び本を床に叩きつける。
 それから、いい加減。
「なにしてるのよ」
 本棚の先に、影が二つ。
「護衛です」
 一人が、簡潔に答える。
「ほかに言うべきことがあるんじゃないの」
「その事なら、わかっているでしょう」
 足を動かそうとして本にぶつかった。これだけ散らしたが、誰が片付けるのだろう。書庫の人間は嫌そうな顔をしそうだ。
 なんたって足の踏み場がない。
 しかもこの国のこれでも歴史書だ。年代物であり、古紙のものもある。怒りに任せて投げつけたが、ページが飛び出しているものもある。
 ぼんやりと足元に散らばった本を見て考える。これは紙だ。もとは、木――
 ぁあどうしてだろう。これほどまでにジュアに会いたいと願うのに、私は人と違って木を大切にしていると思っていたのに。
 この有様は。
 所詮自分も同じではないか。それが、大罪であるかないかの違い。罪を犯した事がないなんて、うぬぼれた。
 しゃがみこんで本を拾った。背表紙の番号がどう場所を特定するのか、だいたいわかってくるようになった。
 目の前の本箱は半分以上空だ。仕分けするつもりで、本を棚に入れていく。順に並べる前に、棚に入れてしまおう。でなければ足で踏みつけてしまう。
 しゃがみこんだまま、のろのろと本を持ち上げる。分厚い本なだけに、重い。落とすのは簡単だが。よく足の上に落ちなかったと思う。
 作業を続けていると、ふと影が落ちた。正妃が来た時と同じ恐怖に襲われて飛びのいた。
 目の前にいたのは、第一王子と第二王子の従者で、高い位置の本を入れていた。
 ぽかんと口を開けていると、持っていた本をとられた。それは、上段に収まる。
「ありがとう」
 一人は苦笑して、一人は笑って。何も言わなかった。



 ひとまず大半の本を棚に戻して、残りの床に散らばった本を段ごとに仕分けていた。重いからいいですよと、棚に戻す作業を持っていかれたから。
 三人とも無言で、本を並べていく。
 はっと気がついた時にはもう、あの紙の入っていた本は棚の中に納まっていた。どうしようかと考えてしまう。
 その時。
「スーシュ!」
 騒がしいのが来たと身構える、暇がなかった。
「大変なんだ!!」
「はっ!?」
 急に腕を引っ張られて状態が起きる。さらにそのまま引っ張られる。相手は走り出したかったようなのだが――
がっ!
 お約束的に、自分が積み上げた本に躓いた。ばさばさと崩れていく本の音が、ひどく苦しく心に響く。
 従者の一人に抱きとめられたので、床に向かって顔面をぶつける事はなかった。
 しばらく、沈黙する。
「リベスト王子」
 私を抱きとめたのは第二王子の従者で、出番のなくなった第一王子の従者が声をかける。
「ごめんスーシュ!? 大丈夫か?」
「……大丈夫」
 無言ですまそうかと悩んだが、相手が悪いとやめた。
「それで、なに」
「そうっ!? そーなんだ!? 大変なんだ!! きてくれ! 早く!?」
「だから何がっ!?」
 最後まで言い切る前に、視界が変わった。第三王子に抱き上げられている。どうやら彼は、この本の散乱した中で腕を引っ張るのはやめたらしい。
 まぁ確かに、わからなくもない。しかし、この第三王子は年下だったはずなんだけど?
 と、何か的外れな事を考え始めている間に、書庫の出入りの扉が見えてきた。
「ちょっとーー!?」
 まだ本がと言いかけた瞬間。書庫の管理の老人と目があった。彼は静かに、微笑んだ。
 その唇が、もういいよと、言った気がする――



「ちょっちょっと!?」
 外で下ろしてもらえるのかと思いきや、抱えあげられたままで廊下を進む。時々、侍女と兵士にすれ違う。
 だーー!?
「おろして!」
「やだ」
「やだって何よ!?」
「うわっ!? 危ないよスーシュ!?」
 暴れても抱えられる。どうあってもおろす気がないらしい。
 しかもこの道、さっき走って通った道だし。



「つれてきた!」
 そして走る事数分。ちなみにうしろから二人の従者は追いついた。
「……新記録ですねリベスト」
 驚いたように視線を向ける第二王子。
「さすが兄上の一言」
 何この力関係。
「だろっ!?」
「おろして」
「そりゃぁ俺だってさすがにルゥ兄から身の危険を感じれば早くなるって! まぁジャン兄はまだ可愛い感じだけど……」
「そうですか?」
 にっこりと微笑む第二王子。第三王子は失言を自覚して――じゃないわよ。
「おろせ!」
「うわっ!?」
 ぐしゃっと、音がした。
「大丈夫ですかスカットレシュール」
 第二王子が抱えあげてくれて、床に足をついて立つ。
「ごめん」
 まだ床に寝そべったままの第三王子が言った。無視した。
「ひでぇ。やっぱスーシュはジャン兄に似た分類だよな」
「どういう意味よ」
「光栄ですね」
 いや待って、嬉しそうに微笑まないで!
「何を遊んでいる」
「遊んでない!」
 それが遊んでいるんだと呟きつつ、第一王子がやってくる。……周りを囲まれると勝てるわけない身長差にいらつく。三人で見下ろすな!
「で、なんなの?」
「――ぁあ」
 見上げるとひるんだ。なんでよ。
「きたか」
 ……国王?
「父上?」
 第三王子がへんだなと頭に浮かんでいるのが目に見えるような声をだした。同感だ。
「相変わらず騒がしいな、娘」
 いつもの国王だ。さっき私の言葉に押し黙ったのが嘘みたい。
「なにか?」
「……先に詫びておかねばならん」
 何をと、言うつもりだった。国王が目の前に来て、私の前まで来た。なんだろうと思いつつ、一歩引いた。
「この国の木が枯れている」
「見ればわかります」
「いずれこの国は砂漠となろう。それを救えるのは――バイアジュ国の第三王女とジャールが言った」
 それは、私? まるで遠い人のようだけど。
「そのためにお主を呼んだ」
「――それで?」
「だから見せるものは、その謝罪だと思え」
「………」
 なんか、素直にもっと簡単に言えないものなの?



 王族の執務室だといわれた部屋。その先。扉を潜って進んで、次の部屋に向かう途中の廊下の壁が、扉になっていた。中に入ると、ひやりとした空気が首筋を通り抜ける。
 しかも、その扉の内側からは今潜った扉を閉める壁があった。分厚い石。これをふたにしておけば、追っ手はまけるだろうけど。
 ひゅーと風の流れる音がする。暗くて見えない。目が慣れてきた頃、第一王子が何かに火を点した。
 とたん道を辿るように灯る火。等間隔で下に向かっていく。かなり長い石の階段が続いている。
 先頭を切って歩き始めたのは国王の護衛だろうか。国王ともの珍しそうな第三王子が続く。
「すげぇ!?」
「リベスト、本来お主が入れる場所ではない。騒ぐな」
「え〜」
 父親と末っ子の会話は楽しそうだ。
 暗いのと明るいので目が慣れない。目をぱちぱちさせていると、すっと手が差し出された。第二王子だ。
 なんつーか、らしいわよね。
 呆れていたスカットレシュールは、その様子を見ていた第一王子の表情を見損ねた。



 てくてくと階段を下りる。長い。ってゆーか長すぎ。
 息が続かない。だから私はインドア派なの!!
 ぜーはーと息をつく。先がまだ見えない。前を行く国王の足取りは確かで、一向に揺るがない。第三王子は歌を歌いだした。楽しそうだ。手を引いて歩くのは第二王子で、うしろは第一王子――
「ぎゃぁ!?」
 またも視界が変わった。今度は第一王子に抱き上げられた。
「兄上」
 出番を取られたと第二王子がすねる。すねてる!? はじめて見た! ――そんな事に喜んでる場合か!
「おろして!」
「遅い」
 ぐっと言葉に詰まる。それを言われたら何も言えない。そりゃ遅いわよ! 体力ないわよ! 比べないでよ!
 何かと比べられる事が、とても悲しい。
 きゅっと唇を噛んで耐えた。落ち着け、これは別に、私が劣っている事が当然なのだから。
 だけど、悲しい。
「スー……」
「兄上、それはひどいですよ」
 私の様子を見て、兄の言葉に呆れたようにため息をついて、第二王子が言う。
「……すまん」
 やれやれと第二王子が手を上げる。
「こちらに来ますか?」
 腕を伸ばされた。首を振った。それを見て、第二王子は意外そうに言った。
「そこがいいんですか?」
 それも首を振った。激しく。
「おろして」
「おそいぞー!」
 空気を読まない感じの第三王子の声が、下から聞こえる。
「なら兄上、頼みました」
 下ろすという選択肢は、消えた。「兄貴ーー?」と呼ぶ弟の声に「はいはい、今行きます」と答えながら、第二王子が階段を下っていく。
「――すまない、スカットレシュール」
 ぎゅっと力の入った腕の中にだけ聞こえるように囁かれた言葉に、少しだけ悲しみからぬけだした。
 ……ちなみに、うしろに従者がいた。さっきのとか。気がつかなかった事にしとく。



 うつむいているので、周りの様子がよく見えない。まぁ暗いし、いいか。階段を降りる第一王子の足取りはゆるぎなく、一定のゆれが伝わる。
 私を支える腕に、突然力が加わった。何事かと見上げて、視線を逸らされた。さっきまで感じていた視線はお前かと思いつつ、下を見る。
 光が、見えた。
「出口」
「そうだ」
「そういえばどこに行くんだっけ?」
 空気が、また冷えた。



  14.大樹と木は通ず   目次   16.木が知っていた