そして、その時も突然だった。
『大樹!』
『大樹が!?』
『大樹ティーリス!』
 木の、声が聞こえた。木々たちは、大樹の名を知っているようだった。
「いた……」
 しかし、怒涛のごとく聞こえてきた木々の声に耳と頭が痛い。耳鳴りがする。
『ティーリス……?』
「……そう、あなたがティーリス」
 ダランが、そう呼んだ。
『知ってる』
「え?」
『知ってる。その音』
「ティーリス?」
『いつも、呼んでくれた……』
「?」
『大樹!』
『大樹!!』
『あなたが、私たちを――』
『君たちは?』
『ずっと見てました。ずっと待ってました』
『前大樹から。待ちわびておりました』
『前の、大樹?』
『大樹ダランの後継者!』
 み、耳が痛い。こんなに興奮してしゃべる木々たちを見たの、久しぶり。――自然、笑った。
『……?』
『大樹!』
『大樹、私たちを――』
『待って』
 その一言で、まくし立てていた木々たちが納まる。彼自身は、その発言力に驚きはしなかった。
 それが、自然の摂理というように、自然な事で。
『僕は――ティーリス。ずっと僕の事を呼んでくれていた。あなたに、会いたいと。あなたの名は?』
「私?」
 自分を指差す。
「私はスーシュ」
『スーシュ?』
『彼女は人間です』
『彼女は人間』
『人間だ。前大樹を掘り起こして!』
『闇に葬ったのも人間』
『でも、今回大樹をここに戻したのも人間』
「ごめんなさい」
 木々の怒りは、もっともだった。
『……スーシュ……スーシュ』
 なんどか私の名を反芻していた大樹が、はっきりと呼ぶ。
「はい」
『スーシュ、傍にいてくれる?』
「――はい」
 ダランのことを思い出した。私は泣きそうな顔をどうにか隠して、笑顔で言った。



 目覚めた大樹は、驚異的なスピードで成長していく。一晩で丈が三倍になっている。確実に。
 遠巻きに、国王とか王子とかが来ているが、彼らはそれ以上の侵入を拒まれた。――木々に。
 ざわめく木々たちの不信感を、彼らは肌で感じ取っていた。



「……あれが大樹か」
「昨日までは、彼女の腰元でした」
「それが胸元まで伸びているとはどういうことだ?」
「命を受け確認しようとしたのですが、兵士が一人残らず眠ってしまいました」
「――何?」
「申し訳ありません。自分も万全を期して向かったのですが、気が付けば日は昇り、大樹は大きく成長していました」
 大樹が育つ瞬間は、誰にも見えなかった。彼は誰にも、見せなかった。
 誰一人として、大樹の生長する姿を目にしたものはいない。
「今夜はわしが見張ろう」
「陛下」



『スーシュ』
「ん?」
 こうやって大樹に呼ばれることになれてきた。今でも大樹の傍にいる。木々たちは羨ましそうに時折揺れている。その姿がとてもかわいい。
『あの、落ち着かないんだ』
「なに――あれ?」
 窓際からこちらを伺う、第一王子を指した。
『うん――それに、夜も』
「不躾な」
『全部、眠らせてはいるんだ。けれど』
「眠らせ――てる?」
『うん。駄目かな』
「それはいいわよ。当然だわ。でもどうやってそうなるのか気になるけど。先に問題を解決させましょう。ちょっと待ってて」
 パタンと本を閉じて立ち上がる。さぁと、歩き出した。



「大樹を監視するのはやめてもらいましょうか」
「しかし、なんだあの木は。考えられん」
 一晩見張るはずだった。なのに気がつけば朝だった。いつ寝たのかも、いつ木が生長したのかもわからなかった。
「それが大樹です」
 いらだつ。大樹であるかという説明がきかない。
「信じてないのですね」
「なんだと」
「大樹の力を。あんな木一本に何ができて、なんであったのか理解してはもらえないのですね」
「……」
 大樹は、森と木々を守っている。木は大地と水を称える。豊かな森は、たくさんの命を育む。
「森の力を、信じてないのね」
 だから、木々が枯れるのだ。



 無理やり国王をひっぱりだした。目的地はあの森の中心。そこで目の前に広がる泉に、言葉を失った。
 ダランが、この下に眠っている。
 降り続いた雨はこうして、命を繋いでいくのだ。
 ティーリスが生まれたように。けれどダランは、もう戻らない。――ひどく悲しい。
「スカットレシュール?」
 付いてきた三人の王子。第三王子の控えめな声にはっとする。あわてて袖で目元をぬぐって振り返った。
「感じられませんか? 森の息吹を」
 木々には新芽が付いていた。雨によって地を固められた大地は、しっかりと存在を主張していた。
「大樹の、力です」
 大樹は、すべての木々に通じる。その国の大樹の様子が、その国の木々の様子だ。
「大樹は木々たちに力を与えます。生きるという力を。だけど大樹が生きる事を放棄してしまえば、木々たちも生きる事をやめてしまう。この国から忘れられた大樹は国の木々と共に眠りに付こうとした。けれど最後に、希望を残したのです」
 それが、大樹ティーリスだ。彼の力は、森に緑を運ぶ。
「なのに、その大樹を監視しようだなんて。大樹(ダラン)は人間(ひと)のためにティーリスを生んだのではない。枯れゆく木々のために、その最後の力を使った。そして――大樹ダランは死んでしまった」
 結局、この国の人は生き残った!
「なぜ大樹を追い詰めるの! 木々がないと生きていけないと! 私を頼ったのはあなたたちでしょう!!」
 言い切って背を向けた。泉に近づいて手を差し入れる。水は、とても冷たい。
 こんなに冷たい水の下に、ダランが眠っているなんて。ひとりで。
 ぁあと、涙がこぼれた。
「スカットレシュール」
 背後から聞こえた言葉は、第二王子のものだった。
「なんですか」
 振り返らなかった。だけど言葉は震えていたので、彼らに気が付かれているのだろう。
「もしよければ、これを――」
 そう言って静かに傍らに置かれたのは、白い花だった。
 驚いて声も出ない。だけど振り返って第二王子を見た。泣き顔は、変わっていなかったけれど。
「墓碑を立てるんだ! ここに」
 そう言って第三王子が地に突き刺した木の看板には「大樹ダラン ここに眠る」と掘られていた。
「ぁ」と、小さく声が漏れた。口を押さえた掌が、涙で濡れる。
 ダラン! 心が、叫んだ。
「それでは抜けますよリベスト」
 うつむいて静かに泣く私を見てどう思ったのかはわからないが、第二王子が慌てふためいているであろう第三王子に声をかけた。
「え!?」
 案の定、第三王子は慌てふためいているらしく、声がすっとんきょうだ。
「そうだ。せめてもう少し」
 そう言って、第一王子が剣の柄で……いいのか? 金槌で叩くように叩いている。
「大体、貧相ですよ。もう少し気のきいた言い回しはなかったのですか」
「う……だってジャン兄じゃないし……」
「せめて、一言ぐらい相談に乗ってほしかったですね」
 第二王子はため息をつく。
「これではさびる」
 処理が甘いと、第一王子が言った。
 ががーんと、第三王子の頭に雷が落ちた。
「うっううっこれでもがんばったのに……」
 手作りなのか?
「まぁ、だから口を挟まないでいたのですが」
「本当に、そういうことには気が回るんだな」
 どこか、すねたような口調だった。第一王子と第二王子は、その発想をとられた事をねたましく思っているようだ。
 その様子には、笑えた。
 泣きたいのに、笑えた。おかしくて、悲しくて。笑いつつむせた。それから目元の涙を払って、笑った。
「――スーシュ、笑いすぎだよ」
 第三王子の言葉が、余計におかしい。
 泉のほとりで、ひとしきり笑った。

 そして――

 白いリボンでくくられた花束を手に取った。リボンは、ほどいて横に置く。
「ダラン」
 ティーリスが目覚めたの。森の木も芽吹いているの。
 きっとまた、この国は緑でおおわれる。ダランが、森を通じてシェーネと話す事ができたように、ジュアとティーリスが言葉を交わせるかもしれない。
「ダラン」
 ありがとう。
 白い花を、静かに泉に沈めた。
 その様子を、三人とその父親は静かに見つめていた。
 沈んでいく花を見送って。私は、泉の向こうを見つめた。

『……スーシュ様』
 控えめな声に驚く。振り返ると、一番近くにある木のようだ。
「その“様”づけはよしてくれないかしら?」
 おそらく、と、実は答えを確信していた。
『大樹が呼ぶ呼び名と同じ名で呼ぶなど、恐れ多くてできません』
 ほらね。バイアジュの木々とおんなじ反応。
「私はいいんだけどね。前にも同じこと言われたわ」
『木々ならば当然です――ではなくて』
「そうね。本題は?」
『その、大変申し訳ないのですが、由々しき事態でして、区切りが付くまでは待ったのですがこれ以上は……』
「? で、なんなの?」
 回りくどい。確かに大樹に敬意を払うのはわかる。だが木々たちは、その大樹と親しい私にも一歩引いて接する。いわく、大樹と親しいから。
 私は私であって、あなた達を支える大樹じゃないし、人間よというと、それでもあなたは大樹を支えていますと言われた。
 木にとって大樹は敬うべき存在。そんな中、ジュアは、本当の意味で木々と心を交わすことはなかったのかもしれない。
 続きを促したのに、木は次の言葉を選ぶように沈黙した。不思議に思って近づく。本当に私に一番近い所の木だ。他の木は沈黙している。
 私に近いという理由で言葉をかけてきたのか。と、納得。そしてその木は、意を決したように言った。
『大樹が、泣いております』
「はい?」



  21.大樹を育む国   目次   23.木々に願うもの