大樹が泣くなんて、はじめて聞いた。なので早く戻ってと第一王子の馬に乗せてもらい早掛けで城に戻る。
 ――泣いていた。
 それも、大声で。
『ぅわぁ〜ん』
『大樹!?』
『大樹っ!』
 あわててなだめようとする木々の様子がおかしい。
「ティーリス!」
 声をかけると、ぴたりと泣き止んだ。
『スーシュ?』
「はい」
『スーシュ!』
「はい、ティーリス」
 そうするとほっとしたように揺れた。いつの間にか私の背丈を追い越した大樹の傍に座って、幹に肩を預ける。
「ここにいます」
『スーシュ』
 そしてまたその場で、眠った。二人で。そう、あのジュアの木の下で眠りに付くのと、同じように。
 いつもの、夜だった。


「ん?」
『おはよう、スーシュ』
「おはようティーリス」
 日々、大きくなる大樹の成長が、少しだけ収まった。けれどもう私の背よりも大きくて、緑が映える。
 木々の隙間から漏れる光に目を細めた。
 ティーリスが目覚めて、一ヶ月。森の緑は見違えるようによみがえった。泉に反射する光、その水面に映る緑。
 さわさわと大樹が揺れる。心地よさに身を預ける。
 朝日が昇る時も、暮れる時も、月が輝く時も。共に。


 時折、それぞれの王子がやってくる。何をしにくるのか、よくわからない。
 たいていはお茶を用意させて飲んで帰ってゆく。
 一番大樹に理解が深いのは第三王子だ。子供だからだろうか。
「なぁスーシュ、俺にも言葉はわからないのか?」
「さぁ? 先天的なものだと聞いているわ」
「じゃぁ、無理なのか」
 大樹が、身を揺らしている。
「でもあなたが大樹を思っている事は、ティーリスに伝わるのよ」
 思いは、言葉だけでは伝わらない。思いを乗せた言葉だから伝わるのだ。
 第三王子を引っ張って、幹に近づけた。
「聞こえない?」
「?」
「目を閉じて、耳をすますの」
 幹に耳を当てたままの第三王子は、静かにしたがった。しばらくして、閉じていた目を開いた。
「聞こえる」
 それは、木が水を吸い上げる音。命の呼吸。



「婚約の話は白紙だ」
 言いたいことでもあるらしい娘が部屋に入ってきたので、こちらから言った。
「当然です」
 思えばはじめから、帰る事を切に願う娘だった。
「いつ、戻る」
「わかりません。まだ」
 国王の問いに、短く答えた。本当は、もうすぐにでもと考えていた。
 考え込んでいた私は、何かを言いたそうな国王の表情を、見逃していた。
「よいのか?」
「――はい?」
 考え込んでいたので、国王の問いかけに対する答えが遅れた。
「国に帰れば、お主はまた奇人と呼ばれよう。嫁いだにも関わらず戻ってきた娘として」
 あれ? と首を傾げた。つまり――
「心配してくれるのですか?」
「……」
 国王が押し黙った。なんだ、そんな事か。
「いいんです。はじめから、あの国を出ないですむように流した噂なのですから」
 自から、望んだ事。


「結局、あの娘に救われたというのか?」
「レアラ様」
 正妃が、整えられたその爪で弄ぶのは、磨かれたティアラ。
「ジャール、お前の占いが当たった事はとても喜ばしい。だけど私は、足元を見られるのは嫌いだ」
「存じております。しかし彼女は、生国に戻るという事です。
「ぁあ、あの娘は国に帰るか」
「そうです。彼女の国は、大樹を愛しむ国(バイアジュ)です」
「それがどうしたというのだ」
 不愉快そうに、正妃は振り返った。
「この国よりも、あの娘は大樹と近い関係にあるのでしょう」
 どうでもいいと、正妃が答えた。


「やっぱり、帰るのね」
「そのようです」
「残念だわ。でも、当然なのかもしれないわね」
 でも、あなた、それでいいの? と、言葉が続けられた。



 ティーリスは成長が早いけれど、中身は生まれたままだ。大樹は外的から身を守るためか生まれてからの成長がとても早い。けれどそれが落ち着けば、ただ静かに他の木々と同じように成長する。
 今、目の前で揺れる木漏れ日は、ティーリスのものではない。
 時々、森の泉に出かける事を願った。ダランが、いるから。
「早く帰ってきてね」と、少しだけすねたような様子のティーリスがかわいい。
『スーシュ様』
「ん〜なぁに?」
 今度もまた、一番近い木だった。そんなに敬遠しなくてよいというのだけれど、そうすると一斉にしゃべりだしますからと言われた。それは困る。
 さすがに、耳に痛そうだから辞退した。
『大樹を、見捨てないでください』
「……」
 私が、ティーリスを捨ててしまうと、どこかで感じさせるのだろうか。そうかもしれない。どこかで、私はバイアジュに帰る事を心待ちにしている。
 態度に、でるのだろうか。
『大樹は!』
 切実な、願いだった。だけど私は、
「私は――約束できないわ」
 嘘をつくのは、簡単だったかもしれない。
『スーシュ様!』
「だって私は、帰りたいの」
 それ以上は、木々たちは何も言ってこなかった。

 泉をあとにすると、第二王子が木の影から現れた。
「もういいのですか?」
「……はい」
 ダランに祈るためにきたのに、木々の言葉が重い。
「あなたは、本当に木々に心を砕きますね」
 まるで、私たちは眼中にないようだ。
「人よりも木のほうが信じられるから」
 身も蓋もないと、第二王子が言った。

『スーシュ様!』
 ゆれる、小さな木の様子が馬の上から見えて、微笑んだ。

 前に座らせて馬を走らせる。時折、笑ったり怒ったりしている。突然会話をはじめたかと思うと、やめる。
 確かに、木と会話しているのかもしれない。彼女の妄想であると疑った事もある。
 だが、違うらしい。
 しかしこれでは、人には奇人に映るだろう。狂人かもしれない。
 彼女が人を信じられなくなるのも、無理はないかもしれない。
 今なお、木と会話していると知った自分ですら、異常な光景に映るのだから。



 しとしとと、雨が降っていた。本当は傘の下にいたのだが、寒さに震えたところをティーリスが城の部屋に戻るように言ってくれた。
 細い雨の中を、部屋まで進む。
 ティーリスから距離をおいたからだろうか。大きなため息をついてしまった。
 窓枠に寄りかかって外を見つめる。雨に濡れた木々の緑がきれいだ。
 ティーリスが、大樹が、木々たちが元気になっていくほど、よくしゃべるようになるほど、思い出してしまう。
 ――ジュアを。
 ジュアは、こんな風に笑っていただろうかとか、ゆれていただろうかとか、違うのだ。少しずつ。当たり前すぎて、辛い。
 長い息を吐きながら廊下に座り込んでしまう。部屋まではこんなに遠かっただろうか。
 心の重さを表現するかのように、部屋までの道のりも重く、遠い。
 なんど、ため息をついたのだろう。
 ひざを立てた足の間に顔を埋めて、ため息をつく。
 目に涙が浮かぶ。
 体を抱きしめても、震えていた。

「スカットレシュール?」
 呼ばれた名前に反応して、はっと顔を上げた。
 あわてて目元の涙をぬぐった。
「……いくらなんでも、こんな所にいれば風邪を引く」
「ティーリスにも言われて、部屋に帰る途中でした」
 体温を取られたのか、足や腕が冷たい。力が入らず、立ち上がるのに失敗した。
「――あれ?」
 ぐらりと揺れた。倒れると思ったところまでが、最後。


『スーシュ、こないね』
『それが、部屋の中を覗ける木が言うには、体調を崩しているようです』
『うん。さっき、スーシュが王子だと言っていた一人が来たよ。しばらく黙っていたけど、スーシュは命に別状はないけど熱がひどいと言っていた』
『大樹?』
『僕は、望んではいけないのかな』
『大樹』
 木々たちはもう、何もいえない。
『わかって、いるんだ。本当はスーシュは――』
 それから先を、大樹ティーリスは言葉にしなかった。そして、大樹は沈黙した。


 ふっと目を開けると、天井が見えた。久しぶりだと、考える。そうだ、冷えるといけないからとティーリスに言われて……あれ?
 部屋に帰る途中までしか記憶にない。
 そうだ、第一王子に会ったんだ。
 起き上がると、寝すぎた時か熱が上がった時特有のだるさに頭がぐらぐらする。右手に、湿ったタオルが落ちた。
「――あれ?」
 声がかすれた。
 部屋に入ってきた侍女の話によると……熱を出して一日寝込んでいたという。
 着替えもそこそこに、走り出した。

 のだが……

「ぜっ……はぁ……」
 熱が上がってしまったのか、体が思うように動かない。また、廊下の端に座り込んでしまった。
 あわててやってきた侍女に連れて行かれて、もう一日おとなしく寝る事になった。



「ごめんなさい」
『元気になってよかった。スーシュ』
「話を――誰かに?」
『うん。あわててここにやってくる途中でまた熱が上がったって、無理しないで、スーシュ』
「ぐ……」
 そこまで伝わっているのか。
「もう平気よ!」
『ねぇ。スーシュ』
「ん? 何?」
『スーシュは、……帰りたいんだよね』
 はっと、させられてしまった。
「それは」
『だってスーシュは、バイアジュの大樹と仲がよいのでしょう』
 どうしたら、いいのだろう。ティーリスは、首を振るようにゆれている。
『わかるんだ。僕がスーシュを望むように、同じようにその大樹はスーシュに会いたいんだ』
 ティーリスは、気がついているんだ。
『僕がスーシュを望む気持ちと同じなんだ。僕はスーシュがいなくなってしまうのは嫌だけど、でもバイアジュの大樹に、僕が同じ思いをさせてしまっているんだ』
 どうしたらいいか、わからない。
『泣かないで、スーシュ』
 あ、と声がもれた。自分が泣いている事が、理解できない。
『僕は大丈夫』
「ティーリス」
『大丈夫』
「ティーリス!」
『ありがとうスーシュ、君はいつも、僕のために泣いてくれるんだもの。だから僕は、ぼくに、できることは……』
 泣いていた。私も、ティーリスも。
『スーシュ、ありがとう』
 選ばなければ、ひとつを。



  22.木々達の言葉   目次   24.祝福する大樹