「なんで泣いたんだ?」
「――っ」
 本当に驚かされる。人は、こうやって私の行動ひとつ一つを見ているのだろうか。
 私にとって、私を心配して私を理解してくれるのはジュアと木々達だけだった。あとは少数の大人。といっても、姉の二人はもってのほかだ。父だけは話を聞いてくれる。
「……ごめん、言いたくないならいいよ。けど言いたくなったらおしえてくれ」
 息を飲んで黙り込んだ私を、リベストは気遣うようにそう言った。
「ぇっと、昨日は森の中心に行ったんだよね? 今日もそれでいいのか?」
 こくりと、頷いた。口を開く気には、なれなかった。

 今日もまた森の中に入っている。この国に来てからずっと。もうわかっていた。木々はしゃべることはないのだと。
 私の声は聞こえないのだと。
 枯れ行く、いいえ枯れた木々を見て思った。いつか、すべての木々がこうやって消えてなくなってしまうのだろうか。
 雨は降らず、大地はひび割れて。
 怖い。
 森は私にとって、安全な場所だったのに。大好きな場所だったのに。
 どうして。
「どうして――」



「どうして、か」
「何かわかったのか? ルゥ兄」
「わかるわけないだろう」
「そう……だよな」
「何か聞きだせそうですか、リベスト」
「それはジャン兄の特技だろう」
「それを察しているのか、ほとんど会話をしないつもりですよ」
「まぁでも、一日や二日でどうにかなるものじゃないし」
「だが時間がないのだ!」
「ルゥ兄」
 いらだってものにあたる第一王子に、第三王子は驚く。
「とにかく、父上もこの件にかなりの心労を強いられている。様子を見続ける時間はないのだ」



「――ジュア」
 今日も森に行った。沈黙する木々、静かな空間。鳥の声すら、消えてしまった。
「ジュア」
 会いたい。会いたい。会いたいよ。どうして。
 ぁあ、駄目だ。すべて、“どうして”。
 どうして、私はジュアの傍にいられないの? 望んではいけないの? どうして?



「で?」
「兄上」
「今度は出てこないと、いい身分だな」
「ジャン兄、ルゥ兄が怖いんだけど」
「私にふりますか。ぁあ、あなたはもういいですよ。決して、兄はあなたに怒っているわけではないので、気に病まないように」
 怯えていた侍女が逃げるように足早に去っていく。
「いったい何事ですかね」
「いい加減にしてもらおう」
「兄上、待ってください」
「なんだ、シャジャン」
「お願いですから、乗り込むのはやめて下さい」
「そうだよ! スーシュが怯えるよ!」
「「………スーシュ?」」
 ぎょろりと、二人の目が末の弟に向かった。
「へっ!?」
 リベスト王子の背中を、冷や汗が流れた。



 とにかく、第一王子と第二王子は政務があるということで執務室に向かった。
 一人取り残された第三王子―リベストに任務を押し付けて。

「……あの〜スーシュ〜?」
 何度かノックしたが返事がない。侍女の話では部屋を出ていないということで、中にいるの、だろう。
 勝手に入るのは気が引けるが、二人の兄に睨まれてはこちらの身が危ない。
「スーシュ?」
 入ってすぐの応接間には、誰もいない。カーテンと窓が開いているのは侍女の仕事である。
「ぇっと」
 ぐるりと見渡して、ここは客室。それも上等な。父はかなり葛藤しただろうと思いながら足を進める。そっと、開いていた扉から中を覗く。
 天蓋のついた寝台の上に、ふくらみが見えた。
「スーシュ?」
 寝ているのだろうか?
 どうしたものかとしばらく迷ったあと、ばれなければいいやと開き直ったリベスト。
 気配を殺して、中に入り込んだ。それは訓練されたものの足取りで、音も立たない。静かに近づいてその顔を覗き込む。
「――」
 かすかに見えた横顔に息を飲んだ。
「――ジュ……ア」
 スカットレシュールがささやいた一言に続いて、握られるその手。何かにすがるように丸くなる姿を最後まで見ずに、リベストは部屋をあとにした。



「リベスト」
「早かったな、どうだった」
 執務室に入ってきた第三王子に、二人の兄が声をかける。その場にいた従者達は三番目の王子に頭を下げる。
 何かよい案を、と期待していた二人の兄王子とは違って、末の王子の表情はうつむいて見えない。いや、暗いといえる。
「……どうした?」
「俺、よくわかんないけど」
 不思議そうに首を傾げたラクルゥの言葉に、リベストは静かに言う。
「俺達が望まなかったように、スーシュも望んでここに来たわけじゃないのかもしれない――」

 そんなこと、今更だと誰かが言葉にした。
 第三王子の言葉の本当の意味を、知っていなかったから。



「ん……」
 重苦しいまぶたを開ける。頭も重く、まだ目覚めきっていないのがよくわかる。そのまま寝入れば丁度いいかもしれないが、もう寝すぎたのかぼんやりする。
「いま……」
 低い位置に差し込む日差し、その角度。日が沈んでいく途中。
「ひる、か」
 何度か目覚めていた。そのたびに寝た。起きたくなかったから。昨日は泣いたまま寝たのだろうし。いつ眠ったのだろう。
 しばらく泣いていたことしか思い出せない。
「ジュア」
 少し、すっきりしたと思う。得体の知れない不安。怖れ。寂しさ。すべて。
 一番怖いのは、もう私は木と話す力が無くなってしまったのかもしれないということだ。
 そうしたら、もう。
 力なく首を振る。そんなことはない。それだけはわかる。それだけは信じたい。
 でも、じゃぁなぜこの国で木と話ができないのだろう。
 考えられるのは……木が会話していないということ。森の木々同士が、城の木々同士が会話していないということ。
 どうして?
「また、“どうして”なのね」
 私にできることなんて、ほとんどないのに。だから、唯一を絶対にしようとしたのに。
 でなければ、すがり付いてでも支えを見つけなければ潰されそうだった。第三王女という、肩書きに。
 私はジュアの傍にいられない。――どうして?
 木々が会話してない。――どうして?
 森が枯れてる。――どうして?
 木が私を攻撃した。――どうして?
「どうして?」
 なんで?

 わからない。



「王子様!」
「なんだ」
 三人いる所で王子と呼ばれれば、それは一番地位の高い第一王子を示す。それはこの兄弟の中での言わずとも決まっていたことだった。
 だから、執務室にやってきた兵士の一人の言葉に答えたのはラクルゥだ。
「姫君が!」
 今度は何をしでかしたと。ラクルゥの額に青筋が浮かんだ。



「あのね。邪魔だって言ってるのが聞こえないの」
「聞こえています」
「じゃぁどいて」
「承諾しかねます」
「なんで」
「王、引いて王子様達の命ですので」
「私は、この国の王に従う必要ないんだけど」
「私は陛下と王子様達に仕えております」
「ぁあそう。どいて」
「できません」
「いい加減どきなさいって言ってるでしょう!」
 部屋を飛び出して走り出した。廊下の先を塞ぐ兵士の間を強行突破しようとして、つかまった。振り払って逃げようとして、つかまった。槍を奪って振り回したけど、弾き飛ばされた。騒ぎを聞きつけた兵士数十人が壁となって立ちはだかる。
 逃げる途中でつかまる。兵士のいた場所。その一線を越えられない。何度も何度も元の場所に戻される。
 逃げても逃げても逃げてもこれだ。どこまで追ってくるのかわかったものじゃない。
 いらいらする。本当にいらいらする。木がしゃべられないことに恐怖しているのに、この拘束された時間に酷くいらだつ。恐怖心を消せないから、余計に過敏になっている。
「できません」
「ふざけんじゃないわよ!」

「何をしている!!」
「スーシュ!」

 げ、面倒なのがきた。うめき声こそ出さなかったものの、表情には出ているだろう。酷く、不満そうな顔が。
 しかも、三人もいる。最悪。
 兵士達がさっと道を開ける。今なら通り抜けられるが、その先にいるのは三人の王子とその直属の従者だ。――余計逃げられる気がしない。
 当然のように目の前にやってくる第一王子。右手に第二王子、左手に第三王子。
「あんた達、暇なの?」
 暇なわけはないだろうと、思う。
「……どういう意味だ?」
 案の定、第一王子はかなり不機嫌だ。
「ル……ラクルゥ兄上!」
 第三王子が声を上げた。まるで、何かをとどめるかのように。
「兄上、ひとまずは話を……」
 第二王子も、そのようだ。
 この二人は、まだ、親睦的よね。と頭の端によぎる。
「お前は、いちいち騒がないと気がすまないのか!」
 怒鳴られた。
「騒いでなんかいないわ」
 開き直りって、大切だと思う。
「ならばなんの騒ぎだ」
「この道を通してくれないから、文句言ってるだけよ」
 あんたが、塞いだんでしょう。ぎろりと、睨みつけた。
「……どこかにいくなら」
「監視されるいわれはないわ」
「……」
「部屋を出るなといわれる筋合いもないわ」
 誰かに、何かを強制されるいわれもない。
 第一王子が大きくため息をついた。それから、溜め込んでいた何かを吐き出すように言う。
 それが怒鳴り声にならなかっただけ、彼は大人だったのだろう。
「お前は“王女”だろう。常に侍女か兵士、それか影がいることに疑問を感じもしないはずだ」
 一瞬、瞬きをしたスカットレシュールの顔から表情が消える。沈黙の間が長い。
 しばらくして、何かを考えていたようなスカットレシュールが顔を上げる。すると、表情の消えた顔の口元が歪む。そう、歪んだ。
「普通の、王女様ならね――」
 そう言ったスカットレシュールの顔に浮かんでいたのは、皮肉げで、すべてを諦めているような、感情の消えたものだった。



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