あれから数日。打って変わっておとなしくなったスカットレシュールは、城を出て森に行く時につく兵士にも、王子(じぶん)達にも目もくれようとしない。
 ただ森に行って、帰ってくる。何を考えているのかわからない。
 歩きなれてきたのか、さくさく森を進むスカットレシュールの背中からは、何も伺えない。
「また枯れてきたな」
 荒野と化しつつある森は、不気味なほど静まり返っている。ひび割れた大地は、雨の名残を感じさせない。
「本当に」
 スカットレシュール(かのじょ)が、救いとなるのだろうか。



 もし私が、第一王女(レン姉さま)のように華やかで輝かしい容姿を持ち、聡明で鋭い王女だったら、
 もし私が、第二王女(ティリ姉さま)のように穏やかで静かな微笑を持ち、冷静で賢い王女だったら、
 もっと、違う生き方があったかもしれない。
 でも私は、誰かと比べて特別すばらしいものなんて、持ってないもの。
 あまりに平凡で、姉様方と比べることも、できないくらい。
 だけど唯一つだけ、私はジュアと話ができた。それだけが、幸運だったのかもしれない。
 他のすべてを捨てても、それだけあればもう、よかった。
 それがすべてだった。
「ジュア」
 それだけがすべてだった。



「ふざけるな! 時間も労力も無駄に消費するわけにいかないのだぞ!」
「陛下」
 控えていた従者が、焦ったように声をかける。
「黙れ! どういうことだ、ラクルゥ、シャジャン、リベスト!」
「申し訳ありません」
 第一王子は一番上の地位にある。それは最大の強みで、弱みだ。
「陛下」
 この国一の占い師はただ国王に頭を下げる。
「ジャール、お前を疑いたくはない。しかし」
「……陛下が彼女を受け入れてくださらないのが、何よりの証拠でしょう」
「わしのせいだと申すか!」
 老婆が、国王の腕に叩きつけられる。
「父上!」
 彼女が床に叩きつけられる瞬間、助けたのは第一王子だった。
 はっとした国王は、しかし言葉を荒げたまま言う。
「何か吉報の兆しでもつかんで来い。それ以外の報告は受けん!」
 謁見室を後にする国王についてゆく事を、誰も許されはしなかった。



「また」
 枯れてきた。日に日に減っていく緑。そして残る痛み。
 嫌だ。ジュアに会えないのはいや。けれど、目の前で木々が消えていくのも、同じくらいいや。
 こんな時、ジュアならなんと言うだろうか。
 見捨てて来いと、言うだろうか。
 そう言ってほしい。けれど。
 あの樫の木は、あの柳は。バイアジュ国のすべての木々は。
 テラスの柵を握る手に力が入る。枯れて荒野となった森を眺める。
 裂けて血の流れた指、窪んで幹にやられた足。ただ無言で、敵意を感じる木。関心のない人間。
 ――ジュア、私は、ジュアに会いたい。
 震えるまで握り締めていた手に、力が入る。ぎゅっと握り締められた指。そっと部屋を抜け出した。
「お出かけですか」
「ぅわぁ!?」
 ひっそりと誰もいない廊下に、こっそり出てきただけに驚いた。
「――少し慣れていただきますか、どこかに行く時に、誰かが付くことだけでも」
「止めないのね」
「私には、その権限は与えられていません」
「その代わり、口が出るのね」
「忠告です」
「どうだか。で、誰の――」
 従者? なのか?
「第一王子様です」
 第一……あ、あのでかい人か。
「王子様方はただ今執務中でして、私たちが付くことになります」
「珍しいの」
 今まで、ずっと、彼らは私のあとについて監視していたのに。
「王子様にはそれぞれ政務があります」
 む。なにそれ。私が邪魔したみたいな言い方。
「ぁあそう。それで」
「どちらに行かれますか、バイアジュ国第三王女様」
「あなたがついてくるの?」
「はい」
 その、逃がさないという声音にため息をつく。なんだ、同じか。人が違うだけですることは同じ。そう、同じだ。
「……なら、案内して頂戴」
 いくら森を見ても、もう何も変わらない。



「書庫に行ったと?」
「はい」
「何をしに行ったんだ」
「書庫に行くんだから、本読むんじゃないのか?」
「そういうことを言っているのではない!」
「わざわざ、書庫に行って何を読むつもりなのか、でしょう」
「情報が少なすぎる、他に何か言わなかったのか」
「それが……」
「なんだ」
「隊長が捕まったままです」
「は?」



「でかすぎ」
 この書庫。
「で、これ以上何を探すつもりなのですか」
「多すぎんのよ。減らしてくれない?」
 その本。いったい何冊持ってくるのよ。
「最初に無理を言ったのはあなたなのですが」
「……私の事、嫌いよね」
「仕事です」
「うわぁ」
 空を見たい気分だった。ジュアの上で。
 ひとまず目の前の一冊をひらく。ぱらぱらとページをめくって、閉じる。もう一度目次に戻って、文字を追った。
 この国の、天候の記録。
 雨はいつから降らないのか、木々はいつ枯れ始めたのか。
 わからないから。



 はっと意識が浮上する。気がつけば、本を片手に眠りこけている。数分なのか、数時間なのか――
 ちらりと視線をうしろに向けると。あの従者のため息の長いこと。数時間のほうらしい。
「お茶を」
 あわてて前を向いて、本を読み始めると隣にお茶が置かれた。湯気の立つ紅茶は、甘い香りが漂う。
「……?」
 ずいぶん親切だといぶかしむと。従者は無視したまま焼き菓子まで置いて離れていった。
 毒入り? ――まさかねと首を振る。そこまで、落ちてないだろう。この王家は。
 殺(け)すなら、もっと上手にやるだろう。
「スーシュ!」
 ばばんと扉が開かれて、まだ幼い感じのする声が響いた。ぁあ、第三王子(こいつ)かとなっとくする。ならお茶が出てきたのも頷ける。なんか、よく食べそうだし。第二王子も気を回しそうよね。第一王子だと……そのまま食堂に連れてかれそうね。
「おなかすいてないか? 夕食になっても閉じこもっているというので驚いたよ」
 そこで気がついたように窓の外を見た。とっぷり日は暮れていた。いつ? 頭の中を疑問がよぎる。
 机の上の本の数を数える。そう、もう根性だと読み漁っていたけど。
 分厚い記録の中から、目ぼしい事柄を書き出していたけどあまり意味はなさそうだ。
「スーシュ? とりあえず料理長にサンドウィッチを用意させたけど……もう食べてるんだね」
 彼は、お茶とお菓子を見てそう言った。つまり、このお茶もお菓子もあのうしろにいる従者が用意したのか。意外。
 勘が外れた。お菓子はさくっと食べきってしまったので、
「頂きます」
 遠慮なく、自国と違ってたくさんのものを挟むらしいサンドウィッチを手に取る。一つ食べきる頃には、紅茶がカップごと変わっていた。中身が違う。振り返ると、従者は相変わらず涼しい顔で壁際に控えている。あの、何も関与してませんみたいな顔がいらつく。
 片手でサンドウィッチを食べながら、作業をやめて違う本を開いた。行儀が悪いけど、いいの。
 天候の記録では、異常というほどのものはない。雨季でもないこの時期、雨が減るのは当然だ。幸い、まだ水不足になるほどでもない。
 では、何が?
 あの森はいつからあるのか、地形の歴史を調べることにした。



 遠くから声をかけられている――様な気がする。
「おいっ」
 視界の端に何かが映ったと思う間もなく本が消えた。
「ちょっ?」
「いつまでやっている」
 かなり、いらだっていた。何事かと思ってしばらく考える。そういえば、ジュアにいつも言われていた。何かに熱中するとほかの事は頭からすっぽり抜け落ちるので、誰かが付いていないと駄目だねと。
 さっきはまだ夜になったばかりのはずだったが、いったい、
「何時?」
「夜中だ」
「……こんな時間までいつも起きてるの?」
 そう問うと、さらにいらだちが増したようだった。
「そんなことはどうでもいい」
 へんだなー確か第三王子が……あ、いた。
 彼は壁際に座り込んで寝ていた。
 従者はいらだちというよりも、すべてを投げ出すような顔をしていた。
「何をしている」
「本読んでる」
「……ぁあそうか」
 どうでもよさそうね。
「リベスト!」
 まるで怒りをぶつけるかのように第一王子は叫んだ。
「はぁっ!? ……あれ? 兄貴? どうしたんだ?」
 第一王子は、さらに疲れを覚えていた。

 なぜか、というかおそらく休むことを許されなかったらしい侍女に引っ張られ簡単に入浴した。
 そして寝ろといわんばかりに部屋に押し込まれた。まぁすぐに寝てしまったけど。

「で?」
「ねむ……」
 すごむラクルゥの目の前で目をこするリベスト。
「リベスト……お前はもういい。早く寝ろ」
「はぁ〜い」
 さくっと挨拶をして、リベストは部屋を出た。残れたのは、第一王子の従者。
「それで?」
 言葉が単語になっただけで、彼のすごみは変わっていなかった。
「……止めるようには言われておりませんでしたので」
「言ってなかったな」
「途中で寝始めた所をたたき起こそうか悩んだのですが、やめておきました」
「懸命な判断と言っておこう」
 むしろたたき起こしてもよかったと彼は思っている。
「彼女が読み漁った本のリストはこちらに。書き写しの写しはこちらです」
「ああ」
 彼はいつの間にスカットレシュールの書き写しを書き写し……もとい暗記したのだろうか。
 書類を受け取って一瞥したラクルゥの表情が変わる。
「こんなに読んだのか?」
「はい。信じられないことも無理ありませんが」
 それくらい。スカットレシュールの集中はすごかった。彼女が寝ていたのも、本当は数分のことだった。
 いったいあの娘のどこに、そんなやる気と情熱があるのか。



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