「どうだ?」
「おいしい」
「だろ!?」
 引っ張りまわされて、お昼になった。なんでもおすすめがあるというので連れてこられてみれば――というか、どーして一国の王子がこんな城下の裏道に詳しいのよ。おかしくない?
 灰色というより真っ黒の平べったいパンに挟まれているのは塩漬け魚の薄切りとサラダ菜ときゅうりとトマトとソースだ。あっちは焼肉も持っている。
「はい」
 それから、りんごが手渡された。
 ……やっぱり、何かがおかしい。
「そーだ! 次はあっちに」
 伸ばして腕をつかもうとした第三王子の手をべしっと叩いた。
 だから、まだ食べてる。すると、しょぼんと彼はうな垂れた。なんつーか、小動物だ。まぁでも、第一、二王子がこうじゃないだけましか。あのでかい図体でこれだと、引くわ。



 二回、真後ろで何かを耐えるような声を聞く。
「噂されてますか?」
「違う」
「体調をいつ壊したんですか?」
「うるさい。いいから二人を見失うなよ」
「はい」
 静かに怒りを抑えるような声。抑えきれてませんよと言うと怒られるので黙っておく。
 顔を向けて路地の向こう側、片手にかじりかけのりんごを持ったままのスカットレシュールが引っ張られている。
「食べている間くらい待てないのでしょうかね」
 あとで、言い含めよう。もう少し配慮しろと。



「まだ行くの?」
「おう! まだ見てない所ばっかりだ……ろ?」
 引っ張る腕が重くなったからか、リベストは振り返る。散々引っ張りまわされて疲れたスカットレシュールの息が荒い。
「疲れたのか?」
「当たり前でしょう」
 私、引きこもりなんだから。ジュアはよく嘆いてたけど。いいの。
「んーじゃぁ」
 そして連れて行かれたのはテラスのある喫茶店だった。ちょっと意外。
「……すっごい意外そうな顔してる」
「あ、わかった?」
「わかったって……」
「意外じゃん」
「ひでぇ」
 どこが。



 くるくるくるくる、ころころ表情が変わる。初めて会ったあの日、城で見た時とは違う。
 嬉しそうに、楽しそうに。怒って、呆れて。そして時々、悲しそうに。一瞬落ちる影。あの城の中で、常に落ちている影。
「楽しそうですね」
「そうだな」
 そして、沈黙した。なぜだろう。わかっている。
 誰も、その存在を肯定していない中に置き去りにした。
 そして彼女も、この場所の自分を認めようとしない。
 だがあそこは――あの二人は今、そんなものを感じさせない。少なくともそれなりに楽しそうに。
 そしてまた沈黙した。
 そろそろ、追ってきた事を後悔が襲った。



「えーと」
「何?」
 テーブルにひじを付いてぼけっと通りを見ていた。日向に日陰を作るパラソルの下は心地よく。休息に丁度よい。
 見るともなく視線を外に向けていただけで……何もないなら邪魔しないでほしい。
「えーと」
 そして何もないらしい。
「……そんなに気を使わなくてもいいけど」
「つまんなくないか?」
「はぃ?」
 どこの初デートよ。



 冷たい紅茶と出てきたオレンジピールをつまんでみる。……オレンジの紅茶?
「どうしたいのよ」
「なにが?」
「なんでもない」
 冷たいお茶を飲むとのどがすっきりした。ほっと息をついて飲み干す。
 あー疲れた。
「もうあと少ししかないなぁ。どうしたい?」
「どうしたい?」
 ここに来て、今、それ?
「え……?」
 私の不穏な空気を感じ取ったのか第三王子が一歩引く。
「そうね」
 ふと、この瞬間を楽しんでいる自分の思いに驚く。それがまた、なんだか悔しい。
「そうだ」
 どうせだし、最後まで楽しんで帰ろう。

 と、思ったまではよかったんだけど……

「何してんの?」
「あれ? 兄上?」
「いやぁ、スカットレシュール、リベスト……」
「………」
「兄上、今日は執務じゃなかったのか?」
 その言葉に、曖昧に笑った第二王子の表情に嫌なものを感じた。
「まさか、つけてきてた訳じゃないでしょうね」
「そんなばかなっ!」
 声を荒げた――第一王子が怪しい。
「そんなに暇だと思っているのか」
 そして、いらだち紛れの言葉。
「そういうわけじゃないよ……ほら、視察に」
「――森の?」
 絶対に、違う。
「そういうわけでもないのだけど」
「なら、何?」
 なんで角を曲がった先で悩んでいたらうしろから現れるの?
「いやちょっと、まぁその疑わしい目はやめようねスカットレシュール」
「いや」
「いやって……リベスト、ちょっと来なさい」
「俺!? ってジャン兄!? ひっぱってる!? いでっいででっ」
 第三王子が第二王子にひっぱられて、第一王子も加えて離れた所でこそこそ会話している。時々、“黙らせて”とか“ごまかせ”とか聞こえるんだけど気のせいじゃないわね。
 はぁとため息を付いて、路地裏に放置してある木箱に腰掛ける。これで、おしまいかと思う。
 なんだか、楽しみの最中を邪魔されたかのようだ。楽しんで、いた。それは、第三王子に感謝すべき事だった。
 誰もついてきてないはずはないと思ったのだから、怒る必要もないのだ。だけど、どうして、互いに鉢合わせしてしまったのだろう。
 せめて出てきてくれなければ、私は最後まで楽しめたのだろう。ここで。
 そうして、ジュアの事は遠ざかっていくのだろうか。森も、木も。こうやって、人々は木々と話す事をやめてしまったのだろうか。忘れてしまったのだろうか。
 いつか、私も――?
 こみ上げてくるものが抑えきれなくなってきたせいで、目元が熱い。だって、ジュアはきっと、少しだけ憂うような声でその事を喜ぶのだろう。私が離れていく事を喜びはしなくても、歓迎するのだろう。
 木は森にあって、人は国に住むのだから。
 そうやって、ジュアから離れた人間がまた一人増えて、私はその記憶の時間に忘れられてゆくのだろう。
 うつむいたまま、唇を噛んだ。でも、もう止められない。
「スカットレシュール?」
 名を呼ばれた時、はっと顔を上げた。それと同時に、溢れきれたものが流れた。一人、目があった。
 三人の驚いた表情が見えて――彼らのいる反対方向に走り出した。


「スーシュ!」
 いち早く第二王子の手を振り切って走り出したのは第三王子だった。
 一拍遅れて、第一王子と第二王子の視線が交わされる。女の足で、そう遠くには行くまいと考える。第二王子は首をふった。それでは、突然泣き出した事に説明がつかない、と。
 わかっていた、少なくとも、この場に姿を見られたことがきっかけである事は。



 ばたばたと人ごみをぬって、走る。何度か、人にぶつかった。
「ごめんなさい!」
 走りながら謝って、泣きながら進む。この国で知る場所など、森か、城しかない。
 ――助けて。



「スーシュ!?」
 見失った。城下の店の立ち並ぶ通りは、人通りが多すぎる。
「ぁあもう!」
 首をふって、探した。従者と、影の姿を。



「森まで走るつもりか?」
「城に帰らないなら、そうなるでしょうね
「帰らないだろう」
「そうでしょうね」
「面倒だ」
「面倒ごとを増やしたのは兄上でしょう――いえ、私もですが」
 睨まれた第二王子は一言追加する。
「まったく面倒でならん」
 なぜ泣く?



 日が、暮れてきていた。長く伸びた影はあとを追う。暗がりが増える。赤く染まった空はただ、いつもと同じように暮れてゆく。
 明日にまた、会うために。
 星が、数個輝いた。



 もつれる足と、足に絡む服。少なくとも走るためではないし、走る事が得意でもない。
 日々誰かが馬に乗せて連れて行ってくれる距離を、甘く見た。
 だけど、止められない。止まらない。
 せめて会って、確かめたい。確認したい。一人じゃ、ないと。
 わたしは――


 日が暮れても、走り続けた。体中が悲鳴を上げていることも知っていた。けれど、止まらない。


 森へ――



  7.枯れ木に願う   目次   9.緑の木は枯れ