17

「なんたる事!!」
「侍女長様……」
「もう式典の日ですのよ!!」
「シルク、式が始まったらおとなしくしておれよ?」
「なっ陛下! 私がそのような失態など!」
「大丈夫だ」
「陛下! どこからそんなにっ」
「――お父様?」
「ミルファネー……」
 まるで別人。あの日、船乗りの服のままやってきた娘と。でも同じ娘。愛しい、愛娘。
「驚いた。あとで着替えを手伝った侍女達に褒美(ほうび)を」
「「はぁっ!?」」
 ミルファネーゼと、シルクの驚く声が重なった。
 これに、快く頷いたルギ。
 深い青のドレスは、海に住むものに海を、陸に住むものに空を思い出させる。編みこんだ上に結わわれた髪。桃色の花とリボンが挿してあった。
 布地の色合いが気に入っていると言って、レースもフリルもいらないと言ったらしい。
 が、それでも袖口と裾から覗く白いレース。見かたによっては質素に見えるかもしれない。それでも、少し開いた胸元に輝く赤い宝石。袖口はひらひらと広がる。幾重にも重なるようにスカートは作られていて、さらに腰には一筋のリボンがかかっていた。
「準備はいいか」
「はいお父様」
 少しだけ、顔を合わせてその言葉を恥ずかしそうに漏らした。
「では行こう」

 窓にかかるカーテンの外では、民達の沸き脱声が聞こえていた。
 一目、その王女の姿を見ようと、国王の喜びを祝福しようと。

 一歩進む国王の足に、ミルファネーゼは一歩送れた。
「ミネファ?」
「あの……」
「大丈夫だ、何も怖がらなくていい」
 独りになるということも、暗闇も、不安も、心も。
 傍に、いるから。

 開かれたカーテンの向こう。次々と聞こえる賛辞の声。みんなが、「万歳」と言っている。

 呆然と立ち尽くした。
 お父様は平然としたもので、悠然と声を張り上げた。

「ここに、娘が帰ってきた。皆(みな)で祝おうぞ!」

 空に、人々の喜びが運ばれていく。風となって木々をゆらす。
 祝いの宴は、終わらない。



「陛下」
「――ぁ、ああ」
「おはようございます」
「ああ」
 シルクに睨まれながら、国王は寝台から起き上がった。隣に眠る娘を起こさないように。
「へーいーか」
「そう睨むな。ルギはどうした?」
「女性の眠る寝台に近づけないと、また、頭を下げてきました」
「そうか」
 面白そうに、国王は笑った。
「笑い事ではありません」
 それだけ言って、シルクは次の間に身を翻(ひるがえ)した。
「――おこさないのか?」
 意外そうに、国王は言った。
「まぁまぁまあの上出来です。今日一日は、おやすみになられるとよいかと」
 また明日から、スパルタを再会するらしい。
 面白そうに国王はまた笑って、頷いた。

『さっきの……』
『ん?』
『“ミネファ”って』
『――嫌か?』
『……ぅうん。ただ……』
『ただ?』
『昔、御爺様がそう呼んでいたの』
『そうか。一度、お前を育ててくれた人に会ってみたいものだが――』
『御爺様は、亡くなってしまったの』
『………』
『それから、私のことを“ミネファ”って呼ぶ人はいなくなってしまったの。あの、だから』
『気にしなくていい、ミルファネーゼ』
『違うの、あの、すごく驚いたの。だけど、だけどそう呼ばれるのが、嫌いなんじゃないっきゃぁ!?』
 国王はミルファネーゼを抱き上げて、手すりに近づく。高い場所から見下ろしていても、人々が嬉しそうに手を振っているのが見える。手すりに近づけばいっそう、歓声が大きくなるのも。
『――わかっている。ミネファ』
 その声は囁きにしか聞こえなかったけど、でも聞こえた。
『見えるか?』
 喜びを、表す人々が。何よりも、誰よりも喜んでくれたのは父親。でも、この国の人々の声。「王様の娘が帰ってきた!」と。
 こちらに向かって伸ばされて、振ってくる手。大きいもの、小さいもの。いくつもの笑顔が見える。

 おずおずと、手を振り替えした。その瞬間に湧き上がった歓声に驚いてしまった。

『あれ?』
 見下ろして最前列。もしかして――

「あの花売りの子!!?」
 がばっと、起き上がった。
「……ん?」
 見渡せば、もう見慣れた? お父様の部屋。
「――夢?」
 それにしては、まるで現実。
「ま、いっか」
 問題はそんなことじゃない。傍らに用意されている服。海賊の船で来ていた服に似た動きやすさ。どこかの町娘のような服。
 早々に着替えて、部屋を出る。
「朝食は?」
「食べるわ。それから、」
「……なんでしょう」
 少しだけ間が空いたのは、嫌な予感がよぎったからか。
「もう一度城下に行くわよ!」
「――何度でも。ミルファネーゼ様」
 少しだけシギがため息をついたのは聞こえた。それはあきらめからだって知っていたから、無視。
 まさか国王直々の命だとは、思いもしないミルファネーゼ。




「城下へ?」
「はい陛下」
「そうか、それはよかった」
 あの子は、この狭い世界よりも、外を好むと思った。
「今度、連れて行ければ……」
「そんな日も遠くないでしょうに」
「ルギ」
「心持ちしだいだろう?」
「そうだな」
「……」
「なんだ?」
「いや」
「言っておけ」
「――俺の息子はミルファネーゼ様を連れ出すことができる。だがお前は、そう簡単には動けない。そんなのを目の前にしなければならないことが、」
「苦痛、か?」
「そうだな、もう俺達は歳を取り過ぎている」
「知っている。だが、それでも逢えたことに変わりはない」
 ルギから見える国王は、現状に満足しているように見えた。見えただけ。

 まだ、遠い。

 そう簡単に、築けるものだとは思わない。
 だが、この国のことだけを考えてきた友に、本当の守るものがあればと、いつも思った。




 前よりも変装がこっていて準備に時間がかかった。なんなの? と問えば、一応、民に姿をさらした身ですのでってなによ。
「これでいいでしょう?」
「そうですね、行きましょうか」
 ようやくね。
 あーもう。毎回こんなんじゃやってられないわよ!



 日も暮れて、夕食。冷めはしないかと危惧する料理長を余所に。再び、廊下をあわてて走る音がする。この城の中を疾走するのは、一人と、哀れなその護衛だけ。
 ほら、もうすぐ――
「ただいまっ」
 明るい声が、開かれた扉の音などなんでもないように響く。
「お帰り」
 夕食は少し遅らせるように言わなくても、ルギが手配していた。
 ついでに、あの馬鹿息子とぼやいた事も。
 息を切らせてミネファが部屋に入る。何も言わなくてもでてきたグラスに水が注がれている。
 飲み干した瞬間が合図。
ことんっ
「今日は、どうだった?」
「ひどいの! 変装とか言って一時間も無駄にしたのよ!?」
 それは、あなたが気に入らないと文句を言ったからです――
 喘ぐようなシギの言葉は、出て行った侍女と給仕に続いて閉じられた扉の向こうに消えた。





「へぇ、バイアジュ国の王女がねぇ」
「はっ! はい」
 打って変わって、ここは別の場所だった。
 分厚いカーテンによって外界から切り離された部屋。幾重にもかけられた鍵。
 灯りだけは煌々と灯された室内。

 そこには、ミルファネーゼにこてんぱんにやられた商人と、もう一人。
 商人らしからぬ格好で、加えて商人よりも尊大な態度。

 今も、帰路につく商人を呼びつけた男は、机についていた肘の上で、手を組みかえる。

 口元に浮かんだのは微笑。

 それこそ、氷のような。

 相手にはなれているはずの商人が一歩引いた。
 とてもじゃないが、正面に居合わせたくない。

 目も合わせたくなくなる。

「楽しませてくれそうだな」
 男の目には、もう商人は映っていなかった。


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