19

 調べてみると、バイアジュ国とエダリディーガ国の軍事力差は倍以上。加えて、バイアジュ国はこの十数年、自国の復興を進め、武器類はほとんどない。

『十八年前の――』

「十八年……前」
 私が、あの船に救われた頃、ここでは、何が起こっていたのだろうか。





「ミルファネーゼ様は?」
「それが、あれから誰もお姿を見ていないです」
「いったい、どこへ」
 いつも、いつもそうだ。勝手にどこかに行ってしまう。
「ご自身の身分を理解しておられるのか」
「……」
 そこだけは、とても疑問だ。
「とにかく、陛下にいらぬ心配をかけないよう。入り口は?」
「いえ、まだそれらしき影は見ていないと」
「なら、城内か――迷子か?」
「なのでしょうか?」



 この城内で迷子になるなど、ミルファネーゼ様しかない。初めて登城した者が入れる場所と、王族の過ごす場所は明確に分けられているし、向こうはこちらよりも兵が多い。
 こちらの警備が少ないとかそういう問題ではない。
 ようは、あの方がきちんと護衛をつけた状態で動いてくれればいい。

「私の注意不足ですわ」
 控えの間にいた侍女は嘆いた。
「いや、そんなことを言い出したら、変わりない」
 俺だって。
「てっきり、シェーネ様とジュア様の傍にいるものだと」
「そうだ、な。今日だけが違う、と言うことか」
 あの娘の行きそうな所?
 検討がつくはずもない。

 だが、誰もその姿を見ていないとすれば、場所はかぎられてくる。
 身を翻して、端から扉を開いていく――




 ぱたりと、石の床に水が落ちた。
 泣いていると、気がつかなかった。

「……こん、な?」

 たった一冊。だけど、きっと、この本に書かれたことは、私に見られてもいいように修正されてはいないのだろう――




 かすれた、声が聞こえた。いや、声なのかただの音なのかもわからない。けれど、ひどく騒がせる。
 まさか、こんな所にいるのかと疑いたいが、本を読むことが苦痛に感じる娘でもない。

 石の床に足音を響かせることなく、シギは史書室の奥へと進んでいく。



「……ふっ……くっ……」
 いつの間にか、溢れた物が止まらない。拭っても拭っても袖が重くなるだけ。
 もう文字がかすれてしまった。

かたんっ

 かすかな音にはっとした。
 まさか、こんな所で音をたてるほどの失態をすると、思わなかった。

「……何?」
 沈黙を破ったのは、思いのほかかすれていた自分の声だった。
「勝手に、いなくならないで下さい」
「……ここで?」
 どこに行くのか、それすらも定められたこの城の中で?
「あなたには、それも狭いのかもしれませんね」
 あの、どこまでも広く大きい海を思い出した。どこまででも行けて、どこまでも自由な海。穏やかなのも、荒れ狂うのも、自由に。
 それに比べて、廊下を歩いていて先に進むのを、拒まれたのは何度か?
「ここで、何を?」
 はっとした時には、遅かった。さっと隠した本のことは、見えていたんだろうから。
「……」
 幸いと言うべきか、取り上げられる事はなかった。
 一瞬、本気で奪おうかと体が動いた。

「調べ物、ですか」
「そう、ね」

 今度は、沈黙を破ったのはシギだった。
「夕食までには、終わらせてください。外に、おりますから」
 石の床にしゃがみ込んだまま、本棚に背を預けた。遠ざかっていく影がなぜか、とても、遠く見えてしまった。

 シギの影が遠ざかってから、よろよろと立ち上がる。
 頭の中がぐしゃぐしゃで、真っ白で、何も考えられなくて、ただ、悲しくて。
「夕食……」
 無理やり目を擦って、涙をゴシゴシと拭いた。
「私に、できる、できたことって」

 ただ、独り、涙を流す事だけだったのか。



「――はぁ」
 背を扉にあずけて、柄にもなく息をつく。王の計らいで、あの方の目に真実は映せなかった。なのに、あの顔。
「うかつだった」
 史書以外に、事を記された本があったのか。

カチャッ
「ぅおっ!?」
 扉が引かれて、扉に預けていたバランスが崩れる。
「――ぇ?」
 驚きに反応が返せない声が聞こえて、必死で横の支えをつかんだ。
「ぜ……はっ……」
 危ない。
 危うく後ろに倒れる所だったと、シギは床に膝をついた。
「大、丈夫……?」
 腕に抱えた本がずり落ちそうなのも気がついてないミルファネーゼが声をかける。
「平気です、驚かせて。申し訳ありません」
「……ううん」
 かろうじて、ミルファネーゼは首を横に振った。
 気まずいのか、どちらも話さない。ただ時折、こらえきれない嗚咽を噛み殺す声が響いた。
 部屋に帰ると、侍女たちがひーと青ざめた。どうもひどい顔をしていたらしい。洗って、着替えて、夕食。
 ――何も、いらない――



「食べないのか?」
「いらない」
「何かあったのか?」
「なにも」
 ぎろりとシギを睨むと、彼は申し訳なさそうに項垂れた。何かあったらしい。

 残りは部屋に運ばせて、休むように言った。



「何か、見つけたのか?」
「本に、少し記述があったようで……」
「読んでいないのか」
「持ち帰られました」
「取り上げなかったのか」
 王の声は意外そうだった。
「……はい」
 普段なら考えられない。普段の、自分ならば。

 調子が狂う。

 だがもしかしたら――



 気持ち悪い。
 なんど、読み返しても同じだ。

『王は王妃と娘を逃がして、自身は戦場に向かった。そして戦火が収まって帰ってきたのは、王妃の遺体だった。王は何よりまず国の復興に取り掛かった。生きているのかわからない娘の捜索は後回しになった。国の民の生活が安定し、町に笑顔が増えるたび――王の表情にかげりが見えたのは気のせいではない』

 読んでいた本を持ったまま、頭を振った。手と腕が震える。振動が、体全体に伝わって、やがて止まった。力が抜けるように落ちた腕から、本が離れない。
 捨ててしまいたい。いっそ、あの窓の外に。
 それとも、破いて燃やしてしまえば早いかもしれない。

 それができないから、こんなに苦しいのだろうか。


 わからない。





「で、部屋から出てこないと」
「はい」
 王は無言で立ち上がった。

「ミルファネーゼ様! ミルファネーゼ様! 開けて下さい!」
「シルク……」
「陛下!」
 一瞬、驚いたよう目を見開いたシルクは、すぐに道を譲った。
 王はゆっくりと、閉じられた扉を見つめた。
「……ミネファ?」
 こつりと、叩いた扉の音。中に、響いただろうか。
「休みたいなら、休みなさい。だけど、何か用意させるから食べなさい」



 多くの足音が遠ざかるのを聞いて、ゆっくり掛布から這い出す。何もあんなに、来なくてもいいのに。ほっといてほしいのに。
 何かあればすぐに、幾人もの人が来る。まだ船の上なら――あの時も同じ、か。
 みんな、心配してくれた。それこそ部屋にまで来なくても。それは、本当は、私が預かっている娘だったから?

『お前の、家はここだろう。……いつでも、帰ってきていいんだ』

「船長……御爺様」
 会いたいの、会いたいよ――





「なぁ、聞いたか?」
「バイアジュ国のことだろ」
「ぁあ、どうも、もめそうな所だろ?」
「エダリディーガの王子を、怒らせたらしいしな」
「――しばらく、南には行けないか」
「商売時だろ?」
「まぁな。戦争になれば、大もうけだよ」
 ひそひそと、男達の密談は交わされる。人を殺す大儀の前で、商人の儲けは上がる。手っ取り早い手段だ。
 夜の酒場に集まった人々は、お酒に飲まれるもの、人の口車に乗せられるもの。明日の仕事の段取りを話すもの。いろいろな人々がいる。
 なかでも最近話題に上がるのは、十八年前、戦争で打撃を受けたバイアジュ国の話――

「勝手なことを言ってくれるわ」
「そうだな」
「船長! 何をのんきな! ネファがいるんですよ!?」
「わかっている」
「どこに行っても、まるでバイアジュ国がエダリディーガに潰されるみたいな言い方をしてるし」
「しかも、原因はネファと来たものだ」
「カンガス」
「船長。やっぱり戻りましょう!」
「駄目だ」
「なんで!!」
「……」
「船長!」


  B a c k   M e n u   N e x t