22

 ゼルは、ミルファネーゼとスクリームが話をしている地下室を出て、少し離れた廊下にいた。さっき部屋から出てきた男と、この場所にやってきた男と声を潜めて会話をするために。
 灯りは最低限で、二人の顔がよく見えない。口元は照らされていて、よく見える。
「外の様子がおかしい?」
「そうなんです。兵士がごろごろいます」
「兵士? いったい何をしているんだい?」
「おそらくですが、何かを探しています」
「……どういうことだい? エダリディーガを警戒して兵を増やしているのはわかるが、それを城下に連れてきてなんになるんだ」
「わかりません。それに、少し妙なのです」
「何が妙だと?」
「まるで、隠れるように、何をしているか悟られないように静かなのです」
「――だが、何かを探している。こちらの動きがばれたのか?」
「それでしたら、大通りを探す事はないかと思います」
「そうだな。頭に伝えておく。お前達は行動をつつしみ、みなにもおとなしくしているように伝えろ」
「はい」
 報告に来た男は、足音も立てずに立ち去った。
「どういう、事だ」
 男の疑問は、すぐに解消される。部屋に帰って、とある言葉を聞いた瞬間に。

「外では大騒ぎですよ。ミルファネーゼ王女様」
 そうだ、さっき頭は言ったではないか。“ミルファネーゼ”と。それは、先日お披露目を済ませたばかりの、この国の王女の名前。
 だから、兵士がいるのか。報告の内容もよくわかった。大っぴらに王女が誘拐されたとでもふれ回るわけには行かない。
 しかも――
「どういうことだ?」
「言葉の通りです頭。その娘はこの国の王女様ですよ」
「知らん」
「この前、お披露目があったではないですか」
「知らん」
「頭は、行っておりませんからね」
 まぁ私も、遠めすぎて顔なんて見えませんでしたけどね。
「待て、なんの騒ぎだと言った?」
「今更ですか。ここに王女様がいるのですよ? しかも、一人で。先ほど一人であったのは何故か、はわかりませんが、護衛が探しに来たのでしょう――筆頭はシギ・ファンであるそうですから」
「――奴か」
「シギを知っているの?」
 あまりに声に含まれているものが苦々しいので、ふと思って聞いてみた。すると三人の視線が揃って私を見る。――やめてほしい。
「本物か」
「そうですね。一応近くで見たものを連れてこようかとも考えていますが」
「必要ない」
「?」
 頭の上で、会話が続けられる。でも、ってことは、シギが来ているってこと?
 あまり、喜べそうな状況じゃない気がする。
「だーーまったく、面倒だな」
「どうしますか?」
「そんな事言ってもなぁ。殺すには面倒な立場にいるだろう。この娘」
「まぁ。存在が怪しくなりますね。頭の」
「うるさい」
 男が食って掛かる。
 ひとまず、生かされている。もし私が、身寄りのない娘だったら、どうなっていたのだろう。今更ながらにぞっとした。
(お父さん)
 助けて、くれるんだ。お爺様も船長も、みんな。みんな。
 そして私には、なんの力もない。ここを抜ける力も、何も。
 頭の上ではぎゃーぎゃーと騒がしい会話が続けられている。
(シギ……)
 彼は、やはり、怒っているのだろう。



「シギ様!」
「――形跡は、ありません」
「だろうな」
 どこへ行ったのか、ミルファネーゼ様は。
 会議の途中だというのに、兵士が一人駆け込んできた。これでもずいぶん待ったというか、押し留められたらしいが。
 王が、会議を開く時は火急の用を除き兵士が入ってくる事は禁じられる。しかし、それでも叩かれた扉。今、この城と王がいる中で優先される火急の用は、ひとつしかない。
 “ミルファネーゼ(むすめ)”に関係する事。
 兵士は、ミルファネーゼ様を見失ったという。城下で。他の部隊も引き連れて、内密に捜索に当たっているが――
「何も、見えなかったのか」
 口調が厳しくなる。それを感じとった兵士は極力静かに言う。
「入り口でそれらしき影を見つけましたが、気が付いた瞬間には裏路地に入られました」
 そうだろうな、あの様子では喜々として兵士をまきにかかるだろう。――それが一番心配な事だった。
「まぁいい、向かったのは左か」
「はい」
「お前はあちらを探せ、私はこちらに行く」
「はっ」
 細い裏路地は薄暗く、人ひとりいそうになかった。


「とにかく、今はすぐに身を帰したほうがいいのでは?」
「そうだろうな、ここまでこられたら厄介だ……だが」
「大丈夫でしょう。どうせ、この王女様には何もわかりそうにありませんし」
「そうだろうな」
「な、にが」
「“鷲”と“梟”の意味も知らないような娘――世間知らずと言う事ですよ。王女様」
「っ」
 息を、飲んだ。いつも、蚊帳の外は私。そうだ、さっきだって、エダリディーガが。
「エダリディーガの商人と、何を話していたの?」
「言っただろう。俺は情報を売っている。人に見られるのは商売の信頼上避けたいのさ。取引だ」
「ぇ?」
「今お前を兵士に引き渡す代わりに、今日見たことは誰にも言わない――どうだ?」
「ずいぶん、甘くないですか?」
「そうだな」
「それでは、娘はしゃべろうがしゃべらなかろうが損をすることはない」
「話す事はないだろう? 海賊の、一員として。その守りを持つものとして、仲間の言葉は他言無用だ」
 そうだ、私が海賊(ミネファ)である限り、不利になる情報は敵に売らない。だけど、この国で王女(ミルファネーゼ)である限りは――?
 沈黙したミルファネーゼを見て、男が笑った。
「交渉成立だな。どうぞ、お姫さま」
 男に手を引かれて、廊下を進んだ。連れて、行かれた?
 外に出ると、まぶしさに目をつぶった、その瞬間だった。

「手を離せ」
「ぉいぉいおい。ずいぶんな扱いだな」
「ミルファネーゼ様から手を離せ」
「シギ? ……ちがっ」
「ミルファネーゼ様。こちらへ」
「え? でも」
「お早く」
 私は、腕をつかまれていた。後ろに男がいる。その首もとに、鈍く光る、シギの剣。
「ずいぶんな扱いだな」
 男は、しまったというように顔をゆがめていた。
「こちらへ」
 男に剣を向けたまま、シギは私を呼ぶ。ゆっくり、近づいた。いつの間に、腕を捕らえる手は離れていたのだろう。
 現れた男のことは知っている。シギ・ファン。正直会いたくない顔だ。
 シギは自分の後ろに回った娘を見て、驚いていた。その顔が見る間に怒りに変わる。
「何をした」
「何も――」
 何もしていないと言おうとして、ふと視界に入った娘。首に赤く残る、何かで締めたような跡。赤くなって、まだまだ涙腺が弛んだままの瞳。
 さて、本当に何もしていなかったか。そういえば殺しかかったんだった。忘れていた。
「もう一度言う、何をした」
 口調が厳しい。さてどうしたものか。向かいの窓に仲間がいる。こちらの合図を待っている。首筋に当てられた剣が薄く皮膚を割いた。
「………」
「……これで最後だ」
 言わないと、突き刺すとでも言うのか? ぎろりと視線を向けてにらみ合った。
 だが、意外にもその場の張り詰めた空気を破ったのは小さい声だった。
「……ぎ、シギっ……」
 ずっと呼んでいたのか、ミルファネーゼの声がかすれる。
「ミルファっ!?」
 ふっと、視線を向けた二人は絶句した。また、ミルファネーゼは泣いている。
 だが心を決めたというように言う。
「……かえろぅ」
 どこまでも小さく、細く見える腕でシギの袖を引く。
「しかし、ミルファネー」
「帰ろう」
 泣いている。今そうでないといけないと泣いている。
 結局私は、何もできないまま。ただ邪魔になるだけ。たくさんの人に迷惑をかけるだけ。
 迷惑になるだけ。
 お爺様も、船長も、お父さんも、みんな、みんな助けてくれる。……だけど――
「もう帰ろう、シギ……」
 所詮、私には力も何もないんだから。


 泣きながら、その身体を支えられて娘が路地を曲がっていく。姿はもう見えない。
 男はすごい目でこちらを睨みつけていたままだが、どうやらただならない娘の様子に折れたようだ。しかし、油断できない。
「頭」
「とりあえず休戦と言ったところだろう」
「いったい、どういうことなのでしょうか」
「さぁな」
「頭!」
 スクリームは、手を頭の後ろに回して組みながら室内に戻っていく。後ろ手が、ひらひらとゆれる。
「とにかく親父に連絡をする。話はそれからだ」




「おかえり、ミルファネーゼ」
「ただ、いま」
「……」
 国王は、何かを言い掛けてやめた。やめてしまった。だって、叱りかたがわからないから。
「無事なら、いい。気をつけなさい」
「―――はい」
 そうやっていつもいつも、内に閉じ込められた。何も出来ないことに泣いても、何も出来ないままで。
 むしろ、この役立たずとでも怒鳴られたほうが気が楽になる。ただ守られて何をしても許される。そんな存在――
 何を言ったらいい? どうしたらいい?
 国王は、静かにうつむいたままのミルファネーゼを抱きしめた。一瞬、ミルファネーゼの身体が強張る。
「無事で、よかった。おかえり、ミルファネーゼ」
 や、めて。私は、そんな言葉をかけてもらえる人間じゃ、ないのに……
 見上げたお父様の顔が穏やかに笑っていて、とても安心した。けれど、ひどく悲しかったのも、また事実だった。



 あれから、数日。今では気軽に城下に行くことは許されなかった。わがままを言うことはしなかったけれど、それは張り詰めていく空気がおしえてくれた。
 回廊の端で交わされる、侍女の噂話。兵士達の視線。慌しく走り回るシギと、どこかよそよそしいお父様。こんな時、私はどうしたらいい?
 しだいに、部屋を出ることが窮屈に感じるようになる。付いて回る侍女、後から付く兵士。――鍵の、代わり。

 今日も、また。

「――ディ、ガが」
「そうな……」

「……?」
 史書室に向かおうと歩いている先、ささやき声が聞こえる。供に歩く侍女は形のよい顔を崩した。
 だが、それ自体はよくあることだ。この城の設備を整えるだけで、たくさんの人手を必要とする。その一端を担う彼女達が会話を必要とすることも。
 声の人物に近づいているのか、どんどんと内容が聞こえてくる。それはほとんど聞き取れなかったが、ひとつだけ、聞こえてきた。

「エダリディーガが、開戦の書状を……」

「それって!」
「「!!?」」
 突然叫んだ私に、話しこんでいた侍女が振り返る。
「「王女様!?」」
 二人の顔が青ざめる。私の後ろにいた侍女も、兵士も。みな顔を青くしていた。
「――みんな、知っているのね」
 知らないのは、私だけ。知らされていないのは、私だけ。
 みな口を閉ざしているけれど、事の起こりは私にある。事の発端は私だ。
「王女様!!」
 叫ぶ声は、無視した。腕を伸ばしてきた兵士を、すり抜けた。だって、捕まってしまえば――これ以上、籠の鳥にはなりたくない。だから、

 だから、走った。


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