24

 行く先を見失って、歩いていた。帰れない。もう、どこにも、帰る場所はない。
 せっかく見つけた居場所は、自分の我侭で壊れてしまう。壊してしまう。
 なぜ誰も、教えてくれなかったのか。ようやくわかった。なぜ誰も、教えようとしなかったのか。
 涙が、尽きない。
「……は……ぁはは……」
 お前のせいだと、罵ってくれればよかったのに。
 言葉を失えない、涙は尽きない。どうして、生きているのだろう。なぜ生かされ続けたのだろう。
 楽しそうに笑う声、甘い香り。遠のくざわめき、たくさんの足音。
 薄暗い路地。どこへ行くのかわからない。どこまで歩き続ければいいのかわからない。
どんっ!
「ひゃ!?」
「気をつけろ!」
「きゃぁ!?」
 頭の上から響く怒声。弾き飛ばされた体。――怖い。
 座り込んで、動けない。
「……ひっ……ぇっ」
 どうして。
「………ふ……」
 うつむいて涙を袖で拭う。こすり続けてひりひりと痛むほほはもう、赤いのかもしれない。同じように、泣き続けた目も。
 かすむ視界。重たいまぶた。手の甲で目元を拭って、薄く開いた。
「………」
 胸元から飛び出したのは、見慣れたネックレス。あの時、交換されたもの。目元を拭うのを邪魔するのは、落ちた袖に逆らうように腕にとどまる腕輪。
 お守りだと、言ったのは誰だっただろうか。
“いつでも、帰ってきていいんだ”“――いつでも”
 ……助けて、くれる? こんな私でも。
 こんな、私でも。

 不思議と勇気をもらって、再び歩き始めた。目的があったわけじゃないのに、港に出る。海を見るのは久しぶりだった。……陸の上から海を眺めるのは変な気分だったのに、今では違和感を覚えない。
 海は、私にとって大地と同じだった。あの船が、家と同じ。
 さざ波が押し寄せる。船が入り、出て行く。せわしなく動く人々。まばゆい太陽。一歩後ろに、下がった。
ドンッ
「きゃ!?」
「ぅわ!?」
 また、人にぶつかった。
「うわっごめん、大丈夫?」
 男の人だった。シギと同じくらいの年齢かもしれない。ぼんやりと、そんなことを思った。
「ごめんね。痛くなかった?」
 はっとする。心配をかけてしまう。
「……だいじょうぶ、です」
 かくりと折れてしまったひざ。驚いたまま立ち上がれない。先ほどとは違う反応に。
「本当……」
「?」
 ふと、男の言葉が不自然に切れる。何か考えているように、その顔が変わる。その間一時、男はしゃがみこんで私に視線を合わせて、こう言った。
「ずいぶん、珍しいものを持っているね」
 それが、首の飾りと腕輪のことだと、わかってしまった。あわてて、警戒するようにネックレスをつかむ。そして、男の寂しげな表情を見てはっとした。
 これは、仲間の証――
「船長……グウィーダン船長を知っているの?」



「お頭!」
「いたか」
「いません」
「どこに行った……」
 アジトにいた仲間の大半を引き連れて、スクリームは人を探していた。ゼルにあきれられながらも、探す人は一人だ。
 同じようにミルファネーゼを探していたゼルも合流した。
「いませんね。彼女の性格からして城に帰ることはないでしょうし、どこかをまだふらついていると思ったのですが」
「そりゃそうだ」
 所詮、行き場を失った娘。
「とにかく、まだ遠くには行っていないはずだ」
 スクリームの言葉に、集まっていた男たちは心得たように散った。
「……変ですね」
 一人残ったゼルが言う。
「そうだな」
 シギ・ファンは、なぜこない――?



「ミルファネーゼ様でしたら、伏せっております」
 こちらに向かっているエダリディーガの兵に対するバイアジュの兵士の並び、蓄え、準備に追われていて、普段ならいぶかしむべき言葉を信じた。
 ――なぜ、伏せっているのか考える時間を惜しんだ。
 周りにははっきり言って監視のために置いた侍女がついているはず。シェーネのもとでも、ジュアのもとにでもいるのだろうと思っていた。



「シルク侍女長様」
「落ち着きなさい。陛下は今エダリディーガとの交渉に追われています。ルギ・ファン並びにシギ・ファンも兵士の準備に追われているのですよ。気がつくはずがありません」
「ですが! 現にミルファネーゼ様は城内におりません!!」
「自分のせいだと知って出て行ったのです。逃げたのでしょう」
 所詮、あの娘は海賊だ。
「そんなっ」
「心配しなくとも、あの王女様の居場所はここにしかないのです。そのうち、帰ってくるしかないのですよ」
「ですが、万が一のことがあったら」
「万が一……そんなもの」
 あの王女は逃げたのだ。自分の行動の結果から。まだ海賊に戻れるかもしれないが、この国の人間はこの国を捨てはしない。
 でも彼女は、逃げたのだ。
「何かあれば責任は私が取ります」
 陛下は、怒るだろう。でも私は、アジーナイズ様に顔向けできない。



「もうっ! 信じられないわ!!」
「落ち着け」
「これが落ち着いていられる!? バイアジュとエダリディーガが戦争になるって言うのよ!? なのに船長ってばここから動きもしないわ!! ネファに何かあったらどうするのよ!!」
 静かに揺れる船の上、船室のひとつ。言い争う男女――カンガスとアロマ。ここは海賊船。
 入ってくるよくない噂。情報。状況。バイアジュに、勝機があるとは考えられない。
 しかも、原因はミルファネーゼ。それだけが事実として歩き続ける。
「……船長も考えがあるんだろう」
「始まってからでは遅いのよ!? ――っ!」
 部屋を出て行こうとするアロマを、カンガスが捕らえた。
「放して」
「だめだ」
「なんで!」
「船長にも考えがあるはずだ」
「どんな!?」
「……さぁな」
 けれどあの船長だって、同じくらいネファのことを思っているのは確かだ。

「船長」
「オクギリか」
「何を、してらっしゃるのですか」
 薄暗い月明かりの下。漂う波の音。こちらに背を向けたままの姿。
「待っている」
「……それで、よろしいのですか」
「よくないだろうな」
 はぁっと、ため息が出た。わかっているなら――そう言おうとして、甲板の先に佇むその姿を見直した。その、視線の先は――
「いつでも、帰って来いと言ったのだがな」
 あの子は、自分たちを頼ることをしない。
「船長、……待っているのですか」
「ぁあ」
 あの子が、自ら動くのを。
 一人じゃないよ、ミルファネーゼ。

 さぁおしえて、本当の気持ちを――



「手伝って、ほしいの」
「他の船の手助けをするのは久しぶりだ。しかも、梟。腕がなるね」
 一人じゃ、できないから。力を貸してほしい。せめてこれ以上、迷惑をかけなくていいように。
 お父様、あのね。せめて迷惑をかけた分だけは、取り戻すから。御爺様お願い、私に力を貸して。
 あと少しだけ勇気を。この国を守りたいの。私にできることなら、なんでもするから。
 せめて、今まで生かされたことが間違いであったなんて思いたくない。あの船で生きてきたことを嘆きたくない。
 いつも、何も知らないまま。知らされないままだったけれど、だけど今は違う。
 知ってしまったから、もう知らないまま嘆くのは終わりにするの。

 願いはひとつ。

「ミルファネーゼ様!?」
「お父様に、会わせて」
 そう言って、王女(ミルファネーゼ)は城門を潜った。


 青い空を飛ぶ影、青い海に向かう。
 白い鳥が、羽ばたいた。陸を越えて海に。海を越えて陸に。


  B a c k   M e n u   N e x t