26

 揺れる揺れる。揺れ続ける。心地よく、眠りに誘う。
 揺れて揺れて、音が聞こえる。それは波の――
「御爺様?」
「―――」
 強い震えが、私を襲う。
 ぼんやりと覗いた瞳が、揺れていた。言葉を捜すように動く口元。それから、それから――
「……シギ?」
「はい」
「ここは?」
 まだ頭が起きていない。どこだろうと首を回す。よくよく見れば自分の足は宙に浮いている。
 揺れているのはシギに抱きかかえられているからだとわかった。
「……おろして」
「もうすぐ着きます」
「でもおろして」
 シギはぴたりと止まって、そして少しだけ移動した。何かを探すように動いていたシギの視線が一ヶ所で止まり、私は腰の高さの塀に腰掛けるようにおろされる。
 そろそろ、起きてきた。
「確か、スクリームにあって、それから、もう一人」
 彼はゼロスの船の人だったのか。それなら、船長を知っていても不思議はない。
「助けを、求めて……」
「私では力になれませんか?」
「へ?」
 働き始めた頭で考えているところに、思いもしない言葉。本当に本人から言われたのか信じられなくて、顔を上げた。すると、目があった。そらすことは許さないというように、その目がこちらを見つめていた。
 先ほどから見つめられていたのかと思って、顔が赤くなる。
「あの、シギ――?」
「陛下が心配されます、お戻りを。ミルファネーゼ様」
 疑問の言葉にそらされた視線。いつもより丁寧で、違和感を覚える扱い。
 まるで、何もなかったかのよう。
「シギ?」
 もう一度、問いかけた。ほかに、どうしたらいいのかわからなかった。
「行きましょう」
 交(まじ)わることない会話に、拒絶された。



 柔らかい敷布と掛布の寝台に寝そべったまま、ぼけっと首を回す。
 中途半端に寝たせいだろう。頭がすっきりしない。このまま寝入りそうだ。
(そうだ、昨日……)
 シギが迎えに来たんだ。そして、遅い夕食のあと寝たんだった。
 ぼんやりしてる場合じゃなくて、ほうけている場合でもない。できることをしようと決めたんだ。そして、絶対に守ると。
 起き上がってカーテンを開く。眩い光に目を細めて、窓を開ける。入れ替わる空気と一緒に、迷いをかき消そう。
(シギ、は?)
 だけど、それだけは頭から離れない。


 身支度をと思って、広い衣裳部屋から服を引っ張り出して着替える。こんなに着替える服があって、毎日違う服を着ることができるなんて、思いもしなかった。
 紺色のワンピースは、胸元と裾と袖がレースで飾られている。
 着替えがすみ、こそっと廊下にでる。左右に立つ兵士に挨拶して部屋を出る。
「おはようございます」
「おはよう」
 いつものように朝の挨拶が交わされて、いつものように朝食になる。
 それがいつものことだと感じるようになったのは最近。そのいつものことが楽しみになったのはそのあと。
 おだやかで、静かな時間。
 陸路をゆくエダリディーガの軍が、近づいていた。



「で?」
「“で?”って?」
「具体的に、どうする気なのかね。お姫様は」
「その呼び方、やめて」
 何度言ったかわからない。ゼロス海賊団――鷹の船の副船長だという男はそうやって私で遊んでいる。
「お姫様、お姫様だろう」
 指を刺して、確認するかのように。
「だから、やめて」
「もちろん、“何も知らない”ね」
 どくんと、心が騒いだ。言葉が痛い。
「やめろ」
「ずいぶん肩を持つねぇ」
「手伝うと言っておいて、そのざまか?」
「言ったけど……あまりにお粗末だから」
「鷹の船の奴らは裏切りが得意だからな」
「そうだね。……そんなに心配で仕方ないって顔しなくても、嘘だよ」
「……信じられない」
「はっきり言う子だねぇ」
 タッドの言葉に、「違いない」とスクリームが笑い出す。
 こうやって話している間も、エダリディーガは進軍していて、海賊の船も近づいている。
 ――どうか。

「帰って、もらうの」

 ぽつりと、言った。
 なんの力も持たない小娘だと、思われているから――

「エダリディーガの軍は、国境近くのサザ平原を越えて来るんだとさ」
「それって、普通に考えても正面から来るってことなのかい?」
「まぁ、この国は甘く見られているし。それだけじゃないがな」
「何か知ってるの?」
「なんのために俺がいると思っているんだ」
「……?」
「有益な情報を売るんだよね」
「そして、開戦の頃にはとんずらさ」
「逃げるの?」
 言葉に、びくりと震え上がったミルファネーゼ。
「今までは、そうだ」
「優しいね。いつになく」
「黙れ」
 タッドを黙らせて、スクリームはため息をつく。そうだ、この娘はそうやっておびえている。
「そうして、生きるしかなかったんたんだよ」
「いき、る」
「おとなしく船の上にいればいいのに」
「うるせぇ」
「生き、る……」
「ん?」
「どうしたんだいお姫様」
 二度目の呟きは、とても静かで、かすれてしまいそうだった。けれど、その手はぎゅっと、握り締められていた。




「お父様!」
「ミネファ?」
 走り寄ってきた娘を抱きしめる。今はエダリディーガが進軍しているという確かな情報のもと、軍を動かさないといけない。
 短期間で、物資が足りない。日々あわただしく、考えることが多すぎる。
 そんな中、疲れた国王の仕事はまだあるが、久しぶりに現れた娘との再会を喜ぶように、国王の周りに近づいていた者たちが離れる。
 廊下で二人。遅い夕食を取ろうと国王は提案し、歩き始める。しかし、ミルファネーゼは動かなかった。
「どうした、いったい」
「……あの、ね」
 一度口を開いたミルファネーゼが、口を閉じる。その手に服がつかまれて、握り締められる。
 一度離れた距離を埋めるように国王がミルファネーゼに近づいて、その体を引き寄せた。
「どうした? ミネファ」
 名を呼ばれたことに、拒絶されていないことを感じ取ったミルファネーゼの体から力がぬける。
「あの」
「言ってごらん」
「私の、」
 “生きる”にはそれしか――
「私の、お母さん、は」
 どうして、死んでしまったの?



 会議が休憩に入り、おのおの配置に着く準備を始めていた。行なうことは多く、忙しい。
 明らかに時間と、兵力。引いて国力が足りない。そんな最中。
「王がミルファネーゼ様と?」
「ああ、追いかける。あとは頼んだ」
「親父!?」
「軍師だ」
 それだけ言い残して、ルギ・ファンは馬上の人となった。
「……おい」
 一人取り残されたシギは、その場を取り繕うのに必死だった。



 近く遠く、波の音が聞こえる。あの断崖。
 そっとかがんで、身を沈める。震える手で供えた、白い花。
 ――民の王の妃―アジーナイズ―ここに眠る――
「この国の王は、わかっていた。“国よりも民を、民があり国が”」
 静かに、言葉が風に乗る。
「だが私は、アイナを手放したくなかった」
 言葉が聞こえる。風が舞う。
「あの時、戦場となった城から、逃がすので精一杯だった」
 民も、国も。自身も。
「生まれたばかりの子に、印を残すことしかできなかった」
 死んだのは、亡くなったのは、行方が知れないのは、ミルファネーゼだけではない。たくさんの民が犠牲になった。
「本当はどうでもよかったのだ」
 アジーナイズと、ミルファネーゼさえ生きていれば。
「だが、生き残った民は王を望んだ。私は、国を背負ったまま生かされた」
 友も、いた。彼もまた妻と子を、戦地に残したまま。
「共につけたはずの兵士は最後の命でここまで戻り、二人は行方知れず。聞けば追われ、はぐれたと」
 違う、王妃に生き残れと背を押された。
 荒れ狂う流れの中、王妃は笑っていたと誰かが言った。
「それでも帰ってきた。物言わぬアイナが」
 それも、事切れた。
 最後を目撃したものが伝えた言葉は、とても重いものだった。
「残された言葉は、“ミルファネーゼは、生きていると”」
 彼女は、苦しい旅の中で何を残したのだろう。
「お父様?」
 泣いているの?
「助けられなかったのだ。私は」
 この国で、褒め称えられようと。
「どうでもよかったのだ。この国がどうなろうと」
 そう、思っていた。だが別れの時、王妃(つま)は王(わたし)に言ったのだ。「あなたが、王なの」と。
「だがすまない、ミルファネーゼ。私はお前より国を優先させた」
 それが、唯一つの願いで、最後の言葉で。たった一つの約束。
 ミルファネーゼは何も言えず、ただふるふると首をふった。うつむいた父の表情はよく見えなかった。
「アイナは敵兵に追われ、逃げる途中で護衛の兵も一緒にまいたと聞いている。その時はまだミルファネーゼ、お前を抱いていたそうだ。そして、次に見つかった時はもう、事切れる寸前で、お前を連れてはいなかったそうだ」
 なぜ、死んだのか。直接の原因は敵兵の放った矢であった。逃げる途中で疲弊した体に突き刺さった矢は、致命傷だった。
「アイナがお前をどこに託したのか、長い間わからずじまいだった」
 まさか、海賊の船に乗っているとは思いもしない。
「おかあ、さんは」
 私を、
「やめなさいミネファ、命は誰とも引き換えにできない。誰も変わってはあげられない。誰のせいでもない。ただ――」
「でも、」
 もしその場に私が、いなければ、逃げ切れたかもしれない。
「今ここに、ミネファ。ミネファが生きているだけで、いいんだよ」
 誰と引き換えたわけじゃない。誰を犠牲にしたわけじゃない。
「……おかあさん」
 本当は、とても、会いたかったの。

 ありがとう。


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