28

「リングル船長」
「なんだ」
「あれを見てください」
 黒い雲が覆う海に、迷わず向かう船が見えた。先ほどから先頭を行ったままの、あの船。
「……相変わらずだな」
「天候が芳しくありません」
「そう言うな、昔はこれくらいの天気でも進んだ」
「しかし」
「今の奴等を止められるのはあの子だけだ」


「前方に雨雲はっけーん!」
「さっさと降りて! 準備しなさいよ!!」
「うへっわかってるわかってる」
「無駄口を叩く元気があるなら、あっちをお願いしようか」
「げっまじかよ……結構人使い荒いよな……」
 そうオクギリにぼやきながら、カンガスは見張り台を降りる。バイアジュ国に向かうと決まってから、この船は最高速度で向かっている。
 共に来るはずの船を追い越して、全速力。
 彼らにとって、ミルファネーゼは家族だから。



 巡り合えたこと、誰に疑われても、私は忘れない。


 月が、きれいな晩だと、窓の外を眺めながら思う。
 だけど、満月が空に輝いて、それが海に映って輝く姿が、一番好き。
 握り締めた手に、長い袖が当たる。時間を感じさせないこの服は、なぜとってあったのだろう。
 採寸が合わないと、シルク筆頭で必死に直す姿など始めて見た。
 母が、気に入っていたものだと聞いた。
 丈が長いと鋏が入ってしまうことは躊躇(ためら)われたけど、必要なことだとシルクは言った。
 月明かりだけに照らされたこの部屋は、窓から入る光で影が落ちる。私の影。
 気合を入れて髪を結われ、化粧もされた。なぜここまでと問いたくなって問うと、戦うのでしょうと言われた。
 そうなんだけど……
 そうだけど……
 音のない夜が静かで、潰されそうになる。もし、間に会わなければと、疑ってしまう。
 もし、失敗したらと、余計なことを考える端から首を振る。
 大丈夫。絶対。
 もう一度空を見上げた。月が、いる。
 空に太陽があって月があることが常なら、私に家族がいることも、いつものことだと信じたい。
 下を見れば、海が見えるから。


 見つめる、空。ミルファネーゼのうしろの部屋にかかる、カーテンがそっと引かれた。現れたのは、長身を暗闇に隠すかのようにたたずむ、スクリーム。
「……着いたぜ」
 振り返らなかったから、カーテンの向こうから低い声が聞こえた。
「船長……みんな」
 きて、くれたの?
 祈りが確信に変わった。その声。喜びと、戸惑いと、真実。
 着てくれる、いてくれる。何よりも、うれしい。
「ミルファネーゼ様」
 扉の外から、幾分緊張した口調の声がかかる。そして、彼もまた。
「今行きます」
 大丈夫。だって、一人じゃないもの。



「久しぶりだな」
「……」
「ずいぶん暗い顔をしているな、言うとおりに、来てやっただろう?」
「はい」
「何を警戒する。一人で来るという条件を突きつける代わりに、武器は取り上げない約束だろう?」
「はい」
「つまらん男だ」
 ずかずかと城内を進むジェリクスのうしろを歩くシギは、始終小言に対して一言しか答えていない。
 ミルファネーゼの命のままに連れてきたはいいものの、シギ自身、あの書状に何が書かれているか知らなかった。
 まさか、指定した部屋に単独でこい、とは。何を考えているのだろうか。
「そんなに心配か? そうだな、俺に何かあったら、わかっているな。まぁ、同じことか」
 よく来たものだと、シギは思う。実際、あのエダリディーガの駐屯地にいた彼の側近達はかなり反対していた。
 単独で、乗り込むなど。
 だが、書状どおりにいけば、ミルファネーゼも単独であるらしい。
 何を考えているのだ。いくらなんでも。



「まったく、どこに案内するかと思えば、なんだここは」
 城のはずれで、高い場所。ここからなら、海が見える部屋――
 バンと扉を開け放って、ジェリクスは部屋の中に一歩踏み入れる。
 開いた扉の先、ゆっくりと振り返る影が見えた。静かで、そして強い瞳。
 一歩、遅れて中に踏み込もうと――
「シギ……もう駄目」
 あとから付いていこうとして、部屋の中からかかった声に動きを止める。
「――ありがとう。もういいの……あなた達も」
 部屋の前についていた兵士も、侍女も、護衛も含めて全部、ミルファネーゼ様は追い出した。部屋の外のみならず、この建物から。
「ありがとう」
 ミルファネーゼ様が静かに言った言葉。役目を果たせたことだけを、喜べはしなかった。けれど、それ以上入り込めなかった。



「誰が来たと?」
「ジェリクス・ファル・ディーガと」
「なぜだ」
「……愚息が連れてきたそうです」
「ミルファネーゼ!?」
「陛下、邪魔をしないと、決めたのでは?」
「そんなことを言っている場合か!」
「陛下! ――俺の忠告を裏切っただろう」
 親友は、時に容赦ない。
「ぐ……そうだ」
「なら今更騒いだ所でミルファネーゼ様の邪魔になるだけだろう」
「ルギ、ものには限度があるんだ」
「知っているさ。よく、ね」
 友人の忠告も、虚しかった。だから、今がある。
「そうやって、また地の奥底に突き落とす気か?」
 ミルファネーゼ様を。
「――信じると、決めたのだ」
「なら、それにそった行動を取れ」
「………」
 そして国王は沈黙して、友人は臣下に戻った。



 ここにも、沈黙した人がいた。薄暗い部屋の中、窓辺に佇むミルファネーゼと、扉の傍で腕を組むジェリクス。
 しばらくして、ジェリクスがミルファネーゼに近づいた。窓は開け放たれている。輝く満月と、黒い黒い海が、背中越しに彼に見えただろうか。
 二人の目が、静かにあった。
 威圧的に哀れむような視線を送るジェリクスに対して、ミルファネーゼは逃げなかった。目をそらさなかった。
 その事を驚くかのように軽く目を見開いたあと。さらに近づく、窓際から一歩も動かないミルファネーゼ。
 ――逃げない。それに対して笑ってから彼は口を開いた。
「……いったい、なんの用だ?」
「帰って下さい」
 口を開いたミルファネーゼは、それを言うためにいた。









「はぁ?」
 ジェリクスは、何を聞いたのかわからないというように聞き返した。
「もう一度言わなければならないほど、物覚えの悪い頭だと思わなかった」
「なんだと」
「いいえ、何も。帰ってください」
 危ない。ぼそっと呟いた言葉をなかったことにするように、顔を上げて目をそらさない。
 そうしていると……
「くっくっく……」
 ジェリクスは笑いだした。最初は静かに、それでもおかしくてたまらないというように。
 だんだんと声は大きくなる。窓を越えて外に聞こえるかのように。
 ミルファネーゼは、耐えた。ふるふるとこぶしが震えていたが、耐えていた。
 だが、それも途中まで。いっそう高くなった声に、ついに怒った。
「帰って!!!」
 ジェリクスは、まだ笑っていた。腹を抱えている。そして、笑いは突然収まった。
「――それで、この国を滅ぼす気か?」
 上体を起こしたジェリクスの目が、鋭く光った。
「いいえ」
 視線に射抜かれることなく、ミルファネーゼは言う。
「――いいえ」
「どうする気だ? エダリディーガ(おれ)に――勝てるとでも?」
「勝って、見せるわ……だから、帰って!」
 いっそう高く、澄んだ声が、部屋と空に響いた。ジェリクスが口の端をあげて笑おうと、目を細める。
 その時、見えた。

 一斉に海に浮かび上がる灯火。

 真っ暗で真っ黒い海を明るく照らす。その光。
 それを背後に感じながら、ミルファネーゼは、笑った。

「な、に」
 ミルファネーゼを押しのけて、ジェリクスはテラスに乗り出す。地平線を埋め尽くそうかと、光はどんどんどんどん灯っていく。
「どういうことだ!」
 振り返ったジェリクスの形相は、ひどいものだった。
「私の――味方よ。さぁどうするの! 彼らはまだ海にいるけど、いつだってあなたの相手になるんだから!」
「ふざけるな!」
 ジェリクスは、焦りを感じていた。まさか、軍事力で負けるはずがなかったからやってきたのだ。こんな増援の話は聞いていない。
 それに。
「だいたい、お前なんぞに軍が呼べるものか! はったりもいい加減にしろ!」
 確かに、海を覆う灯火の半分ははったりだった。けれど、その中に本物(かいぞく)がいることは、事実であり、ミルファネーゼの自信と決意の表れだった。
 テラスにしがみついたままのジェリクス。その隣まで、ミルファネーゼは歩いた。
「はったりじゃないと、証明するわ」
「なにっ」
 ジェリクスは、信じていなかった。信じられなかった。
 だいたい、こんな娘になにができるというのだ。
「嘘をつけ、お前に――」
 ミルファネーゼは腕を高く上げた。そう、合図を送るかのように。
 その堂々とした態度に、ジェリクスの背を冷や汗が流れた。
 まさか――そんなはず――
 一歩、ジェリクスは後ずさった。
 その彼の期待は、裏切られる。


 風を切るように振り下ろされたミルファネーゼの腕。それに遅れることなかった。
 一瞬、船の正面が全体を照らすように光る。
 轟音と共に何かが砕け散る。海を乗り越えて立つ岩の一つが、消えていた。


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