「よっと」
 幾人もの視線を浴びながら、港に着いたカンガスがいち早く船を下りる。船を港に繋げる。
「船長、こちらへ」
 眠り込んだミルファネーゼの体がグウィーダンからオクギリに移る。
「ほんっとにもう」
 がつっと陸に乗り上げたアロマ。
 四人と、一人。
 グウィーダンが陸に上がり、ミルファネーゼがその手に移る。重みを感じてふと寝顔を確認する。
 この子が、もっとずっとずっと小さい頃から、一緒にいた。
 娘だった。
 いつか手放すと知っていた。その時が来ないように願っていた。
「これで、いいんですね」とオクギリが言った。いいのかどうかはわからない。この子が選べた訳じゃない。
 だが約束。前を見て、歩き出した。
 今度こそ、動いたアロマはオクギリとカンガスに止められた。
 距離を取っていた国王が歩き始める。
 二人の距離は徐々に縮まって、出会う。顔を合わせるのは初めてだった。
 面影があると、言うべきなのだろうか。
 礼を、言うべきだった。この子の十八年間。
 先に動いたのはグウィーダンで、ミルファネーゼが国王の手の中に移る。
「明日になれば目覚める」
「……礼を」
 それしか言えなくて、国王はうしろを振り返る。心得たルギが箱を持ってくる。
「受け取れない」
「なぜだ? ミルファネーゼを育て、そして今、この国を救ってくれた」
「俺は娘のためにしたんだ。家族のためにしたことで、お金を貰おうとは思わない」
「………」
 はっきりとした言葉に、国王は言葉を失った。
「それに、もう食料や物資を貰っている。それで十分だ」
 たぶん、普通にミルファネーゼが聞いていたら、嘘付けとつっこんだことだろう。
 アロマとカンガスは、酒代も物資もすべて、頼んだ以上用意された代金は受け取らなかったと言った。
「もし、ネファが悲しむなら――俺はまた海に連れ出す」
 やんわりと拒絶したあと、グウィーダンは国王に向かって言う。
「心得ておく」
 一瞬目を見開いた国王は、神妙に頷きを返した。



 暗い海を越えて去っていく海賊団。翻る旗。
 ミルファネーゼを抱きかかえたまま、国王は港でその様子を見守っていた。
「エダリディーガは、逃げ帰りました」
「そうか」
 国王が呟くように報告に答えた。
 救われたのだ、この国は。ミルファネーゼと、その家族に。
「今度こそ守ると、決めたのだが」
 守られたのは、自分だった。
 何か飲まされたのか、身動きひとつしないでミルファネーゼは寝入っている。
「ミルファネーゼ」
 水平線の先に海賊船が消えても、国王はしばらく港に立ち尽くしていた。
 海に向かって、月が沈んで行くところだった。



 白い鳥が海の上を飛び回る。太陽が昇る。鳥の鳴き声、漁船の船出。
 いつもと変わらない日々が、始まる――



「………ぅ」

おはよう ミルファネーゼ
おきた? ミルファネーゼ みんな 待ってるよ
だから言ったでしょう みんな待ってたの――

「船長?」
 目を開けると、視界に入ってきたのは鮮やかな緑だった。木漏れ日が揺れる。
「……シェーネ? ジュア?」
 ここは、いつもの寝床だった。私室と呼んでもいい。私専用の。
「いったい、どうして」
 起き上がり、あたりを見回す。緑色の寝巻きに、いつものハンモック。
「昨日、は――」
 走り出すかのようにハンモックから降りて、本当に走り出す。
 だから気がつかなかった。足元に走りやすいブーツが置いてあることも、傍に上着があることも、疑問に思わずに。
 バタバタと走る姿を追って、三人の影が動き出した。



 息を切らせて、走っている。どこまでもどこまでも。大切なものを取り残さないように。置き去りにしないように。
 走って、走った。全力で。これ以上走れないというほど、足がもつれそうになるほど。
 町は光り輝いていて、たくさんの人でにぎわっていた。だから、裏道を疾走する。
 早く、早く――!!
 本当は、知っていたはずだった。すべての、意味を。

 道が開けて、海が見える。太陽の光が反射して眩く。ミルファネーゼは手で顔を覆う。
 少しの間、それから、下ろされた腕。
 鳥の声が、響き、波の音がする。
 漁に出たままなのか、船はない。――船はない。船がない。

 港の端まで走った。これ以上進めない。
 足の力が抜けて、ぺたりと座り込む。
「せん、ちょ」
 船長、副船長、アロマ、カンガス、みんな、みんな――
 置いていかれてしまった。違う、置いていったんじゃない。ゆるゆると首を振る。
 ぱたぱたと涙が落ちてくる。まるで、昨夜のことは夢のようで。
 だって、何もない。彼らがここにいたと――
 ふと、顔を上げる。右手に、あったはずの岩があった。かろうじて頭を海の上に出している。あれは、この港の名物の岩であったはず。
 そう言えばと振り返る。光り輝く青い空に近い場所。空に向かっての伸びた塔の先端の――悲惨なこと。
「………」
 みんな来てくれた、ここにいて助けてくれた。それは、嘘じゃない。
「帰っておいで、いつでも」と、みんな言ってくれた。
「ひどいわ」
「離れがたくなる」と、船長が言った。だから?
「勝手に行っちゃうなんて」
 わかってる。わかっている。今目の前に何もなかったとしても、またいつでも。
 だけど悲しい。うれしいけど悲しい。
 しばらく、涙を止められなかった。腕でこすって、ぬぐって。楽しかった、あの頃。
 もう戻れないと、実感してしまう。いつでも、傍らにいてくれるわけじゃないけど。すぐに共にいてくれる。
 鳥が数羽、目の前を飛んでいく。一瞬だけ光が影になる。泣き声は低く、遠く。
 見上げた空は青くて、海も青くて。あの青の先に、いると思える。
 泣きたいくらい青い空は、私がいくら泣いても青いまま。そういえば昔も、よく泣いていた。見張り台に篭って、そのまま寝てしまって。気がつくと毛布があるんだ。
 降りていけば、まるで関心がないようにしつつこちらを伺う船長がいて、アロマが手招きして、カンガスがそのアロマに殴られてて、副船長が船長に話しかけて。
 そんないつもの日々を、すごした。
 そして、今は。

 もう一度、青い空を海を見る。どこまでも続く海のどこを、今あの船は通っているのだろう。
 小さくなった岩も、ここからは見えないけど大穴の開いた土地も、壊れた塔も。すべて。
「行こう」
 帰ろう。ミルファネーゼ。
 立ち上がり歩き出した。もう、海は振り返らない。

 港の中に足を踏み入れると、右側から人が現れる。
「シギ?」
 今なら、たぶん、毛布を持ってくるのは彼なんだろう。
「よろしいのですか」
「うん」
 そういえば、いろいろと放置してしまった。
「ありがとう――ごめんなさい」
 小さく謝ると、シギは目を見開いた。
 そんっなに驚かなくてもいいんじゃないの?
 自分が驚いたことに驚いたのか、シギは咳払いをしてから問いかけてきた。
「帰りますか?」
「帰るわよ?」
 何を言ってるのかと首を傾げた。
「帰るの」
 あの場所に。
「ミルファネーゼ!」
「お父様?」
 声が聞こえたから、シギの背中越しに首を除かせると、お父様とファン軍師が見えた。
「おはようございます」
 目の前まで来たお父様。いつの間にか、シギは一歩引いている。
「おはよう。ミネファ――丁度よかった。食事にしよう」
「はぃ?」
 何が丁度いいんだろうか。絶対最初からいただろうと思うが、聞いてない。もうファン軍師と一緒に食事する店を決めるのに必死だった。
 振り返るとシギが見える。そして海。
「御爺様」祈るように、望むように、話しかけるように、言葉は空に向かって溶けていった。

 そっと顔を下げて、そして上げる。再び海を見つめたミルファネーゼは、笑っていた――



お わ り


  B a c k   M e n u   あとがき