13

「……しまった」
「何よ」
 シギの言葉が、何を指すのかわからない。それよりも。気になることがある。
 すっかり着替えて、今はまた道を歩いている。相変わらず俯いたままだったが、今度はずっと、考えていた。

『そういえば聞いた!?』
『え?』
『王女様が帰ってきたんですって!』
『……え゛?』
『アジーナイズ様のお子よ! しかも式典! どんなに遠めでもいいから拝見したいわ〜』
『どう、して?』
『へ? だって、それがあったからこそこの国はこんなに早く復興できたのよ? 他国に頭を下げてでもこの国の民のために働いてくださる国王様の念願でもあらせたし』
『……』
『楽しみ〜あっこれはどう?』

 思い出した会話が打ち切られる。頭の中をいろんな事がぐるぐる回る。いくら考えても、自分の呼び名といえば一番にそれが思い浮かぶ。あの船でみんなが、呼んでくれていた。

「なんて呼びましょうか?」
 はっと、思考が打ち切られる。
「……ネファ」
「では、ネファ。ベリーとネクターはどちらがいいですか?」
「? ベリー」
「はい」
 いきなり渡されたベリーの籠(かご)に驚いた
「昼食にはまだ早いのですが、朝食は食べていないでしょう?」
「いつの間に?」
「さっき、ですよ。――少しだけ顔を上げれば、よく見えます」
 見たくないと、聞きたくないと拒絶していた事すら、よくわかるらしい。
「……」
 ますます俯いたままのミルファネーゼ。一つ、シギはため息をついた。


 人にため息をつかれるのは、よくあることだった。船長や副船長やアロマや、みんなに。


かっ
「!?」
 膝(ひざ)の裏に何かが当たって曲がる。そのまま腰を下ろして座り込むように、噴水の端に腰掛けてしまう。
「………」
 がばっ上を見上げて、思わず、シギの見ている方向に首が向く。
 ここまで、歩いてきた道――

 左右に店が並び、人々が行き交差する。手をつないだ親子。何かの荷車を引く男。売り子の声と、食べものが焼ける匂い。店の鈴が鳴る音。立ち止まって長い婦人のおしゃべり。色とりどりの服に、日傘。髪の色。
 すべてが日に輝いていた。
 眩しさに目を細める。ただ目の前の光景に目を奪われる。

「お花いりませんか?」
「!?」
 いつ近づいてきたのかわからない少女の声に驚く。固まってしまっているとシギが対応してくれた。
「もらおうか」
 買うんだ……どうすんだろう?
 女の子が小さな束にしていたものを、一つ買っていた。
「売れているかい?」
「うん! みんなお祝いに買って行くの!」
「お祝い?」
「そうさ、皆祝福の花をね」
「お父さん!」
 花売りの娘の父親がやってくる。
「今日はそれで完売だよ」
「本当!?」
「ああ。こんにちは」
 少しだけ、頭を下げた。
「お祝いはお祝いだよお嬢さん。陛下の娘が見つかった記念に。それに、少し前までは戦争の痛手で花を買う余裕もなかった。だが今や完売だ」
「………それが、祝い事?」
 少しだけ口調が変わっていたことに気がついていないようだった。
「当たり前だろう」
 その時の嬉しそうな表情が、服屋の子と重なった。
「でもでも一番は陛下なのでしょう?」
 花売りの娘が父親に飛びついた。
「そうだよ、でも陛下の願いは――この国のすべての民の願いだ」
 ――娘に、会いたい。

 早く、この場を去りたかった。

「ねぇお父さん! お菓子買って!」
「おいおい」
 くるりと、振り返ったミルファネーゼ。
「「?」」
「っそれでは、また」
「ぁあ、お嬢さんによろしく」
「ネファ!」
 噴水の後ろ側、通りの中心部からさらに先へ。
 ただ、あの場を去りたかっただけ。

「ネファ!!」
 通りが、少しだけ騒がしい。二人は気がつかなかった。
 駆け足になりそうなミルファネーゼ。
 なぜか、一向に距離の縮まないまま走るシギ。

「危ない! にげろぉーー!!」

 ふと、声のした方を二人は見た。一頭の馬が馬車の鎖を断ち切り、わき目も振らず突進してくるところだった。
「ネファ!!」
「ぁ」
 ぶつかる――
「くっ」
 避けきれないと目が見開かれたその体を押し倒す。地面に叩きつけられる瞬間に体を反転させて庇う。肩がぶつかって鈍い音を立てた。
 馬はそのまま行ってしまった。視線を向ければ、先で誰かが飛び乗ったらしい。落ち着かせていた。あれは、たぶん陛下の。
「おいっ! 大丈夫か!?」
 おそらく、馬が切りはなされた瞬間の関係者が近づいてくる。
「ぇえ。大丈夫ですか?」
 抱き寄せていた手を離す。石畳に座り込んでしまったミルファネーゼを見ながら、言葉を返す。
 そうかと、男は別の負傷者のもとに走っていた。
「大丈夫ですか?」
「……立てない」
「……」
 しかし、あの馬が走ってきたのは偶然なのだろうか。あの馬がなびかせていた紐は綺麗に切れていた。革紐が自然に切れたわけでは、なさそうだった。
 さてと、と、軽々体を持ち上げる。すると「ぎゃぁっ!」と叫ばれる。無視した。
「とりあえず医者に――」
「行かない! 診せない!! 下ろして!」
「立てないのでしょう?」
「なら背負って!」
 とにかくこの体背が気に入らないらしい。
「――ぁ」
 一度地に下ろして立たせると小さく声をあげた。何事かと視線の先を見ると、――おそらく、さっき馬に踏まれたのだろう。それと、騒ぎに集まってきた人々に。色とりどりのベリーが入っていた籠と花売りの娘のような花束が踏み潰されていた。
「……しかたありませんね……新しいものを」
「いらない」
 否定と、拒絶は早いものだった。

「「………」」
 水を打ったように静まり返った通りの中。この二人の仲も冷ませてしまうような。
「昼食にしましょうか」
「……いらない」
 かすれるような声が、まだ震えていた。




「「「「かんぱーーいい!」」」」
「何やってんだい昼間から!!」
 あの場所からもう少し歩いて、おそらくシギが選んだ食堂に入る。途端、聞こえてきた陽気な声に、呆れたようにでも、どこか嬉しそうな声も。
「……?」
 よくわからない。
 呆然としたまま、少しだけ首をかしげる――
「こんにちは」
「おやまぁ、久しぶりだね。なんだい? 彼女かい?」
「いえ、そういうわけでは」
「おいにーちゃん。犯罪に走るなよ?」
「………」
 年の差?
 ぼそっと、これでも俺はまだ二十三だとシギがぼやいた。ってもしかして、歳を勘違いされているのって、私? そんなに童顔だったのかと思う。
「まいーや。きな。柄の悪くて酒臭いジジイ共と一緒じゃ彼女がかわいそうだ」
 だから、彼女じゃないって言っているだろう。と、さらに低い声でシギがぼやいていた。
「女将〜酷いんでねぇかぁ〜」
「酔っ払いは仕事に帰りな!」
「俺たちゃ休暇さ〜」
「なんだい? そうなのかい?」
「だからいいだろう〜」
「何が?」
「「「「おかわり」」」」
「自分で注ぎな」
 どがんと、テーブルの上に一升瓶。
 どうも、ここの女将さんには誰も勝てないらしい。
「さっおいでおいで」
 いまだに入り口で呆然としていると手招きされる。大小さまざまなテーブルの入り乱れる入り口、少し行ってカウンター。緑の植物。
「ほらっ座った座った」
 四人がけの席に案内されて、女将は呼び声に答えて行ってしまった。別の人が水とお手拭用に布を持ってくる。
「何を食べますか?」
 壁を一周するようにメニューの札がぶら下がっていた。正直、料理名を聞いてもなんだかわからない。
「いらない」
「食べないと女将に怒られますよ?」
「……」
 それが狙いか。
「で、どうします?」
 なんだか、いいように遊ばれている。
「――いらない」
「困りましたね」
 ほとんど困ってはいないというように、笑うシギ。
「だってわからないんだもん!」
 思いのほか、大きな声がでた。さっきのおじさん達の声が一瞬止まる。
「っすみません」
 なんとなく、事情を察したシギが焦っている。そんなもの――
「どうしたんだい?」
「っ!? ――ぁ」
「いえ、注文が決まらなくて」
「おやまぁ、今日のおすすめは鳥を揚げて餡(あん)をかけたものだよ?」
 笑いながらそう言って、女将はまたお客の相手をする。
「……どうしますか……」
「今のがいい」
 ……なんだか馬鹿みたい。これじゃぁ、わがままな子どもと一緒じゃない。
 香り立つ料理が運ばれてくると、朝から何も食べていない事を実感する。少し甘めの餡がおいしくて黙々と食べる。そえられたサラダとパンも食べつくした。
 シギは最後にわざわざお茶を頼んでいたらしく、食べ終わり下げられたテーブルにお茶がのせられた。
 あまりに食堂の中が沸き立っていて、時々、女将さんの呆れたような声が聞こえる。ゆっくりとお茶を飲んで、少しだけその活気に身を任せる。そういえば、船の上では眠る時だって静かな事はなかった。
「――いきますか?」
 休憩は十分だと思った。このタイミングのよさはなんなのだろう?
「「「この国の王と王女様に!」」」
 入り口のテーブルのおじさん達が、また乾杯をしている――
「――どうして、そんなにそのことが嬉しいの?」
 ぽつりと、すれ違いざまにつぶやいてしまった。
「お嬢さん、何を言うんだ? 王様は戦争の後この国の復興を最優先にした。自分の妻と娘の捜索は後回しでね」
「だが不幸にして王妃様が亡くなっていると知った時だって、王様はまずは民家を建て直すように言ったんだ。葬儀は後だって」
 ――今生きている人の命が、一番尊い――
「城の修繕、いや建て直しも後回しにされた。身寄りのある兵士や侍女達は家の復興を手伝うように帰宅させて」
「王様自ら家々を建て直すのを手伝ってくださった」
「街道の整備も」
「ここまで、くるのに五年かかった」
「そして、もう五年は世界の中で国の地位を確立するために使われた」
「そして、ようやく――」
「あの戦争が起こる二日前に生まれたお子の捜索が始まった。一つの名と、肩に焼きつかれた焼印を目印に」
「それが、八年前。本当ならあの戦争が終わってすぐ、王様は探し出したかったはずなのに」
 十年の遅れ。もしも、もう死んでいたら――
「生きているのかもわかりもしない娘の存在だけが王様を支えていた。だから」
「何よりも民の事を考えてくださった王様の娘が見つかったんだ!」
「これ以上嬉しい事はない!!」
「かといって、昼間からお酒を飲んでいいことにはならないよ?」
「「「女将ぃ〜〜」」」
 場がどっと沸きあがった。情けなくしょげるおじさん達に、声をあげて笑う女将。その様子がおかしくって笑っていた。
「なんだい、ずっとそうやって笑っていればかわいいのに」
 目をパチクリとさせて驚くと、女将は穏やかに笑った。

 昼食が終わって、また道を歩く。歩いて歩いて。店に入って。溢れるほどの活気に目を丸くしたり、人の声に驚いたり。
 買いもしないのに(買うつもりでいたらしいけど)服を着て、選んで。靴だって、なんだって。
 喉が渇いたなと思う前にお茶をして、甘い物が出てきて。

 いくつもの声を聞いた。気さくな人々が声をかけてくれるから。その多くが、あのおじさん達と同じ、喜びの声――

 私は、私は――

「あ゛」
「何?」
 歩きつかれて、噴水の前に座っていた。当然のごとく立っていたシギ。空が赤く染まって、城下は夜の準備に入る。子供達の声が遠ざかる。星の数は、もう数えられない。
 そんな中、いきなり思い出したように声をあげたシギに驚く。
「まずい、遅刻する」
「は?」
「走りますよ」
「へっ!?」
 がしっと腕をつかまれて、城まで走った。

 ――疲れた。


「――」
 夕食の時間になっても帰ってこない。先に食べますかと言う言葉を止めるように手を振って数分。いや、水を二つ用意しろとだけ言った。一つはいまだ人のいない席に、もう一つは――
 ばたばたと廊下を走る音に視線を向ける――ルギが額に手をあてている。その前に来た知らせで、今ここに向かっていると知っていた。
バァン!
 息も切らしたままに扉を開けられたことにびっくりしたように、ミネファの目が丸くなっていた。
「おかえりなさい」
「――ただいま」
 驚きと、激しい息を抑えて、ミネファが部屋の中に入る。引かれた椅子に座って、目の前にあった水を飲んでいる。
「はぁ……」
「食事を」
 すぐに、“暖かい”スープが運ばれてきた。どうやら、わざわざ料理長にも報告をしていたらしい。
 食事を目の前におろおろとしていた時と違って、いただきまーすと明るい声で手をつける。お腹が空いているらしい。
「城下はどうだった?」
「ぇ?」
 その声が合図となったように、壁際を埋め尽くしていた兵士と侍女が部屋を去る。ミネファと違ってあまり息を切らしておらず、それでも水を受け取ったシギも。残ったのはルギ、給仕のための侍女が一人。
「外に行ってきたんだろう?」
「はい……」
「そう緊張しなくていい。別に怒っているわけじゃないのだから」
 ――本当に?


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