14

 王の言葉に、沈黙したミルファネーゼ様を見て冷や汗が出た。あの馬鹿息子は何かしでかしたらしい。
「花売りの女の子に、会って」
 恐る恐る、さすがに黙っているわけにはいかないとミルファネーゼはしゃべりだした。
「ぁあ、花か」
「よく売れているって。少し前と大違いだって」
「そうか」
「……あと、」
 ふと、あの食堂の光景がよぎった。
「つまらなかったか?」
「ぅうん! 違うの。驚いたの」
 その言葉に部屋の端に佇んでいたルギは少しだけ胸を撫で下ろした。これで二度と外には出ないとでも言い出されれば、本気で息子の首を絞めにかかるところだった。
「あのね、道がまっすぐでね。噴水があってね。服屋の女の子は私と同じくらいだったの」
「そうか」
 意を決したように、ミルファネーゼがしゃべりだした。それは、彼女が見た城下の人々の様子。




「―――」
 廊下の壁を背にして立っていた。一日訓練をしてもこんなに疲労することはないだろうといいたいくらい疲れている。それでも、ミルファネーゼ様が陛下と食事を終えて部屋に帰るまでは。食堂から少し離れた廊下の端。あまり多く人が通らない道。
「シギ」
「っ!?」
「何を呆然としている。注意力が足りない」
 陛下と父親の声に驚く。そんなに呆然としてしまっていたのか? 気がつかなかったなんて。
「今日はご苦労だった」
「いえ」
「あのあと、ずいぶんといろいろしゃべりだした。“陸”の上は興味深いようでな」
 あんなに頬を高揚させて、国王は思い出して笑う。
「あんなに、おしゃべりだったとは、な」
「?」
 どうやら、自分の知らない所でいろんなものを見ていたらしい。
「もしまた、いやもっと頻繁に外に連れ出してやってくれ」
「……恐れながら」
「なんだ?」
「陛下は案内なさらないのですか」
「シギ!」
 国王は一度ルギを制して、シギを見た。
「これから、ミネファと外に行ってくる。今日はもう休め。―――頼んだぞ」
 陛下と、こちらを睨み付けた父は行ってしまった。




「ん〜〜?」
 食事がすんで席を立つと、王様。お父様に声をかけられた。

『疲れているだろうが、丁度いい。その服のままで』
『?』
 よく考えると城下で買った普通の服だった。
『連れて行きたい所があるんだが、大丈夫か?』
『……はい』
『疲れているところ、悪いな』
『いいえ』
『少し部屋で待っていてくれ、迎えに行くから』

「なんなんだろう?」
コンコンコン!
「はいっ!」
 扉を開けるとお父様と、ルギ軍師と、さらにもう二人、一介の兵士と言うより直属の護衛らしいというか、護衛の人。
 ちょっとびっくりして固まった。
「大丈夫か?」
 こくこくと頷いた。
「では、行こう」
 伸ばされた手をおずおずと取ると、――そう。なんだか少しだけ近づいたような気がした。

 お城の入り口近く、馬小屋の近く――間ぐらい? の所にやってくる。すでに四頭の馬が用意してあって、手綱を握っている人と、侍女長と兵士と……やっぱり人が多い。
 ここで待っていろと言われて手が離される。ぼんやりと、国王様が馬に跨るのを見つつ、周りを見渡す。――いない?
「ミルファネーゼ」
「ぅわ!」
 自分よりはるか高い所から声がしたと思うと、馬上に引き上げられる。あっという間に足は地面から離れて、国、お父様の前に横乗りになる。
「高いっ」
 馬に乗って下を見ると、想像していたよりも高さがあって驚く。
「落ちるなよ?」
「ぇ゛?」
 少し笑ったお父様の声に答える間もなく、馬は走りだした。

 去りゆく影を、シギは城の窓から見つめていた。



 とりあえずいろいろ困りつつ、落ちないようにしがみ付いていた。少し立つと揺れと暗さに慣れてきて周りが窺える。左にファン軍師で、右と後ろを護衛に囲まれた状態。一本道かと思えばそうでもなく、お父様は慣れた様子で木々を避けていく。まるで、木々が避けているように。――そんな錯覚。
 風を感じて、でも寒くはなくて。枝が揺れる様子が、まるで手を振っているよう。

――。――。――。
 落ちないようにお父様にしがみ付いているから、距離が近い。聞こえる、心臓の音。早くて、低くて。

――。――。――。
 まるで、あの大樹が、水を吸い上げる音に似ている。心地よい――

す――……

「さすがに、疲れてしまっているか……」
「陛下? 大丈夫ですか?」
 しがみ付いていた腕の力が抜けていって、落ちてしまいそうだ。片手で馬の手綱を握って、国王はミルファネーゼを支えた。
「大丈夫だ。こんなに揺れる馬上で、よく眠れるものだ」

 心地よいのは、その音。さざ波の音、はためく旗の音。一定の振動。伝わる鼓動。

「ミルファネーゼ?」
 囁くような声に揺らされる。その揺れですら、まだ夢の中の出来事のようで――
「!?」
 がっと、ミルファネーゼは目覚めた。
「ねて、まし――た?」
「疲れているようだが、少し歩けるか?」
「はいっ?!」
 馬から下ろされて、地に足がつく。目の前の道から、蝋燭の入ったランプの光が二つ、近づいてくる。
「――?」
 眩しさに目を細めると、逆行になって見えなかった二つの影がランプを低い位置に下ろした。
「異常ありません、陛下」
「ならばよい。行こう」
「はい」
 再び差し出された手、進む道。今度は二人きりだった。

 いななく馬も、さえずる鳥もいない。ただ低く鳴く夜の鳥、こそこそと這いずる小さき生き物。満月の照らす範囲の、少ない事。お父様の持つランプの明かりだけが足下を照らして、暗闇に慣れた目に多くは映らない。
 がさりと音がして、しがみ付くものを手から腕に変える。ただ前を見据えて歩き続けるお父様が心強い。

「もうすぐだ」
「本当?」
 ただ、頭を少し撫でられる。

 道が開けて、満月が笑った。少しの光ですら眩しいと感じる目に、道が途切れているのが見える。先がない。下は海。断崖の上。
 人の目には、そこには何かが埋まっているとわかるくらいに盛り上げられた土。指し示される墓標。おそらく、ほとんど誰も来ないのだろう。そえられた花が枯れて風に散らされる。

 これは……?
「どこに、作ろうか迷ってしまった。目に届く範囲か、どうか」
 静かに、お父様が教えてくれる。
「だが、この広い海のどこかで生きている娘が見えるように――ここに作った」

“アジーナイズ”の墓。

「「………」」
 まるで、何かに狂ったようにそこだけを、ただただ明るく染め上げた月が雲の裏に逃げる。暗闇になって、晴れて。その繰り返し。
 沈黙した森は、まるですぎた時間を感じさせない。

「わからないの」
 ミルファネーゼは、震える声で言う。
「何も、何も覚えていないの」
「そうだろうな」
 あの時は、生まれたばかりの赤子に等しい。
「だからっ!」
 ミルファネーゼの声が必死だった。
「だから本当は私じゃないのかもしれない! もしかしたらっ」
 国王は、ただ首をふった。
「っ!?」
 耐え切れないというようにミルファネーゼの目から涙が落ちた。
「もしかしたら本当は私じゃなくて、ただ私は――」

 誰か、助けて。私は、“捨てられたの?”

 あの船に要らないから追い出されたの?

 国王は、ゆっくり、まるで触れたら崩れ落ちるのではないかと心配しながらミルファネーゼを抱きしめた。
「そうじゃない」
「じゃぁどうして! どうして私はあの船の上にいられないのぉ!!?」


 過ぎた時は、返れない。


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