2.雪原の冬国 


「輪花様!」
 冬雪国に嫁ぐ事が決まって、まるで追い出されるように馬車に乗り込んだ。持ち込むものは少なく、馬車も二台。
 仮にこれが蓮花であれば、考えられない。
 ふっと、口元に皮肉としか考えられない微笑。ただ冷えていく馬車の中を暖めるものはなかったので、丁度よかったのかもしれない。そんな時に、叫ぶようにかけられた言葉は。
「何か?」
 共に馬車に乗っていた侍女のナズナが問い返す。
「船が、波が高すぎて出ないですって!?」
「ナズナ、声が大きいわ。船が出ないの?」
 仰天したようにあわてるナズナに声をかけるのは、同じく私の侍女の桜。
「はい」
「海は誰かに操れるものじゃないわ。今日はこの港に泊まりましょう。輪花様、よろしいでしょうか」
「ええ」
 少しでも、到着が遅れればいいと思っていたことが海に伝わったようで、どこか動揺していた。
 冬雪国は隣の国だ。隣といっても、海の向こうだが。世界の中心には四季の神殿があり、北に冬雪国、東がここ来春、南は晴夏国、西は高秋(こうしょう)国だ。
 はぁと、息をついた。思っていたよりも深く、完全にため息になっていた。はっとして口元を抑える。二人の侍女に緊張が走ったのも見えた。
「お疲れのようですね。早く宿を手配いたします」
 桜が、心得たように馬車を降りて行ってしまう。やってしまったと自己嫌悪に陥りながら、再び出そうになったため息を飲み込んだ。
「早く部屋に入ってお茶にしましょう! ね、輪花様!」
 こんな時に頼もしいのは、ナズナの明るさだった。



 次の日は、曇っていた。だけど海は穏やかだった――らしく。
「しゅっぱーつ!」
「ナズナ、腕を振り上げない」
「しゅっぱぁーつ」
「小さく振り上げない」
「しゅっぱー」
「潤んだ目を向けて同意を求めない」
「輪花様〜!」
「姫に助けを求めない!!」
「桜、まぁいいじゃない」
「輪花様!」
「だめです。それではナズナが生長しません」
「いじめます……」
 笑った。まったくもうと声がもれた。
「もう、姫様が笑っているでしょう」
「笑えるわ」
「わ、私のせいなんですか!?」
「当たり前です」
「たぶん」
「輪花様までー!」
 海は穏やかで、船は順調に進んで行った。二人がいるから、私は悲しいだけですむことはなかった。
 ただ、来春を離れ冬雪国が近づくにつれて感じる肌寒さが、とても冷たい。

「さむい……」
「姫様!! そんな薄着で!」
「桜。確かに寒いわね」
 暗闇の海はまっくろで、ちょっと怖い。夜に目が覚めてしまったので甲板に出てきたのだが、やっぱり見逃してくれないらしい。
「姫様、とにかく」
 これでもかと、毛皮の上着を……多すぎだろうとは思うのだが。
「ごめんなさい」
「いいえ。暖かい飲み物をこちらまでお持ちするわけに行かないと思いながら」
「もって来るんだから、さすがね」
「もっときちんとしたカップに……」
「そこまでこだわらなくても」
 マグカップが手渡される。深くて、持ちやすい。さすがに揺れる船の甲板にテーブルと椅子を用意しておくにしても昼間だろうし。
 湯気の出ているミルクに口をつける。
「甘い」
 はちみつが――
「多すぎない?」
「気のせいです」
 いつもどおり冷静に言うのだから、笑ってしまった。
「おいしい」
 しばらくのんびりとミルクを飲んでいた。波の音だけが聞こえる。
 さっき見た悪夢を思い出す。着替えもせずに出てきた体は冷えて、冷たくなってきた。毛皮が暖かい。
 のだが――
「寒いですね。申し訳ありません」
「桜」
「見てください、あれを」
「あれは――」
 どがんと、船が揺れた。倒れる前に桜が支えてくれる。
「氷河が流れてきております」
「寒いわね」
「部屋に、こちらは危険です」
「そうね」
 二人を見ていたのは、護衛の兵士と、船の乗組員と、月だけだった。

 部屋に案内されて、寝台に上がる。灯していた明かりを持って、桜が進む。
「まだ朝まで時間はあります。ゆっくりお休みください」
「……」
「姫様?」
「ぇ? ええ」
 ぼんやりと、揺れる明かりを目で追っていた。
「お休みなさいませ」
「おやすみ」
 ちょっと前に、ナズナと行ったやり取りだ。
 音も立てず扉が閉じられて、部屋の中に響くのは波の音。どこかで、何かとぶつかるようだ。
 目が覚めた原因の悪夢が、よみがえってくる。詳しくは覚えていない。ただ不快で、恐ろしくて。――寒くて。
 心を落ち着けようと大きく息を吸って、吐く。静かに、眠りに落ちていった。


「輪花様は?」
「まだお休み中です。起こしてはいけません」
「……」
「なんです。その意外そうな顔は」
「意外です」
「夜中に目を覚ましていたのですから」
「そうなんですか」
 驚いたように、ナズナが言葉を返す。
「ねぇ桜さん」
「なんです」
「寒いですね」
「当たり前です。冬の国、冬雪国に行くのですよ」
「あれ、氷ですよね」
「氷河です」
「流れてますよ」
「流れてますね」
「寒いですね」
「当たり前です」
 まるく、小さい窓越しに、二人の侍女が海を眺めていた。


 ふっと、目が覚めた。体を震わせる。
「寒い」
 肌寒さを隠し切れない。
 窓の外の海には氷が浮かんでいる。海が凍るなんて、聞いた事はあってもはじめて見る。
「――っ」
 窓に乗せた手が冷たくて、手を引っ込める。
 もう一度。
「冷たい」
 体温がとられる事をわかって、冷たさが心地よくて手を当てた。
(矛盾してる)
 こつと、額を壁に当てる。握り締めた手の爪が、窓を引っかく。
(冬雪国、か)
 雪が降るという国が真っ白いというのは、本当だろうか?


 船が到着したのは、その次の日だった。
「これだけで大丈夫でしょうか?」
「寒いのではないでしょうか」
「大丈夫よ」
 二人の侍女が寒くないようにと上着を重ねる。重ねる重ねる――重い。
「それより、動けなくなるわ」
「……確かに」
 二人が神妙な顔をして頷いた。
 というか、いい加減行かなくては。兵士達が待ちわびてしまう。

 船の甲板に出て、止まった。
「……ゆ、き?」
 風に舞って飛んでくるのは、白いしろい花びらのようだった。


 馬車が雪の道を進む。のだが……
「寒くはないですか!?」
「いいえ」
 ぼんやりと窓の外を見ていると、声をかけられた。
「どうしたの?」
 ずいぶんな勢いで聞いてくるのね。
「いえ、ぼけっとしてらっしゃるので」
 魂がどっかに行っちゃったみたいですって、そこまで?
「ナズナ、姫様がぼーっとしてらっしゃるのはいつもの事でしょう」
「桜さん、いつも思いますけど、ほめてませんよね」
「そうかしら。ねぇ姫様」
「よくわからないけど、なんのこと?」
「輪花様〜あの〜聞いてもいいですか?」
「え?」
「それ、一生そのままなんですか」
「それって?」
「なんでしょうね。姫様」
「桜さんって、確信犯ですね」
「失礼ね」
「笑顔なのにーー!!?」
「元気ねぇナズナ」
「本当ですわ」
 会話はそこまでで終わって、また窓の外に視線を向ける。見渡す限り、白。雪原というのだと、桜に教えてもらった。


 少し前、船の甲板に出て、驚いてしまった。固まった。風に舞ってくるのが花びらのようだった。それが雪だと教えてもらった。
 そっと目を遠くに向けると、港の倉庫のような場所だった。すべての屋根に真っ白いものが降り積もっている。
「あれが、雪?」
「はい」
「桜、見たことあるの?」
「いえ、初めてです」
「詳しいのね」
「当然です」
「きっと、夜な夜な本を読んで勉強したんです」
「ナズナ」
 こそっと耳打ちしてくる声にくわえて、ぴりっと冷たい声。
 呼ばれる声に耳を向けると、馬車に乗ってほしいと言われる声だった。

 それから、馬車に乗ってしばらく走ると道の周りには何もなくなった。倉庫のようなものでも、家のようなものもない。木もない。
 けれど、遠くまで真っ白。
 いつまでも見ていたい。見ていられるよう。
 と見ていたので、まぁ、ぼけっとしていた私が悪いのだが。たぶんそれが、魂が抜けたように見えたのだろう。
「雪原」
 雪の、原。
 絨毯のようにどこまでも真っ白で、遠く、広く。
「すごい」
 ようやく、感想がもれたことに驚いて口元に手を当てる。少しだけ、微笑んだ。私の顔が、窓に映っているのかもしれない。



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