5.二人の距離 


 崩れそうになる体を支えていたのは、国王だった。
 抗う事も逃げる事もできず、ただ従っていると唇が離れた。堅く閉じていた目が開けない。体に力が入らず、もたれかかるようにしがみついた。
 でも、次に何もおこらない。いぶかしんでそっと目を開けると、なぜか、彼は私の腕を取ったまま私を凝視していた。
 何かに驚くように、彼もまた目を見開いていた。
「――ぁ」
 少しだけもれた私の声にはっとしたのか、王の手が離れていく。体の震えは止まったが、寒い。
 いや、感覚がもう、おかしい。
 ともすれば倒れそうになるのを必死でこらえた。
 すると国王は私の腕を取って歩き出した。入ってきた扉に向かう。入り口の傍にいた蕗とすれ違う瞬間、彼は蕗にとても鋭い視線を向けていた。
 しかし、蕗はまったく、気にした様子もなく首を垂れていた。
 国王が、ため息をついた。私はその様子に怯えた。
 扉が開かれて、驚いたよう様子の兵士達が見えた。再び、身を切るような寒さが私を襲う。すると、兵士の手から何かを受け取っていた国王が近づいてきた。
 ふわっと、音が聞こえた。
「あ」
 それは、毛皮の上着だった。国王のものなのか、袖も、丈も私には長すぎる。
 暖かさに、とっさに上着の前をかき合わせる。その間に、国王は兵士に何か指示を飛ばしたのか、二人の兵士が立ち去っていく。
 そして彼は、残りの兵を従えて、もう私と目を合わせることなく行ってしまった。
 私が、はっとした時にはもう彼は歩き去って遠かった。呆然と、彼が残した上着の暖かさを感じる。
(お礼……言えなかった)


 再び蕗につれられて、湯に入った。拒む私を取り押さえて数人の侍女に体を現れた。
 他人に触られるなんて、と口元に浮かぶ笑みは皮肉だ。
 肌をそぎ落とすようにしつこく現れて、しかし肌に傷ができないのはさすがだとなぜか感心した。
 そして、湯船に一人、取り残された。
「……桜、ナズナ……」
 少し前がなつかしい。
 溢れる涙を、湯船に落とした。
 だんだんと湯が冷えて体温が奪われる。湯は冷えていくのに、なぜか私の体は熱かった。


「こちらでお待ちください」
 相変わらず最小限しか言わない蕗が、着替えさせた私を部屋の中に押し入れて立ち去っていく。
 そっと足を動かして、室内の中央に進む。反対側に、大きい寝台が置かれた、寝室。
 壁を飾る絵画と、足元を包む絨毯。閉じられた窓には厚いカーテン。煌々と照らされた明かりと、ぱちぱちと、火のはぜる音。
 誘われるように暖炉の傍まで進んで、足が崩れた。絨毯に座り込む。
 なぜか、頭が重い。時々、額に手を当てる。
「あ、つ」
 たぶん、火に当たってほてったのだろう。そうぼんやりと考える。
 火がはぜて、宙に消えていく。
 ずっと見つめていると目に痛い。けれど、燃える炎が消える瞬間を見つめる。
「何をしている」
 鋭い声に、びくりと震えた。恐る恐る振り返ると、国王がいた。
 目があった瞬間にため息をつかれた。さらに体がこわばった。
「あ、の」
 私がかすれた声をあげるのを、国王は聞いていなかった。彼は熱いと呟くと上着を脱ぎ始めた。
 彼もまた湯に入ったのか、豪勢な服ではなかった。おそらく、夜着なのだろう。
 だるそうにこちらを見たかと思うと、突然近づいてきた。とっさに後ずさると、国王は暖炉の隣にあった薪を手に取っていた。
「……寒いか」
「……ぇ?」
 彼は私が怯えているのを見て取ったのか、それ以上何も言わず薪を足していた。高く積み上げるように組んでいる。
 それもまた、後で知ったことだったが、火が長く燃えるように、だった。
 その様子を、ぼんやりと手の動きを見つめていた。手馴れていると思いながら、薪を足すものなのだと思いながら。
 作業を終えたのか、国王がこちらを見た。一瞬、目があった。
 ひっと息を飲んで下を向いた。薄い夜着の袖を強く握った。逃げようにも逃げる場所などないのだと、頭の中で理解していた。だけど、体がずるずるとあとずさる。
 その様子にいらだったのか、舌打ちをした国王の足が速く、あっと今に目の前に立たれた。
「やっ」
 逃げる間もなく、抱き上げられた。
「いやっ!」
 足が宙に浮く。不安定な体勢を立て直そうと腕が彷徨う。
 しかし、その腕が何かをつかむ前に、突然体が落ちた。
「……!?」
 そこが、部屋の窓際にあった天蓋の付いた寝台だと、すぐにわかった。目を見開いていると、国王がのしかかって来た。
 私の手がその体を押しのけるように動くと、邪魔だと両手を頭の上に押し付けられた。
「やぁっ!!?」
「うるさい」
 突然、胸元の夜着が引き裂かれた。高い悲鳴を上げると、国王はまた迷惑そうに眉根を寄せた。
「お前は、今日が初夜だと理解しているのか」
 そして、私はなんのためにここに来たのか思い出した。
「お前は第一妃の娘の代わりに来た。そうだな」
「――はい」
 隠すように胸元に持ってきた手が、震えた。瞬いた目に浮かんだ目が、流れた。
 ぁあ、例えこの部屋がいくら暖かろうと。私は、外を埋め尽くす吹雪と同じなのだと。
 浮かされる熱に意識が朦朧としていく。凍りついた氷が突き刺さる。のどを突いて出る言葉は悲鳴のように、高く、絶え間なく。
 熱い。――熱い。なのに寒い。
 すべてを引き裂かれるかのように求められた。
 額に当たった国王の手が熱いのか、私が熱いのかわからない。

「―――かった」
 なぜか、遠ざかる意識の途中で国王の声が聞こえた。

 そして、次の日私は高熱を出した。



 意識が朦朧として、熱い。何も考えられない。ぼんやりと目を開けても、見知ったものは何も見えない。
 泣いても、泣いても、涙が浮かぶ。
 腫れたまぶたが重く、開いていられない。
 なんどか、蕗や侍女がやってきた。彼女らの冷たい手が、心地よく感じる。
 水を飲ませてもらいながらむせ込んだり、濡れたままの布を叩きつけられたり、着替えの途中で放置されたりしたが、気にしていられるほど正常な思考は戻ってこない。
 また、目が覚めた。長く寝ているのも苦痛だ。
 そっと視線を向けると、今は誰もいないようだった。先ほどまで監視するように侍女がいた。
 体を起こすと、汗をかいて張り付いた夜着が重く、まとわり付くような感じが気持ち悪い。
 頭はまだ重いが、少しすっきりしたように思う。のどの渇きを覚えて、寝台の脇の机から、水差しの中身をコップに移して口を付ける。
「――っ」
 お酒だ。寒いところは水ではなくお酒を飲むという話を、聞いたような。聞かないような。
 度数の強いお酒にむせ返る。咳き込んでいる途中で、窓が見えた。――そうだ、雪を溶かせばと、ふらりと足を向ける。
 しかし、鍵が開けられない。困って次、次と足を向けると、一番端の鍵がなんとか開いた。
 外に出て、寒さに身を縮める。しかし、その寒さがほてった体を通り抜け、汗で湿った夜着が体温を奪う。
 お酒を捨てて、コップに雪を入れる。部屋の温度で解けるだろうと、ほっと息をつく。その時だった、大きな音と共に、吹き付ける風と共に窓が閉じた。焦って振り返った私の足が滑って、バランスが崩れる。しがみつく様につかんだ手すりが折れる音が、吹雪の中妙に、はっきりと聞こえた。
 そして、体が宙に放り出された。


 白い、白い大地にうずもれていた。ぁあ、生きているとぼんやり考える。周りは真っ白で、頭が重い。
 吹き付ける風、雪。徐々に埋もれて、凍り付いていく私。
 ぁあ、死ぬのかと、何かが頭の中で合致した。
 ぼんやりと頭を上に向けて、――見てしまった。私が落ちたバルコニーの窓の内側から、見下ろす人影を。


 流れる水音を聞いた。なんだろうと考える。
 なぜ、考えるの?だって、だって私――
 ゆっくりとまぶたを開けた。周りを包むのは雪ではなく、立ち上る湯煙だとわかった。何かに支えられている。少しだけ状態を起こしたように、お湯の中に使っている。
「気が付いたか」
「こ……」
 驚いて、声が止まった。私は彼の腕の中にいる。はっと見下ろすと、私は夜着のままだった。そのまま、お湯に浸かっている。
 そしてまた、国王も服を着ていた。重苦しそうなマントはないものの、豪華に金の刺繍をされた服だった。
「ぬれ……」
「飲めそうか」
 私の驚きはさくっと無視したのか、国王が手を伸ばして何かをつかんだ。
「や……」
 強くむせこんだお酒を思い出して拒否の声がもれた。
「……水だ」
 ほっとしたのを見て取ったのか、国王が……水を口に含んだ。
 目を見開いていると、顔が近づいてきた。彼は目を閉じていたが、私は見開いたままだった。
 なんどか口付けを受けて、うめいた。というか全力で抵抗した。それはとても弱弱しく、国王の邪魔にもならない。
 ただうっとうしそうに視線を向ける。
「あまり暴れるな、まだ体力は戻っていないだろう」
 湯あたりしたのか、熱のせいか、頭がくらくらした。
「わ、た」
「落ちたんだ」
 そうだ。確かに落ちた。白い雪の上に仰向けに寝ていた。そのまま、埋もれてしまおうと思っていた。
 黙りこんだ私に、国王は何を思ったのだろうか。
「雪の上に落ちるほど逃げたいか」
「ちがっ」
 はっとして顔を上げると、国王はただ表情のない凍りついた目で私を見下ろしていた。


 気まずい空気を吹き飛ばせずに、お湯から体を上げられる。本当は自分の腕を上げるのもおっくうだった。
「っ!」
 お湯から上がって戻ると、控えの間に侍女が並んでいた。顔が上げられない。
 国王が私をおろして、去っていく。次の間に行って着替えるのだろう。
「まっ!」
 今度こそと、声をあげたのに、それは私を着替えさせようと近づいてきた侍女に遮られた。
「姫」
 温まった体に触れる彼女たちの手は、氷のように冷たかった。あの国王の、目と同じ。
 そしてまた、部屋に押し込まれた。確認した水差しの中身は――水になっていた。
 ため息をついてコップに水を注ぐ。コクリと飲み込んで、その冷たさが流れ込む。
 流れていく、水。それに涙が、ほほをぬらした。



 あれ以来国王はこの寝室に来ない。私は、この寝室の中に、閉じこもった。
 ただゆっくりとすごした。日々は静かで、風邪は治った。だけどそれ以上でも、以下にもならない。
 ただ窓の外に積もる雪。時折、暖炉に薪を足す侍女たち。

 知らなかった。この私のいる部屋が一番、この城の中で暖かい場所だったなんて。
 知ろうともしなかった。この、国の事。
 ただ降り積もる雪を見つめている。
 ただ降り積もる雪を――



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